か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

韓国人はそこまで馬鹿じゃない

2017年01月31日 | 韓国

一つの事実を示すが、本来事実はさほど重要ではない。事実の集合離散が法則を生む。法則は集合離散して思想を生む。同様に思想は文化を生んでいく。

なぜならA=Bという事実をいくら集めても、アホの暇つぶしだ。同種のものを集め憤慨してもそこにとどまる限りその人の思考の発展はない。50度のお湯に50度のお湯を何度継ぎ足しても50度なのである。

しかも。国家間の問題がこじれると、両国とも事実自体に誤謬が増える。ひどいのになると自分のバカを棚に上げぬけぬけと一人前のつもりで言葉遊びをして相手を茶化しマスをかいている。まるでサルにマスを教えたようだ。とどまるところを知らない。


福島瑞穂は朝鮮人だ、言うに事欠いてからけんも朝鮮人だ、と。僕は国家公務員でしたけど。何かお間違いなさってませんか。国家公務員には厳しい国籍条項があります。すさまじい内偵もあります。お間違えなきよう。

ここまで手取り足取り言っては失礼だが、科学はおよそ確からしいものを一応の仮説に基づいて推論をし、さらに普遍的な上位の仮説に至る。これで出来上がりとはならず反論が出て修正されていく。

この手順を熱情に任せ無理に都合よく捻じ曲げ結論にしがみつく人たちにあてはまるのは、ほとんどの韓国人が該当し先ほど述べた議論のできないぐうたら日本人も。

この人たちはガセネタに飛びつき絶叫する。日本人カネ出せ、朝鮮人帰れ。例レレオーネ


韓国に出したいろんな郵便がついていないようなので、日本側に落ち度がないことを確かめに行った。何を勘違いしたのかヒステリー女局員は、日本の郵便は世界一です、と言った。

めんどくさい奴だ。僕は日本が世界何位かを糾すために郵便局に行ったのではない。

誰もそこらの末端職員を責めたりしていないのに、自己防衛に必死だ。こういうやつは、コネ入社とかろくに仕事ができないとか、とにかくヒガむ力は馬鹿の活力だ。

僕も日本側に問題があるとは思っていないが、話を確実にするためにはっきりさせに行ったのだ。

最初に書いたように事実であれば何でも言ってよいとは限らぬ。低能のヒステリーは長引く。

僕もさもありなんという気もするが、確かめられないうちは絶対言ってはいけないことを彼女は公然と言った。民団が知れば即座に懲戒免職だ。

「面白そうなものがあると封を開いて着服する人がそちらの国では、いるそうです。また珍しい切手とか切り取ったりして。」と言った。

嘘くさい。コソ泥郵便局員が切手収集とはなかなかかわいい。

田舎の特定郵便局に外国郵便は多くない。書き留めでもないのに補償しろとは言ってない。諸般の証拠から到着の事実を証明しろといった。でないと韓国人から僕はうそつき扱いされる。

ほらやっぱり日本人が嘘ついた、と。


おっと、こうして危うく貧乏人特有のトラブルに巻き込まれ低能と同レベルになるところだった。

結論

両国とも下賤の民は同程度の知能だ。

 

 

 

 

 


去香港旅遊吧 ! 九龍城

2017年01月24日 | 東洋歴史

怖いもの見たさで行動すると大けがをする。

それはわかっていたが、自分の実力を確かめたくてついに香港における最終目的にチャレンジすることにした。しかし、確かめるまでもなく相手は黒社会の本物だ。本格的ケンカになる前に走って逃げる覚悟だった。

近寄ったら刺すに決まっているから、その限界まで近寄りハウルの動く城みたいな数万人がうごめく中華人民共和国の飛び地を探検しようとした。飛び地というだけでなんか怪しさを感じることが多い。

