福岡県は、福岡と北九州市を両端にしてぐっと北にせり出している。福岡の物資の80%は北九州市から運ばれる。陸路高速や3号線を使って持ち込まれるので、そのせり出し部分はほとんど交通がない。
つまり、ドライブには最高だ。残念なことに統一性のないモーテルが乱立しきわめて美観を損ねている。メゾネット風、ギリシャロードスのまばゆい白壁、腐れたロッジ風でいかにも安そうなもの。・・・
ま、人間もいろいろだからそのいろんな需要にこたえて金儲けをするのが資本主義だ。穴があれば何でもいい奴。うちのヤギを貸すのにな。でも、安普請で自分の家でもそうだろうが隣の声を聞きながらヤルのになれているか。僕はいやだな。
小さい頃からモノの価値を教える人に恵まれないと、何が価値あるものかを見極める審美眼が育たない。宗像市は相当バカだな。どうして白砂青松の松林を下品なモーテルの変えたがるんだろう。
海岸にハングルや中国語の洗剤の容器が増えた。それも美観を損なうが、ボランティアと称してガキをだましてただ働きをさせることには熱心だが、廃墟のような不恰好なモーテルは撤去しようとかならないな。
旅館料亭「魚屋(うおや)」はいいぞ。海岸に接しておりいつでも海岸を散策できる。伊能忠敬。彼も岬を回り測量しただろうからなるほどここに泊まったようだ。山頭火。彼は、カネを払ったかわからない。僕の家にとっては、タダ飯を食って罪滅ぼしに掃除をして消える人だったそうだ。
(別館の玄関)
いやいや、批判しすぎると自分がやけどをする。世の中はそうできている。大体物事は、わかったときはもう遅い。世の中で一番邪魔くさいモノが親だったはずが、孝行しようかと思うときにはもう遅い。などなど。
本館に行った。食べているとき、聞こえてくるのは波の音だけだった。ここのトンビはずうずうしくて人の手からエサをもらう。甘やかすとだめになる。厳しくすると反抗する。人間も同じだ。
(部屋から撮った 大島などが見える)
ここの仲居さんたちはすばらしい。まかせます、というと絶妙のタイミングで運んでくれた。僕は内縁の妹と来ていたが、目線のそらし具合が絶妙だ。
ガキが走り回り、チョコレートタワーがあり、綿菓子まである、寿司とJ-POPが共存する、やかましく狂乱する100円寿司とは対極にある。いやいや、僕は軽蔑して行かないことになっているから詳しく書くと矛盾を突かれるな。アウトレットと三越の違いだ。
もちろんカネは取る。しかし貧乏な僕にすら妥当に思えた。まだ鰺(アジ)が動いていた。きわめて小さい声で話せる。これがくせとなり金持ちの声は小さくなる。貧乏その逆。
いつものようにうとうとして、妹と称する人は膝枕を断り、数式の続きを考えたりほかのことを考えたり、・・・ 僕の幸せな時が過ぎた。
(貧乏根性が出ていつも食いすぎる)
変色してところどころフセがあたっている畳。何十年もかわらない置物。昭和どころか大正の香りがする。それはすばらしいことだ。料理を見れは職人の腕は明白だ。速さ。三枚おろしの向こうが透けて見える。
タイタニック号の最高の部屋が500ドルだったとき、最も安い料金は4ドルだった。
うらみねたみやっかみそねみ、はたまた、イソップのすっぱい葡萄のようにこう叫ぶのか。狐いわく、「俺は葡萄なんて食いたくなかったもん、どうせあの葡萄はすっぱいさ。」
それじゃあいかん。理由のない偶然によってもたらされるもの、裏切りやインチキによって手に入れたもの、そんなことで金持ちのフリができる社会はたしかにおかしい。だがしかし、イソップの狐のように自分の貧しくぐうたらな生活の正当化に使ってもまたいかんのだ。