この15日、標記の番組が放映された。タイトルどおり「責任なき戦い」としての「ノモンハン事件」の立証だった。NHKのスタッフの力量と種々の条件がプラスに働いたことを示したスペシャル番組だと、観終わってしばし言葉を失った。そして同時に、このテーマ「指導者の責任なき行為」はつい最近も目や耳に入ってきたできごとだったのではないか、と暗澹たる気持ちになった。 . . . 本文を読む
今日はいうまでもなく73回目の8月15日。昭和20(1945)年のこの日、自分は何をしていたか、はっきりした記憶はない。小学校(当時は國民学校)2年生。夏休みに入るまではいうまでもなく「神州不滅」などをバカの一つ覚えのようにさけばせられていたのではないだろうか。この日、お盆でお墓参りなどをして町から帰ってきた伯父が「戦争はおわったみたいだ」というようなことをいっていたのではないか、とかすかに記憶がある。(ラジオもなかったから)。 . . . 本文を読む
昨日、クラブツーリズム主宰のバスツアーに参加した。たまたま空きが一人しかいなかったので満員のバスで孤独を味わいながら、中富良野の「ファーム富田」、美瑛の「四季彩の丘」と「青い池」、北竜の「ひまわりの里」とかを見て回った。 . . . 本文を読む
明日は8月9日、長崎に原爆が落とされた日。
小学校(正式には国民学校)2年生の私は、この8月の上旬から中旬、何をしていたか、ほとんど記憶がない。夏休み中だったので、援農作業以外は遊んでいたのだろうと思う。
8月のこのころは米づくり作業はそれほど忙しくない。だから子どもも(当時ウチで勉強することはほとんど例外だった)遊び歩いていたのではないか。
ヒロシマやナガサキのことなど全く記憶にない。15日のことは後述する。 . . . 本文を読む
高校の日本史の教科書に項目として出ている。「1891(明24)年の大津事件で青木周蔵外相が辞任し…」と、そしてこの注釈で「ロシア皇太子が、滋賀県大津で、沿道警備の巡査に刀で負傷させられた事件」とある。この巡査が36歳だった津田三蔵という人。明治24年5月1日のこと。
今読んでいる吉村昭氏の「赤い人」という本は、北海道開発のためにたくさんの囚人たちが動員され、「死んだらカネが節約できる」とばかりにこき使われたことが描かれている。樺戸集冶監などがこの小説の「主役」である。 . . . 本文を読む
8月、戦争に関係するできごとがいろいろある。まず今日この8月6日は「ヒロシマの日」だ。すでに日本の敗色が濃厚であるこの日にアメリカは世界で初めての原爆(核爆弾)を広島に落とした。「無辜の民」であるう広島市民が20万人前後が死んだ。 . . . 本文を読む
1948年から96年まで、日本に「優生保護法」という法律があった。遺伝性、精神障害などで生まれる子どもがある種の障害をもつことを想定される場合、こういう子どもが生まれないように生殖機能をキャンセルするための手術を強制的に行うことを認める法律だ。 . . . 本文を読む
天気予報の中で、洗濯日和という言葉が出てくることがある。洗濯物を掛けておくとすぐ乾くというような意味なのだろう。
かつてこの種の洗濯物をよく見ることができた。しかし今洗濯物を外に掛けて乾燥させておこうという家はきわめて少ないのではないだろうか。今日も「洗濯日和」の晴天だが外にある洗濯物など目にしない。 . . . 本文を読む