九龍城の成立は、返還はるか昔、アロー号戦争にさかのぼる。だんだん英国に押され領地を喪失していく清国は、ついには辛亥革命で命脈を断つわけだ。清に変わった国民党も、支配力は清の領地の1/10にも満たない弱小軍だった。ので国民党の実力では九龍城地域を奪還できないからといっても、英国側も戦略上価値のない九龍城はそのまま泳がせた。そこで広大な飛び地ではあるがどこの飛び地かわからない、誰の支配が及ぶかもわからない無法地帯が成立した。

僕はなぜそんな警官も入れない無法地帯に行こうとしたのか。以前通りかかったときに中国服の姑娘が僕に手招きをしたからだ。スケベは時として命とりになる。

再び行ったときは姑娘(中国娘)はいなかったが中に入ってみた。なんかそこいらの小物が出て行けという動作をしたが、連れて行った奴(日本人)は体も大きくケンカが強い。ただし走るのは僕が早い。したがって僕は必ず助かる。

非友好的な雰囲気の中、アヘンのにおいで倒れそうになりながら、ほうほうの体で逃げ帰った。内部に侵入した気合の入った日本人になりたかったが、全部が敵だという暗い地下迷路は僕のレベルでは手に負えるものではなかった。

香港政府と中国政府は後日合意し九龍城の解体を決めた。今は公園だ。住民たちもきれいなアパートに移り満足しているそうだ。

しかし、アヘン戦争、アロー号事件、天津条約なんて世界史の世界なのに、それが残っているなんてなんかロマンチックな気がした。人殺しはいけないが、強いものが正しい世界がそんなに居心地の悪い世界だろうか。

今は頭のいいのが牛耳る世界だ。僕はよく努力し頭もよかったので良い生活ができた。しかし、正しい世界が成立しているか。文科省は数十人の天下りを責められているが、毎年役所から2万人が天下って仕事もせず数億円/一人の金を得ている。頭が良いことはすべての免罪符になるいまの社会。

ゲゲゲのキタローたちが「試験も何にもない」と歌った妖怪ランドのように、悪の飛び地は今日許されない。許されないから消滅した。だが、面白くない。

僕は九龍城を好きになれた気がする。その前に解体されてしまった。

 

 

 

 

 


篠山紀信 宮沢りえのちち 眼福眼福

2017年01月24日 | 芸術

福岡県福岡市博多区下川端町3番1号の博多リバレイン7階・8階にある。

アジア美術館に行き篠山紀信を見た。迫力をもって現代を切り取り、また遠い時代になって色あせていくものに丹念に光を当てた。

写真は常に新しい技法を模索し、見る側に衝撃を与えなければならない。彼の言葉にはなかったが、僕は彼の主張を言葉にすればこう言っているように感じた。

これは館内のカフェの椅子。

これを言うと教養のない奴らは条件反射的に反発し思考停止し、せっかくの面白いネタが相互の会話で発展することがなく、日本人の教養の低さを実感する。中国人も全部、韓国人はほとんど気が狂っている。低能な部類の日本人は、AKBの裸踊りコンサートにはいくが高嶋ちさ子さんのバイオリンを聞いても素養がなく感動する能力がない。

というのも僕は彼の変幻自在で発想豊かな作品群に、D.H .Lawrenceを感じた。小説に、きらめく言葉をちりばめながら常にDifferent next oneを追及した。人は激しく生きよ、同じことを繰り返すのは堕落への近道だ。彼の思想はいつか、ひがむ人がいなければ紹介したい。短編はあまり訳が出てないのだ。井の中の蛙はいつも自分が一番だな。

どこがやさしく強く礼儀正しい日本人だ。シナチョンと変わらない。雑魚日本人は自分の教養に無頓着で隣国ばかり非難する。雑魚国民に勝ってどうする。欧米の優れた文化を学べ。

紀信は努力し続けてきた。女の裸で飯を食ってきたのではない。一枚や二枚の女の裸ぐらい誰でも撮れる。彼のほんの一瞬のひらめきが「りえ」の裸であったが、完成したころ彼は次の作戦を立てている。

