かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

5月29日大連中山広場〜旅順日帰り観光

2019-05-31 21:30:46 | ブログ記事
大連で3泊したホテル日航大連です。
ホテルの前の建物を撮影しました。
今回、「口腔」という看板が目につくのでガイド氏に聞くと「歯科医院」とのこと。
20年以上前に上海に行ったとき、気づかなかったので夫に言うと、
そのころは中国もまだ貧しかったから歯医者に行ける人が少なかったのかもと言います。
が、実際のところはどうなんでしょうね。
二日目の今日は、朝いちばんに日本統治時代、満鉄病院だった病院へ。
現在も病院として使用されています。すごい!
病院の名前は「大連大学付属中山医院」というものらしいです。
「医院」という呼び名は中国では病院のことみたいですね。
中山地区というのは、大連市の一番の中心地で、
日本が占領していたころは、ここに中山広場という円形の大きな広場があり、
周辺には銀行が林立していました。
大和ホテル(=大和旅館)という立派なホテルもあり、現在も建物が残されています。
迎賓館として利用されていたようです。
離れて建物全体を撮影しました。
中山広場の中心部です。↓
旧満鉄本社にも案内してもらいました。
中は撮影禁止だったから、写真はありません。
その後、旅順に向かいましたが、大連から旅順に向かうのに、
黄海に架かる長大な大連星海湾跨海大橋を渡ります。
これは橋を渡っているときに黄海のほうを撮影した写真です。↓
この橋は、この夜のオプショナルツアーで訪れた星海公園から撮影しましたから、
このあとアップする「5月29日」その2の写真を楽しみにしてください。(笑)
ということで、大連から1時間あまり走って旅順に到着です。
旅順では日露戦争で日本軍死傷者のたくさん出たhttps://ja.wikipedia.org/wiki/東鶏冠山北堡塁へ。
「旅順口日俄戦争遺址」と書かれてありますね。
28日の記事にも書きましたが、「俄」というのはロシアのことのようですから、
「日俄戦争」というのは日本とロシアの戦争ということですね。
この戦争で日本兵8000人の戦死者を出し、その慰霊碑が建てられました。↓
大砲がおかれてありますが、ほんものではないようです。↓
これがロシアが泥とコンクリートで中国人に作らせた堡塁の一部です。
この堡塁の中に司令部、兵舎、弾薬庫、治療室、台所などが作られていたそうです。
ロシアは、たった9か月間で、この堡塁を作ったらしいのでしたが、
日本軍は、それを知らず、山を越えて攻撃しようとした日本兵が大勢、
この堡塁の横に作られてあった穴に落ちて、大砲で撃たれたそうです。
中国人のガイドさんの説明によると、
この堡塁のことを知った一部の日本軍の兵士がこのことを上官に伝えたのに
取り合ってもらえなくて日本軍は多くの兵士を失ってしまったとか。
昔も今も情報を確かめることは大事ですね。
こちらに「東鶏冠山北堡塁」と書かれてありますね。
ここから夫の写した写真で堡塁の写真2枚追加です。 堡塁の中です。
このあと、同じ旅順の日露戦争の戦跡地である水師営会見所に行きました。
この会見所は、その後、日露戦争に勝った日本軍が敗れたロシア軍将校と会見した場所です。
水師営会見所https://ja.wikipedia.org/wiki/水師営
昼食は、この会見所の横のレストランへ。
レストランの入口に魚介類があったから↓
海鮮料理かと思ったけれど、そうでもなかったです。
中国の田舎の家庭料理という趣の料理でした。↓
旅順はまだ続きますが、長くなるので、その2に分けました。

5月28日関空〜大連国際空港〜金州区大国山ふもとの響水寺~総督府~南山古戦場

2019-05-31 17:47:38 | ブログ記事

5月28日(火)、関空12時5分発の飛行機に乗りました。

大連国際空港には13時25分(日本時間14時25分)着の予定でしたが、少し遅れて到着。

大連国際空港は560万人都市のわりには、それほど大きい空港でもなかったです。
が、待合室の横に大連警察のものと思しきバイクが並べられてあるのは、ちょっと異様な雰囲気でした。

空港には現地のガイド氏が出迎えてくれました。

ガイド氏は日本に少し暮らしたことがあり、通算5回来日していると言われていました。

すぐに待機していたバスに乗って大連市内の金州区へ。

私は難聴のため、せっかく流暢な日本語を話すガイド氏でしたが、
いつも通り、説明はよく聞きとることができなかったので、
わかったことだけ書いています。

ですから、あとから、夫に聞いたり、自分で調べたことも書き足すつもりです。

まず最初に行ったのは響水寺。道教のお寺です。



こちらの線香は長くて大きい。



こちらは↓赤い布で男女、家族のご縁を結ぶおまじないみたいなもののようです。

その後、提督府へ

ここには日清戦争時、従軍記者だった正岡子規の句碑がありました。
   ☆行く春に酒をたまはる陣屋かな  正岡子規

この句碑は文化大革命時、壊されないように近くの住宅の庭に穴を掘って埋めておいたそう。

提督府の庭のバラが見頃だったから撮影。








中国でも消防署の電話番号は119番のようですね。↓


その後、南山古戦場へ。

石碑に書かれてある「日俄戦争」というのは日本とロシアの戦争という意味らしいです。その遺跡ですね。
日本ではロシアのことは「露」と書かれることが多いですが、中国では「俄」と書くようです。

ツアー仲間と戦跡地を踏んでいます。↓

ご参考「南山の戦い」=https://ja.wikipedia.org/wiki/南山の戦い

南山古戦場から降りるとき金州の街が見えたから撮影。近代高層ビルに驚かされます。

このとき、四日間乗せてもらった観光バスも撮影しておきました。

一日目の夕食は中国東北地方名物「春餅」でした。

春巻きのような皮に、めいめいがいろいろ包んでいただきます。
撮影するタイミングがずれたから、包んでいただくお料理がうまく写せませんでした。

これは大連のビールです。

地元では有名らしい「大地食府」という名のお店でした。

泊まったホテルは3日間ともホテル日航大連でした。

ゴージャスな広い部屋でした。