斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

服部牧場🐄🐏🐎🐓🪿🦆🐈

2024年03月01日 | 自己満

前回は、難文にお付き合い頂き、誠に有難うございます。

 

保険の約款を読むような労力を強いてしまったようです。

 

これは、本当に遊牧民族が好きな方でなければ興味が掻き立てられない内容なので、あまり興味ない方にはやや苦痛だったのではないかと思われます。

 

🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏

 

GoogleのMapや、高低差マップだけでは解らない。

 

実際に足を運んで見なければ、そこがどのような場所なのか皆目見当もつかない。

 

Google Mapで見れば、そこはどうせ湿地帯だった田地だろうと決めつけてしまう様な場所でも、実際に行って見てみるとそうでは無く、台地だった。などという事もある。

 

今日は、厚木バスセンターから、半原バスセンターという終点まで行く。

地形などを見てみたかったから。

 

降りた後はどうすれば良いのか決めていなかった。

 

そこら辺ぶらぶらして、次の半原バスセンター始発のバスに乗って、上荻野、まつかげ台、みはる野、鳶尾などの諸地区を歩き回る予定。

 

半原バスセンター付近で美しい曲弦ワーレントラス橋が目に入った。

 

 

 

先ずはこの橋を収めて、それからこの辺りを歩き回ろうと、Google Mapを眺める。

 

服部牧場というものが意外にも近い。牧場がある様な土地だから、*カネディアン🔱の冬営地候補として相応しいのではないのか?と思えた。

《カネディアン🔱: 金田(カネダ)地区という蒙古集落に定住する人達の祖先。》

 

 

冬営地は、水までの足労的負担の少ない場所である必要があるが、ここは、地図で見る限り川が近いが、実際はどうだろう?

 

 

服部牧場は、標高が高い。辿り着くまで激坂だった。山だから当たり前。

 

 

服部牧場付近の川。牧場の場所から川にありつける迄の足労が結構キツイ。ここは冬営地候補としては結構厳しいと思われる。

 

 

服部牧場。やっと辿り着けた。

 

 

ここは。、山林を開拓して作った牧場だろうか?

 

 

羊は自分に向かって鳴いていた。歓迎なのだろうか?罵声なのだろうか?

 

雨☔予報なんて無かったはずだが、山の天気は変わりやすい。霧雨が降って来た。

 

干し草

 

 

定牧なので、飼料は買ってくるので作付け面積などの様なものは気にしなくて良いのだろうと考えていたが、敷地内で草を作っていた。

 

 

 

馬(ポニー?)

 

 

大きい馬3頭

 

 

 

雌雄で分けられていた。牝牛はマウント行為なのか、牝牛の上に牝牛が乗っかろうとしていた。その時の画を写真に収められなかったのが、残念。

互いに毛繕いをするなどをしていた。複雑な社会がある。

 

 

 

茶色い羊、ポニーより小さい馬

 

 

駱駝 ヤク ロバ アルパカ 豚は居なかった。

 

 

その他、アヒル、鶏、兎、鳩がいる。


 

 

何コレ、金色でカッコイイ!!

 

 

ジャージー🇯🇪牛は可愛い😍

 

 

牛舎の中

 

 

牛の仔畜

 

 

山羊

 

 

家畜の餌

 

 


🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁💕💕💕💕💕💕💕😍😍😍😍😍😍😍🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁

 

 

ここは県内唯一の観光牧場

 

「約200頭の乳牛をはじめ羊や山羊などさまざまな動物たちが暮らしており、酪農作業の体験やキャンプもできる。また、搾りたての牛乳やオリジナルのアイスクリームも味わえる。」

《引用: 服部牧場のYahoo検索結果》

 

入場料は無料

 

「牧場のおしごと体験」🐄🐏はじゃらんのサイトからの申し込みが必要。

 

その他の体験希望する場合は、アイス屋のレジカウンターで申し込みを受け付けている。

 

かつてはキャンプ場運営をしていたらしいが、現在では運営を停止している。

 

家族連れや老人会や、散歩してる人や様々な人が訪れていた。

 

そんな人々は、「牛に触れた」「羊に触れた」「馬に触れた」などと言っていた。

 

子連れの母親や、カップル客の女性などは、馬に向かって大声をあげて呼んでいた。初めての客のように見えた。凄いな、初めて牧場に来て、大声でコミュニケーション取れるって、羨ましい。

 

みんなコミュニケーション上手だな。

 

その点、自分はダメだな。

 

自分は、色んな動物を触ったり声を掛けられなかった。

 

動物との距離の取り方もよく分からない。

 

コミュニケーション強者は、動物との関わりも上手い。

 

その人の動物との関わり方は、人間との関わり方と同じだ。とよく言われるが、解る。

 

自分は動物に関心が無いわけではない。人に対して距離を取るように、動物に対しても距離を取ってしまう。

 

こういう事思うと、ああ私はやっぱり日本人なんだなぁー。と実感する。

(動物に触ったり、大声を上げている人も日本人だが、あれは欧米化された日本人だろう)

 

自分は牧畜民とはほど遠い。

 

牧民に興味あるくせして、馬には接近出来なかった。小型の馬だったが、怖かった。

 

乳牛は🐄物凄いでかい。

 

牧場の作業員が囲いから牛舎に移動させていた。ほんの十数メートルだが、牛は思い通りに歩かないらしかった。しかしそこはさすがにプロで、迅速に牛舎に入れていた。

 

遊牧民は畜群を遠距離移動させる。その労力は計り知れない。私にはその気持ちは解らない。

 

 

牧場という所は、私にとって完全なる“異世界”

 

瀟洒な建造物群は浮世離れしていて、素晴らしかった。

 

 

 

 

 

馬蹄。異世界だ!

