か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

問診一日20万円。コロナ様ありがとう。

2021年06月21日 | 日常
と言いながら接種会場に行く医師は、たいてい町医者で感染症については基礎しか知らず、そこらのペテン獣医師と同じレベル。

ふつうのボランティアに講習をして駅のコンコースで打ってる国もある。

日本は書類が4枚も5枚もあり不要な市長の挨拶に一枚使っている。


専門性だのなんだのはごまかしだ。医師免許は一度とると死ぬまで有効だ。

異常だ。そこらの学校の先生の免許は3年おきに更新しなければならずそのための費用も自費であり役に立たないことをだらだら聞く我慢大会だ。暗記がたりないと試験に落ちる。教えることはできなくなる。


低能がとってつけたような言い訳をする。「教育は国の根本ですから未来を担う子供たちのための仕事は尊い仕事で間違いがあってはいけません、ですから先生方にも指導力を確保するための研修を受けてもらいます。



一方でコロナ問診は、交通費も宿泊費も食費も出る。注射は歯科医や看護婦に任せ、30人ぐらい計一時間も面接問診すれば20万か。ぼったくりだ。


バカな国民だ。頭が悪いのでもっと稼いでいるやつもいるとかいうが、それがなんだ。

バカにわかりゃすくいうともどかしくて頭が変になりそうだ。今何の話をしているか。労働とその対価がかけ離れているのが異常だといい、唯々諾々としたがう国民も相当の低能だということ。

裏通りでカツアゲをして5万取ったら刑務所で、問診を特権的に独占し椅子に座って小声で大丈夫でしょうというだけに20万か。


おまいらはそれほど勉強してない。町医者は銭を稼ぐのにその能力のすべてを使い、いかに治療が必要か老人をだますことに頭を使う。地方をだまして銭を取る。

やくざ詐欺団と同じことをしている。


看護婦の時給と10倍の開きがあるとき人間としての良心の痛みを感じないか。



それでもその20万話を断る医者が多い。自分の病院を休院にしてまで行ったとき、損得勘定が合わないからだ。

バカのくせに親の金で原付免許程度の医師免許を取り一生それに頼りカルテを独占し失敗しても裁判所は守ってくれる。



こんな「医は算術」の国は亡びる。中村哲ちゃんが泣いているぞ。

僕の授業を受けて医者になったものは多いし、僕自身が高校のときのクラスからはほとんどが医者になった。

僕はそんなことではいけないと血を吐いて授業をしたはずだ。みんな感動して医者になり、あげくその気持ちが続いたのは3年間だ。


天神でぼくの顔を正視したら殴るから。

ウソはしきりと絶叫する 80

2021年06月20日 | 韓国
<前回のつづき>

……万一ロシアの協力を得て政局をひっくり返した場合、我が国の官僚と庶民は日本を推し立てたようにロシアの命令に従ったとしよう。ロシア公使は喜びその姿勢を受け入れて兵力を派遣して仁川からソウルに進駐した、

ということになっていたことだろう。これは「 倭館播遷」(高宗がロシア公館に一年間身を潜めたこと)以前、朝野を問わず朝鮮人は日本を友にしようという流れだった。それほど日本に対する世論はよかったということだ。したがって、日清戦争以後日本に反対する抵抗というものはほとんど見れられなかったということ。大韓民国政府がいかに歴史を歪曲して学生たちを洗脳をしようと尽力しているのかがわかる。


二番目の歪曲は、乙巳義兵が明成皇后(閔妃)殺害事件と断髪令を契機に起こったとした部分だ。乙巳義兵は閔妃殺害事件とは何の関係もなく、断髪令に抵抗して起こった暴動だとみなければならない。閔妃死亡後、高宗は迅速に閔妃の地位を消し、1895年8月22日に証書を通じこれまで閔妃に対し自分自身をはじめ王室と政府がいかに怯えていたか、いかに大きい苦痛であったかを対内外に公表した。


「朕が臨御(隣席)して以来32年が過ぎようかというところ治下(政治)がうまく行かなかったのは閔氏が親せきを引き入れ彼らを左右に置き朕の耳目をふさぎ人命(人々)を迫害し政令(政治)を乱し官職を売買したからであった。閔妃による虐待は空をつくほどで四方には盗賊が横行し朝舎(政府)は危険なほど傾き平穏に暮らすことはできなかった。朕が閔妃の極悪無道な事実を知っていながらも罰することができなかったのは自分の不明といたすところであるがその一団が怖くてこうなって(暗殺して)しまったのだ……閔妃の悪事は実に天地にあふれ二度と宗廟(歴代王朝の墓)を継承させるわけにはいかないのでわが王家の故事に倣い彼ら西人(党争の一派)を廃するところである。」と述べた。

