一生に一度は行ってみたい海外の旅先。
それはトゥバ共和国!!!
トゥバ音楽ばかりをよく聞く。なぜトゥバ音楽を過剰に聞くのか。それは、自分の癖(ヘキ)や偏りに刺さる旋律と、トゥバ独特の和音、フーメイなど、言葉で表せない耳の気持ちよさがある。
先日解散宣言を発表した「自称カナダ出身のパンクバンド」の歌い手と、ベース担当は*トゥバ族であると強く感じている。
トゥバ : 韓国のTXT(TOMORROW X TOGETHER)ではなく、ロシアの構成国の一つの主流民族。トルコ系民族のひとつ。
“底辺の英雄”という曲は、歌詞も旋律もトゥバ色が濃厚だ。ビビッと来るのは当然!
“底辺の英雄”が入っている“底辺の英雄”というアルバムは、カナダ人のサウンドが入っていない。更に言えば1人のカナダ人の要望に応える必要が無くなり、転調して、肩の荷が降りた作品になっている。
この時期はメタルギター担当のカナダ人がバンドから抜けていた時期である。
“底辺の英雄”の頃のバンドメンバーは、全員トゥバ人だった。よってこのアルバムは、水入らずのトゥバンロックという非常に尊い存在である。
このアルバムの“歩く災害”という曲が美しくも切ない曲である。これは歌い手の自身の家出経験に基づくものと思われる。
トゥバンロックは決してトゥバ民謡のカバーなどではなく、オリジナルの曲である。
洋楽の旋律とは全く違う。西洋人にはこんな発想が出来ないだろうと思う。モンゴルのハルハ人にもこんな発想出来ないだろうと思う。ふとしたところにトゥバ式フーメイ(喉歌)音階が練り込まれている。
フーメイ自体はしないが、フーメイを彷彿とさせられる。声もダミ声である。
民族楽器ではなく、ロックに使われる楽器でトゥバ音楽を演奏するとこうなるのか。
歌い手のかつてのア○ズレな妻も、このトゥバ男の影響を受けているのかと思われるトゥバ的な旋律をサンプリングしたような曲を作っている。しかしその妻とは4年で破局している。
かなだに干渉されないトゥバ人とは、こんなにも美しい音色(おんしょく)を作る人達なのだと心底思い知らされた。
「自称カナダ出身のパンクバンド」は、実際にはモンゴルのエルデネト出身。彼らの人格形成に強く影響したエルデネトにも行ってみたいが、彼らのルーツであるトゥバへ行ってみたい。
トゥバ共和国へ。
自分で書いた↑の文章読み返してみて、トゥバ人の運命って…..いつもこうなんだなぁ。て
支配するやつがロシアであろうと清であろうとモンゴルであろうとカナダであろうと、必ずいつも彼らには支配者が君臨する。そして奴らに人生が振り回される。
しかし、とても素晴らしいものを持っている。
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トゥバ共和国とは、ロシア連邦を構成する共和国の一つ。首都はクズル。公用語は*トゥバ語、ロシア語。
シベリア連邦管区、東シベリア経済地区。時間帯、クラスノヤルスク時間。アジアの中央に位置する。
トゥバ語 : ウラル・アルタイ語族-アルタイ諸語-*テュルク諸語-シベリア・テュルク語群-トゥバ語
ハカス語、アルタイ語、ショル語とともに、シベリア・テュルク語群に属する言語。ロシア・トゥバ共和国を中心にロシア・ブリヤート共和国、モンゴル国、中国・新疆ウイグル自治区などに住むトゥバ人の間で約30万人によって話されている。
テュルク諸語 : または突厥諸語(とっけつ)。トルコ系民族の言語。
この地域は、清代のタンヌ・ウリャンハイ。漢字表記:唐努烏梁海に相当する地域で、元滅亡後はオイラトのジュンガル・ホンタイジ国とホトゴイドのハルハのアルタン・ハン国に支配され、清国にも支配される複雑な歴史を送ってきた。
1839年になるとロシア帝国がこの地域に入植を開始しサヤン山脈に2つの金鉱山を開いた。それでも1911年の辛亥革命まで名目上は清の領土であったが、ロシア帝国のトゥバ人の分離主義運動を扇動しトゥバを形式的に独立させた。1914年ロシアの保護領とした。
1917年のロシア革命に伴う混乱はトゥバを再び独立させた。1921年にロシア共産党によって一般的にはタンヌ・トゥバと呼ばれているトゥバ人民共和国が建国された。
トゥバ人民共和国は、1944年にソ連に自治州として編入され、1961年10月には自治共和国に昇格した。
短い期間だけ、独立していた。
2022年ロシアのウクライナ侵攻が始まるとトゥバ共和国出身の兵士がウクライナに向かい、多くの負傷者、戦死者を出した。
中華民国は、現在でもトゥバが自治領であると主張しており、最近まで発行されていた官製の「中華民国全図」には、自国領として中華人民共和国の統治区域・モンゴル国などに加えトゥバが含まれていた。当時の地図では「唐努烏梁海」という表記であった。
<ウィキペディアより引用>
トゥバ共和国の情報だけ見ると、どんなところなのか全く解らない。インスタなどでトゥバ共和国の写真を見ると、風光明媚で素晴らしい。プーチン大統領のお気に入りの観光地という。
さぞかし素晴らしく、このような土地では美しい音楽が生まれるだろうと思われる。
しかし、ロシア人のインスタ文章などを見るとトゥバ共和国は牛が沢山いて、犯罪率がとても高い所だという意見や、治安がとても悪く、ロシア最凶だという意見もちらほらあるが、トゥバ共和国の首都クズルは安全で夜歩いても平気だという意見もある。
実際にはどうなんだろう?