 

私は、珍しもんずきなので、牧場は楽園に思えた。

 

牧場は、珍しいもんである上に、家畜というものが自分と全く接点がないので、「無いものねだり」精神にも火🔥がつく。家畜というものを間近で見るという現象が数奇な気がして、これは現実なのか?疑う。

 

 

自分が興奮した🤩のは、家畜はもちろんそうだが、機械などの仕事道具や、干し草や、倉庫の中などの、リアルな仕事の有り様や、仕事をする作業者の動きだった。

 

 

このように非常に瀟洒な建物を、生々しいリアルな仕事に利用してるとこがアツい!!

 

遊牧に興味があるが、定牧にはあまり興味を持った事は無かった。定牧も牧畜である。遊牧民と同じ“牧民”である。定牧を知る事は、遊牧を知ることにも繋がる。

 

牧場の裏に牧民が使う機械がたくさんあった。

異世界過ぎて、めちゃめちゃ興奮した。

 

機械

 

 

ヘイコンディショナー

 

 

畜力用テッター

 

 

リバシブルプラウ

 

 

スパイクハロー

 

 

ジャイロテッター

 

 

畜力用ヘイレーキ

 

 

コーンプランター

 

この機械どれも刺さるが、特に刺さったのが

「畜力用ヘイレーキ」

 

刈り取った牧草を集める機械

 

 

裏の入口

 

 

表の入口にある機械

 

遊牧民は、定牧民がやっているこれらの作業を全部やっている。土を耕すという行為はしないが、冬越しの為に牧草を集めて丸めるなどの作業を機械に頼らず全部手で行う。

 

色々見て思った事。牧畜は農耕より遥かに高度で複雑で緻密な仕事だと思った。

農耕+アルファもベータもある。考える事や、数理的な事が沢山ある。

 

牧畜は、農耕の作付け面積的な草生を考えなければならない。それと、家畜の数と食べる量と草生とのバランス、家畜の個体数の管理、家畜の体調の管理、家畜の体調の為の草生の質も考慮に入れなければならないし、放牧地、宿営の場所を巡ってライバルの牧民と交渉しなければならない。

 

ユーラシア内陸の遊牧民や、牧畜を古くから行って来た西洋でも北の方の人民や、インド北部などの人民が非常に合理的であるのは、牧畜という生業の所業なのだと思う。

欧米が交渉の文化で、個人主義なのも、その影響もあるのではないかと思われる。

 

日本人(一部を除く)が牧畜を始めたのは、明治になってから。それも欧米のコピーだ。

*カネディアン🔱は日本人ではない。

 

 

日本人は基本的に四つ足動物を食べなかった。田人(田作業を生業とする人)である多くの日本人は牧畜などという発想が毛頭ない。

 

欧米に、定牧だが牧畜の文化があるという事は、元を辿れば「遊牧」の文化が欧州の白人、アングロサクソン人などにあって、それらがいつしか定住をして「定牧」になって行ったのだと思う。日本には狩猟の文化はあっても遊牧の文化が無かった為に、牧畜という発想が沸かない。

 

アングロサクソン人やケルト人の遠い祖先は、大陸で騎馬遊牧民だったという説もある。ゲルマン人なんかは完全にそうだった。

 

だから白人は、フランクな性格なのであろう。遠い昔から動物を扱っていただけあって、動物の身体に触れ、面識の無い人間に対しても見境なくボディータッチする。こういう気質でないと、牧畜なんて到底出来ないであろう。そんな気がした。

 

日本人は互いに距離を置く。茶道では徹底的に「境界線」というものを叩き込まれる。

面識無い人間と身体が接触するだけで非常に不快に感じる。

 

自分がされて嫌な事は、他者には絶対にしない。もし自分がここの家畜だったら、面識の無い奴に身体を触られたり、大声を上げられたり、接近されたりしたら、思い込みだが非常に不快であるだろうと思う。だから出来ない。これが「和」の精神。

 

日本はマニュアル文化で、仕事をスムーズにする為のシステムを構築する事が古来より得意だった。長い年月、交渉する機会に乏しい歴史を歩んで来た。他人同士、密接に接触しなくても済むように知恵を絞って得たものである。日本人の心の表れでもある。このマニュアル文化は、縦割り行政にも通じる所がある。

 

その点欧米人は、人と人の関係が、他人同士であっても近い為、一丸となって共同作業をするのが得意である。世界的に見ても欧米企業などは効率良く稼ぐ。そして行政などの動きが迅速なのもこの為であると考えられる。

 

どうせ私は日本人。。。

 

分担作業の概念は、日本発祥である。共同作業はトラブルが起こるリスクが多い為、これを避け、分担作業をする形になったという。まさに「和」の精神である。

 

日本人は、世界一、ラージ・ディスタンス(広いパーソナルスペース)を好む民族と言われるが、世界でも上位の人口密度の高い国での生活を強いられている。都市国家や極狭な島嶼国家は人口密度が高いのは仕方ない。都市国家群、極狭な島嶼国家群の次に日本。

 

自分の生体的願望がこれ程否定される環境で我慢して生活している民族は他にいないだろう。日本人にとって満員電車や、異常に狭い歩道などの窮屈な環境は苦痛でしかない。

 

他人と接触したくなくて距離を取ろうとして隅に寄っても人がテリトリーの中に入ってくる。自分が他人と距離を取れば、他人が不快に感じるテリトリーに自分が入ってしまっている。

 

思いやりを持って行動しても、結局別の人に迷惑をかけている。いつも申し訳ないと思うと同時に、他人に侵害されて常に不快である。何故日本はこうなってしまったのだろう?

