かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

本当に幸せな人は自慢話はしない

2019-05-22 20:49:58 | ブログ記事
昨日の記事「来るものは拒まず去る者は追わず」の続きになります。

昨日は自慢話は控えよと書きましたが、
考えてみれば、本当に幸せな人は自慢話をしませんね。

自分が満たされていれば、自慢の必要がないからです。

自慢するのは、自分の幸せに自信を持てない人がすると気づきました。

本当の幸せをつかんでいないから、
人に吹聴することで、自己満足しているのかもしれません。

だから、聞かせてもらうほうも不快な気分になるのだと思います。

が、自慢話でも、あまり不快にならないのもありますね。

それは人に嫌がらせをしようとする気持ちのない自慢話かもしれません。

今から書くことは私の自慢話ですので、自慢話を聞くのが嫌な方はスルーしてください。

私の父方祖父は、学歴のない人でした。

学歴はなかったけれど、がんばって大きなお店の主になりました。

が、ある程度の成功は収めたけれど、役人には頭が上がらなかったので、
自分の三人の息子には大学教育を受けさせて公務員にしました。

それが祖父には自慢でした。

ですから、祖父は、人がくれば、三人の息子の自慢をしていたらしいです。

が、そのことを、人からあまり悪く思われなかったのは、
人々は祖父がどれだけ努力する人だったか見ていたし、
成功を収めてからは、赤の他人の苦学生何人かに資金援助して大学に行かせたからでした。

祖父が死の床に就いたときは、
祖父が資金援助をして医師になった人が駆けつけてくれたらしいです。

そういう生き様でしたから、
自分の息子の自慢をしても、人から悪く言われることがなかったのだと思います。

祖父は、自分は学歴がなかったのでしたが、
高知一の秀才の集まる土佐中学という旧制中学の校長先生とも親友でしたから、
私の父の在校時はPTA会長などもしていたそうです。

長年町内会長もして高知市に貢献したからか、名誉市民の表彰も受けています。

町内の人たちからの人望も厚く、
私が子供の頃は、街の人たちからそれなりに遇されたのも祖父のおかげでした。

どこの親戚の家に行っても歓待されたのも、祖父のおかげだったと思います。

祖父は田舎から親戚が訪ねてくると、
ご飯時でなくても必ず「飯は食ったか」と聞いていたそうです。

そしてお腹を空かせている人がいたら、
すぐに祖母に命じて食事の支度をさせたと聞いていますから、
親戚の人たちにも慕われていたんだと思います。

これは父方だけでなく、母方の祖母も同様でした。

叔父(母の弟)の奥さんはサラリーマン家庭の娘でしたから、
ご飯はきっちりしか炊きません。

すると祖母が叱るのです。

いつどんな状態の人が訪ねてくるかもわからないから、
ご飯は常に多めに炊いておくようにと。

そのせいか、父方の祖父の家も、母方の実家も来客の絶えない家でした。

以上、私の自慢話でした。

そう、私は自分に自信が持てないから、
祖父母たちのことを書いて自慢して自己満足しているのです。