トゥバ共和国について動画で見てみよう。
一部の物好き(?)にはユートピアのように言われている。
そしてホテルが異常に高い。フライトルートが限られている。モンゴル/トゥバの国境は外国人は通れないらしい。
行くとしたらロシアのシベリアの都市からの小型機の直行便しかない。
そもそもトゥバ共和国の地域はモンゴルの一部だった。モンゴルが清から独立した時、トゥバもモンゴルから出て行った。その理由が、モンゴル人とトゥバ人は言語系統が違うという事。言語系統によって自分たちはどこに所属しているか考える傾向がある。
動画ではモンゴル人とトゥバ人は顔つきが同じだと言っていますが、私の目から見れば、モンゴル人とトゥバ人の顔つきは違うように見える。
ロシア内ではチェチェン共和国とトゥバ共和国が一番の問題児らしい。
動画内で紹介されている動画↓
これを見て、トゥバ共和国の首都クズルはロシア最凶の都市だという事が確実になった。ひとことで言い表わすと、旅行者にとっては無防備なサファリ。街全体がスラムとか、そういうレベルではない!大変危険だ。
ロシアの地方の一部地域では、ゴミの散乱が激しい。どこかの市ではゴミの収集がされておらず、地域全体がゴミ、ゴミ、ゴミ!!
という記事をツイッターで見た。ゴミ溜めに群がる犬も🐕。あしやが言う「犬」が怖いというのはこの事なんだなぁ。
クズルもゴミの収集がされていない可能性が高い。
撮影者は2度襲われかけた。クズルは明らかにロシア最凶であるにも関わらず、在住のトゥバ人達はゴミを含めそれらが見えていないような対応。本当に安全なのか?とそこら辺の人に何度も訪ねるシーンがあるが、どの人も、子供でさえ、問題はないと否定している。
これにはかつてのソ連的要素を強く感じさせられる。自分は実際にソ連に行ったことはないが、本で読んだ内容でソ連はどこへ行ってもこんな風に目に見えているヤバい事を部外者には決して口外しないという傾向がある。と。部外者でない相手にも言わないという。
その理由を撮影者は、
ここの事を「ヤバい」と言ってしまって、クズル在住のヤバい人(ヤバい奴ばっか)に知られたら、どんな目に遭わされるか解らないという「圧」がかかっているのではないか?みたいな事を言ってた。なかなか闇が深い。。。
ゴミがそこら辺に散らかって廃材置き場になって石がゴロゴロしている公園などで子供がやたら健全に遊んでいる姿に闇を感じるというか、怖さを感じる。
トゥバ共和国について語るラジオ↓
チルギルチンというトゥバ民族音楽グループについて。
トゥバ人は世界で一番初めにトナカイの飼育に成功した民族である。
白黒写真だと、日本人とトゥバ人はそっくりに見えるらしい。
最後の一文、わかるー😆😆😆
なんか….分かる気がする。自分は日本に残る遊牧遺構を探していた事もあって….この一文は非常に感慨深い。自分の場合、馬ではなく、地域住民だが...
タンヌ・トゥバという独立国だった時に奇跡的に行けた人による紀行文。
ロシアに支配され、被差別部落のデカいのみたいな扱いをされた共和国だから、トゥバ共和国は荒廃してしまったのではないか?と思っていたが、どうやら100年前からロシアの廃村のようである….. 農業従事はせず(別の記事で書いた気がする一文)男は働かず、女は働き家の事など全てする….. それとは裏腹に、トゥバ人は誠実であり律儀であるという。
トゥバというのはロシア云々ではなく、元々そうであるのか??
遊牧民というのは、街などに無理矢理住まわせるとこうなる傾向なのか?
