<前回のつづき>
しかし、19世紀後半になるとプエルトリコでも独立運動がたかまりついに1897年スペインから自治権をかちとるに至った。しかしこのころ、フィリッピンとプエルトリコなど植民地の支配権をめぐってアメリカとスペイン間に戦争が始まった。そうしてこの戦争でアメリカが勝利することによりプエルトリコとフィリッピンはアメリカの領土となった。1898年8月島を占領した米軍は軍政を敷いた。
以後アメリカは総督を派遣しプエルトリコを統治したが1952年からは国防、外交、通貨政策を除いたすべての統治権を島の住民たちに渡した。こののちこの島はグアム、サイパンなどと似通ったアメリカ連邦の自治領として残った。1967年になるとアメリカ連邦議会では住民が望めばプエルトリコを国家(state)に昇格させ連邦の51番目の州にもなれるという選択権を与えた。
これによって1967年7月住民投票が実施されたが、連邦編入は否決されプエルトリコは従来のようにアメリカの自治領として残った。議会は両院制で、4年ごとに行われる直接選挙により構成される。住民たちはアメリカの市民権を持っているが本土に移住しなければ大統領選挙権がない。プエルトリコとグアム、サイパンなどアメリカの自治領では連邦会議に代表を派遣することができるが彼らは評決権がなくオブザーバーの地位を持つにすぎない。
現在では政権党を中心にプエルトリコをアメリカ連邦に編入させなければならないという運動があるが住民たちの意見はちょうど半々に分かれている。また、この機会に完全にアメリカから独立しなければならないという民族解放軍の組織もなかなかの勢力を持っていて反米闘争を繰り広げている。
プエルトリコの産業は伝統的にサトウキビの栽培農業だけであったが、1950年代から化学工業、食料品と家具製造業などを発展させ工業国に変身するのに成功した。現在プエルトリコの一人当たり国民所得は韓国と似通っている。1万ドル水準でラテンアメリカでは最も豊かな国家であるが米国本土の3万ドルに比べるととても低い。
プエルトリコは100年前スペインの植民地からアメリカの植民委に所属が変わった。これは長い間新野であったのが日清戦争によって自主独立して後、近代化のために日本と合併したわが国(韓国)と似ている道を歩んだといえる。その結果大部分の地域が貧困から抜け出せないでいるラテンアメリカの中でプエルトリコは唯一先進国に発展した点でも韓国と似ている。しかし、スペイン統治の伝統が今だ残っているせいでアメリカ連邦に所属することを拒否していてそれが今日ハワイに比べ生活水準がはるかに落ちる結果を生んでいると考える。
このような考えを推し進めたとき、東アジアで過去日本の一部だった台湾と韓国だけが唯一先進工業国に発展することができた理由が簡単にわかる。日本の統治がなかったら韓国と台湾はほかの東南アジアの国のように貧困から抜け出せずにいただろう。また、プエルトリコとハワイの違いを見るとき、万一終戦後日本と分離しなかったら今日わが民族の生活ははるかに潤沢であったろう点も容易に想像できる。このような厳然たる現実があるにもかかわらず政治的なスローガンでは何といっても「独立」というほうが訴える力があるものだ。しかし、独立が住民の生活の質を向上させることができないならばそれは特定政治勢力の利益に奉仕する過ぎない。今日プエルトリコで独立を推進する民族解放軍が猛威を振るっているのを見るにつけ、果たして弱小国家には「独立」すると絶対的な価値になりうるのかということをもう一度考えてみる。