自燈明

Enjoy life !
It's not a competition !

十一番 参議篁

2014年12月29日 | 百人一首

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟

大海原のたくさんの島々を目指して漕ぎ出してしまったと都にいる人に伝えてくれ。漁師の釣舟よ。

わたの原 大海原。「原」は、大きく広がるさまを表す。
八十島かけて 「八十」は、「多数」の意。「かけ」は、動詞「かく」の連用形で、「目指す」の意。
漕ぎ出でぬと 六音で字余り。「ぬ」は、完了の助動詞で、「~てしまった」の意。「と」は、引用の格助詞。
 「京なる人」すなわち「都にいる人」を表す。この場合は、京に残してきた肉親や知人を含む身近な人々。
告げよ 動詞「告ぐ」の命令形で、依頼・懇願を表し、「釣舟」にかかる。
海人の釣舟 「海人」は、「漁師」の意。「釣舟」は、「告げよ」の対象で、擬人化されている。この歌は、篁が隠岐に流された時に詠んだもので、高官であった作者が、漁師の釣舟(身分は低くとも自由にどこへでも行ける漁師)に懇願しなければならない苦悩を表している。

さんぎたかむら (802~852)
小野篁 (おののたかむら)  文人官僚。令義解を編纂。遣唐副使となるも、二度の渡航に失敗した後、三度目は大使藤原常嗣と乗船の選定で衝突して渡航拒否。嵯峨上皇の逆鱗に触れ、隠岐に配流。後に許されて参議となる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十二番 僧正遍照

2014年12月29日 | 百人一首

天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

天の風よ。雲間の通り道を閉ざしてくれ。天女の舞い姿をしばらくとどめておきたいのだ。

天つ風 「つ」は、「の」と同じ働きをする連体修飾格の古い格助詞。現在は、「まつげ・おとつい」などに痕跡を残す。「天つ風」で、「天の風よ」という呼びかけを表す。擬人法。
雲の通ひ路 雲の切れ目。天上と地上を結ぶ雲間の通路。天女が往来する際に用いると考えられていた。
吹き閉ぢよ 「閉ぢよ」は、動詞の命令形。天女が天上に帰ることを妨げるために、天の風に依頼している。
をとめの姿 「をとめ」は、「天女」の意。この歌は、遍照が在俗の時、五節の舞姫を見て詠んだものであり、舞姫を天女に見立てている。五節の舞は、大嘗祭や新嘗祭などの際に宮中で行われた舞。
しばしとどめむ 「む」は、意志の助動詞で、希望を表す「~たい」の意。「しばしとどめむ」で、「しばらくの間、天女を地上にとどめたい」の意を表す。実際には、五節の舞姫が舞う姿を見続けていたという気持ちを表している。

※ 三句切れ

そうじょうへんじょう (816~890)
遍照(遍昭) 俗名良岑宗貞 (よしみねのむねさだ)  六歌仙・三十六歌仙の一人。桓武天皇の孫。素性の父。仁明天皇に仕え、左近衛少将、蔵人頭を歴任したが、天皇の崩御により出家。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十三番 陽成院

2014年12月29日 | 百人一首

筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる

筑波山の峰から落ちる男女川の水かさが増えるように、私の恋心も積もりに積もって淵のように深くなってしまった。

筑波嶺 「筑波嶺」は、常陸(茨城県)の筑波山。男体山と女体山からなる。古代には、歌垣の地として有名。歌垣とは、春と秋に男女が集まって歌舞飲食する祭。自由な恋愛が許され、求婚の場としての役割もあった。
男女川 男体山と女体山を源流とする川。ここまでが序詞。
恋ぞつもりて淵となりぬる 「ぞ」と「ぬる」は、係り結び。「ぞ」は、強意の係助詞。「恋ぞつもりて」で、「恋心がつもりにつもって」の意。この場合は、歌を贈った相手である釣殿の皇女、すなわち、後に后となる綏子内親王(光孝天皇の皇女)に対する恋心を表している。「淵」は、水がよどみ、深くなった場所。恋心が深くたまっていることを淵にたとえている。

ようぜいいん (868~949)
陽成天皇。 在位876~884 第57代天皇。9才で清和天皇から譲位されて即位したが、藤原基経によって廃位された。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十四番 河原左大臣

2014年12月29日 | 百人一首

陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れ染めにし 我ならなくに

陸奥のしのぶずりの模様のように心が乱れはじめたのは誰のせいか。私のせいではないのに。

陸奥 白河関以北の地。現在の福島・宮城・岩手・青森の4県にほぼ相当する地域。
しのぶもぢずり 「(捩摺)もぢずり」は、陸奥の信夫(しのぶ)地域で産した乱れ模様に染めた布。信夫摺り(しのぶずり)ともいう。ここまでが序詞で、「乱れそめにし」にかかる。
誰ゆゑに 誰のせいで。「誰ゆゑに」の後に続くはずの疑問・反語の係助詞(終助詞とする説もある)が省略されている。その部分を補って、「誰のせいか」と訳す。
乱れそめにし 「そめ」は、「染め」と「初め」の掛詞。「乱れ」と「染め」は、「もぢずり」の縁語。「し」は、過去の助動詞の連体形。本来あるはずの疑問・反語の係助詞と係り結びとなるため、終止形ではなく連体形となっている。
われならなくに 「な」は、上代(奈良時代以前)に用いられた打消の助動詞。「く」は、その接尾語。「に」は、詠嘆の意味を含む逆接の接続助詞。終助詞とする説もある。「われならなくに」で、「私のせいではないのに」の意。「あなたのせいだ」という内容の表現が省略されている。(注)「私なら泣くのに」ではない。

かわらのさだいじん (822~895)
源融 (みなもとのとおる)  嵯峨天皇の皇子で臣籍降下し、源の姓を賜る。六条河原に住んだことから河原左大臣とよばれた。宇治の別邸は後に平等院となる。贈正一位。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする