か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

私は幸せではない、と自信を持って言おう。

2015年08月28日 | 思想

先日、どこかの統計にあったが、現在、日本人の70%は自分は幸せだと思っているそうだ。

僕は思い出した。中流意識調査が1980年にあった。なんと、90%が私は中流だと答えた。ほう、90%が年収2億以上だな。中流を定義しないで調査するとはなかなか統計局も意図的だ。

そういったあいまいな調査では、プライドに頼るしかない貧乏な人が、引きつった顔で中流ですと答えるに違いない。

(雨に負けぬ花)

少なくとも人よりは幸せでいたい、テレビの中だけにしかない幸せいっぱいの一家団欒は、自分の家には無いと知れるのはいやだ。誤解でもウソでもいいから幸せでいたい。と思う人が多い。

僕は立派にその中の一因だろう。ところが人生はいそがしいのだ。常に多くの選択を強いられている。そのとき「幸せであること」を優先順位の上位に挙げることはできない。それは利己的だ。無能で下品で名誉だけほしがる嘘つき国会議員だけのものだ。

あれ、金持ちになったらいいじゃんとか、幸せになれるのならそれでいいじゃん。と思う人が多いと思う。だから日本人の倫理性はたかが知れているというのが世界の定評となるのだ。

自分の人生を振り返ることの無い貧しい人は、目の前しか見ない。そして、そこに落ちている、目の前の10円を拾う。この人たちには過去は不要のものだ。明日の100円も考えない。

(分かれ道は必ず現れる)

いいか。人生には究極の判断をする時が何回か来る。戻ってこないと分かりきったカネをアホな友人に渡せるか。こらえてもこらえても頭(ず)に乗ってくる上司に一生ヘイコラしてわずかな給料にすがるか。・・・

窮乏したアホな友人が札束をつかんだときのニャッとした顔を忘れない。もちろん彼はその銭をもって消えた。だが僕は僕をほめている。ぼくは無節操な銭儲けをしたことはない。

アホ上司の件は、僕自身病気になるほどこらえたが、とうとうボコボコにした。だれも僕をたすけない。部下は後になってたらけんさんの言うとおりだとしきりに安全圏からほざく。そんなもんさ。だが僕は僕をほめている。もう一度やる。


そんなことをして、もちろん僕は不幸になった。100倍の難関の試験合格が水泡に帰した。たしかにテレビで出世した同期を見るとなかなか心は穏やかではない。僕は神ではない。

しかし、だからなんだ。こらえにこらえて自分や他人をだまし世に不正をはびこらせ、先進国でありながら労働地獄の中でうごめく便所虫になるより、不幸のほうがましだ。

  


still continue

2015年08月26日 | 思想

継続、継続。

アメちゃんが飛行機を手作りしていた。5年かけた人もいれば17年の人もいた。パイロットもいれば溶接工もいた。

かわいそうにも、試験飛行で墜落し脊椎を折る人もでる始末で、あまり順風ではない作業だ。

何の対価も期待できないが、決めたことにはとことんやりつくすyankee魂にyellを送りたい気分だ。

 (The world fastest Indianの実話の映画は僕を熱くした  言いたいことは今回の記事と同じ  写真は許可済み)

朝早くベルンの郊外を通ったとき、ある住民が庭木の刈り込みを始めていた。帰りに通ったとき(8時ごろ、まだ日が出ている)その住民は一本の木(高さ3メートル)の刈り込みをほぼ終えていた。

一日かかって一本の木しか刈れないのろまさに日本人やイタ公やアメ公はイラつくだろう。だが人生をまじめに生きるにはこのしつこさ、精密さ、じっと我慢する態度が必要だ。

光の速さを測ろうとする男がいて彼は考えた。遠くからミラーボールみたいなのに光をあて、ミラーボールを回転させ回転速度と反射光のズレを測定し往復する光の速さを割り出した。ところがその計算たるや彼の実験室を計算用紙でいっぱいにするほど膨大になった。

