か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する   40

2018年03月20日 | 韓国

⒈ どう考えたらよいか?  「青年よ、古びた歴史観を捨てろ」

(前回のつづき)

反面、今日の韓国人は自由民主主義の時代に住んでいる。ここでは市民が国家と社会の主人公だ。国家は社会から派生した二次的な存在に過ぎない。その国家を気に入らないなら移民することもできる。建国以来今日まで、このように移民した国民は全国民の1/10にはなるであろう。彼らが残した親せきや親しい知り合いに聞くと1/3が脱出をして世界人として生きているといっても過言ではない。そんな時代に住む現代人は歴史意識としてまた政治哲学において自由で自律的な文明人だ。

住民の集団的な記憶を変なプライドと愚民の意地での編み上げたものが前近代の歴史学だ。現代の文明人は一切このような前近代の集団記憶からおのずと自由であらねばならない。


国家とは何か?国家は互いに異なる利害関係を持つさまざまの人間集団を、一つの安定的な秩序体に統合する政治的メカニズムだ。つまり国家はそれが政治的に統合している人間と社会の文明水準を代弁する象徴だ。ゆえに国家が滅ぶということは一つの時代の文明が失敗したことを意味する。1905年、朝鮮王朝の滅亡もつまりは同様の視覚からとらえられるべきである。どうして極めて重たい歴史的意義を、ずるがしこい日本がやってきたからとか少数の売国奴が蠢動したせいなのだと矮小化してしまうのか?


逆説的にも1905年朝鮮王朝の滅亡はその王朝に政治的に統合された人間集団が、同時に特別に政治的選択の責任を負った指導階層が、何をどのように間違えたら国家を滅ぼしてしまうことがありうるのかを彼らの子孫に伝えているという点では今日の韓国人にとって実に重要な歴史的事件だ。再論するが、精神的に自由であり自律的な現代文明人としてその時代のその事件を冷静に客観化し、そうすることにより先進社会と国家を建設するための教訓を新たな歴史意識として導き出す必要がある。


出処   時代朝鮮 2005秋、冬号 通巻30号


次回用メモ 22  Ⅱ. 도덕적 세계관, 잘못된 일본관  “청년들이여, 낡은 역사관을 버려라”  から  

どうでもいい事実で韓国観を固定してしまうのは本人がバカだからである。上記の訳はほとんどソウル大の先生たちの論文抜粋だ。(からけん訳)

どの国も低能の愛国心は偏狭で馬鹿の一つ覚えが多くその国の邪魔になっている。

次回 4月20日



Schrödingers Katze(シュレディンガーの猫) 2

2018年03月17日 | 学問

まず、のあるを用意して、この中にを一匹入れる。箱の中には猫の他に、放射性物質ラジウムを一定量と、ガイガーカウンターを1台、青酸ガスの発生装置を1台入れておく。もし、箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これをガイガーカウンターが感知して、その先についた青酸ガスの発生装置が作動し、青酸ガスを吸った猫はぬ。しかし、ラジウムからアルファ粒子が出なければ、青酸ガスの発生装置は作動せず、猫は生き残る。一定時間経過後、果たして猫は生きているか死んでいるか。                         WIKI

前回は二重スリット問題を扱った。関係ないようで実はこのスリット問題は、ほとんど同一の問題である。あえて言うとスリット問題は実験物理の世界で実証が可能だ。

生きていく上で、街を歩くスリットはなるべく深い方がより楽しいがここでは原子一個がやっと入る大きさである。銃弾は二個の穴(スリット)のどちらかを通ったのだろうが特定できない。なぜなら一個の原子という銃弾が干渉渦を作るのだ。

物と位置、時間と場所。異なるものが同じ仲間でその境目は、あいまいであることって楽しくないかい。

一個で干渉を起こすなんて興味の湧く世界だ。子供達は実に優れた発想をし質問も的確だ。だが楽しければそれでいいという貧乏でバカにはなんちゃって教育が待っているのが日本だ。

点数に測れないことの存在を認めないのが日本の学校だ。

AIもロボットも宇宙も何かしら花形の理系分野でさえ、子供のころは入試勉強ばかりだったからねじ一つ閉められないのが工学部にいる。いま日本のロボットは世界の笑いものになっている。

中国人が言った。日本のロボットは面白くない。今度の学生世界大会では日本は一昨年の30位をとれない。実に面白くないロボットでつぎはぎだ。指導したくない学生たちだ。

 

不思議なことに、日本では興味を抱いて謎を解こうとするひたむきな努力は報われない。なんせ楽しければそれでいいのだからだ。それでいいのはあきらめた貧乏人だけだ。

理系少年よ、すべてに対しなぜかと考えろ。考える喜びが分かるのはいま日本では絶滅危惧種になった。

 

スリット。穴を通ったのか。同じ問題だろ。猫は生きているか。学校はその猫について夜通し議論する機会を奪いペットショップでかわいいかわいいといいつつ動物虐待に加担するのが良い子らしい。これじゃあバカも増えるな。

