<前回のつづき>
5. 結論
殖民地近代化批判論が提起している殖民地近代化論の資本主義的偏向と植民地資本主義の反民族性は、しかしながら植民地近代化論に対する正面からの対応であるとは言えない。なぜなら植民地近代化論はその姿勢において資本主義の絶対性を主張する論理ではなく、日帝時代に韓国で資本主義の発達があったと主張するまでだ。それが果たして民族主体的であったのか、親日指向的であったのかということは一次的関心事ではない。また植民地時代は資本主義発展以外の代案としての社会目標を等閑視したなどという主張は、植民地下で韓国が資本主義的発展自体は経験したという事実を自ら認める結果になる。この場合、より生産的な批判はキムドンノが提起しているように日帝時代の量的経済成長を認めるなかで、ただそれがすべての階級で同時にあらわれた現象ではなくて地主と資本家階級においておこった経済水準の上昇の結果であると解釈するのがより妥当であるといえる。
二番目に、植民地近代化論を批判する論者たちは植民地の全期間にわたっての推定国内総生産額550億余円の80%以上が日帝に輸出されたか破壊されたと主張するが、日帝時代年平均3.7%.の経済成長を成し遂げた環境においてこのような事実が発生したとは納得しがたい。経済学的に見るとこれは一つの魔術のような出来事だ。資本主義が労働者たちの剰余価値を残すことなく搾取するというマルクスも搾取率50%程度に見るのに、万が一日帝の搾取率が80%であったなら朝鮮人はすべて飢えて死に絶えていたはずだ。また、植民地近代化論批判者たちが提起している一人当たりのコメ消費量を見ると日帝時代は平均0.58石水準前後を比較的安定して維持していることがわかるし、日帝時代後半にはむしろコメ消費量が若干増加している事実も現れる。
三番目に、植民地近代化批判論が植民地近代化論の登場を社会主義の没落と資本主義体制の世界体制完成、南北朝鮮の体制間の競争で韓国の勝利と韓国式発展路線の正当化、世界化国際化時代の進展、そして日本の域内覇権主義復活と結びつけるのは陰謀説に近い憶測に見える。ところが植民地近代化批判論もおのずとそれに似た疑いから決して無関係でいることはできない。自らの主張と異なる立場を政治的な意味で評価する発想それ自体がまた一つの政治的行為に過ぎないからだ。殖民地近代化批判論が現在攻撃している殖民地近代化論は実体ではなく自らによって再解釈された幻に近いものだ。
最後に植民地時代の経済成長と1960年代以降の経済発展の不連続性を主張する植民地近代化批判論はもまた論理的根拠が脆弱なようである。まず、植民地近代化論の立場は植民地時代を戦後韓国資本主義の発展の起源であると理解するものであり原因であると理解するものではない。文字通り起源というのは「発生した最初の形態」もしくは「あるものを発生させる根源」を意味するものであり、原因というものは因果関係があり結果の反対だ。したがって植民地近代化論の立場は万が一その経験がなかったら1960年代以降の産業化が不可能であったというのでは決してない。ただ、韓国資本主義が1960年代以降に最初に発現したのではなく類似した経験が植民地時代に存在していたのであり、ほかの第三世界の国家との比較史的観点から見るとき韓国の場合には植民地統治の遺産という特殊な条件が備わっていたことを指摘しているだけだ。歴史を学ぶものに起源論的接近から脱皮せよというのは、固有の学問の任務を忘れろと言っていることだ。
<次回用メモ> 서울대교수 정 상인 5.결론 일제시대 한국의 자본주의적 전환から