興味ある人は自分で調べてください。また、俺知ってるもんとかわざわざ言って来なくてよろしい。

実験物理のすさまじさだ。知ったかぶりはバカがする。楽しいことなんかあるもんか。本当の勉強なんか入り口にも立ったことないから大きな口をたたく。

教育が悪い。家庭教育。学校教育。いずれもチヤホヤ飽きないようにスマホ使いながらゲームしている気分で楽しくやる。

その結果が最高学府、日本の教育予算の半分をたった一校が使うまさにその学校、東大ですら世界の70位という現実だ。数年前、僕は韓国に負けると書いた。現実になった。

ロボットでは日本は20国中10位と11位だ。韓国は一位。反省しない。これは大変なことなんだぞ。ロボットのプログラムがどうしたとか、センサーがどうしたとかの問題ではない。

みんカラでそんなことを書いたら少しは発奮したのか、見に来いという事になった。TDLのついでに見てやる。しかし、見込みは無い。

なぜ断言できるか。楽しんでいるからだ。20億のカネが、ロボットと名づけたものの、まるで酩酊し千鳥足の親父が駅をさまようような針金細工を作った。来年はもっと順位が下がる。

よそは命がけでやっている。産業技術研究所は遊び半分だ。税金をどぶに捨てるな。

人生観が甘い。人生は楽しくない。それを教えるのが教育の出発点だ。つまり学習していない。

楽しくないから頑張るんだ。楽しさより正しさを求めよ。

日本では誰もいわない。

 

あ、ケーキシリーズだ。この次に回そう。お詫びにゴジバの写真だけ。ベルギーにはダイヤとゴジバがある。

 

 

 

 

 

 


SAPPORO Beer 工場見学

2015年08月21日 | 食・レシピ

台風も来てるし雨は断続的に降る。こんな時に工場見学をする人はいない、という読みがあたった。

僕たちのほかにだれもいなかった。しかも男の職員が案内したので深い質問をすることが出来た。オネエチャンが案内すると乳が揺れたりしてそれなりに楽しいが、大体において本人が深い知識欲がない場合が多い。

職員も、見学の後の無料ビールばかりに気もそぞろな汚いおじさんたちには辟易している。僕たちのような、打てば響く冴えわたった教養の泉がいると、つい言っちゃいけないことまで教えてくれる。

人間には説明本能みたいのがあって、相手がきちんと理解すると何物にも替えがたくうれしい。逆に理解してないのがわかりつつしゃべらされるのは拷問だ。(四流大学)

醗酵業とは違うがAjinomotoやFuji Filmに行ったとき、僕なんかの想像をはるかに超えて研究は進んでいた。Sapporoも同様だ。

Marxは必然的な恐慌が労働者を決起させると説いた。当事はもっともらしい理論だった。頭ごなしに否定してはいけない。ただ、彼Marxは、経営すなはち資本は自らの将来の予見にまったく無能で、沈みつつあるタイタニックで宴会をつづけるとした。決定的な誤りがある。

 

(Sapporoの次の手は?)

 

ビール消費の減少には精一杯抵抗するにしても、先は見えている。そこで試行錯誤を繰り返すわけだが、まあだめだろうというものまで考えていた。資本家は己の将来に無能ではない。無能で目先のことにこだわるのは労働者だ。そして目先のことも失う。今回ばかりはSapporoの次の手をバラさないでおこう。

Bridgestoneのように質問が高度になると警戒されるといったことも無く気持ちよく見学した。

酒類全般について言うと、世界中で一人あたりのアルコールの消費が最も多い国は韓国だ。バングラディッシュでは飲もうにもカネが無い。ドイツはよく飲むが他に楽しみが多い。すなはち、数学的帰結としてまあまあカネがあり他に楽しみの無い国は酒を飲むしかなくなる。

日本も、限界集落で万屋(よろずや)はつぶれても酒屋はやっている。

このように、日本も韓国も田舎に行くとアルコール消費が多い。韓国では、まず夜は出歩けない。韓国の強姦率はOECDのなかでダントツの一位だ。

ハイトビールが(事実上)韓国唯一のビールだ。輸入したのはいろいろある。とにかくハイトはキリンを100倍に薄めたのよりまずい。どうしたらこんなにまずく出来るのか企業秘密を知りたい。

そのあとSapporoの敷地内にあるレストランで食事した。若いとすごいな。女でも馬のように食った。

小さい頃、飯をがつがつ食うと、朝鮮人のようだ、といって叱られた。何を言うか、オマエこそ朝鮮人みたいだ、と思った。何でも悪いのは朝鮮人なんだな。その頃から僕にはネトウヨの素質があったのか。

 

(映画のセットのような素敵なヱビスビールコーナー 工場内にある)

