麻雀が頭のスポーツという記事が出ていた。
私は麻雀はしないが、麻雀にまつわる思い出はある。
麻雀はトランプのセブンブリッジに似ていると聞いたことがある。
セブンブリッジには夢中になったことがある。
高校のころ、難聴の私は美大に行きたいとデッサンを習いに行っていた。
その教室のハンサムな先生が教えてくれたのがセブンブリッジで、
デッサンが終わると皆でセブンブリッジを楽しんだ。
歌も皆で大声で歌って楽しんだ。
楽しい教室だった。
が、私のデッサンの腕は全然上達しなかった。
ハンサムな先生は、私の人間的な成長が必要と、
さまざまな思想的な本を貸してくれた。
が、精神的に幼かった私には、あまり理解できなかった。
そのうち、母があまり見込みのなさそうな私を
その教室に通わせることを止めさせた。
その当時は、私は母の言いなりだったので、黙って従った。
いま思い出しても、自立心のない子だったと思う。
そして美術とは全く関係ない短大に進学したのだが、
そこで、私に熱をあげたクラスメイトがいた。
夏休みには高知まで来たし、
私がセブンブリッジが好きというと、
セブンブリッジは麻雀に似ているから麻雀を教えてあげると、
クラスの他の学生数人と私の下宿に麻雀のセットを持って教えに来てくれた。
そして教えてくれたのだが、
一度では理解できなかった。
その人は、麻雀を餌に私に近づこうとしていたみたいだったが、
私は、その人をあまり好きではなかったので、
以後、麻雀を教えてほしいとは思わなかった。
それで、それっきりになってしまった。
私とマージャンとの関係は、これで終わりだったが、
麻雀に関しては叔父(母の弟)の思い出もある。
叔父は、家業を手伝っていたが、
祖父の権力が強すぎたこともあってか、あまり身を入れて仕事をする人ではなかった。
その代わり遊ぶことは好きで、
夜になると、誘われて、あちこちの友人宅で麻雀をするのが常だった。
参加すれば徹麻になる。
人付き合いのよい叔父だったから、誘われたら断らない。
普通の人は、誘われても、徹麻は週一度くらいにセーブする。
が、バカな私の叔父は、今日はAグループ、その次の日はBグループと参加し続け、
ついに過労で肝炎になった。
祖父(母の父)は厳しい人だったから、
叔父がマージャンをすることだけでも許しがたいことだった。
だから、叔父は徹夜で麻雀をした翌日も朝から起きていなければならなかった。
それでだんだん疲労が積み重なったのである。
最後は肝硬変で亡くなってしまったが、
世間の人は私の母に、
「弟さんはお酒を召し上がる方でしたか?」と聞く。
叔父は下戸で、お酒は一滴も飲めなかった。
まさか麻雀のしすぎで過労になって肝炎になりましたなどとは言えない。
結局、叔父は、49歳で、祖父母を残して亡くなってしまった。
なんと親不孝な叔父だったかと思うが、
しかし、その叔父の息子は隔世遺伝か、祖父に似て真面目で勉強もよくできたから、
医師になった。
叔父は、直接の親孝行はできなかったが、
息子を医学部に入れてから亡くなったから、それが少しは親孝行になっただろうか。
以上、麻雀で思い出した話である。