モンゴル・ウランバートルのゲル地区、金田地区、そしてトゥバ共和国首都クズル……
ウランバートルと金田の方は、まだ人民が商売をしたり、大都市で労働したりという意欲がある。
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話は最初に戻って
「自称カナダのパンクバンド」の、かなだに干渉された曲も本当に素晴らしいものだ。
かなだは歌い手兼リーダーが衰弱するほど、彼に完璧を求め追い込んだようである。リーダーは何かの曲で「自分はもう疲れた。1人でやりたい」という内容を歌っていた。
これでは酒の量も増えるはず。
元々アル中だったリーダーは、更に重篤化したのではないかと思わずにはいられない。
かなだは外ヅラは良いが完璧主義な為、扱いが困難だったのか、バンド初期メンバーはリーダー以外全員辞めている。
しかし非常にセンスが良く完璧なサウンドを紡がせていたようで、売れている曲は全て彼が関与している。かなだ入りの曲は聴いてて面白い。
人間を特定の国の名前で呼ばないこと。
「自称カナダ出身のパンクバンド」はトゥバ共和国ほど酷くはないのか、それと同等なのか。そういう環境で育まれたから、そうなってしまったというのが嫌でも分かる。
モンゴルにおけるトゥバ人部落で生まれ育ったのかも知れない。
モンゴルの底辺出身なのは間違いない。異民族集落というのはどこの国でも酷い。
金鎧部落(アルタン部落)を数度にわたり足を運んだが、全体的に荒れた村だった。人心荒く、そんなに遠くない過去、スラムの様相を呈していたというのがよく分かる。そしてインフラが整備されてなかったのではないかと思われる。正直言って、どうにもならないという感じだった。
それは日本におけるモンゴル人集落である。
結構、衝撃的だった。日本にこんな場所があるのがショックだった。更に東京近郊にあるのが….. 遊牧拠点集落跡地を探して、出会えたのが嬉しいと同時に、実際に向き合うとなんで日本なのに???と相入れない感情が湧く。
清掃工場を2基建設され(既存が1基。現在2基目を建設中)
将来的に2基稼働予定。
歴史的に古い集落という割には、道路や縁石やマンホール、ガードレール、ミラー等不自然に新しい。
電柱がない。バス通りなど見える所だけにはあるが、ぐちゃぐちゃに入り組んだ住宅区にはない。という事は近年整備され、地中に埋められている可能性がある。
市コミュニティープラザとは名ばかりで、単なるゴミ焼却場。それに付随するプール、植物園等人民に還元するモノはない。
リサイクルセンターもある。
川沿いの歩道の草が刈っていない為、階段を降りると背の高い草の為通行不能。草刈りは市の責任。他の地区は綺麗に草が刈られていた。
あるひとつの川側の河川敷、ゴミ、ゴミ、ゴミ。不法投棄の嵐。
川の中にガラス破片ばっかやたらと捨てられている。子供が遊べるほどの浅瀬である。
この集落もゴミ収集が行われていない可能性がある。ゴミ収集の曜日の紙が存在しない。ゴミ集積場も存在しない。自分で家庭ゴミを清掃工場に持ち込めという事だろう。
全く邪魔にならない所を歩いているのに、自家用車に執拗にクラクションを鳴らされ、煽られた。自家用車はこの集落の住民。若い女でも口調が荒い。公立の小中学校、幼稚園はない。その代わり児童館はある。子供はめちゃくちゃ遠い通学を強いられている。
無住職寺がある。後でネットで調べる🔍🔎と衝撃の事実。住職宅に放火され、住職と母親が焼死。犯人は古くから住む地元住民。そして現在無住職寺。この寺は檀家を多く抱える。歴史的人物の歴代の墓もある。結構由緒ある寺だ。
地元住民は、この住職に差別などをされていたのだろうか?
そこら辺の通行人も、すれ違う時、わざわざ避けているのにわざわざ寄って来てぶつかって聞こえるように舌打ちをする。
全体的に閉じた集落といった感じだ。
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話はモンゴル・エルデネトに戻す。
かなだ氏については完全な私観だが、エルデネトという土地柄カナダの採掘会社の従業員のご子息だと思う。他のメンバーよりは裕福だったのかも知れない。
貧困国と先進国の間には溝がある。
かなだ氏は、貧困国民を見下して、隷属させていたのかとわだかまりが残る。モヤるというか。
「自称カナダ出身のパンクバンド」は、西側に渡ったからこんな曲が書けるのだと思う。トゥバ共和国在住や、エルデネトのトゥバ人部落であれば、酷い真実は歌えない。
“自称カナダ出身”と称する闇は深い。欧米のアジアヘイトだけかと軽く考えていたがそれ以上に深い東側の闇を、これらのトゥバ共和国動画がその可能性を物語っている。
しかしこのパンクバンドはモンゴルの底辺の劣悪な環境下で、よくあれだけ美しい旋律の神曲が作れるのかとても不思議である。
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↓
それでもトゥバ共和国に行きたいかというと、躊躇する。
長文のご精読をありがとうございます。
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