これに対し黄炫は「この朝書が実は高宗の意見から出たものではなかったが、当時の人々は事実を記録したものだと考えた。」と述べている。すなはち、たとえ高宗が出した(閔妃の)廃所という内容の朝書が高宗の直接の作成ではないとしてもそれは真実を述べるものだと当時認められていたという意味だ。このことは閔妃殺害をすべての朝鮮人たちが喜んだということを述べているものだ。


このように乙巳事変と呼ばれる1895年の小さい反乱は日本とか閔妃殺害とは何の関連もないものである。ただ当時、キムホンジプ政府によって強制的に実施されていた断髪令に逆らうための武装蜂起であったのみである。状況がこうなのに韓国政府はあたかも乙巳義兵が日本の支配に抵抗し閔妃殺害に抗議するための朝鮮民衆が抗議するため自発的におこした反日義挙であるかのように描写されているのである。


閔妃と親露派を除去した朝鮮の革命勢力は挫折した改革方針を再び進めるためにこれを乙巳改革だとした。その過程でキムホンジプ政府は、サントウ(既婚男子の髷)を切る断髪令を強制的に推進した。当時の朝鮮社会では儒教の教えに従い髪の毛を切ることはタブーとされていたので首を切り自決するものが多かった。それほど抵抗が強かったのだ。その教えというものは「小学 孝行編」でてくる「身体髪膚受之父母 」(身体髪膚これ父母にうく あえて傷つけざるは孝のはじめなり)である。この断髪令騒動で儒学生たちは自分の首を切ることはできてもサントウを切ることはできないと抵抗したがサントウを切られたののでのどをからし慟哭した。結局多くの人が父母に詫び自決もした。


このとき断髪令に抵抗し始まった暴動に対し国史(教科書)は乙巳義兵と称している。彼らは反動暴動だとはいえるかもしれないが、義兵というには適切な呼び方ではないと思う。当時朝鮮人たちは閔妃と閔一族を憎悪していたので閔妃殺害には歓迎する雰囲気が一般的だった。断髪令に抵抗する暴動をして「明成皇后と断髪令を契機として」発生した「抗日義兵」にまつり上げるとはとんでもないことだ。




<次回用メモ> (2-2.31 운동과유관순) から

たくましい「ビビ」

2021年06月03日 | 
車庫の奥で猫が子を産んだ。半年前。だが生まれた子供は次々に姿を消した。

母猫は子供をスパルタで育てた。乳を吸えない子供は無視したが、人に聞くとそんなもんだそうだ。

野生は厳しい。見込みないのを育てても無駄だ・・・。なんて言ってはみても、赤ちゃん猫が次々死ぬかカラスのえさになるのを見ると、なんともモヤモヤ感が残る。

まさに、「情に掉させば流される」。


かくしてビビはうちに来た。この写真は少したって離乳食が始まったころ。



そのビビも半年たつと、タマが大きくなってきた。ので、
同性として同情する。タイトル画像は手術頑張ったご褒美。

猫を飼うと感情を後回しにすることが多い。今回の去勢しかり、毎日の猫部屋の掃除とか、ウンチ、抜け毛・・・。猫の世話はモヤモヤ感に満ちている。

目下の課題は教育だ。

僕はビビにコミニュケーション社会学の講義をしている。だいぶわかっていて、食事のときは座るとか、遊びたいときは道具をくわえて来て僕の前でうしろ足で立つとか、だいぶいろんなことができるようになった。

そうするうちに自発的な思考をするようになった。

せっかく僕が作った段ボール製のビビハウスを食いちぎった。僕は、またまたモヤモヤしたのだ。しかし、よく見ると段ボールをむやみに食いちぎっているのではない。
自分のケージの上でお昼寝するビビ。

ビビは自分のお家をリフォームしているのだ。側面にも出入り口を作ってしまった。


実のところは、そう考えることにしようと達観した。


僕が中学生のころ、クラスにすさまじい音痴がいた。ぼくらは面白いのでよくからかっていじめていた。音楽の先生はそれを見て、こういった。



おまいら何を根拠に音が外れたというのか。彼はおまいらより素晴らしいのだ。なぜなら彼は作曲をしているから。

おまいらは元歌通りにしか歌えんだろ。



なるほど、物は考えようだ。


だからビビもリフォームをしている、と。


一方、もう一匹のカラシは、若干すねている。