netから引用
七福神(弁財天)
七福神中の紅一点、琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天(弁才天とも書く)は福徳・諸芸能上達の神として広く信仰されている。 引用終わり
辺春地区の西岸を上ると弁財天が祭られている。建てたのは柳川藩で鳥居にも「立花」の名が見えた。(藩主)芸事の成就を願うとき、神仏にすがってでも上達したいと思う人が多かったようだ。
急な山の斜面にお堂が2個ありよく整備されている。僕は寺社にはよくお参りするが1円以上あげたことがない。寺など葬式で儲かっているから1円で十分だ。この弁財天には10円上げた。散財だ。
ここにばあちゃんが眠っているのではないが、魂がここにいる気がする。寺にはいない。三味線の天才であった。
現代社会においても、家元制度というねずみ講まがいの組織がなぜか放置されあくどくカネを稼ぎ、カネさえ積めばどんな地位でも買える。日本の芸能のガンである。
ばあちゃんはただ一人実力で家元の資格を取った人だ。その上僕の数学の先生の役割までしてくれた。障害に甘えない人だった。目が見えなかった。えてして障害がある人は自分中心の考えを持ち支那人のようだ。威張りくさって当然のように保障を受ける人が多い。かわいくないな。
目が見えなくても僕のバイオリンや勉強の心配をしてくれた。
僕を心配してくれる人がいるというだけで、僕はそこらのチンピラとは異なる人生を歩めた。ばあちゃんはずっと僕の心配をして僕の成功を一番喜んだ人だ。当然僕は、ばあちゃんの愛情に応えようと思い続けた。
(松尾弁財天)
母は一度も食事を作ったこともなく父親は妾のことしか頭になかった。
でも一人でいいからまともな人がいたら人間はさほど道をそれることはないと思う。チンピラになる人は脳の基質に障害があるか、天涯孤独か、気違いだけの中で育ったに違いない。
とはいえ僕の人生は、様々な理由から結局苦しいままで終わりそうだ。早く死んであの世のばあちゃんに会いたいとも思うが、その僕を引き留めるのは、ずるい人間たちの存在だ。低能、インチキ、ごまかし、ごますり、泥棒野郎が笑うことは許さない。そのために僕は生きる。
なぜみんな怒らないのか。ずるいな。教育委員会がいじめ自殺の事案に対し、本人が死んでいるので事情聴取できませんと言った。遺族は冷静すぎる。僕なら犯人と教育委員を殺す。
弁財天
読者のみなさん、僕の考えのどこがどういけませんか。