 

牧場を置く平地もあまりないような狭い場所に非常に多くの人が集まっている。日本民族というのは、この環境に千年経っても慣れられないと思う。

 

元々赤の他人との身体的接近があまり得意ではない民族性である。地方移住が盛んなのも日本独特の現象だ。日本人は常にブルーオーシャンを求めて人のいない過疎地を求める性質がある。

 

 

日本人のラージ・ディスタンスを好む性質のおかげで、日本は治安が良いのかも知れない。

 

他人に手を出して、わざわざ面倒くさい犯罪を犯す労力が無駄だと考えるのである。他人とややこしくなるくらいなら、自分の責任で解決したい。これが日本人の心理である。

 

 

この牧場は、ただの工場のように仕事場の色が濃くて、非常に面白かった。

 

観光地なのに、ヤラセではない牧場に刺さった。

つまり、生業としての牧場と、瀟洒な建物とのマッチが刺さった。

 

かえってこれが向こう(欧米など)のリアルな牧場に近いのではないか?という妄想さえ出来た。

 

淡々と仕事をする姿が日本的ではあるが、それこそ「旅」である。服部牧場は「旅」のひとつのあり方をくれた。

 

何かを食べて帰ろうと思ったが、アイスクリームやジェラートや濃厚牛乳などの乳製品しかない建物に入った。

 

自分は、牛乳、ヨーグルトやバター、チーズ、生クリーム、アイスクリームも含む、乳製品全般を食べるとお腹を壊してしまうので、諦めた。

 

お酒は結構強いのだが、不思議だ。

 

別の建物もあった。そこでホットドッグを買って帰った。

 

帰り道。山林。絶対に野生の猿がいる🐒姿は見えないが、猿らしき声がそこここで聞こえている。フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ

2、3匹ではなくて、いっぱいいる。群れか?

出くわしたくはない。怖い。

 

 

野生のオランウータン🦧やゴリラ🦍に出くわしたら、死を覚悟しろと聞く。普通のお猿さんは可愛いけどめちゃくちゃ凶暴らしいです。

 

愛川町、厚木市、宮ヶ瀬湖付近は、猿被害が凄いらしい。

 

服部牧場は、開拓された地ではなかった。

 

 

今日は牧場に時間を割いてしまった。帰りのバスを乗り間違えてしまった。

「角田」のバス停で降りて、そこから「中津」まで歩いて、中津から厚木バスセンターまで帰った。

 

今日は牧場の話→和の精神→縦割り行政→人口過密→地方移住の話になってしまいました。

 

地方移住→牧場となればまた戻って来る。

 

 

長文のご精読ありがとうございました。

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カナダホト🎪(金田хот🎪)というものについて

2024年02月23日 | 自己満

幕内力士北青鵬関の暴力事件は誠に遺憾である。

宮城野親方(元白鵬関)の監督責任についても同様である。

北青鵬関の処分は甘いと思うのは自分だけか?暴力は犯罪である。

 

こういう事が起こるとカナダホト🎪の事とか書く気が失せる。

暴力事件のせいで「モンゴル人とはこういうものである。」と多くの日本人から思われたくはない。在日モンゴル人に多大な迷惑と誤解を招く。日本に於いて肩身が狭くなってしまう恐れがある。

 

角界が悪い。

 

🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁

 

牧民の営地選定は、ここ日本では一筋縄には行かない。

 

自分も遊牧遺構探しが非常に難航している。石囲いの映像は本当に有難い。

 

想像しても分かるはずがない。これは本当に石囲いであった。ウェブ上で石囲いについて幾らググったところで、あれは出て来ない。Xの@aribintala氏の投稿が無ければ、知る事は出来なかった。

 

@aribintala氏有難うございました。

 

🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪

 

牧民は身一つとゲルテント、家財道具だけで倭国へ渡航し、土地勘の全くない所で活動範囲を決め、生活を確立しなければならない状況である。

 

自分は倭国在住だから倭国の地理環境を知り、自然環境を知る。

 

倭国人目線で「営地選定はそんなに難しくないよ。だって倭国だもん。」と簡単に言ってしまうかも知れない。

 

しかし、もし自分たちが家財道具以外家畜も何も持たない牧民で、航海技術に長けているはずの女真族の船が、手違いで北米大陸の西岸🇺🇸カルフォルニア辺りに漂着してしまったとする。

 

さて...

 

これからどうする?どう生きて行く?馬は?狩猟対象の獣は?騎馬に使う馬具はどう調達する?

鏃は?武器は?鉄山は?掠奪相手の人民はいるのか?家畜は存在するのか?

 

皆目検討もつかないはず。

 

北米西岸なら、その前にネイティブアメリカン居留地に誤って踏み込んでしまえば皆殺しにされている。

 

そんな感じである。

 

倭国だから何とかなると、私達はおもうけれども、*カネディアン🔱の立場で見れば、我々にとってのアメリカと同じである。。。

 

未知の土地での牧民の営地選定の苦労は計り知れない。

 

 

《カネディアン🔱: 金田(カネダ)地区という蒙古集落の痕跡が残る集落に定住する人達の祖先。》

 

 

カナダホト🎪(金田地区)という立地に*オボー跡(*天神祠)がある。

 

 

《オボー☸️🕉️: モンゴル人が神や先祖を祀る祠のようなもの。》

 

《天神: 牧民が信仰する天の神。テングリと言う。》

 

 

おそらく牧民は、日本海沿岸に着いたのであろう。

カナダホト🎪はどちらかといえば、太平洋側である。

 

カナダホト🎪は夏営地の特徴を有している。

それで、そこは*ゲルテント🎪が集中しやすい一時的な村落共同体的な場所だったのではないか?

