か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

短冊

2016年06月29日 | あそび

低級スーパーに行った。

もともと僕のようなノーブルな人種には、怒号と罵声は似合わない。今日は何故かそのスーパーに行ってしまった。

見てみぬフリをするしかない。恐ろしい非常識のるつぼだ。人はもはやきちんとしたしつけや教育なしには人として生きて行けない。

 

商品のドリンクを並べてボールをあてボーリングのようにして遊んでいる子がいた。

パコーンと叩いて親を探した。親は僕をにらんで子供の手を引いて消えた。

このての親は間違いなく太っている。肌が汚い。服が汚れて尋常じゃなく派手である。子供の後ろ髪が異常に伸びている。たぶんキラキラネームだ。高校を中退した兄がいる。その兄と一緒になって僕に対し復讐するつもりだ。暴力が常態化したPoor Yellow。

 

佐賀県のスーパーモリナガは、貧乏相手の薄利多売から脱した。TVのCMを流すようになった。上品な僕には上品なスーパーモリナガが似合う。

 

 あるイタリアンの店に行った。僕は店の名前は書かない。そのうち行き当たったとき思い出してもらえれば・・・。

 

料理についてはたっぷり次回に回し、今日は入り口にあった七夕飾り。

僕は年をとった。よその子の短冊を読んでちょっとジーンと来た。店員さんもゆったりしている。5分10分の立ち話はふつうにしてくれる。ブスなら拷問だが、かなりきれいだったので楽しく短冊の話をした。僕の目が潤んでいるのを覚(さと)られないように必死だった。

覚られた。「私もウルウル来たんです」といってカバーしてくれた。

 

このごろの小学校は面白おかしく過ごせばよく、事故の無いことだけを校長はじめ全員が願う。だから考えることの喜びは塾で学んでいる。こういう奇形的教育は止めてほしいものだが、保育園もかねる小学校では無理だな。

 

僕は短冊に書くなら「配当金が上がりますように」とか書く。子供が熊本の人を心配している。大人の入れ知恵があったにせよ文章の大部分は自分で考えて書いている。

何よりも皆まともな子たちは、親がまじめだ。名前を見ればわかる。面白半分に犬に名前をつけるようにいい加減に名前をつける親がいる。そういう人間はすべてに不真面目だ。

 

日本の周辺国は低開発国ばかりだったが、今や、日本は韓国からも多くの点で追い越された。安倍はそんなことに関心が無いから貴重な日本の知的資源がだめになっている。

大学総合ランキングでは、東大はソウル大に抜かれた。大学卒の初任給は、ダントツに韓国の有名大卒のほうが多い。

一国の首相が基礎研究費をケチっては日本は死ぬ。実学即戦力最優先はそこらのチンピラ経営者の人気取りはできても、科学者の層が薄くなる。国民の関心を金もうけに向け、当面をしのぐ政策は、日本の科学力を長期低落させる。

まともな勉強をしてないのが首相になると日本は百年に禍根を残す。

 

そんな中、「科学者になりたい」といってくれてありがとう。

お金持ちになりたい、というのもあったが、なかなかよかよか。

大人が邪魔せず、少しだけ応援すれば子供はみんな夢をつかむ。


地方創生と裁判所

2016年06月28日 | 法律

 

 

まづ、簡易裁判所について

簡易裁判所は、当初日本には450箇所以上あった。ここは貧乏な者、あまり裁判について知らない者に対して、やさしいところだといえる。いくらでも例はある。どうしても相手の仕打ちに納得がいかないとか金(130万以下)を返さないとかに対し、いちいち弁護士に頼んでいては費用もさることながら、手続きがよけいにわからなくなってしまうし時間もかかる。

このとき、裁判所の窓口(簡易裁判所)に出向いて口頭で訴えることができる。字がかけない人向けである。昔は字ががかけない文盲はそこらじゅうにいた。しかもよく話せばその場で支払命令書を出してもらえる。

これはたった一つの例示に過ぎない。国民にとって地方自治とは民主主義の練習をする場なのである。(Jブライス) 近所に裁判所があることは裁いてくれる国の機関があるということで、起こってしまったトラブルをなるべく拡大せずに収める効果も持つ。

そこで裁判所が統廃合されたらどうなるだろう。ある島で地裁の支部が廃止されたため実際に起こっていることだが、原告と被告が同じ船や飛行機に乗りとおくの裁判所に着いても狭い待合室で顔を合わせっぱなしということが起こる。