一生「りえ」の実物に会うこともない無教養、バカ丸出し、脳味噌が筋肉の雑魚日本人は、「りえ」の写真を使い続けて終わる。

篠山がこんなことを言った。なんといっても人の中心は顔です。顔の魅力や、顔に詰まった語りつくせない過去の蓄積や将来への思想、僕はそれを撮りたい、と。

福岡市が運営するので全く期待しなかったが、あたりだ、まぐれあたりだ。

 

 

 

 

 

 


ウソはしきりと絶叫する   25

2017年01月22日 | 韓国

(前回からの続き)「日帝時代の真実」

教科書の偏向した内容は、速やかに是正されなければならない。「東亜日報社説」

                                 (転載記事)

国内の近現代史を分析した「教科書フォーラム」に参加した学者たちは大部分の歴史教科書において歪曲と誤謬が発見された。偏向した歴史観が満載されていたという結論に至った。このような結論は歴史の公正性と、これを扱う歴史家の極めて大きい責務をふたび思い起こさざるを得ない。

教科書の偏向した内容は速やかにただされなければならない。「教科書フォーラム」は近現代史の研究は民族史的観点以外に政治、経済など多方面から合わせて考えていかなければならないものであって、国司学の独壇場であってはならないことを強調していた。

われらはこの指摘に共感する。知識人全体が現代史歪曲の深刻性を認識して、歴史の歴史の基本を自覚した教科書を作るのに力と知恵を結集しなければならない時だ。

 

 

教科書を見ると老人たちにとっては日帝時代は地獄であり日本は悪魔であらねばならなかった。しかし老人亭(老人の集会所)みたいなところにいってボランティアをしながら老人に聞いてみると意外と日帝時代に対する悪感情がないのが分かって驚いてしまったものだ。

少しだけ時代をさかのぼって朝鮮時代末期に行ってみましょう。多くの人は知らないことだが、朝鮮末期は地獄の門をくぐったような状態だった。実際に残っている統計や記録などの客観的資料を分析すると朝鮮末期には平均寿命が30才を超えることはできなかったとある。

大院君の時代には、慶福宮を増築しようとして国家財政がほとんど破たんしてしまうほどになり、木材輸送のために多くの百姓を強制的に労役につかせた。こういうことが重なって、百姓たちがこのままでは死んでしまうと言って起こした東学農民運動(東学党の乱)を外勢(外国勢力)を味方につけることにより鎮圧する。この過程で外国人の力を借りてわが百姓を虐殺した李氏朝鮮王族と閔氏一家に対する怒りもひどくこみ上げてきた。

(国史の時間にも習うけれど、初期の東学農民運動の性格は反外勢ではなかった)大韓帝国の時代になると何か少し変わったかなと思っていると、軍の仕組みはそのまま引き継がれ経済計画などはすべて失敗で国民はふたたび塗炭の苦しみを味わうこととなった。

 

次回用メモ  16の中段

 

 

 

 

 

 


大学受験の思い出は?

2017年01月21日 | 受験・学校

入試の日の朝、ばあちゃんだけが見送ってくれた。母は自分の趣味の世界に没頭していた。それまでうるさく言っていた父は、妾のところに行ったので、母は羽を伸ばすように趣味に没頭し、子供のことは眼中なかった。

障害者のばあちゃんが玄関まで見送ってくれたのがうれしくて、僕は他の受験生と対等だという気持ちになった。

ところが玄関のドアを開けると、愛犬が死んでいた。

大型犬だったので庭にかなり深い穴を掘った。埋めて墓標を立てお参りをして…するうちに時間が無くなったが金は父が持って行き、残りの金も母がこの時とばかり浪費した。アタシ(母)はそのうちすぐ金を稼げるようになるから,それが母の口癖だったがそんな日はついに来なかった。

だからタクシーに乗れなかった僕はバスで行った。そして3分遅刻して会場に入れなかった。浪人できるはずはなく馬鹿でも入る大学に行くしかなかった。障害者と知的障害者が不規則な生活をする中で勉強は無理だ。学費はばあちゃんが一部工面した。

