ふつうの民衆なら誰でも次のように思っているだろう。日帝時代(併合期)も時間がたつにつれ中国の朝鮮族のように、自分の民族は朝鮮なんだけど祖国は日本大帝国だと考える人が増えていっただろう。
とくに日帝時代に生まれた人たちはたいてい自分の祖国は日本だということにとくに疑いの余地は無い。現在中国が多民族国家であるように、当時日本帝国は満州台湾東南アジアまで合併していたため多民族国家だということが出来た。
とくに30年代後半になると朝鮮人達は日本は自分の祖国であると考える傾向が強まった。独立運動をしていた、イグァンス、チェナムソン、チェリンたちは独立を放棄して自治路線を進み始めたのもその証拠のひとつだ。
すなはち、彼らは皇国臣民として生きていきながら、朝鮮民族の実体は失わずにいた、という方向に進むことにした。
このような現象は、現在のチベットを見れば理解しやすい。チベットの指導者ダライラマは1987年からチベット独立ではなく、自治を求めると宣言した。すなはち、中国の一部に住むことになるが、自治権を拡大してくれというものである。
このようなダライラマの路線は、日帝時代のイグァンス、チェナムソン、チェリンの路線と異なるものではない。ダライラマが中国の占領を受けて28年ぶりに独立から自治路線に方向転換したようにイグァンス、チェナムソン、たちも1895年乙巳条約からすれば約40年、1910年間日合併から見ると約30年ぶりに独立から自治路線に転換したことになる。
このような状況からして日帝時代にわれらの祖先は少なくとも1930年代後半になると、大部分の朝鮮の祖国を日本だと考えた可能性はとても高いといえる。
北朝鮮を自分の祖国だと考える人たちはあの戦争で祖国を応援するのは当然のことではないか。同様に、日帝時代に朝鮮の人たちも民俗は朝鮮族だが祖国は日本だったなら、祖国が参加する戦争で祖国を応援するのは情状酌量されていいようだ。
ちょうど韓国戦争(朝鮮戦争)当時、中国の朝鮮族が中国軍として大挙参戦したようなものだ。
日帝時代に高位職にいたという理由だけで、親日派であると断罪するのも適切ではない。実際北朝鮮であれ日帝時代の朝鮮の場合も、その国家を自身の国家と思うひとはじぶんの幸せのために、あるいは国民に奉仕するために熱心に学び統治機構の上層部に上がろうと努力したはずだ。
転文: 「日帝治下の朝鮮社会はそれ以前の李氏朝鮮に対し、経済成長、治安、教育等において大きな進歩があった。」