そもそも裁判を受けるということは国民固有の権利である。

今、地裁の支部は統廃合されたり常駐の判事がいない状態が続いている。また地裁では裁判員制度によりしろうとに手取り足取りする間に、起こる事件は減らず、裁判官一人150前後の事件をかかえている。裁判所を集約すれば当然そうなる。

いっぽう過疎地などでは住民にとって司法がとおのいている。他人事と思うのは低能だ。訴えることはなくても訴えられることはあるかもしれない。

冤罪で刑事事件の被告人になったとき、少しでも司法の学習をしていることは重要で権利なのだ。せっかく憲法が、皆さん身近に裁判所があるんですよといっているのに、安倍は裁判所の数を減らし、司法の力を弱め、全国を安倍色に染めようと地固めをしている。

地方創生と逆行する裁判所削減をするのを止めろ。

(最高裁判所)

 

 

 

 

 

 

 


福島はバカにされている

2016年06月27日 | 健康・病気

べつに、どこかの記事の引用をするまでもなく、原発事故の影響で福島では心を病んだりする人が多く増える状態になっている。これを否定する人はいない。

一人も死んでないから過剰なケアは要らないと語気を強めて主張した大臣がいた。世の大勢を理解するなら、政治的にもその発言はまずい。どんなに右翼でもおおっぴらにはその手の発言は控えている。

一般に、権力の相互関係の総体を、Political、という。(これは通説として定着しているものです えらそうにすみません)

政治的意識というのは、politicalであることの一面であるが、教育で醸成されるものではない。政党の中では最高に高学歴の共産党は、拉致問題について自民党が自作自演したという説に固執した。つまり大失態を演じた。つまり間違えたPoliticalだ。

ではまともなPoliticalというものはいかように形成されるか。歴史だ。1215,1688・・・イギリスでは日本が鎌倉や江戸のとき民主主義と人権と権力分立は完成していた。日本より500年早く、社会を安定させる方法を学んできた。今回も間違いなく大人の国民は、必ず安定を選択する。イギリスはどう転ぼうと安定する。このブログを賭けよう。

 

何のためここまで書いたかというと、福島を見る世論が、民主主義に反する情緒や声の大きいものに、ひきずられているから憂慮するのだ。

たしかに文頭に書いた様に心が折れた人は多い。すると、医療措置が急務となる。足りない。汚染して使えない。で、全国から医療従事者を集めよう、ということになり美談が成立する。第二次大戦と同じだ。「売春婦ですら愛国心に燃えて砲弾を運びました。」ウソツケ。砲弾は40キロある。どうして女が運べるか。

つまり、どんなにウソでも何の治療もしなくても、わざわざ九州からかけつけた正義感に燃えたイケメン若手医師というまやかしの美談が作られる。能力がなく勉強もしない田舎の技術でメンタルヘルスが出来ようものか。オマエはただのくらげみたいになーんにも考えない浮遊物だ。

自分の医院の患者には張り紙一枚で、医院を10日ほど空けた。10日のパフォーマンスのために。

まず自分の医院の患者について。とつぜん10日あけられて「まじめな扱いを受けてない」と感じるのは当たり前だろ。

次に、福島。テントで診察する。福島の人の精神病は1,2回の通院で直るのか。しかも彼は近所では患者を怒りまくることで有名だった。怒るという刺激は医療上必要だ、とか舛添みたいなウソをつく。

そんな人間がボランティアしたらいかんだろう。

彼はなぜ福島まで行ったか。地元で有名になるためだ。利益を度外視して貧しい福島の農民にために誠心誠意貢献したと。

バカにするな。こそこそ休む暇もなく独楽鼠の様に動き周り、薬をバケツで撒く様にばら撒き、たかが10億貯めたか。

オマエは福島の惨状について、たった10日間でわかったそうだが、

僕はお前に皮肉を言うぞ。 かかって来い。ええカッコしいが、人生に勝ったと思うなよ。


拍車をかける

2016年06月25日 | あそび

 

マイナーなスポーツだが、思ったより頭も体も酷使するスポーツだ。馬場馬術。

(拍車、これで馬の腹を軽く押す、信頼関係のある馬には不要だ、しかし競技のときはきびきびした動きを得るために、拍車をかける、右の画像はウエスタン、拍車の歯車は回転する、印象とは逆に馬の腹をがりがり傷をつけないためにある)

 

どんなスポーツも日ごろの鍛錬、精進が栄冠を勝ち取るわけだが、欧州貴族は剣だろうがナイフだろうがヨットだろうがゴルフだろうがピストルだろうが、子供の頃から地獄のような訓錬を受ける。日本のナリキンどもは別として、真の上位層は厳しい教育を受ける。

