先日、どこかの統計にあったが、現在、日本人の70%は自分は幸せだと思っているそうだ。
僕は思い出した。中流意識調査が1980年にあった。なんと、90%が私は中流だと答えた。ほう、90%が年収2億以上だな。中流を定義しないで調査するとはなかなか統計局も意図的だ。
そういったあいまいな調査では、プライドに頼るしかない貧乏な人が、引きつった顔で中流ですと答えるに違いない。
(雨に負けぬ花)
少なくとも人よりは幸せでいたい、テレビの中だけにしかない幸せいっぱいの一家団欒は、自分の家には無いと知れるのはいやだ。誤解でもウソでもいいから幸せでいたい。と思う人が多い。
僕は立派にその中の一因だろう。ところが人生はいそがしいのだ。常に多くの選択を強いられている。そのとき「幸せであること」を優先順位の上位に挙げることはできない。それは利己的だ。無能で下品で名誉だけほしがる嘘つき国会議員だけのものだ。
あれ、金持ちになったらいいじゃんとか、幸せになれるのならそれでいいじゃん。と思う人が多いと思う。だから日本人の倫理性はたかが知れているというのが世界の定評となるのだ。
自分の人生を振り返ることの無い貧しい人は、目の前しか見ない。そして、そこに落ちている、目の前の10円を拾う。この人たちには過去は不要のものだ。明日の100円も考えない。
(分かれ道は必ず現れる)
いいか。人生には究極の判断をする時が何回か来る。戻ってこないと分かりきったカネをアホな友人に渡せるか。こらえてもこらえても頭(ず)に乗ってくる上司に一生ヘイコラしてわずかな給料にすがるか。・・・
窮乏したアホな友人が札束をつかんだときのニャッとした顔を忘れない。もちろん彼はその銭をもって消えた。だが僕は僕をほめている。ぼくは無節操な銭儲けをしたことはない。
アホ上司の件は、僕自身病気になるほどこらえたが、とうとうボコボコにした。だれも僕をたすけない。部下は後になってたらけんさんの言うとおりだとしきりに安全圏からほざく。そんなもんさ。だが僕は僕をほめている。もう一度やる。
そんなことをして、もちろん僕は不幸になった。100倍の難関の試験合格が水泡に帰した。たしかにテレビで出世した同期を見るとなかなか心は穏やかではない。僕は神ではない。
しかし、だからなんだ。こらえにこらえて自分や他人をだまし世に不正をはびこらせ、先進国でありながら労働地獄の中でうごめく便所虫になるより、不幸のほうがましだ。