と思い込んでいるが、違うという可能性も否定出来ない。

 

 

《ゲルテント🎪: 牧民の移動式住居。》

 

*カナダ地区にゲルを置き夏営する牧民もいたであろう。

 

何故このカナダ地区が宿営地集団(一時的な村落共同体)の地域だと思い込んでしまったのだろう?

 

よく考えたら、カナダ地区にオボー☸️🕉️がある為、そう思えた。という事だった。

 

しかし、オボー(天神祠)と、宿営地集団というゲルが集中しやすい場所との関係が書いてある文献は見当たらなかった。

 

オボーがあるからそこが*ホトだと考えていたが、全てがそうとは限らない。

 

《ホト🎪: ゲルテントが集中する場所。一時的な村落共同体。》

 

ロシアのトゥバ共和国首都、クズルの例を挙げる。

 

 

クズルはかつてクズルホト🎪と言われていた。

 

エニセイ川という大きな川沿いにある。クズルホト🎪も夏営地だったのであろうか?

 

ここにクズルのオボーがある。ここは川沿いの高台に設置されている。

 

 

対岸に街が見える。おそらくこの対岸の街がクズルホト🎪というゲルテントが集中する場所だったのであろう?

憶測の域を出る事を出来ないが。。。

 

実際にカナダ地区に行ってみると、この広大な土地は、ナーダム会場だったのではないか?という気さえする。

 

 

金田神社についての記述にある、中世の長距離競馬神事は金田から上依知だったのではないかと考えられる。カナダオボー☸️🕉️がスタート地点だったと考えている。

 

江戸期になって、依知神社の神事で、それとは逆の上依知から金田までの神輿渡御神事に変わっている。

 

しかし一方、カナダ地区という所は実際にホトで、放牧地だったとしてもおかしくはない。

寧ろ放牧地として非常に適している場所とも言える。

 

カネディアン🔱(モンゴル人)にとってカナダ地区というものがどれぐらいの範囲であるのか正確には分からないが、おそらく直径4-5km圏内だろうと考えられる。これは自分が割り出したのではなく、宿営地選定に関する文献によるもの。

モンゴル牧民は、大体直径4-5km圏内を同じ地区だとみなすようである。

 

何故そこがホトで、良き放牧地なのか?

その理由のひとつが、崖っぷちではないこと。クズルホト🎪のように川に臨んだ平たい土地であり、広大な土地である。家畜が水を飲みに行くのや、牧民が水を汲むのに都合が良い。

 

その上湿地帯ではない。現在では清掃工場が立ち、将来的にはもう一基建ち、2基稼働予定である。そして化学工場も建ち、巨大倉庫なども建っている。

 

これは地盤が固い事を意味する。軟弱地盤の湿地帯だった場所には通常、このような建物は建てない。

 

対岸の海老名などは川に臨んだ広大な平地だが、湿地帯であった。湿地帯では宿営や放牧は適していない。

 

相模川も中津川も、崖っぷち或いは河原の平地が極端に狭く、河原即崖の場所がほとんどである。平地であっても、湿地帯であった所がほとんどである。

川の増水時に逃げ場が無いような所は放牧地に出来ないし宿営も出来ない。

 

もう一つの理由は草生が良い事。防災マップを見ると、金田地区は水害地域に指定されている。

 

 

 

それは川に臨んだ平地である事と関係している。川の氾濫時に浸水し易いという事。崖っぷちで、高台ならこんな事はない。

 

金田地区は相模川と中津川に挟まれている。川が氾濫するという事は水害であり、一見悪い事のように思えるが、牧民にとってそれはとても良い事である。

 

川の氾濫は、上流からミネラル分を多く含んだ土壌を運び、堆積する。そのような土壌からはとても良質な草が生える。仔畜が良く育ち、牝畜の搾乳をする夏の時期には、この様な土地がとても好まれる。

 

ゲルテントや家畜が多数寄り集まっても問題が起こらなさそうな広大な場所である。

 

牧民は、雨が多く、水害のとても多い梅雨の時期、秋雨の時期は運良く別の場所を拠点にしている。

 

自分は今まで黄金原、上三増、角田を歩き、様々な場所にバスで行ったが、この辺りで金田地区ほど夏の宿営に適した場所はないと思える。

 

 

騎馬民族は、製鋼の拠点を活動圏内に持っていたと考えられる。その拠点は一つの世帯だけではなく、複数世帯の牧民が共有していた。

 

騎馬民族は、銜や蹄鉄などの馬具や、武器などの鉄器を使う。

 

それらをどう調達したのか?という問題が浮上する。

 

図書館の郷土史によると、カナダ地区の金田という土地の由来は、鉄を量産する所という意味が有力である。

 

ネット上では、厚木市金田についての記述は、戦国時代には金田の名はあった。大永年間に愛知県西尾市に移住したという事しか書かれていない。

 

多分だが、鍛治集団が戦国時代の情勢下で逃走と分散を繰り返していたのだろうと考えられる。

厚木市以外の金田という所にも数ヶ所、そのような表記が見られた為、鍛治集団の移動、分散ではないかと考えられる。

 

この厚木市金田地区は、先に書いたように川に臨む広大な平地である。

 

金田という場所が、古代製鉄(タタラ製鉄)の鉄穴(カンナ)地形のように崖や谷戸ではなく、更に言えば絶えず風のある所である。

 

このような非常に風通しの良い場所で産鉄を行う事は、少なくとも古代倭製鉄(タタラ製鉄)ではない。

 

