大阪府教育基本条例案(競争・成果主義を貫く)2

27日の朝日新聞朝刊の「教育」特集は大阪府教育基本条例案に関する[中]である。内容は「競争・成果主義」が条例案の観点であるとの報告。

「不適格教師」をあぶり出し、場合によってはクビにする。そして子どもに対しては学力を高めるために競争を強いる。教師も生徒も競争をあおることによって、ただ一生懸命に努力するだろう、という考えである。

【7条】府教委は小中学校の学力テスト結果を市町村別及び学校別に公開する。
【19条】教師を4クラスに評価する。A20%、B60%、C10%、D5%。もちろんDは不適格教師。
【44条】3年連続で入学定員を割った場合、そして改善見込みがない場合には他校と統廃合をする。

朝日も書いているが、今民間でもこういった「成果主義」をとる企業は減っているという。「思ったほど効果はない」からだ。
学校現場を知っている者なら、教師や生徒を競争であおり立てて「成果」(どういうことを「成果」というか分からないが)が上がるなどとは考えない。例えば成績でいえば、上位一ケタ程度の子どもなら「次はもう少し上のランクをめざそう」と頑張ることがあるかも知れない。

同紙の「私はこう考える」で乙武洋匡さんが「徒競走で一位になったら先生は丸刈りになるよ」と子どもたちを激励したことを例にあげて「競争は必要」と言っていた。あの乙武さんがこんなことを教訓にして「競争が必要」との一般論をいうとは少々がっかりだ。このテの激励なら教師なら大なり小なりやっている。こんなことは子どもの世界に競争主義を植え付けることでもなんでもない。一種の遊びに近い激励である。
では、あらゆること(「成績で一等になれば」、「無欠席無遅刻で一等になれば」、「歌や絵のコンテストで一等になれば」、「掃除で一等になれば」、「挨拶運動で一等になれば」などなど)で当てはめてうまくいくことが証明できるか。早晩子どもたちは(教師も)自己嫌悪におちいるだろう。

限られた分野で競争があるなど、またあるときにこれが有効であるだろうことは、いうまでもない。生きているどこかで競争が意味をもつことなどいうまでもない。問題は、教育とかある事業推進などで、不断にプラスに機能させるためには「競争が原理原則だ」とすることの可否である。

馬の鼻先にニンジンをぶら下げて走らせると、馬はこのニンジンを食べたいので命がけで(倒れるまで)走る、という例え話が言われたことがあった。本当に馬は鼻先にニンジンがあったら走るのかどうか分からない。多分走る前に頭を左右に振って落とそうと努力するのではないか。
だまして競わせることの愚かさをいう。大阪府の理念は子どもと教師を「ニンジンを目先にかざって競争させる」ことに通じているのだろうか。

 

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