バカ大学に入ったことで、自分の人生が暗転し二度と日の目をみることはないと確信した。周りのアホ面を見て、すぐさまやめて公的な試験を受けることにし、国費留学生になることができた。

大学入試は僕の人生で最悪の時期であり、抜け出すことのできない不幸と極貧のるつぼの中にいた時期だ。勉強の苦しさは全くなく、僕はどこにでも合格した自信がある。

だから合格しようと努力する人が不思議だ。環境がそろって合格できなかった人は相当能力が不足した人だ。

思い出さないことにしていた。

 


好きなようにさせて、わたしにかまわないで。

2017年01月17日 | 故人

朝日デジタルの記事を読んで考えた。

引用 2016年12月8日17時00分

糖尿病治療のための制限食を「おいしくない」と言って食べず、どんどん衰弱。とうとうお医者様から余命2カ月と診断されるところにまでなってしまいました。それでも母は、いつもの言葉を繰り返しました。

 「死んでもいいの。おいしいものしか食べたくないの」

 

なくなったこの方のお母さんは、医療とは何かとか、あるいはそれ以前に生きるとは何かを僕らに突き付けている。

人は無制限に長く生きたいものか。もしも、無制限に生きたいと考えるのが多数であり正しいのであるのなら、死は絶対いまわしく怖く苦痛であるはずだ。

なんとなくそうだろうな、死ぬのは嫌だもん、と考える多数がいる限り、生命を永らえる仕事をする医師という人間は、みんなの尊敬を集める。ところが、その尊敬たるや昭和の産物であることを人は認識していない。

 

医者は貧乏だったのである。それが保険診療制度、もっと言うと診療保険点数制度ができたことにより公金による高所得が保証され、それを目当てに医者希望が増え、さらにそれを目当てに医学部定数が増員された。

悲しいのは、医者の声を、患者の生殺与奪の権を持つものと考えている家族は、天の声として聴く。

低能な医者は、その高収入とその低能を根拠に自分が本当に天賦の才能があってそこらの素人より上の人間だと錯覚する。

診察室では猫をかぶっているが、いったん外へ出ると、さて、今日はどこに精子をまくか、フェラーリが早く来ないかな、晩御飯は上海でカニだな…

そんな人間が、「死にたくなかったらこの糖尿職を食え」と患者に言えるか。患者の身にならないから適当なことがいえるのだ。

 

 

引用

好きなテレビ番組を見て、好きなものを食べる生活。お餅やうどんが好物でした。私が車いすで連れ出す以外は寝たきりでも、生き生きとしていました。

 「死んでもいいの。好きなようにさせて」

 

 

 

 

 


盆栽には宇宙がある。

2017年01月15日 | 趣味

 

センター試験が終わった。

丸暗記ごっこのオンパレードだったが特に今年はやる気のない現代文だった。世界史、現代社会は出題に余地がないので、まったくどうでもいいものを山川の教科書にあるばっかりに、アタナシウス派、アリウス派… 掛け算の九九の暗記ごっこのオンパレードだった。

アタナシウスがその後の世界史の展開に登場することはない。こういう愚門には犯罪性がある。バカが問題を作ると目の前の行き詰まりの解決に精力をそがれ、そもそものセンター試験とは何を選抜しているのかを忘れる。

つまり、バカが賢い人間の選抜はできないのである。

数学も初めて問題を見る生徒にはかなり難しい。だが事前にやって解法を暗記していれば簡単だ。そういう僕は満点をとれない。だが僕は何ともない。解けないのではなく知らないだけだ。

それが極端に出たのが現代文である。もうすぐ終わるセンター試験のために誰も情熱をもって問題を作らない。面白くない問題だ。ひねりも、ユーモアも、隠れてひにっくぽいセンターの意地を見せる「骨」も、見られない。