 

 

 

 

 

 


八千代座

2015年08月16日 | 旅行

八千代座は、明治43年に建築の江戸時代の伝統的な芝居小屋の様式を今に伝える芝居小屋です。山鹿の商工会が劇場組合を作り、1株30円の株を募って建てたものです。八千代座を設計し、工事監督をしたのは、回船問屋の主人で灯籠師でもあった木村亀太郎です。建築には素人でしたが、研究熱心で東京の歌舞伎座や各地を見学、さらには上海に渡り洋式工法の長所も取り入れました。     < 八千代座ガイドブックより引用

 

ところが、TVの普及とともに経営は破綻した。(1980年)  再建の機運が高まったとき僕はボランティアとして参加した。

棟梁はやさしかったが、しだいに大事な仕事は回ってこなくなり土壁用の泥をこねることしかさせてもらえなくなった。自分ではそんなに気がきかないほうではないと思っていたが、プロの中に入るとただのお邪魔虫だった。

素人はプロというものを単に「上手な人」ぐらいに考えている。とんでもなかった。下手な大工は生きていけない。つまり大工としては死ぬしかない。その事の成否に己の存在をかける人達がプロなのだ。

僕は言われた。「お前だって100点取ることがあるだろう。しかし、俺たちは一回でも70点を取ればおしまいなのだ。100点をとる必要はないが常に80点以上をとらねばならない。」

僕は邪魔にしかならなかった。八千代座が再建された。(2001年)   寡黙な大工左官の手さばきは、まさに神だった。

本物はひけらかすことなくやさしく言葉に重みがある。

その八千代座がなつかしくなり熊本山鹿に行った。興行のないときじっくり見学するのはどうだろう。奈落は人力で動かしていた。入り口右側の壁の土は、からけんがこねて運んだ壁土だ。塗ってないのであまり意味がない。プロは一回塗るだけでコテの跡をまったく残さなかった。

明治に出来た八千代座は、驚くことに分煙されていた。上の写真、2階の張り出した小部屋にはSmoking roomとあった。

ま、せっかく来たのだから山鹿の料理屋に入り食事した。とくに店の名を書くほどのことではなかったが、ありきたりの材料の料理だったのに不思議に珍しい味がした。

内縁の妹は、桜温泉にも入らず料理を見ても何か不満そうだった。よいよい。若ければ許される。

しかし、いつまでも許されるものではない。

  

久しぶりに山鹿と言う街に来てプロについて考えた。山海の珍味を集めれば誰でもうまいモノが作れる。プロは人参やジャガイモやサトイモや・・・で見事なご馳走を作った。料理のレベルも金額も高かったが、人それぞれに何かのプロであると実感した。

 

八千代座 - Wikipedia

 

 

使い古した姫フォーク(ショートケーキ用カトラリー)まで素敵だ。八千代座は、たかが芝居小屋だが西日本随一の規模だった。それを一地方都市が維持できていた。つまりゆたかであったわけだ。飯塚、日田、大牟田、山鹿、武雄・・・昔日の繁栄を偲んでケーキシリーズを書こうかな。

 

 

 

 

 

 


Roller coaster(ジェットコースターが怖かった)

2015年08月11日 | 受験・学校

小学校2年生ぐらいだったか、巨大なそれを目の前にしたとき思った。きっと僕が乗る順番が来て轟音とともにこのコースターは壊れる。

第一バンク角も十分についていない。骨格は木製だ。腐れた木製だ。そんなものに乗る人はきっとやせ我慢をしているかバカで鈍感なのだろう、と直感した。

(Woody coaster in Los)

 

うちの縁側のレールを抜き取りミニカーを走らせて遊ぶのが好きだった。曲率と下り角とバンクの関係はすでに実験済みだった。レールはうちのばあちゃんがこっそり修理屋を呼んで直してくれた。父親が気が付こうものなら、僕を半殺しにして日ごろの鬱憤を晴らすのが目に見えていたからだ。

僕は先生と乗った。小学二年生。

僕は先生と遠足で行ったのか、先生が連れて行ってくれたのか、今では分からない。その上どこに行ったのかさえわからない。

とにかく確実に事故が起こると信じ込んだ僕はシートベルトを断った。先生の腰に抱きついたほうが安全だ。記憶は断片的だ。ふわふわして気持ちよかった。小2からスケベだったのか。