猫。死んでいて同時に生きていることはない。同時に両方存在するという人がいるが薬でもやってるのだ。

ふたを開けるときにのみ結果を知るという仮定だから猫は生きているときもあれば死んでいるときもある。実験回数を増やせば結果は確率上1/2に近づく。

あほな人はふたを開けるとき、あるいは開けない、あるいはいつ開けるかによって結論に影響されるから人為の排除は不可能だといった。結果がどちらかに偏るという人もいる。

 

違う。実際のこのような実験装置ができるはずない。すべて論理実験として頭の中で論理を組み立てねばならぬ。「神はサイコロを振らない。」。


Schrödingers Katze(シュレディンガーの猫)

2018年03月15日 | 学問
こういうことを仮定してみたらどうだろう。(double slit exam.)
 

① 絶対に銃弾を通さない鋼鉄の板に、その銃弾がぎりぎり通る近接した二つの穴が開いている。

② 的はこの鋼鉄に邪魔されて見えない。

③ ということは右の穴をねらっても左の穴を狙っても弾が的に届くことはない。

④ 弾は穴を通り抜けるとき進路に変化を起こすことはない。

 

さて弾が的(まと)に当たることはない、かな。この実験装置を同じ比率で大きくしても小さくしても結論に影響ない。的に変化はない。

ここで弾も多数の場合、ちゃんと穴をねらったのだからそれぞれ銃身の延長線上に弾痕は集中し的(まと)は健在なはずだ。

ところがどっこい、100億分の1の小さな銃がもしあったとしたら穴を通過後弾はあちこちに振られ池に石を投げ入れたような波紋が弾痕として広がる。摩擦とか引力とかは無視して考える。ななかにはなんと的に命中する奴が出てくる。

それどころか、なんと一発しか撃たなかったとしても命中する。近接した二つの穴のどちらを通ったかは分からない。ということが起こる。

飛行機で考える。なぜ500トンの飛行機が浮くか。時速80キロを超えると状況は変化する。空気はとてもドロドロした水あめのようになり翼は恐ろしい揚力を発生する。

空気中で手のひらを斜めにして手を振っても何の抵抗も感じないがそれを水あめの中でやったらどうだろう。空気は水あめになる。

世界が小さくなったり大きくなったり速くなったりすると、今の世界とは全然違う世界が広がる。

 

先ほどの銃の話。原子一発を撃てるほど小さい世界なら(100億分の1は大体その程度)、弾は的に当たる。

 

僕らの世界をずっと小さくするととても不思議で興味深い世界がある。一発の弾丸が絶対通らない鉄の壁をすり抜け、的に当たることがある。弾の位置はあいまいになり、ちゃっかり的に当たっていたりする。同時に外れた形跡も残す。

 

人は頭を使わないとどうでもいいことにこだわりだす。僕には頭があってよかった。皆さんもそうですね。

長くなるのでシュレディンガーは明日(風邪をひいたので回復してから)。方程式のほうはしません。

 


Sidewise in Time(もう一つの世界)

2018年03月13日 | 思想

時間というものは決まった一本の流れをしていて分かれて別の世界を作るでもなく、その流れのスピードも一定である。するとBig bangにより時間と質量が誕生したとすれば、時間はくそまじめに一本道を通ってきた。正確な懐中時計を片手に時間は寄り道もせず今に至っている。

と考えるのが通常だった。

パラレルワールドの話をしたいのだ。

自然科学にも栄枯盛衰がある。真理に向かって一直線とはいかない。科学は真理を目指すものではない。説明力の合理性を目指している。科学への勝手な理解は無駄な誤解を生む。

上で述べたように科学は説明学であるから時代が進むと説明のつくことも増えるがそれ以上に説明のつかないことも増える。パラレルワールドなんてあるもんか、という考えが主流になったり、また別の考えがはやる。 ふたたび、いやいや一概には否定できんぞという時代がきたりする。

今まさにひょっとしてあるかもと考える理論物理学者が増えている。

普通に考えて、陽子が多すぎる。反陽子は極めてまれだ。Big Bangを疑うとおおもとが崩れ収拾がつかなくなるし、多くのことが膨張する宇宙の根拠にBig Bangを置くことで説明がついてきた。

ので、それに沿って考えると、力の一つに電磁気力があるが必ず正と反は同数である。(宇宙の電位は0に違いない)力はそれぞれ方程式を持つが、時間はそれほど独立した尺度ではない。時間を測る時間はない。Big Bang以前は計算上時間はなかったことになる。

ヒッグスのように時間の粒子があったらどうだろう。あるいはむしろ、時間が一つだけ誕生したとする方に無理がある。空間と独立しているとも言えない。我々は空間のゆがみや消滅を観測した。どうして時間にそれがないといえるか。