これじゃあお行儀よい子しか合格しない。いわれたことに従順な電通好みの言いなり小僧の選抜会だ。

 

韓国の修脳試験は、まさに科挙の現代版であり,事大主義の名残を見た。あれではまともな人間が落ち言いなり小僧が通る。

よその馬鹿の心配をして自分の哀れな境遇を忘れる日本人がいる。朝鮮人並みだ。

センターを受けるものの中で成績5%は日本を作っていく人たちだ。選挙で痴呆が投じた一票はむしろ日本を惑わす。衆議院選挙よりはるかに大事な、日本の柱になる人たちの選抜試験だ。

「いいえ、うちの子はバカですから。」という声を聴く。一部正確だ。ただしくは「うちはばかですから」だ。親の無教養は子供を殺すのが常だ。そんな無教養親によって泥水の中に引きずりこまれる子供のうち、ごく一部にでも鶴がいたら親の行為は犯罪だ 。親は無教養だから鶴が見えない。

 松は幅1メートル、梅は高さ15センチだ。でかいだけのバカ松、アホ梅よりここにこそ宇宙がある。

 

栴檀は双葉より芳し。座敷梅の盆栽を見に行った。福岡県山川町。2月には咲くだろう。素質のないのに税金を投入すべきではない。

 

 

 

 

 

 


三社参りという狂想曲 2

2017年01月09日 | 日常

 

ひょこり大きな建物が立っているので何かの倉庫かと思った。なんと大学だそうだ。さぞや学生はアホだろうと思ったら、豈図らんやみんな優秀だ。

さすが大学で、腐っても鯛なわけだ。だが、なんちゃって高校になるとそうはいかない。土地の安い地方、限界を超えた破壊集落に勉強のない学校がある。全寮制スポーツで人気取りをしている。親もよくその方針に賛同する。勉強をしたことがなく教養に敬意を払わない。

できてまだ日も浅いアホ高校のくせに、こんな学校にかぎって「先輩たちが築いた歴史と伝統に…」とのたまう。福岡県立高校の最高峰、修猷館ではこんな訓示は決してない。200年の歴史があるが。

しかもアホ校の歴史とは勉強しなかった歴史であり、伝統とは運動におぼれ馬鹿であり続けた伝統である。

学校としての本質がないくせ、学校を騙(かた)るのは犯罪である。

 

往々にして、本物は語らないものだ。

 

綾部神社はひっそりとある。たまに。参道のぼた餅が売れる。バス停の切符売りのように狭い売店で、神主がお札を売っていた。巫女がいないのには落胆したが、澄んだ空気が正月を上手に演出した。

宝暦の狛犬。いいものを持っていた。

こんな済んだ小川があるのか。絶滅危惧種のメダカがいた。殺しておいて助けようというのは人類のエゴだ。が、目の前の小魚を見るとどうしても生き延びてほしいと願う。

境内には保存樹木が多い。風が吹くとぼたぼた銀杏が落ちてきた。

屋久島では98%を伐採しながら今更のように縄文杉だ、水の島、自然に帰ろうとは図々しい。狂った人が言うことだ。なぜナウル島のような乱獲を行政は放置したのか。馬鹿が多いなあ。

 

 

 

 


三社参りという狂想曲

2017年01月07日 | 日常

 

一社参らせたのでは金にならない。江戸時代の商売人は計算高い。三社だ。お賽銭も三回取れ。この方式で 伝統行事と称しつつ、つい最近始まった住民の大移動は商魂の犠牲になった哀れな低能が渋滞にあがく姿だ。

ほかにやすみがとれないじゃないか。これがまともな言い訳になる日本社会はおかしい。年に1,2回しか子や孫に会えないなんて異常だ。そうまでして金を稼ぐ精神は病んでいる。

人殺しをしておいて、10時には退勤するようにしましたと電通は言う。それ十分遅くねえかい。また殺される。三流四流学生は今がチャンスと押しかけている。殺人企業にすら通らないのがいるのは哀れだ。殺す価値もないわけだ。「男子力がない」わけだな。