特に馬の場合は試合までの訓練時間が長い。6年。そこらのオーバルなコースを一目散にかけっこするのとはわけが違う。3歳程度の馬が猪突猛進してあっという間に馬刺しになる。馬刺しはうまいからそれなりに良いがギャンブルはスポーツではない。

障害(障害物を跳び越す時間と形を競う)より馬場馬術は苦しい競技だ。たった一回の晴れの舞台のために8年間もブラシ、敷き藁、飼い葉、水、蹄の世話が出来る忍耐力と時間のゆとりが必要だ。障害ならある程度は人任せでもいいが、馬場馬術は、馬との深い信頼関係が無くてはならぬ。労働などしていては到底出来ない。

 

概して、貴族のスポーツはカネがかかる。レクサスがどんなに高くても馬には及ばない。ヨットに税金がない様に馬にも税金はなく、小型自家用ジェットは普通車より安い税金だ。ところが、庶民は初期投資が到底出来ない。金持ちは、合法且つ適切な税逃れをする。その分、本体にカネをかけることを税制が応援している。

そういう不平等を追求しない貧乏人の自業自得だ。初期投資の莫大な金額に目がくらみ、その額を聞いたら即死するか自殺する。

駄馬では競技に出られない。競技馬は200頭の中から選ばれている。

この事実に悔しがってばかりだからいつまでたっても貧乏なのだ。

もしも馬場場術という競技がなくで、75歳をこえた法華津寛(ホケツヒロシ)さんが活躍の場を奪われたら、日本のジイちゃんたちはどれほど落胆するだろう。1964の東京オリンピックに出た人だ。半世紀以上じっと馬と向き合い努力して来た人を、軽々しく金持ちのお遊びといってはならない。

法華津さんは再びオリンピック選手になった。(馬の体調がよくなく今回は断念した)

金持ちが楽をしているというたわごとは、Leninの時代の話だ。

一方で貧乏人よ。ビール飲んで野球を見てだらだら食事するおまいらに経営能力があるはずないだろ。何一つ創造しないのならせめて、金持ちのスポーツの特徴を知れ。おまいいらともっとも関係の無い「文化」というものなのだ。

輪廻の様に続く永劫回帰だな。

 

 

 

 

 

 


クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る   11

2016年06月24日 | あそび

(同じ色をした海は無い)

ひどい大雨が降ると海は凪ぐ。表面は雨粒が落ちる力でざらざらになるが。波は波高2メートル以上になると波の先端が折れて白波が立つ。雨はそれを抑える。

荒れると、いわゆる不連続な曲線が出来る。ところが、大雨のときはなだらかな曲線ばかりで、よほどのこと(台風)がない限り白波が船体を打つ(ハルを叩く)ことは無い。

大雨の雨粒が海面を押しつける感じだ。

雨が顔に痛いが船に乗るには適している。降雨量は、船速の分だけよりひどくなる。なので着ているものを洗濯する必要が無い。服の上から洗剤を塗り濡れるにまかせると、シャワーを浴びたことになる。

海水用シャンプーとかあるが、少し頭がおかしい人が作った。海水で洗ったら海水はどうやって流すか。水中用傘みたいなもんだ。使い道は無い。

空を見て雲のないところに全速で走ると服はからからに乾燥する。夏でもこれをやると体の芯まで冷える。

綿はなかなか乾かないので昔の船員さんはつらかったろうと思う。今、綿でなければ10分で乾く。気化熱の法則を嚙みしめながら。

バカを乗せて危ない目にあい、バカは経費を払おうという能力も無かったので、このごろはかなり艤装に工夫を加え、一人で乗ることにした。

(同じ色をした海は無い)

 

新宮大島付近はよく魚も連れ港もあるのでよく行くが、いつも思い出すことがある。福岡空港の発着回数が限界になったので、新宮沖に移転しようという声が高まったことがある。

ところがじつは、使ってない滑走路が福岡空港にはあった。(屁理屈のため年に数回は使った。)軍民共用だったがあるとき米軍は完全に引き上げた。

つまり、併設され廃止されたその軍民共用滑走路を使えばよいのだ。低能弱虫政治家どもは、米軍に持ちかけることも出来ず、波の荒い危険な新宮沖を埋め立てるといった。

肝心なことを忘れている。技術的に不可能だ。アメリカ様に、もみ手すり手の地方政治家は痴呆政治家だった。

常に荒れる海は大抵良い漁場だ。わざわざそこに飛行場を作る。滑走路が一本の飛行場を作る。潮風にさらされる駐車場。福岡から遠い飛行場を作る。・・・出来もしないくせ、皆で狂想曲を踊った。