普通に計算すると陽子と反陽子は電磁気力という違いだけなのだから同数でなければ計算がどんどんいびつになり現実的でない。じゃあ、反陽子はどこへ行ったのだ。

それら反陽子とか反電子とか電荷のみが異なる世界を考えるとか、この世と全く変わらぬ世界が別にもう一つ成立していてもいいし、そう考えるのがよく説明がつく。

僕は時間が分かれたという点は賛成だが何も二つに限ることはないと思う。それどころか無限の世界があり集合離散を繰り返しているし、この世なんてほぼ無限、無数の世界のほんの一断面に過ぎないと思う。とっくの昔に僕の考えをした人はいた。100年前。

 

言いたいのはこうだ。

宇宙のどこかにもう一人の僕がいるなんて、なんてロマンチックだろう。

どんな人もたいていなりたい自分になった人はいない。東大の問題を見て愕然とし己の無能を嘆き3流大を出てしがない中小企業で残業にあえいでいる。

もう少し恵まれた高校に言っていたら。もう少し勉強に理解のある家庭だったら。僕の宇宙科学者になりたいという小学校の時の夢は実現したのに。

場末の屋台で飲んだくれて、俺はほんとはこんなところにいる人間じゃないんだとわめくか。

 

パラレルワールドのもう一つの世界の自分が俺を見たらバカにするだろう。・・・か。

いいや、決してそんなことはない。道があったのにわざわざ選ばなかったことがあるか。運がなかったことまで自分のせいにしてはいけない。自分以外の理由で夢がかなわなかったとしても、そのことで自分を恥じてはいけない。

もう一人の自分は褒めてくれるよ。


多次元世界の存在を主張したホーキング博士の御冥福を祈ります。


象と象牙

2018年03月12日 | 趣味

人には収集癖があり、いったん集めだすと加速度がつき善悪の判断もしなくなる。

象と象牙は主に日本に輸出された。当然、革は財布になることもあり象牙は主として印鑑になった。田舎の床の間の置物にこれ見よがしの繊細な彫刻を施され鎮座した。

密猟者を責める前に先進国の理性が愚かな殺戮をやめさせるべきだった。

日本以外の先進国では、絶滅危惧種の革を持つことを最も教養がない行為だとして軽蔑される。にわか成金はどこにもいて貂や鰐によだれを垂らす。

こういうご時世になるとは知らず象の財布と象牙を買った。30年前。毎日使って金の刻印がはげないのだ。

この手触りは暗闇で財布を出すとき分かる。いつの間にか僕の指が記憶している。しっとりとして摩擦があり、強い。縫製がよく一度も切れたことはない。

「あ、財布新しくしたね。」といわれるとき得も言われぬ幸福感がする。

「うん、まあね。」

三越さんありがとう。


殺すなら生むなよ

2018年03月08日 | 故人

たしかに街を歩いていると、どうしてこんなに醜いのに育てるんだろうと思うものを見るときがある。

僕の場合は客観的にかわいい赤ちゃんだったので、人生を生きるにあたり多くの妨害があったが命がけで育てた。社会の様々なものは、子育てを邪魔しようにかかっている。

そればかりか時として子供からもモヤモヤッ、イラっとするものを感じるときはある。

布団におしっこをされて常に笑顔の人は神だ。食事の時、目の前でドバっと吐かれて平気な人は何かがおかしい人だ。

だけどその何千倍も素敵なことがあるじゃないか。明日、はや出なのにわざとのように夜泣きをするが、悪いのは赤ちゃんじゃなくてそんなときまで仕事をさせる社会のシステムにある。

日本がいくら貧乏国に転落しつつあるといっても企業の内部留保は史上最高だ。シリアやソマリアではなく日本での話が当然の前提だ。

 

国は労働者に無理なことを言って、それができないと人間失格のように思いこませる。すると負けたくない人は異常にがんばる。だんだんエスカレートして子供を殺しても会社に行こうとする人が出てくる。人間が人間の作ったルールに苦しんでどうする。幻の目標に走るのはバカげている。

そしてその人は低賃金だ。そしてその人は休んでも大勢(たいせい)に影響のない仕事をしている。そしてその人の心はできなかったこと負けたこと悔しかったことで詰まっている。

国は言う。カネは出さんぞ年休も与えんぞ、だが少子化だから子供を産め、保育園は高いぞ入れんぞ手当は出さんぞ子供は育てろ女も働け。

こんなこと神でも無理だ。

 

低能がイラっとしてわが子を殺すなんてひどい話だ。人間社会には必要ない人だ。

だが僕らは檻の外から猿のけんかを眺めているのではない。当事者なのだ。子育てを妨害しているものはなにか、それをいかに取り除くか考える責務があると思う。

こんないい青年になる権利があったのに

 

もともとは、世の中に子育てほど楽しいものはないじゃないか。僕は子供から親にしてもらった。親こそ子供に恩を感じるべきだ。それを殺すなんて。僕は人殺しの国に住んでいる。一番殺してはならない人を殺す人は、この世にいてはいけない。