タタラ製鉄は更に言うと、古代に始まり、戦国時代や江戸時代でも行われていた、倭人の伝統的な製鉄方法である。

 

金田は戦国時代から記録のある地名なので、縄文時代からある野ダタラではない。

 

金田地区は、アナトリア(トルコ🇹🇷)の荒野ほどの強風ではないものの、他の場所と比較して、絶えず風のある場所である。

 

それと、この様な風のある場所を製鋼の地に選ぶという発想が、倭人ではないと考えられる。

大陸の荒野や草原の出身の者の発想ではないかと思われてならない。

 

戦国時代に現れた鍛治集団を自分は「金鎧人」と名付けた。

 

カネディアン🔱はチベット仏教&テングリ信仰(天神信仰)の蒙古系牧民だが、金鎧人はどうか?という問題がある。蒙古系の可能性もあるし、違う系統の牧民の可能性もある。牧民ですらない可能性もある。モンゴル帝国には蒙古系以外にも雑多な民族が存在していたので、それはどうとも言えない。ただひとつ言えるのは、大陸から渡来した人達であるということ。

 

カナダオボー☸️🕉️と金鎧人は無関係である可能性がある。

 

カネディアン🔱が初めてあの場所にオボーを作ったという可能性もある。

 

金鎧人は、丹沢山塊の山北町辺りで鉄鉱石を採掘し、丹沢山塊の森林から薪や木炭を入手し、風の強い金田地区で製鋼をしていたのではないか?という可能性がある。

丹沢には鉄鉱石の鉱脈があり、荻野川(厚木市)では砂鉄が採れるという説もある。

大陸の距離感覚で言えば、丹沢・山北町から金田まで、そんなに遠くはない。

 

金鎧人たちは、大永年間(1521〜1528)には厚木の金田からは立ち去っていた。

 

金鎧人が鏃などを量産している様を傍で見てその地区を倭人が「金田」と名付けた可能性もある。ということは製鋼の炉もあったという事か?

 

後にこの地を訪れたカネディアン🔱というモンゴル族は、金鎧人が残した製鋼の炉を見つけ、ここは製鋼に適していると判断した可能性がある。

 

金鎧人が去ってカネディアン🔱が訪れた。

カネディアン🔱は幕藩体制により、土地に縛りつけられ、幕府(藩)による財産没収により製鋼が不可能になる迄はやっていたと考えられる。

 

カネディアン🔱はモンゴル族である。モンゴル族は自らの手で土を掘り起こす事を極端に嫌っていた。そんな彼らがどうやって鉱石を入手していたのだろうか?これは多分、商人から鉱石そのものや、*銑鉄を買っていたのだろうと思われる。

 

市の郷土博物館には、家を建てる際の発掘調査の記録を書いた書物が集落毎にあるが、金田地区の川沿いの広い土地、製鋼の痕跡あってもおかしくはなさそうな場所での発掘調査は行われていないらしかった。だから何とも言えなくて残念。

 

製鋼の場は囲いなどをして、家畜が入れないようにした可能性がある。

 

鉄鉱石、武器、鎖帷子、炉、道具….の一切を幕府(藩)に没収されたとすれば土に炉が埋まっている可能性が低い。スラグや鍛造剥片やカスなどの廃棄物が埋まっている可能性はある。

 

金田地区は、牧民にとって良き夏営地で放牧地であり、ナーダム会場でもあり、製鋼の拠点でもあった。

 

カナダオボー☸️🕉️の聖域は、家畜が入れないように囲いがされていたのだろうか?

 

通常、これらが同じ地区に存在する事は、モンゴル本国では非常に珍しいのかも知れないが、狭い倭国の事情から考えると、こうなってしまったのだろう?

 

カナダ地区にオボー☸️🕉️がある事が納得が行く。

 

郷土博物館で特別に見せて貰った本によると「金田地区」の由来は、元々は「金なにがしか」であったと書かれていた。それが、田地にされてしまい、金田となったという。

 

図書館の郷土資料では「鉄を量産する所」と書いてあるものの方が多かった。

 

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カナダ地区: 金田地区。カネダと読むが、これをモンゴル語として扱う為、カネダをカナダにしてしまった。この記事では金田地区が、ホトであると断定出来ないという前提で使用された用語。今後も「カナダ地区」を使う。「金田地区」は倭人の行政が作った区画。「カナダ地区」はモンゴル牧民目線でみた地区の一つ「カナダ」という地区。

 

モンゴル語の母音の法則によればカネダ(Kaneda)という語は存在しない。

 

男性母音(a,o)と女性母音(e,u)は同じ語に共存出来ない。中性母音(i)はどちらとも共存出来るという。島村一平先生が文春の記事で教えてくれた。

モンゴル人に「カネダ」と言わせても「カナダ」或いは「カノダ」と言ってしまう。いずれにせよカネダに違和感があると思う。

金田はカナダ🔱とも読めるので問題はない。

という事で金田の読みは蒙古読み優先で「カナダ」に変更する。

 

銑鉄: (センテツ、pig iron)は高炉や電気炉などで鉄鉱石を還元して取り出した鉄のことである。

銑鉄を生産するプロセスのことを製銑(セイセン)と呼ぶ。

古くは銑(ズク)と呼ばれた。

 

カナダホト🎪について

カネディアンの宿営地について - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

カネディアンの宿営地について2 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

カネディアン宿営地3 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

ご精読ありがとうございました😊

 

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営地探し、他のやり方

2024年02月16日 | 自己満

カネディアン🔱牧民🐄の冬営地探しをしている。

 

