教科書の記述は正しいか(1)

高校3年で歴史に興味をもつ生徒と「特別授業」を始めることにした。
昨年は「漢文」の勉強をしたのだが、そのおかげで我ながら「漢文」(「史記」のあれこれ、漢詩、「論語」と孟子など)の学習ができたと喜んでいる。今年は、日本史を進めようと、今の所は2名の女子だが、テーマは「教科書に書いてあることは正しいのか」、その疑問点をさぐろう、である。
受験用の勉強なら、疑問点を探ることもないわけではないが、そんな疑問符ばかり言っていては先に行けない。しかし受験用はさしあたり別にしよう、というわけで取り組むことにした。

第1回目は、紀元前後の日本(倭)のこと。漢書と後漢書。これは教科書(日本史B)には取り上げられている。小国家分立、北九州、金印(「漢委奴国」)などをめぐって。
オリンピックではないが、金・銀・銅の印があったら、金印はどういう意味をもつかいうまでもない。光武帝は、「委奴国」の使者(「大夫」と自称した)にこれを授けた。
教科書には小さい文字で「漢の委(わ)の奴(な)の国王」と読む説が有力である、と書いている。なぜこの読み方が有力なのか、違う読み方はないか、この読み方と違う読み方では「金印」の意味はどうなるのか、を考えて見よう、ということ。

2,000年ほど前のことだ。後漢の皇帝が、委(委は倭の意味)の中にある小国家の中の一つである「奴国」の王にゴールドメダルを与えたということになるのだが、そういう位置づけの小国家の王になら、せいぜい銀か銅でいいはずではないか、という率直な疑問が出てくる。
「委の奴の国王」でなく「委奴国」王とすれば、これこそその時の倭国そのものの意味になりそうだ。であればゴールドでいいかもしれない。「の」を2か所入れるかどうかで問題は全く異なる。

以上の疑問は、あり得ないのかあり得るのか。自分でも勉強不足を感じだした。書店で日本古代史の参考書を数冊買うことになった。疑問の解決ではなく、疑問の確認のために。
しかしこの金印問題は次の卑弥呼のテーマにつながる。教科書の記述に懐疑的になることもまた面白い。
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