散々カネをかけ調査し、世論の醸成をしたが、「あ、使っていいよ」というアメちゃんの一言で海上飛行場は霧散した。土建屋の皮算用はいかほどか。

 

 

 

 

 


遠い 遠い 冬のソナタ

2016年06月23日 | 韓国

外国映画であれ韓国映画であれ、

映画の原題を日本語にしたとき、あまりにもバカな訳がつくことがある。一方で、さすが専門職だと思うすばらしく適切な訳がついていることがある。

「007は二度死ぬ」(原題  I can live twice)。映画はともかく邦題のつけ方は秀逸だ。文化の違い言語構造の違いにより直訳的に訳せない場合がある。

ところがほとんどの洋画の邦題は、漢字が読めないバカでもわかるよう短く、内容と関係ないただのひらがなの、どうでもいい日本語を置き換えただけの、その日本文化すら破壊するどんな低能でも読める気違いの氾濫のためのママゴトだ。

今日のポイントに戻る。果たして韓国映画はどうか。似ているから訳しやすいとはならない。低能は恥さらしにも、韓国が嫌いだとなんでも、バカで、幼稚で、ずるくて、お粗末なのが韓国だとする。

大体そのとおりだ。全部ではない。ソウル大学は東大以上の学力だ。マヌケ顔の背中に隠されているナイフを見落とすと致命的な怪我をする。

映画のTitleについては、日本人のバカさ加減にあわせてミーハー映画は日本をなめている、ことだけにして、詳しくはまたの機会にする。

 

Winter Sonataは英題として無理があり、タイトルから内容が浮かばない。直訳すると、冬の恋歌となる。ま、これでいい。いろいろキザなことせずに原題が一番良い。

僕はテハンノという最高の繁華街からカンナムに引っ越した。どちらも映画人が多くカフェではよくあって話をした。

ある監督が言った言葉に、韓国映画は70年代以上にに苦難の時期を迎えるということばがあった。

対北協力という名目で体制批判を行うと投獄拷問を受けたが、今後は資本がスポンサーとして内容に介入しシナリオをゆがめる力を持つだろうといった。

そして現にそうなった。テレビは「人生画報」、「1945ソウル」のような大作は消え好いた惚れたの恋愛劇を安っぽいセットで延延演じている。

日本で流行るのはおおぜいのバカが見るだけで実に内容が無い。何の教養も歴史認識も必要ない。韓国でバカにされきったドラマが日本では人気なのが情けない。

 

 その苦境からいち早く脱出したのは映画である。独立した資金で自由に作る。

「僕らの青春白書」「カンナムブルース」

 


北朝鮮に哀れみを

2016年06月22日 | 韓国

引用

北朝鮮は22日午前5時58分ごろと午前8時5分ごろ、日本海側の江原道元山(カンウォンドウォンサン)付近から、ムスダン中距離弾道ミサイル(射程3千キロ以上)とみられる飛翔(ひしょう)体2発を発射した。                               朝日新聞デジタル  2016年6月22日

 

僕が韓国にいたとき、北朝鮮が侵入した証拠だといっていろんなものを見せられた。今で言う不審船の類を見た。船内はぎっしり3機のエンジンが詰まっていた。100ノット出るとの説明を受けたがそれは無理だ。まあ80だ。

福岡から釜山に運行しているビートル号(水中翼のジェットフォイル船)といい勝負のはずだ。乗組員の居住区もなく金正恩さまのために命をささげよといっても、日本の特攻隊で戦果を上げよというのと同じで、無理、無理。

戦闘とは銃や砲で行うと思いがちだが、そんなことはミリタリー坊やに任せる。食事や休養や救護や休息の場所が無いと負ける。

どこに寝るんだ、負傷兵はどこに行くんだ、ブリッジもない船でどう指揮するんだ。

 

 

たしかに北朝鮮は敵視されるに十分なことをしでかしたが、われらの北を見る目も決して冷静とはいえない。

対話と圧力というが、圧力がある以上、対話は絶対に生じない。これは拉致問題を長引かせて日本国民が北に対して持つ反北朝鮮感情をあおろうというつもりだ。

そもそも経済制裁を最初に出したら、北はどんな条件にも応じない。北はプライドの国だ。馬鹿にされるぐらいなら死ぬのは平気な人間達だ。

免許を取りたい自衛隊とか昇進したい斎木をはじめ外交官とはわけが違う。

だから軍事的にも外交的にも翻弄され拉致被害者は帰らない。数年前横田夫妻と話す機会があったが、お気の毒で圧力をかけるなという僕の持論はいえなかった。いえなかったが圧力をかけたらすべてが水泡に帰す。圧力をかけた結末が現状だ。拉致被害者の帰国も墓参も遺骨回収もレアメタルもすべて霧散した。

