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四十二番 清原元輔

2014年05月04日 | 百人一首
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは

約束しましたよね。お互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、末の松山を波が越えないように、決して心変わりはしますまい、と

契りきな 「契り」は、約束するの意を表すラ行四段の動詞「契る」の連用形。「き」は、体験的回想を表す過去の助動詞。男女の関係にある者同士が、互いの愛が永遠であると約束したことを回想している。ただし、『後拾遺集』の詞書によると、この歌は、女に振られた男に代わって元輔が詠んだ歌であり、元輔本人の体験ではない。「な」は感動を表す終助詞。以上で切れる、初句切れ
かたみに袖をしぼりつつ 「かたみに」は、互いにの意を表す副詞。「袖をしぼり」は、涙で濡れた袖をしぼること。「つつ」は、反復・継続を表す接続助詞。
末の松山 歌枕。現在の宮城県多賀城市周辺の地名。どれほど大きな波も末の松山を越すことはないとされた。 ところで、末の松山を普通名詞とみる考え方もある。
波越さじとは 「波」は、気持ちの変化のたとえ。「波越す」で気持ちが変わること。浮気。「じ」は、打消推量の助動詞「じ」の終止形で打消の意志を表す。「と」は、引用の格助詞で、「末の松山波越さじ」を受ける。「…とは」は、意味上、初句に続く。倒置法

かたみに」は「片身」からくる言葉で、それぞれ別に、かわるがわる、互いに、といった意味です。
「片身」は、背中を中心にして胴体を二つに分けた左右の半分のことで、魚の切り身や着物にも使う。

袖をしぼる」は、涙を流すことの慣用表現

末の松山」は宮城県多賀城市の海岸近くにある丘で、海に近いところから順に本の松山・中の松山・末の松山と並ぶ一種の防風林です。
どんな高い波も越えないとされることから、「末の松山を波が越す」というのは、あり得ないことが起きることを意味します。

この歌は「君をおきてあだし心をわが持たば 末の松山波も越えなむ」(古今和歌集)をふまえています。
あなたをさしおいて私が浮気心を持ったなら、末の松山を波が越えてしまうだろう、という内容で、末の松山を波が越すはずがなく、つまり私は心変わりしませんよと誓っています。
このように、古い歌の語句や題材を取り入れる手法を「本歌取り」と言います。

きよはらのもとすけ (908~990)
平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。深養父の孫。清少納言の父。梨壺の五人の一人として『後撰集』を編纂。
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