「おくのほそ道」6(源義経のことなど)

前回の「ほそ道」の補足のつもり。
芭蕉が平泉で「国破れて山河あり…」と詠み、昔を偲んで涙を流した、そして「夏草や…」の句を詠んだ旨記したが、奥州の豪族藤原秀衡(ひでひら)に保護されていた源義経主従(弁慶など)は、秀衡が死ぬと、次の棟梁の泰衡(やすひら)は「義経の保護者」であり続けたらどうなるか想像できるだろう、と鎌倉の頼朝に脅かされて義経を討つことになった。
弁慶ともども必死になって闘った義経たちは遂にこの地(平泉)で最期を迎える。(家来の弁慶が必死で闘ったが、立ったままの姿で死んだという伝説までできた。「弁慶の立ち往生」)。

これが芭蕉たちの頭にあったのでこれを思い出して「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」の句を詠んでいる。

頼朝の要求に応えた泰衡は、義経の首を鎌倉に届けてゴマをすったが、「どうして義経をしょっ引いてこないのだ」とナンクセをつけられて奥州藤原氏もその後滅ぼされてしまった。

義経は牛若丸の時代から、頼朝の弟として(「鎌倉殿の家臣」として)平家を討って源氏の世をつくるために必死に闘った。この百戦百勝の伝説は有名だ。しかし頼朝は「イクサの天才の弟をこのまま活躍させていたらのちのちオイラがやられるかも」と邪推して弟を討った。

※ 今NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で登場する義経は戦(いくさ)の名人のようには見えないが、実際はスゴイ能力の持ち主だったようだ。この義経についてはまた次に。
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