プライドの国に圧力をかけたらすべてがおじゃんになる。

最初に述べた不審船は何を意味しているか。窮鼠猫を噛むとはこのことだ。ミサイルも同様に日本みたいに膨大なコンビナート群がある国は液体酸素なぞ問題ではない。ところが北は、国民を餓死に追い込み国際的孤立の中で燃料を購入しミサイルを意地で飛ばしている。

大人の国日本がまともにファイティングポーズをとるべきではない。

でもミサイルが・・・ と、アホは泣き出すが、そのために交渉するのであり、多くの人脈を駆使するのである。経済制裁という鞭の政策ばかりに固執せずとも平和が十分模索できることを知るべきだ。

 

 


佐賀県はひがむ

2016年06月21日 | 事件事故

勉強が出来なかった。

それは、多くの場合、ぐうたらな性格を正してくれる人に恵まれず、そこらのくそガキと遊ぶ誘惑に勝てなかったということだ。その手のバカは、あたかもバカな自分が自分のせいではなかった様に、「頭が悪かったから」だから勉強ができなかったと人事(ひとごと)の様にいう。

便利なもんだ。バカな頭は親の遺伝。その他様々な言い訳を持ち出して自分の「でたらめ怠け」を擁護する。

そうして何らかの仕事についた場合、今度は人が自分と変わっていることにおびえる。もしも自分が少数派になったら追い込められる、と。

少数であること、たとえばある地域から来ているとか、昇級試験に通らない、あるいは受けようとしない、自分だけ高卒だ、同じ高校のものは誰もいない。・・・ 少数に転落する理由はどうにでも作れるし仕事をしていない公務員等は、暇にまかせて個人の人格攻撃が日常の仕事になっている。

そういうねちねちに人生をかけ、仕事の無い公務員達は、人に因縁をどうつけようかだけ考えはじめる。

 

これからいうのは、そのひがみに迎合した佐賀県の暴挙である。

引用

 佐賀広域消防局は19日、マンションや駐車場などの賃貸収入で年間約7千万円を得ていた北部消防署警防1課富士出張所の男性消防副士長(43)に対し、兼業を禁止する地方公務員法に違反したとして減給10分の1(3カ月)の懲戒処分にした。            佐賀新聞 1月19日(火)

 

賃貸物件から家賃収入があるのは当然じゃないか。それがいけないなら共産党の世の中になるまで待て。

皆7千万円に目がくらんでいる。人がいくら稼ごうと合法的である限り本人に不利益処分を課してはならない。

兼業を禁止している公務員法とかよく言うよ。そんならお寺の坊主をしながら国語の教員をしたらいかんだろう。処分しろよ。7千万が競馬だったら合法なわけだ。

資本主義に基づく基本的な経済活動で7000万を得たのにそれは違法で、ばくちは良いとする。とことん佐賀はバカしかすんでない。

 

僕の場合だが、福岡で会社をおこそうとして事務に届けた。僕は遠慮して有限会社の社員として届けた。株式会社になるとたいそうなものに聞こえるので有限にしたのだが、それがいかんという。

株式会社も因縁をつけたかったようだがそんなら株を持つ奴は皆懲戒免職にしないと提訴すると公平ではないと僕は言った。うやむやに許可もされず禁止もされず、営業は順調でやがて僕は公務員を止めた。

 

皆、株は持っているから会社の株を持つのはOKだ。一人だけ家賃収入があるからいけない。こんな矛盾した屁理屈がまともに通用する。狂っているな。

バカのひがみが多数を構成し、ただ財産所得があっただけの人を懲戒処分をするとは何事だ。さあ、県庁にいる株主は懲戒せよ。兼業に該当するじゃないか。農協の日曜百姓は首にしろよ。

 

 

 

 

 


ウソはしきりと絶叫する   19

2016年06月19日 | 韓国

植民地の時期を除いて、朝鮮後期に資本主義の起源を求めようとする試みは妥当なものか。

植民地時期を除いて、朝鮮後期に資本主義の起源を求めようという試みは、果たして妥当か。全体的にいって韓国社会の内部から発展要因を求める主張に説得力があるのか。歴史的な実態はこのような主張を十分に支えるものなのか。

