かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

何かとてもしんどい

2019-05-15 18:37:06 | ブログ記事

昨日は、夫が昼前から仕事に出かけて夜遅く帰ってきた。

昼食も夕食もいらないと言って出かけたが、

もし夕食を食べないで帰ってきたときのために、ご飯は炊いておいた。

いらないと言って出かけても、帰宅してから家で食べることがよくあるから。

が、昨日は本当に要らなかったみたいだった。

私は、先日怒鳴られてから心身ともに参っている。

それと、一昨年、私を裏切って他の女性とデートしていたことがあるから、

夕食がいらないと言われたら、ひょっとしたら、また?と思ってしまう。

もともと夫は、そんなに遊ぶタイプではないし、なかった。

が、年取ってから、若いころに遊ばなかったことを挽回したいとは思っている様子だ。

それと、私の短歌の友人でよくあちこちの女性に声をかける男性がいて、

私にも声をかけてきたりした。

その男性は、夫と同年なので、それを見ていた夫は、ずいぶん刺激を受けたようだ。

「そうか、同い年でも、そんなふうに遊んでいる人もいるのか」と。

それで、最近は、機会があれば、よその女性とお茶など飲みたいと思っている様子。

それが見え見えだから、私にしては面白くない。

私の亡くなった叔母は、いつも言っていた。

「夫婦というものは、年取ってこそ」と。

それは、夫婦は若いころより、年取ってからのほうがお互いに有難みが増すと。

私も、それに同意する。

若いころなら、一人で処理できたことでも、

年取ってきたら、一人では対応しにくいことが増えてくる。

家の片付けなどもそうだ。

次男のお嫁さんのお母さんなどは、

男こそ家の片付けなどをしないといけないという持論だ。

実際、次男のお嫁さんの家は、ものすごく綺麗にしていられる。

お嫁さんが学校時代はお弁当もお父さんが作られていたというから、

どれだけ家庭的だったかと思う。

娘婿の家でも、

お父さんが養子さんと言うこともあって、

実に家庭的だ。

お母さんは家付き娘だったわけだが、

お母さんの親戚の人たちも感心するくらい、

娘婿のお父さんは、若いころから家庭的だったという。

それから比べると、

私の父も、夫の父親も、土佐の男の面目躍如?で、

まったく家事などしなかった。

そんな双方の父親と比べると、私の夫はしてくれるほうだが、

娘婿のお父さんとか次男のお嫁さんのお父さんと比べると雲泥の差だ。

見ていて羨ましいが、

しかし羨ましがっても仕方ない。

私は、私に与えられた環境で、私のできるだけのことをするしかない。

私も欠点だらけの人間だから。

が、ただ怒鳴ることだけはやめてほしい。

夫は、自分では自覚していないようだが、

怒ると大きな声で怒鳴る。

怒鳴っているときに何か言えば殴られることもある。

昨年イギリスに行ったときもホテルで殴られた。

私の眼鏡がぶっとんだのだから、かなりの勢いで殴られたことになる。

幸い私に怪我はなかったが・・・。

夫のこういう短気なところは義母に似ていると思う。

義母も、若いころは怒ると手が付けられなかった。

義父が優しい人だったから、夫婦喧嘩になることは、あまりなかったが。

その代わり、義父は、私が義母に理不尽なことで叱られているときなども

見て見ぬふりをしていた。

うっかり意見を言えば、火に油を注ぐような状態になるからだった。

そのころの義母は、夜は赤ん坊を寝かしつけてから、

映画に行ったり、ダンスを習いに行ったり、したい放題だったとは

