日本国に於いて、遊牧集落の痕跡と、遊牧遺構を探している。
結論を出す事は非常に早いと思いますが、いくら探してもこれ以上の物は出てこないという結論に至った。
*金鎧集落がなぜ蒙古集落と思うに至ってしまったのか?
*金鎧 : 金田を意味する。
・活動圏内に「金鎧」という地名の場所を発見。
スフバートルコーヒー店から駅までのバスの途中。「金鎧神社前」「金鎧」「金鎧下宿」というバス停があった。「金」はモンゴル語でアルタンという。
アルタンから始まる蒙古地名や人名は山のようにある為、モンゴルを連想させられた。
・金鎧(ホントのこと言うと金田という)の漢語表記は何故か「金帳汗国」を連想させられる。これは2022年3月頃の散歩で座架依橋の途中の道路標識による。(←これは常人には説明出来ない)
・2023年の初詣。事前に調べた情報の、金田神社で中世に行われていた競馬神事による。
上依知から金鎧までの長距離競馬神事をしていた。それがナーダムのように思えた。
・その日のノリで上依知から金鎧までバスに乗って移動してその後、金鎧集落にあるローソンで月餅が食べたくなってくまなく探したが月餅が見当たらない。取り扱いすらない。
そしてあるネタを思い出した。蒙古人に月餅をあげてはいけない。
金鎧集落だから月餅を忌避しているのか?
・金鎧集落を実踏。穀倉地帯の目立つ場所に天神杜がある。「国土を守護する天乃神」という神観が倭人のものとは到底思えない。
菅原道真と相殿している。この天神杜はソーハン・ゲレルト氏による宇宙三界観の論文と照らし合わせると、テングリ信仰に思える🪯
・金鎧集落は川と川に挟まれたところである。遊牧民は水の近くに宿営する慣習がある。
・金鎧の地名の由来は、移動する民による。との事。
金鎧集落を蒙古系と特定する理由が、ソーハン・ゲレルト氏の宇宙三界観の論文による。
2023/5/15の記事の続き
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金鎧集落について。訂正。 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる
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郷土博物館で係員に資料を見せて頂き、金鎧集落に関するものを以下に大まかにまとめてみた。
戦国時代かその前、この地に野盗か野武士だと思われる者たちが現れる。彼らは村々に襲撃や掠奪を繰り返していた。
彼らは*船田村を襲撃し、潰し、川と川に挟まれたこの地を拠点にし、活動していた。
*船田村 : 船来田明神に豊玉姫を祀る、鎌倉時代にルーツを持つ集落。海洋民族と倭人などの構成員。本間氏族が代々領主を務める。
そして彼らは掠奪や狩猟や商売などで生計を立てていた。農業従事はしなかったそうだ。
この共同体の長が率いる大半は大永年間(1521-1528)にこの地を離れて流浪し、愛知県西尾市一色町に移住する。
しかし一部はここに残留した。
残留した人達は、この地の利は商売に適していると判断した為残留した。
しかしその中には武将に投降し、武将の正式な武士になる者もいた。
金鎧の地名の元となる名称は、戦国時代にはあったそうだ。
船田村が潰された時の元村民の生き残りは、少数ながら同じ村に居住していた。船来田明神(後の金鎧神社)が維持されたのも彼らに依るところが大きい。
江戸中期、幕藩体制が確立される。中央から管理者が派遣され、金鎧集落も管理下に置かれる。集落には農業従事をする為に土地を与えられた民が流入し、稲作が再開される。
金鎧集落の金鎧は、金田となる。
明治期に船木田明神は、金田神社となる。
戦国時代から江戸中期迄の金鎧集落についてでした。
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資料には、“蒙古”とか“突厥”とか“遊牧民”とか“放牧”など一切書かれていなかった。更に“テングリ”“天神”“国土を守護する天乃神”オボー“石堆積等も一切書かれていない。
ここは本当に蒙古集落なのか?
船田人と金鎧集落の”金鎧“の由来となった民は全くの別物だったという予想は当たった。
金鎧集落の由来となった民→金鎧人と呼ぶが、金鎧人が元々遊牧民だったかどうかは解らない。
戦国時代当初は野盗などに村が襲撃され、略奪される事はよくある事だった。それに、この時代は移動する人々が沢山いた。農民が本格的に土地に縛りつけられ移動の自由が無くなったのは江戸時代以降。
金鎧の呼び名について。この金鎧というのは正確ではなく、資料館の本には”金が頭につく《金なにがしか》“といった、よくわかっていない地名だったという。
金鎧という呼称は、自分が勝手につけた。金なにがしかといちいち呼んではいられないので金鎧とつけた。
”金田“となったのは江戸中期以降。
当時は”キンダ“と呼ばれていたらしい。
自分が金田という漢語表記を極力したがらないのは、”田“といえば”農耕民族“。それが嫌で嫌で仕方無かった。金なのになぜ田なんだ?この組み合わせの悪さがかえって目を引いたのではないかと思われる。
金→アルタン なのに何故農耕民族の字を充てる?
江戸中期以降、蒙古コミュニティーが”田化“された。
放牧地が田化されるという胸糞な話は世界中でよく聞く。
誇り高き民が、農奴に転落してしまったかのようだ。
よくよく考えてみれば
金田はキンタとも読める。言うまでもないが男性器を連想させられて、フイというロシアで使われる最悪の罵詈雑言を連想する。フイとはロシア語で男性器を意味する。
金田と書いてかねだではなく、かなだと読む場合がある。金田(かなだ)のケースではタタラ製鉄などの製鉄業や、冶金(やきん。ちきんではない)などの金属加工の場であったという事例が多い。Kanadaと読む名前の人は製鉄奴隷の後裔である。
ウクライナのアゾフスタリや中国新疆のジュンガル盆地をも連想させられる。それは良いとして、どうやらフイと製鉄も関係があるらしい。
フイゴという製鉄に使う道具があるらしく、フイゴという物は馬鹿というニュアンスにも繋がるという…..
タタラ製鉄はタタールと関係があるらしく、タタール人はジョチ=ウルス(金帳汗国)の主流民族だった。
道路標識の厚木市金田と金田陸橋の金田からは不思議な事に”金帳汗国“というものを連想してしまう。
ロシアもウクライナもジョチ=ウルスの範囲。タタール軛の被害地域。
製鉄奴隷は、過去のハザール王国を連想する。製鉄奴隷国家だったらしい。それもウクライナの位置にあった。アゾフスタリ製鉄地域はハザールの系譜を引き継いでいるのか…..
ここまで一気に書いてしまった。
いづれにせよ、狭い日本の”田“に縛りつけられるのは良くない。