という問題意識をベースにして、日帝下、全羅北道、コチャン出身のキムソンス、キムヨンス氏の日記と京城紡績の成長から韓国資本主義の起源を探しているものである。

著者は内在的発展論のように、日本がが侵略しなかったら何の変化も起こらなかったのかを考えずに、日本の侵略により実際に起こったことを確かめていこうと提案し、そのモデルを京城紡績とした。

中小毛織業体としてスタートした京城紡績が日本帝国主義の支援と協力で、満州とか中国本土まで事業を広げる大企業に成長するというめざましい発展過程から現代韓国資本主義の原型を見ることができるといえよう。

エコートは、韓国においては近代化の原動力は外部から、すなはち日本から来たのであると主張する。

彼は韓国の歴史において、実際に起こったことは、日本による近代化だということを想起させる。

著者は京城紡績の財政と経営の研究を通して、植民地環境下、政府と企業の関係を考察した後、次のような結論を得た。

植民地朝鮮では政府と企業の関係は、国家の優位に繋がっており朝鮮経済の対日依存性は大きかった。これは政治的条件に起因するものであるが、京城紡績は製品販売のため満州、中国、日本帝国主義に積極協力するようになったし、帝国が続けば続くほど京城紡績が獲得する利益は大きくなった。

ようするに、京城紡績の市場構造は、総督府の政策とほとんど完全にに符合しつつ発展した。植民地工業化の進展にあわせ韓国人資本家たちは経済的に繁栄した。

 

 

 

 

 

 

 


去香港旅遊吧 ! The Mandarin

2016年06月17日 | 旅行

 

ここに泊まると扇をもらう。開くと真っ黒の安っぽい扇だが、真ん中にthe Mandarinの金色のロゴがある。僕は、旅行中は私物は持たない主義だ。着替えはコンビ二で買ってホテルで洗濯しバルコニーにこっそり干せばカラカラに渇く。Yシャツはクリーニングに出すが、ホテルは高い。ふつうのクリーニング店に出す。フロントまで届けてくれる。

小型のセンスは胸のポケットに入り、落としてもそれほど負担感は無い。僕の子供2人を連れて宿泊したときは、ケンカしないようそれぞれにセンスをもらった。

日本のディズニーのHiltonに行ったときはドナルドの小さい人形をもらったが、もらうおまけの豪華さや高価さに意味はない。たとえキーホルダー一個でも、そのホテルでの楽しい想い出をずっと引き伸ばすことができる。

しばらくは、そのおまけを見ることでホテルの快適さを思い出し、日本に帰ってどぶ社会に浸かっていてもバリアを張ることができる。

最初は仕事で行ったが、仕事を辞めてからは家族で行った。まだ香港旅行が高かった時代だ。子供もほとんど大人料金を取られた。

ところが僕はガックリしたのだが、大枚をはたいてやっと決心して旅行しているのに、子供達はホテルが面白いから見物に外出しないという。それもそうだ。子供が大人用の靴やかばんや時計を見て面白いはずがない。

the Mandarinは従業員がよくしつけられている。午後の紅茶をロビーの広いカフェで飲むと、知らぬ間に子供を連れ出し僕たちのゆっくりした時間を確保してくれる。

最初僕は、誘拐されるかあるいは、香港だから食われるのかと心配した。貧乏性だ。さらには、子供がバコバコ Tiramisù(だいたいショートケーキ)を食った時などは、請求が怖かった。the Mandarinは、そんな無粋なことはしない。

ホテルから出ないようにいって僕は泳ぎに行った。コブのいない生活もいいもんだ。もともと子供は外に出たがっていない。といっても近所のホテルのプールで30分程度。

帰ると子供達は、勝手にホテルの床屋に行き、お土産を買い、部屋でテレビを見ていた。小学校低学年や女子の場合は止めたほうがよい。

子供は子供なりの価値基準でこのホテルを気に入り、僕は僕なりに気に入った。

手取り足取り差し出がましく芸を披露する田舎の民宿のようなホテルが増えた。ありがた迷惑だ。ここでは、普段は何にも関心が無いようにしているが、人が助けを必要とするとき完璧な体制をとる。

いわゆる勘所をこころえている。午後の紅茶やコーヒーがなぜ必要かわかった上での提供と、猿真似で提供するのは至福の満足と拷問の開きがある。

the Mandarinは日本人にとっては、良い部屋になると舛添も気絶しそうに高い。それがなんだ。キチンとした服装の人ばかりだ。お里が知れる人は一人もいない。

ここ4,50年で金儲けをして中流にのし上がったつもりの気品を知らないトカゲ顔の人たち。Mandarinに行ってafternoon teaを味わうがいい。Tiramisùはそのトカゲの長い舌で食うだろう。