その手法は、モンゴル本国🇲🇳にいる牧民の営地選択方法についての論文を読み、それに沿った条件の場所を実踏している。

 

しかしそれらの文献はモンゴル本国が舞台であり、日本に移住したカネディアン🔱にはあまり当てはまらないという事が分かった。

 

何故ならモンゴル本国と日本では、余りにも気候による植生の違いや、地殻変動や地層による地形の違いがあり、また、社会的諸条件の違いにより当てはまらないのである。

 

文献のモンゴル本国牧民の舞台は、主にゴビ(砂漠)地帯である。

 

今後も、もみじクッキー🍁の葉先である、山間部の川沿いの低地を歩き回り、石囲いの跡やオボー跡(天神祠)を探すつもりだが、文献以外にも考慮に入れたいものが出て来た。

 

それは、現在「キャンプ場になっている場所」である。

 

「宿営地」を英訳すると「camp」とあった。

 

キャンプの意味は、宿営地の他にも駐屯地のような軍事的意味合いもある。

 

キャンプ座間などは、米陸軍の駐屯地である。

 

英訳で宿営地だから「キャンプ場」探そう!

 

というのは短絡的に思えるが、キャンプ場側も理由あって固定のキャンプ場の為にこの地を選んだのであって、そこが適している場所だという事を意味する。

 

現代日本人とカネディアン🔱(400年前のモンゴル人)の考える事は違うが、基礎は同じであると思う。

 

カネディアン🔱は家畜を抱えるので、「草生」や「水」や「家畜の数と草生のバランス」を深く考えている。

 

日本は水が豊富で、植生も豊富で、移動の必要性が無いのではないか?とも考えてみた。

しかし日本は祖国モンゴルとは決定的に違い、放牧に使える土地が極端に狭い。

 

家畜を一年間賄えるだけの一ヶ所のまとまった土地が無い。

 

家畜の数が極端に少ない貧困世帯は、移動せずに賄えるかも知れない。

 

農耕民と棲み分けるために、定住農耕民が居座っていない、耕作に不向きな場所で、震災や崖崩れなどの影響が大きくない安全な場所に限られる。

 

移動しなければ、餌が足らなくなる。放牧地が狭くなれば家畜を減らす為に、家畜を売って金に換えていたのかも知れない。

 

それなら農業をすれば良いという声もあると思うが、カネディアン🔱は絶対に農業などをやりたくはない人たちである。モンゴル人は土を掘る事を絶対に良くない事と考えている。井戸を掘っても移動する前には必ず、井戸を埋め戻す。この考えは移住先の倭国でも変わらない。

 

土を掘り起こさなければならない灌漑用水路の工事や、土を耕す作業を絶対にやりたくはない。固定の住宅も建てたくはない。

 

土、土地を神聖なものと考え、掘り起こす事は土地に傷をつける事だと考える。屠殺の際も家畜の血を土に吸わせて土地を穢してはならないと考える為、土に血を大量に流さない屠殺の仕方をする。「天幕のジャードゥーガル」では、子羊の肺動脈を指でぶった斬って殺していた。

 

殺した後は、血抜きをしない。これも同じ考えである事と、血の味(鉄味)のする黒い肉は美味しいという好みにもよる。

 

以上の事から、カネディアン🔱は従来通り移動型牧畜生活を倭国に於いて行っていたのではないかと考えられる。

 

ご精読ありがとうございます💕

この先暫くはカネディアン🔱のネタが続きます。

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冬営地を探して(角田《スミダ》編)

2024年01月26日 | 自己満

*カネディアン🔱牧民の軌跡を探している。

 

前回は、カネディアン🔱牧民の冬営地候補の一つと踏んだ上三増(カミミマセ)に行った。

 

カネディアン: 金田地区という蒙古集落の痕跡が残る集落に定住する人達の祖先。

 

*蒙古.... 特定の国の名前を冠してしまいました。大変申し訳ない。

 

カネディアン🔱とは約400年前、日本に渡航して来たモンゴル系牧民である。

 

冬営地・前回の記事

冬営地 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

前回、家畜の糞・薪などの燃料を囲う「石囲い」を探した。

 

石囲いがどんなものか?以前は想像上だけであったが、石囲いらしいものをツイッターXから入手した。

 

 

 

 

モンゴルの冬営地での動画。石囲いというより、土を人為的に固めたものによる囲いである。

 

規模感は掴めた。

 

モンゴルの丘陵地は日本のように雑木林ではない。

 

400年前のカネディアン🔱は、家庭にもよるが、平均的にどれだけ家畜の数を有していたのであろう?

 

家畜の数によって石囲いの規模も変わる。

 

往時の倭国(戦国末期から江戸中期頃)に存在した家畜といえば、牛と馬と山羊しかいなかった。

 

カネディアン🔱絨毯問題を考えていたが、山羊の毛で作っていたのであろうか?

祖国から持ってきた絨毯は羊毛だが、倭国に来てからの絨毯は山羊毛?毛先が痛そうである。

 

カネディアン🔱はどこから倭国にて家畜を得たのだろうか?

 

農村などからの掠奪である。

 

幕藩体制以前の倭国に於いて、馬は騎乗に使われていた。その他には荷物運搬用の駄馬としても使われていた。農耕にも使われていた。牛も同様に農耕や荷運びに使われていた。山羊は非常時の食用として飼育されていた。

 

 

冬営地にも*オボーがあるのではないかと考えるようになった。

 

オボー: モンゴル人が神や先祖を祀る祠のようなもの。

 

モンゴルの旧正月、ツァガーンサルでは丘の上にあるオボーに牛乳や米などの白いものを撒いたりしている。

ツァガーンサルは「白い月」という意味。

2024年のツァガーンサルは2月10日。

 

冬営地にも夏営地にも祭祀オボーがある。

 

春夏秋冬全ての宿営地にあるのだろうか?

