悲劇の闘将・西本幸雄さん

プロ野球界で「悲劇の闘将」などと言われた西本幸雄さんが先日91歳で死去した。いくつかの球団の監督をして最後は今はない近鉄バファローズ(その主流は今のオリックス)の指揮をとった。今年で退任した日ハム監督の梨田さんも西本さんの弟子だった。

西本さんといえば、よくいわれる「江夏の21球」に泣いた監督だった。江川問題でプロ野球界が揺れた翌年の1979年、パリーグ優勝の近鉄とセリーグの覇者広島カープの日本シリーズが行われる。この年近鉄は「最強軍団」とうたわれた。
今年の日本シリーズの逆で、このシリーズはまさに「内弁慶」ゲームが展開された。

第1戦は大阪球場で近鉄、第2戦も同じ結果。第3戦は広島球場で広島、第4、第5も同じ。ホームグラウンドに還った近鉄は第6戦を奪った。この順番でいけば、第7戦は近鉄が勝って、悲劇の闘将西本幸雄は歓喜の胴上げ監督になる! しかも近鉄のマウンドには2度のノーヒットノーランを達成した鈴木啓二投手。ところが6回まで広島4点・近鉄3点という劣勢。7回からは両チームともリリーフエースの山口(近鉄)と江夏(広島)。

9回裏は、願ってもない近鉄の試合展開を迎える。ノーアウト満塁。ほとんど近鉄ファンであった観衆は誰もが逆転勝利を信じた。ここから広島の「江夏の21球」が展開される。
このあたりは佐野正幸という人の「1979年日本シリーズ近鉄vs広島 もうひとつの『江夏の21球』」(主婦の友社・2009年版)に拠る。

9回裏の満塁の場面で前年の首位打者佐々木が代打として立つ。第3球目をたたいた。サードベースぎりぎり。「ファール」。「えっ フェアじゃないか!?」、しかし結局は三振。
次いで一番バッターの石渡。スクイズをさけた江夏の「考えられないカーブのウエストボール」で、ランナーアウト。
2死2・3塁。祈るファンの願いにもかかわらずバッター三振でゲームセット。

佐野さんの本は「江夏の21球」であるが、それ以上に、キャッチャー「水沼の21球」といってもよい、と記していた。

8度の日本シリーズに出ていながら、ついに日本一になれなかった監督だったが、彼自身「自分は8度も日本シリーズに出場することができたことがうれしい」と言っていたという。

来年はどういうドラマが展開されるか。

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