 

 

 

 

 

 


屋根に波板

2016年06月14日 | 日用家庭用品修理

ここ数年来最高に頭を使った。ふらっと眺めに来た奴が、いいも言いたり、「何だ、フツーじゃん。」

頭を使わない、思想のボンクラには、工夫というものがそもそも無い。蹴りだした。

一週間をかけて完成させた波板の明り取り。まず鉄骨に波板をどう固定するか。これが第一関門だった。あまり美しくないが、木材を鉄骨にはめ込みそこに、

木を渡してその上に波板をおく計画を立てた。上図はまだ雨樋が無い。

ちょっと大きい木を長方形の長辺に渡し針金で固定し・・・を繰り返せばまあ3日もあれば出来るな、となめていたが、問題が続出する。

雨樋用の金具の向きが、固定する予定の木と90度異なっていたし、波板の突端からの位置がおかしい。しかも金具のステーが長い。ジスクで切ってドリルで穴を空け万力で適当に曲げた。

その結果がこれ。

波板や止め金具は、高かったがポリカーボネートを使った。台風のときのエア抜き等、ほかもいろいろ工夫した。10メートルぐらいに波板をならべると、いざ固定の時にはかなりずれてくる。

素敵な道具が増えてきた。昔はワニ口ステップルをちぎり、パキパキ折れる貧弱な波板を使うしかなかった。

骨組みが出来た。

若干の微調整の後、雨の日が楽しみになった。

波板をしく前。

 

 

 

 

 


今日、姜尚中に会った。

2016年06月12日 | 思想


といっても対談したわけではなく、ただ彼がしゃべるのを聞いていただけだ。

まじめな人だ。どうでもいい人間が、よく姜尚中を批判する。韓国の手先だ、中共とグルになって日本を滅ぼし在日(韓国人)の天下にしようとしている。などと荒唐無稽な誇大妄想をさらす。

僕はバカには興味は無いので、かかわってこなかった。

すこしおつむが足りないと、学問について錯覚をする。学問は多数決や民主主義や人権とは無関係なのだ。

僕がいうのは、民主主義的に、(良い例が「くじ引き」)で人間が選抜されたら東大には今よりも多くのバカが集まる。そんな民主主義はあってはならないのだ。50年前の支那の文化大革命を繰り返すやつは今やいない。

彼の著作の揚げ足を取る能天気たちは、姜尚中のまじめさを嚙みしめるべきだ。

 

「悪」は、面白おかしくその場しのぎの生き方をして、日々酒を飲んで脳をアルコール漬けにする。僕はそういうのを能天気だと思ったが、ちがった。そいつらは自己の将来に盲目であるばかりでなく、誠実な生き方をする人を茶化し、無視し、疎ましいまなざしを向け、ときとして攻撃する。そんな積極的バカもいる。

姜尚中は言った。人間は不幸のタネの下にいる。だから、一瞬でも不幸を忘れることができたら幸せになった気がする。それはウソの世界であり覚悟のない生き方だといった。

ぞくぞくっとする低音の口調は女子大生の憧れだったらしい。

1年前、彼は悪について本を出して見せるといった。

 

会場には悪がたくさんいた。眠るもの。酔っ払って酒臭いもの。クボタの作業帽を取らないもの。すねまで泥をつけているもの。

少なくとも酒臭いのは出すように、座席番号を示してそこらの公務員にいうと、座席番号ではわかりませんといった。そこで一緒に行きましょうと僕は相手を押した。

酔っ払いの排除は、僕の仕事ではない。低級公務員の仕事だ。

給料もらっている奴が動こうとしないときに、僕はボランティアで荒尾文化会館を正常化しようとした。

構造的、また必然的に発生する「悪」達を相手に流れに棹差すたたかいになる。

 

 

 

 

 

 


七色の煙、われらが誇り

2016年06月09日 | 工場見学

旧八幡市の市歌である。いま八幡市は周辺5市と合併して北九州市になった。

たかだか八幡高校で上位の成績を獲ったぐらいで自分は頭がいいと錯覚し、東大では、お粗末教授といえば舛添だと言うのが定評だった。東大にも居りづらくなり、次の金儲けを模索した。

母の介護といえば世間体はいい。実態は実家に休憩に言っただけで、実家とは絶縁状態だ。

もっとひどいことは、自分の妻(当時)が障害児を生むと1000万程度の手切れ金で離婚した。

(ここは近くでタバコをすうと引火した大牟田川、PCBはいまも20000ppm)

