「死んだ女の子」

いつごろだったか定かではないが、多分学生時代だったのではないか。原水爆禁止運動の中でうたわれ出した。最近、元ちとせが歌っていると報道があり話題になっている。私たちが記憶にある歌は元ちとせの歌ではないのだが、今あらためてこの歌の意義を確認したい。元々の作詞はトルコの詩人。

1.とびらをたたくのはあたし
  あなたの胸(むね)にひびくでしょう
  小さな声が聞こえるでしょう
  あたしの姿は見えないの
2.十年前の夏の朝
  あたしはヒロシマで死んだ
  そのまま六つの女の子
  いつまでたっても六つなの
3.あたしの髪(かみ)に火がついて
  目と手がやけてしまったの
  あたしは冷い灰になり
  風で遠くへとびちった
4.あたしは何にもいらないの
  誰にも抱いてもらえないの
  紙切れのようにもえた子は
  おいしいお菓子も食べられない
5.とびらをたたくのはあたし
  みんなが笑って暮せるよう
  おいしいお菓子を食べられるよう
  署名をどうぞして下さい

今年の核廃絶を求める広島の大会は特に国際的に重要なアピールをしている。明後日の長崎大会も同じだろう。国連事務総長も参加し「核の廃絶」を呼びかけている。
日本の政府首脳の態度が今いちはっきりしない。抽象的には言っているのだが、アメリカの核の傘を肯定し、核抑止力を言っている。これでは、「被爆者がいる間に」廃絶をしたいという国連事務総長の理念とも矛盾するのではないか。
世界に向けて未来への展望を力強く語りかける日本政府首脳、というイメージをいつになたら思い浮かべることができるのだろうか。
上の「死んだ女の子」の気持ちに応えていこうというのが民間にしかないというのも少々悲しい。 
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