強い奴にはよく向かって行ったが、弱いのには手を出したことはない。まさかまさか。極端に体格の差がある場合を除いて、ケンカの勝敗はやって見ないと分からない。しかも偶然の要素が支配する。近くに棒があった、高い位置にいた、逃げて大勢を振り切り勝てる相手を選んで血祭りにあげることができた。・・・という偶然。
1対1のケンカのときは周りは介入しなかった。これもウソ。少しでも形勢が悪くなった方(ほう)には、それまで中立を装っていた奴らが一斉に飛びかかり再起不能にし、学校でのケンカ序列を一つでもあげようとした。もちろん格段に弱い奴は、仕返しを恐れて手出しはしない。
男の子というのはほんとにバカだ。
負けられないのだ。決して負けられないのだ。負けた悔しさは、人生最大の再起のバネともなるが、たいてい一生を支配するとれない劣等感となる。一方、勝った優越感は負けた人が思うほど大きくない。僕は数学ではあまり負けなかったが、人が命がけでひがむほどの優越感は感じたことはない。
男は勝負する。負けたら一生負け犬であり子分になる宿命だ。僕は無謀にもその気概だけはあった。今もある。とくに、勝った奴から情けをかけられるくらいなら死んだ方がいい。この気合は多くの場合、僕を便所の団子虫になる危機から救った。
冷静になると、そんなに誰でも彼でも勝者になれるはずはない。それぐらい分かる。だが、勝負を避けろということは、 ぼくにチョウセンチビクロゴミムシモドキになれということだ。
僕はチョウセンではない。
高校の頃、50に二人乗りして坂道の下を走っていた。上から白バイがガンをつけた。直線を逃げてもすぐ捕まるので人しか通れない急なところ(バイクはふたりで担ぎあげ)とか住宅地の直角カーブの連続を狙い振り切ろうとした。
そんなことをするのを何と言うか。バカという。だがやっぱりここでも負けられない。頭脳を使えば必ず道はある。死中に活を見出す美学は、僕をとても悪くした。
万事休すと思った瞬間、右折した僕らを見落としたのか、白バイは直進した。そこで申し訳なかったが尊い勝負の途中だ。住民には我慢してもらって、バイクを抱え庭をのりこえ逃げた。どうだ。どんなに白バイが上手でも、白バイを抱えて庭を乗り越えることはできんだろう。
僕らの勝ちだ。さらに都合がいいことにガレージがあった。僕らはバイクをガレージの中に入れるとシャッターを下ろす。暗闇の中で息を殺した。
20分後。前で大型バイクの止まる音がした。ノック。ここで僕の友人が返事。「ハイ。」 げにバカとは恐ろしい。友達は選ぶべきだ。
白バイはぼくのバイクのエンジンが熱いのを確認すると僕に手錠をかけた。
それでも勝負をしてよかったと思っている。負けてもいいから勝負をすべきだという信念はバイクがはぐくんでくれた。