そういう舛添を生んだ八幡市は、本気で煤煙で空が七色に煙ることを自慢した。この頃公害反対を唱えるものは共産党であり非国民であるとされた。

「誰のおかげで豊かになっていると思っているのか。」

こう言われると飢餓線上をさまよっていた敗戦国民は、わが子の気管支喘息を隠してうつむいてうなづくしかなかった。

八幡製鉄(新日本製鉄、新日本住金)はすべての産業廃棄物をそのまま海や空に捨てた。洞海湾には生命体がいなくなり、自殺しようと思って飛び込んだが体が沈まなかったという喜劇がよくあった。

そういう大企業にも、高校の理科室程度の廃棄物処理場はあった。それをして公害対策をしていたというなら死んでください。

今洞海湾はきれいになったという。ウソである。除去不可能なほどたまったヘドロを上からコンクリートで覆っただけだ。臭いものに蓋をして解決になるのならどんな原発も再稼動できる。

工場排水をそのまま汲んできて写真の現像が出来た。(銀塩写真)強アルカリであるからなかなかきれいな現像が出来た。

公害は過去だという人が市役所を中心としていじけて巣くっているが、そんなら洞海湾の海水でお茶漬けを食ってみろ。

 

船に乗ると日本の海岸線がいかに破壊され、白砂青松は無粋なコンクリートに取って代わっているかがわかる。コンクリートの海岸だけが津波にやられた。

船に乗ると公海上では巨大船のoil垂れ流しが横行しているかがわかる。

船に乗ると停泊、航行禁止地域を増やし、都合の悪い犯罪的公害を見せないようにしているかがわかる。

もぐれば奇形貝や奇形えびが増えているのがわかる。

自分さえよければいい、頭の悪い、人類に迷惑な、早く死んでほしいカヌー乗りが四万十川を絶賛する。ばか。四万十川はずっと前から死んでいる。飲んでみろよ。

飲める水をきれいな水という。日本は、ほとんどの川の水が飲めた。

 

娘の直感は鋭い。

 

 

 


野犬化

2016年06月05日 | 健康・病気

先を見通せない貧乏人が、「カワイイカワイイ」だけで犬を飼うと迷惑だ。

日本では、たしかにペットを飼えるマンションも増えてきた。じゃあ、そのてのマンションが林立したら犬嫌いは少数となる。バカな民主主義の理解では、物事はすべて多数決で決めてよいとなっている。少数派となった犬嫌いの行き場所は無くなる。

奇形犬を好み「カワイイカワイイ」と虐待し、日本の住居を犬臭くする人は死んでください。

犬どころか犬のクソも始末できないのがいる。

 

当然、どこでもここでも犬臭いマンションから、置き去りにされたバカ犬の悲鳴のような雄たけびが聞こえる。

飼い主は言う。「家族の一員ですから。」ばか。おまいらのやっとることはただの動物虐待だ。

本来、共稼ぎをしないと生計が維持できない人々は、犬を飼えるはずが無い。毎日、学童保育ならぬ犬保育に預けるか。

という事情は、マンションのどの部屋でも同じだから、犬が吠えるのはお互い様だと我慢して、集団で残虐な閉じ込め飼いを行う。

バカはここで、「うちは小型犬ですから。」と的外れなことをいう。吠えて迷惑だったり監禁飼育をするのに大きさは関係ない。

「皆さんそうですから。」というのもいるな。バカは間違ったことでも信じ込むと手に負えない。皆さんとは日本国民の総意のことだな。

 

先日(といっても一年ぐらい前)、山に食べる草をとりに行った。

犬が20頭ぐらい群れを成していて、道路の下りカーブの先から僕がいるほうに向かっている気配がした。中型犬を中心として種々雑多なやせた犬が、吠えながら登ってきた。

なぜ皆銃規制に反対するのだろう。僕をエサにしようとしたとき、僕は小型犬なら5,6匹は殺せるが、丸腰の僕はいずれ負ける。

僕は拳骨より大き目の石を投げたり転がしたりした。「わが心は石に非ず、転ばすべからざる」というが間違いだ。心を込めて坂の上からどんどん転がした。まぐれで、群れの一匹にボコッとあたった。

バカ飼い主が大きくて手に負えない犬を捨て、それが群れを成しているのだ。銃があったら2sec.ですんだのに。

イギリスでは、streetごとにpetを飼える飼えないを決め、飼えるところですら1回でもないたら引っ越すか犬を捨ててもらう。鳴かないようには専門の飼育員によるか手術。

多数決は人権の保障のないところでは暴力になる。まず、数に優先して人は平穏に暮らす権利がある。