 

カネディアン🔱冬営地にも天神(テングリ)祠がある可能性がある。

 

あるとすれば丘の上だろう?

 

祠なり、何らかの形で残っていればいいが、オボーは永遠に定着するものではない。

 

 

 

愛川町 角田(スミダ)地区に行ってみた。

 

 

冬営地と踏んだ理由は、川(中津川)の近くで、緑色の部分の近くである為。

 

緑色の部分は小山で、北西の風を避けられる場所であろうか?

 

地図上で見る限りそう見える👀

 

愛川町役場前のバス停で下車し、角田地区へ向かうが...

 

緑地というのは小山ではなく、段丘に沿って茂る雑木林であった。角田地区にはこの段丘を降らなければ行く事は出来ない。

 

段丘というより、寧ろ「崖」

 

これでは山羊🐐以外の家畜が降れない。人も降れない。

 

降った先には田地が広がる。

 

これが角田地区。

 

地図上で見てるだけでは絶対に分からない地形。

 

台地から対岸までの地形

 

台地→崖→田地→高い堤防→川(中津川)→対岸の山

 

田は、川沿いに延々続いている。

 

 

 

堤防から見る田んぼ

 

中津川沿いは延々田地のようだ。

 

中津川は狭い川である。

 

中津川河畔を宿営地にして、放牧地にする事は難しい。

 

まず、どうやって中津川河畔エリアに入り、角田地区まで行くのか?

 

中津川沿いの厚木市妻田まで戻らなければ入れない。

 

中津川は、崖と崖の間に挟まれている状況である。

 

両岸の田地は湿地帯だったのだろうか?

 

川の近くには、高い堤防があり、田んぼの方が川よりも低い位置にあるように見える。

 

このような場所は400年前には定住農耕民が住み、カネディアン🔱とは棲み分けていたのだろう。

 

カネディアン🔱は耕作に不向きな台地で放牧。

 

今昔まっぷを見なければ昔の植生は分からないが、今昔まっぷも遡っても江戸までだろうと思う。

 

カネディアン🔱の末路はどうなるのか知っていても、それまでの自由な余生をどう過ごしていたのか?

 

それにしても田地から台地まで上がるのは非常に大変だった。

 

角田地区には石囲いとオボー(天神祠)は無かった。

 

石囲いは本当にあるのだろうか?

 

愛川町役場付近。ここは台地だ。

 

 

ここから小山が見える。

 

ここの方が冬営に向いているのかも知れない。

 

機会を作ってまた行くつもりだ。

 

営地選択は一筋縄には行かない。当時のカネディアン🔱の倭国の複雑な地形に於いて、営地選択の苦労が伺い知れる。

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カネディアンカード🇲🇳あと一人!!

2024年01月03日 | 自己満

カネディアンカード🇲🇳(モンゴル民族カード発行案)の賛同あと一人で1000人!

 

 

あなたの声がチカラになります

Друзья поддержите внесение законопроекта «МОНГОЛ ҮНДЭСТНИЙ КАРТ» в Великий Хурал Монголии

Change.org

 

賛同を勧めるものではないが、あと一人!

 

自分のこのカルガリー(斑爾里)ブログは気まぐれに更新する。

 

基本的には金曜夕方更新するつもりだ。

 

しかし例外もある。

 

逆にネタが無い時や本人が書けない状況にある場合、更新が1つきでも2つきもない。

カネディアンカードについて↓

 

カネディアン🔱はモンゴル人🇲🇳になれるのか? - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

そうこう言ってる間に1000人になる可能性がある。

 

これは自分のXのDMに苦情来たことに由来するが、

 

「特定の国のお名前を濫用するんじゃない!もし外交問題に発展したら責任取れるのですか?

これは日本国とその特定の国の間の紛争だ。無責任に国の名前つけるものではない」

 

このお叱りは、Xの呟き宛ではなくどうやらこのブログ宛てらしい。

数ヶ月来、カルガリーブログではある特定の集落の事を「蒙古集落」「蒙古部落」

などと過剰に「蒙古」の名を冠する言葉を発して来た。

 

どうやらこれが気に食わないらしい。

 

外交問題の件までは頭が働かなかった。

 

それを言うならずっと前から気になっていたあのバンド名の由来。

 

それは「モンゴル800」🇲🇳

 

モンゴルと銘名する以上はモンゴル🇲🇳に関係したなにかのはず。

 

関係がなくてもこの国を意識しての事なのか?

 

モンゴル🇲🇳のロックバンドで格好いいグループがいて(チンギスハーンとかHurdその他)

そのバンドへの敬意により「モンゴル🇲🇳」という国を冠するものとしたかも?

 

 

800という数字の方はbrink182やSUM41などのような超有力パンクバンドへの敬意によるものだと思う。

 

 

Yahoo JAPANで調べたら

「バンド名に深い意味の関与はなく、ギターの儀間が、思いつきで考えた「モンゴル800」と言うフレーズをそのままグループ名にしただけで、実際のモンゴル国やモンゴル人と関係ない。」

 

なんやねん!!

 

思いつきで「モンゴル」言うな💢!!!

 

紛らわしいやろが💢!!!!!

 

これじゃ蒙古タンメン🍜と同じやないかーーー!!!

 

思いつきだったら「カムチャッカ800」でも「アゼルバイジャン950」でも良いではないか!