夫の伯母さん(義父のお姉さん)が教えてくれた話だ。

義父と義母は8歳違いだったが、

若くて美人で頭のよかった義母に、義父は頭が上がらなかったらしい。

私は義母のような美人でもないし、頭もよくないから、

あんなふうに好きなように生きることはできない。

その代わり、あそこまで人を傷つけることもしないとは思っているが・・・。

こうして書いているうちに、少し鬱が晴れてきた。

難聴で人ともあまり話をしない私には書くことしか助かる道はない。


若いころに我慢がならなかったのは

2019-05-15 12:24:57 | ブログ記事
義母が姑風を吹かすことであった。

毎週一度は来るのだが、
そのたびに、いろいろ難癖をつけて帰る。

それだけならまだしも、
私が年に一度か二度、帰省するというと、
血相を変えて飛んできて、
私が泣き出すまで嫌味を言った。

時には何時間も言い続けたこともあった。

後年、姑が、かつての怖さがなくなったころに、そのことを言ってみると、
姑は涙を流して謝ってくれた。

あのころ、すでに実家の無くなっていた姑は、
嫁の私が帰省することが妬ましくてたまらなかったそう。

私をいじめたころの姑は、まだ50代だった。

しかし、50代になっていたら、ふつう、嫁に嫉妬したりしないだろう。

夫に聞けば、姑は、夫たちが小さいころはしょっちゅう里帰りをしていたらしい。

なら、なぜ嫁が年に一度か二度里帰りをすることをあれほど邪魔しないといけなかったのだろう。

姑は、自分が里帰りしたら、どれだけその実家で大事にされたかを言っていた。

それで、嫁の私も、そんないい思いをしていたと嫉妬したのだろうが、
私の場合は、里帰りしても、仕事をもっている母に、
そこまで大事にされることはなかった。

人は自分の場合を物差しにして、人のことを取り沙汰するが、
それは、しばしば異なっていることもしらなければならない。

その前に、もらった嫁にそこまで嫉妬することはしてはならない。

まあ年老いてからは、私に頼り切りになってくれた姑だったから、
今では恨んでいないけれども、若いころは本当に嫌な思いをさせられた。

夫の歳の離れた義弟の奥さんには、私の十分の一も嫌味を言わないで、
むしろ気を使っていたのに・・・。

長男の嫁というものは昔から損な役回りだと思う。

夫とは口もききたくない

2019-05-15 12:07:58 | ブログ記事
数日前の昼食時のことがまだ尾を引いている。

私が夫に、夫の好物である「ホウレンソウのバター炒めをしましょうか?」と聞いたことに対して、
夫が「肉を食わせろ」と怒鳴ったことが、私にはいまだに許せないのである。

夫の虫の居所が悪かったのかもしれないが、
夫のことを気遣って聞いている妻に怒鳴ることはないだろう。

私は怒鳴られてからずっと体調が悪い。

怒鳴られた直後は、こらえた怒りのために、ひどい耳鳴りがしたほどだった。

夫が怒鳴っている時に言い返したりしたら殴られるのがオチだ。

それで黙るが、胸の中では怒りで煮えたぎっていた。

きっとそれが耳鳴りになっていたのだ。

耳鳴りは、何とか収まったが、熟睡はできていない。

思い出したら怒りが蘇ってきて目が冴えてしまうのだ。

唯一、私が気持ちを発散できるのが、blog書きである。

書いているときは嫌なことを忘れられる。

書くことに頭も身体も集中させるからだ。

そんなときは、blogやっていてよかったと思う。

blogを始めるまでは短歌がそれであったが、
短歌は作って出しても、
選者と呼ばれる人が勝手に人の歌の取捨選択をするから理不尽に思える。

この際、私の歌が下手だという意見は却下。(笑)

選者は神様ではない。

なのに、なぜ人の歌を捨てたりするのだ。

選者だって、自分の作った歌を人に捨てられたら嫌だろう。

歌は一首だけでは歌意の通らないことが多いから、勢い連作で出す。

なのに、連作の一番大事な歌を捨てられたら、ほかの歌がチンプンカンプンになる。

こういうblogに歌を添えるのは、
あらかじめ文章で状況を説明してあるから、歌意は読み取ってもらいやすい。

が、歌のみ何首か並べて出す場合は、どうしても説明の歌が必要になる。

その歌を捨ててしまわれたら、読んだ人は「なんのこっちゃ?」と思うのは当然だ。

選者くらいクラスになれば、
歌を発表するとき、すべて出してもらえるから、こんな理不尽な思いはすることがない。

だいたい、選者になる人は、若いころから歌をやっていたという人が多い。

または親が選者か。

ここらあたりは、世の二世タレントと同じである。

私などのように、中年を過ぎてから始めた者は、この理不尽をもろに受ける。

たいして人生経験もない選者に、こちらの喜怒哀楽がわかるはずもない。

それなのに、いったん選者という地位に納まると、お互いの褒め合いに終始する。

たいした歌でなくても、さも秀歌のように誉めそやすのである。

そうしておいて、次は自分の歌を褒めてもらうのである。

まあ言ってみれば、選者同士で馴れ合っているのである。

と、blogを利用して、こちらもぼやいておくことにしよう。

私にとって、blogは
日記であり、不満吐き出し口であり、また自慢話を人に聞かせる場であるかもしれない。

われながら呆れるけれども、それでも読みに来てくださる奇特な方々には
いくら感謝してもしきれない。

貴賤は紙一重

2019-05-15 03:35:50 | ブログ記事
ふと、そんな言葉が頭に浮かびました。

現在、私達が天皇陛下を崇めるのは、
陛下が、ご自分やご自分のご家族を顧みることより、
われわれ国民の安寧を祈ってくださるというそのお立場に対してです。

が、それがなおざりにされてまいりますと、
私ども国民は天皇陛下を崇める理由がなくなります。

皇族というのは、大変なお立場であられるからこそ、
われわれは、その大変さに尊敬の念を抱くわけです。

が、これが、国民の安寧の祈ることを忘れて、
ご自分の家族本位の生活をなさっていられると知れば、
国民は誰も天皇陛下を仰いだりはいたしません。

万世一系と言われて崇められている天皇陛下も、
国民からの尊崇がなくなれば、ただの人です。

そこのところは、お忘れにならないでいただきたく存じます。

皇后陛下も、その他の皇族の皆さま方も・・・。

一方、日本には、近年まで、被差別という謂れのない差別を受ける人達もいました。

この人たちは、別にわれわれと何の変わりもないのに、
時の為政者の都合で作られた被差別民であったと言われています。

極論すれば、皇室の方々と、これら被差別の人達は、何ら違いはないわけです。

ただ、近年の被差別の人たちのよからぬところは、
過去、こうして差別されてきたことを、
今度は逆手にとって、その権利を悪主張しすぎることです。

そのため、その他の国民より何かにつけ、逆に不当な利益を得ています。

俗に言われる「逆差別」です。

これは褒められたことではありません。

過剰な要求をすることは下品なことですから。

それで、そうでない人たちに嫌がられることも多くなってきます。

被差別の人たちと皇室の方々を並べて論じるのは適切でないかもしれませんが、
同じ人間として考えさせていただければ、
皇室の方々も、われわれ庶民からすれば、過剰の恩恵を受けていられます。

が、これは、皇族の皆さまが、国民のことを考えてくださり、
公務という名のお仕事をしてくださることへの感謝の気持ちの表れです。

が、この公務というお仕事を怠けたり、
または、皇族にはあるまじき下品な行いをなされましたら、
それには皇族の皆さまの生活をお支えしている国民からの不満が出てまいります。

たとえば、私は自身が短歌と言う趣味を持っておりますから、
毎年の歌会始を楽しみにさせていただいております。

天皇陛下の御製も楽しみにさせていただいていますが、
それ以上に、
皇后陛下の御歌は、同じ女性として、より楽しみにさせていただくことが
多おございます。

美智子上皇后は、毎年すばらしい御歌を歌会始で見せてくださっていました。

御製、御歌の和歌をお聞かせいただくことと並行して、
皇族方のお姿を拝見するのも、国民の年初の楽しみでございます。

が、残念なことに、このたび皇后になられた雅子皇后は、
ずっと、この歌会始はご欠席であられました。

ご病気ということで、われわれ国民も諦めておりましたが、
今回の改元にあたっての諸行事にはつつがなくお出ましで、
それでは今までのご欠席は何であられたかという疑問も出てまいります。

ご病気がよくなられたという見方もあるかもしれませんが、
それなら、来年の歌会始はぜひお出ましいただきたいと、
これは国民からのお願いでございます。

こういう日本の伝統行事にお出ましになられることも、
ご皇族の大切なお仕事と存じますので。

タイトルにしました「貴賤は紙一重」は、
こういう公務をなさらない、あるいは、できないご皇族は、
われわれ国民が仰ぐことができにくいということを申し上げたく
タイトルにいたしました。

まこと、人の貴賤というものは、危ういのだと存じます。

つきましては、われわれ国民の皇室の弥栄を願う気持ちに、
皇族の方々もお応えくださいますようにお願いする次第でございます。