大宰府は渋滞だし、凶がないおみくじは面白くない。僕は、大宰府の喧騒が聞こえてくるところに住んでいるが行かない。

 

「当所神社の歴史」をもらった。破魔矢だとか、おみくじだとか、お札、お守り。この類は一か所で作っているので当たろうと当たるまいと気分的なものだ。そんなものはどうでもいい。神社ごとに必ず神社のいわれとか暦をくれる。たいてい無料。この文章は、とくに当所神社の場合は、教養のある人が書いたものだ。田舎者を馬鹿にしてはならない。田舎は悪質なチンピラが多い。そういうのは思いっきり馬鹿にしてよいし最近は中国人ががんの転移のようにどんな辺鄙なところにもいる。いたるところに唾を吐きごみはきちんと出さずコスモスから万引きする。

引用

当所神社の歴史

当所神社の在する地域は、今から1700年前「弥生時代」から人々が集落を形成し、果てしなく遠い時の流れの中で、営々と生活をしながら現在に至った次第であります。古文書の記録によりますと、教法年間「徳川吉宗」の時代黒田長政公の名を受け栗田村より分村したのが藩政上の村としての始まりとされ、同時期に日光東照宮の御成館の祈りであり、その東照という呼び方をいただき当所と名付けられたのが地名の由来であります。・・・

 

書きなれた人の文章だった。

おまけにくじを引いたら銀杏が当たった。

ここは大己貫(おおなむち)神社、大国主命を祭る。次回ぼた餅で有名な綾部神社について書く。

 

 

 

 

 


パソコンが壊れた

2017年01月06日 | ブランド

読者の皆様には申し訳なかったと思います。僕に反感を抱いている人もさぞや寂しかったろうと思います。ネット環境がそろわなくてひと月も迷惑をかけました

 

本論。

 

言葉とはなかなか通じないものだ。ただ、どんなに嫌な奴の言葉でも、ふとした瞬間にストンと納得する時が来るものだ。それは世界が二律背反で成り立ってはいないからだ。例えばアホは、あれは左翼だ、はたまた右翼だと色分けをしたがるが、どうして世界が右と左しかないといえようか。

前も後ろも上も下もある。

人を左に追いやって自分だけの整合性の中でマスをかく変態は、とにかく女性に嫌われせいぜいブスと添い遂げるのがオチだ。

 

どうも世間がうるさくなってしまった。知にはたらいて角が立ったわけでもなく、平凡な日常が息苦しい。

 

清涼剤が必要な時に、タイミングよくジュエリーの発表会があった。この年になるとドレスコードがめんどくさい。ベンツS以上だのスーツも細かく言われる。僕は極貧で正月は毎日うどんで過ごした。しかし悔しいじゃないか。無教養の小金持ちには負けない。

食事が出るのが楽しみの一つで、タダだから文句ないがやはり炭水化物に浸かった体はけいれんを起こして喜んだ。

時計なんてダイソーに行けば100円で来る。それはグランドセイコーより正確だ。

だから何だ。時を知るのは5番か6番目に重要なことで、一番は、何といってもそれを身にまとったことにより元気が出るかが重要なのである。

値段は安いが僕の時計の中では最高に僕を元気にする。SEIKOは大好きだ。

今日は庶民の生活に触れようと スーパーに行った。どうして貧困な人はあんなに老けているのだろう。その上表情が厳しくいつも子供を叱っている、声が大きい、服装が派手で汚れている。

 

人が人生をかけてタダの石を探し求め、またある人は技を磨き年月と伝承を加え、最高の接客技術とともに、やっとジュエリーになる。ウブロの係の人がいいことを言った。「宝石はどんなに大きくとも価格は手間賃の積み重なりのみです。」

今のロレックスは下品の極みだが、60’は上品なジュエリーだった。

 

しきりに感激していたが、僕の下心は見抜かれていた。「からけんさん、食事ならいつでもできますよ。」