来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
映画「蟹工船」
治安維持法国会賠償要求同盟という団体が主催した「3.15治安維持法大弾圧事件96周年の集い」という集まりがあり、この主要な内容は映画「蟹工船」を観ることだったので、今は昔の映画を観るために「北海道高教組センターに行った。100余の会場は似た世代の人たちでいっぱいだった。
この原作は今の小樽商大出身のいわゆるプロレタリア文学の第一人者といわれる小林多喜二。
昭和初期の日本は不況で仕事に就けない人たちがたくさんいた。彼らは、北洋への漁船に乗り組んで生活の糧をえていた。しかし、蟹工船は、詳しくは分からないが、正規の法律にもとづく漁船ではなく、昭和初期(原作「蟹工船」が出されたのは1929年)仕事に就けない人たちが、「しかたがなく」遠いロシア領海に近いところまで出かけなければならなかった。
そして端的には奴隷的な扱いを受ける。少しでも抵抗しようものならたたき殺されるという状況がこの工船では展開されていた。これに反抗する漁船員たちを抑えるために海軍の兵士たちが船に乗り込む。そしてそこでたたき殺される人も出てきた。「闘い」は勝利するのではなく、この状態が展開される。
映画がつくられたのが1953(昭和28)年だったから、もちろんモノクロ、そして録音技術なのか、話の中身が聞き取れない。デカい声はあっても怒りの声がほとんどだから、中身がよく分からない、という映画だった。
戦前の軍国主義下の日本の重要な面を再確認しえた映画と言えるかも知れない。
この原作は今の小樽商大出身のいわゆるプロレタリア文学の第一人者といわれる小林多喜二。
昭和初期の日本は不況で仕事に就けない人たちがたくさんいた。彼らは、北洋への漁船に乗り組んで生活の糧をえていた。しかし、蟹工船は、詳しくは分からないが、正規の法律にもとづく漁船ではなく、昭和初期(原作「蟹工船」が出されたのは1929年)仕事に就けない人たちが、「しかたがなく」遠いロシア領海に近いところまで出かけなければならなかった。
そして端的には奴隷的な扱いを受ける。少しでも抵抗しようものならたたき殺されるという状況がこの工船では展開されていた。これに反抗する漁船員たちを抑えるために海軍の兵士たちが船に乗り込む。そしてそこでたたき殺される人も出てきた。「闘い」は勝利するのではなく、この状態が展開される。
映画がつくられたのが1953(昭和28)年だったから、もちろんモノクロ、そして録音技術なのか、話の中身が聞き取れない。デカい声はあっても怒りの声がほとんどだから、中身がよく分からない、という映画だった。
戦前の軍国主義下の日本の重要な面を再確認しえた映画と言えるかも知れない。
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