断ればしなくてよいシートベルトなんて、なんておおらかなのだろう。コーヒーが熱いのを店のせいにしてカネを取ろうと言う時代ではない。

(Woody coaster)

 

僕は泣いたようだ。降りたときの景色がゆがんでいたように思う。

「たらけんちゃんは、だんだん勇気のある人に成るとよ。あーん心、安心。先生も怖くて泣いてしまったとよ。」「皆がなんかゆーたら言い返しなさい。一番ゆれた座席で先生も泣いていたと。」

その年の暮れ、先生から年賀状が来た。「給食を盗られたら誰でも泣くよ。忘れ物をしたら、なんか恐ろしいことがおこりそうな気がするね。もっと大きな気持ちでいましょうね。」小学校の先生らしいきれいな字で書かれている。

僕は泣き虫だったらしい。年賀状は手元にある。今のはがきの2/3の大きさだ。

先生は、僕に特別に何かをしてくれたわけではない。だけど、先生はいつも僕を心配していてくれた。

昇進気違いは、書類に残ること、議事録に残ること、教務日誌を丹念に書く。・・・そんなうそは子供は見破る。

僕は「先生」と呼ぶ人は三人しかいない。その中の一人、井口妙子先生。どうして死んだんですか。寂しいじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 


いい男は我慢、それもやせ我慢。

2015年08月06日 | ブランド

 

昨日、グランドハイアットでジュエリーとバッグの発表会があった。高価なモノがあつかわれるところでは、人間は見栄を張る。

ジュエリーって石じゃないか。バッグは定着した外来語だが、早い話が鞄だ。ブランドも漢字圏では「名品」と訳される場合が多い。

一部に例外はあるが総じて上品で静かだった。来ている人は皆金持ちで穏やかでしかも話が面白い。なおかつ俺が俺がと出しゃばらない。

今回も業者がお昼をおごってくれた。このときとばかり食ったので今でもお腹がすかない。金持ちは損をしないな。

こう書くと貧乏に該当する人はここら辺で読むのをやめる。不愉快だろう。

我慢我慢。

決してカネがある者が金持ちというのではない。一見、カネがあるのでゆとりが生じ、教養が増し、争いごとは去り、モノを見る慧眼を持ち人生が豊かになると思える。

僕が経験した限り真実は逆だ。まづ最初にゆとりが生じる生き方をして、そのゆとりを教養が増すことに使い・・・、なので結果としてカネがたまり金持ちになる。そうなるまでは壮絶な貧困に耐えている。

貧乏人の銭失い。これほどの名言があろうか。

さすがの金持ちも展示された名品(ブランド)の金額となると、カードを切るときにはやせ我慢の表情をした。笑っても引きつっている。

基本、金持ちはケチだ。その上、普通の人が飽きるほど精密な人生観を持つ。みんな苦労をしている。貧乏人はかたまって生きるので金持ちを一人も知らぬのが普通だ。知らないのに最初っからの金持ちがいると言う人がいる。そういう貧乏人が考えるようなコガネもちは、家柄もなくすぐ滅びる。あるいは、「私は面白半分にカネを稼いでいる。」という人は寄生虫か泥棒だ。

金持ちは、金持ちなんていつでも辞めていいと思っているが、貧乏人は命がけで金持ちを目指す。仲間を蹴落とし必死でつかんだくもの糸が肝心なところで切れ、まえ以上の極貧になる。必定。

日本はいまや一人当たりGDPは、アジアですら5位になった。安倍になって自分の生活がどうなったか考えるゆとりを持たないからいつまでも貧乏なのだ。

金持ちグループの会合に出て名品の石や鞄を見ていると、増加する極貧層が哀れだとつくづく思う。極貧層とのいさかい事に明け暮れるのではなく、教養を高め中身のある思考をせよ。

安部の矢は金持ちのために放たれたのだ。すぐイラつくおまいら貧乏人のことを考えてくれる奴なんていない。そんな見返りのないことを誰がするか。

「日本はかわいそうなことをしますね。」と金持ちが言った。Non-Politikなキリギリスは冬に死にます、と僕。

ふと目を離した隙に、内縁の妹はパイソンの鞄を買っていた。我慢我慢、やせ我慢の笑顔。

カードを発明した奴は人類の敵だ。北朝鮮に拉致せよ。