 

 

セブンとかによく売ってる蒙古タンメン🍜

 

これも「蒙古」とは何の関係もない。

 

モンゴル人は元々辛いものなんか食べなかった。

 

Yahoo JAPAN

「蒙古タンメンの名称はモンゴルとは直接的な関係がない。寒い土地では辛いものを食べるのではないかというイメージで中本氏が名付けた。モンゴルというと、世界を制覇しようとしたチンギス・ハンや、白鵬、朝青龍といった力士のイメージがある。特に2代目白根氏には「変革者」「一番になる」といった思いが感じられる。」

 

寒い土地は辛いものを食べるイメージ…..

 

それだったら「ロシアタンメン」でも「グリーンランドタンメン」でもいい。寒い国やろ?

 

でも「樺太」や「北極」といったメニューもあるらしい。

 

闇雲に「魯西亜」とか、なんとかと国の名前を冠する名称をつけてしまうと、外交上、面倒くさい事になりそうだ。特に今、魯西亜と宇国の一部の暇な国民は、メシの起源の事で下らない諍いを起こしている。

 

「樺太」や「北極」は、そういう意味では平穏な名前だ。

 

Yahooの検索結果で「変革者」と出てきたが、何故そんな事が書かれているのか?

 

遊牧民は「変革者」とか今までのものをぶっ壊して新しいものを作るといったイメージが先行するか知らんけど、遊牧民は決して「変革者」などではない。

 

カネディアン🔱の件でモンゴルの遊牧民の生活について色々調べていたが、慣習やしきたりをぶっ壊して新しいものを次々と作るなどという事は一切確認出来なかった。寧ろ、旧時代の遺制に縛られていたり、春夏秋冬季節ごとにほとんど決まった営地をぐるぐる巡っていたりする。状況により別の場所を営地にしたりもするが、大体は決まっている。

 

ジンギスカンという食べ物。

 

これも、はっきり言って失礼だと思う。

 

羊肉の料理→羊を食べるといえばモンゴル→モンゴルといえばチンギス=ハーン(ジンギスカン)

 

大帝国を築いた英雄の名前を食べ物の名前にしてしまうというのは、茶化してるような気がしてならない。

 

しかしなぜよりによってみんな、あの国の名前を濫用するんだ?そんなにオモロいか?!

自分は意味あってあれを「蒙古集落」「蒙古部落」と呼んでいる。

 

自分がもし特定の国の名前を濫用するのならもっと耳馴染みの無い国の名前。

 

耳馴染みなく、長いか、パンチのある国号を濫用したい!!

 

モンゴルとか魯西亜は耳馴染みがあるので、自分なら耳馴染みのない国号を濫用する。

「アルメニア支那そば」「トルクメニスタンタンメン」紛らわしい….担麺だか担々麺だか分からん。

 

「エスワティニ丼」「ブルキナファソカレー」「チュヴァシ茶漬け」「サハ鍋」「ヤマロ・ネネツソバ」「ウドムルトウドン」「トランスニストリアラーメン」

 

個人的には「ネネツ蕎麦」と「サハ鍋」が気になる。本当に作ってみろと思うやろ?どんな蕎麦や鍋が出来るのだろう?

 

国の名前の濫用で代表的なものでいえば、「ダッチ・ワイフ」や「トルコ風呂」などもある。

ダッチワイフとは直訳すると、オランダ人の妻。

 

いずれにしても、失礼過ぎる。

 

ダッチワイフについてYahooでググった結果

「語源 英語のDutch wife(字儀的には「オランダ人の妻」の意)は、アジアで使われている、竹や籐で編まれた筒状の抱き枕(竹夫人)を指す。ランダムハウスによれば、語の起源は1875-80年頃という。その理由は、本国に妻を残してオランダ領インドネシアで取引していたオランダ人商人の境遇に由来すると想像される。」

 

これは和製英語ではなかった。テッキリ、日本人が考えたのかと思った。

 

トルコ風呂についてYahooでググった結果

「元来、トルコなどで行われているスチーム風呂を指して戦前から使われていたが、銀座の東京温泉がスチーム風呂とマッサージをつけた特殊浴場を開店した。これもトルコ風呂と言われた。」

 

これは実際に物議になった。

 

トルコ大使館が、そういう間違った解釈、風俗店にその名前は受け入れ難いと抗議した。

 

その後、ソープランドという名前に順次変更されていく。

 

闇雲に国号を冠する名称をつける事は避けた方が良いのかも知れない。もしつけるのなら、その国から抗議される覚悟や、外交上の問題を覚悟してつけるとよい。

 

だから自分は、先に書いた耳馴染みのない国ばかりとの外交上の問題を考慮しなければならなくなる。

 

大体はイメージ先行、思いつき、勘違いばかりで、悪意あるものは無かった。

ダッチワイフだけは由来としてはマトモだった。

 

そういえば、トルコライスというご飯も長崎にあるらしい。

 

「蒙古部落」の名称についてはその後、真面目に頭を悩ませました。

でも蒙古部落につける名前は何も考えつかないまま、今に至る。

 

この部落名の変遷

金田(キンデン)→アルタンボラグ→金鎧部落→カネダホト→カナダホト

所々「蒙古集落」と呼んでいる箇所はあるものの、基本的には↑上記の呼称であった。

部落名を生のまま、漢字表記のまま使うのは憚れる。

ここはガチの被差別・弾圧部落だから。

金田(カネダ)地区という漢字表記の日本語をモンゴル化したものが、

カナダホトである。

カナダホトなら「モンゴル」や「蒙古」などの特定国の名を冠してはいない。

カネダという被差別部落まんまの読みというわけではない。漢字表記も忌避出来ている。

何故カネダがカナダになったかの理由は、モンゴル語の発音法則に従った為である。

 

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