か ら け ん


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ウソはしきりと絶叫する 122

2024年12月20日 | 韓国
<前回のつづき> 

第2部 オレンジ畑でリンゴを探す 〔11〕 
 [2-1] オレンジ畑でリンゴを探す p159

以前偉大なマルクスは人類の歴史が原始共産制社会から奴隷社会封建社会を経て資本主義社会に発展してきたのであり、その後には過渡期である社会主義を経てすべての人間が労働から解放されて共産主義社会が到来するのだと予見した。このすべての歴史発展を導く原動力は生産力の発展であり、これは社会の土台である下部経済構造と上部構造つまり政治と文化が相互に変化、適応をし合うことによって成し遂げられていくとした。


そして実際に封建社会の伝統を持つヨーロッパと日本は順序どおりに資本主義に移行、産業革命と急速な生産力の発展を経験した。 この過程で新しい生産構造に適合する政治社会構造が導入され近代市民社会が誕生した。しかし、奴隷社会から封建社会の発展がなされずこれによりこの地域は資本主義帝国の植民地に併合され様々な形態で歪曲した社会発展を経験することになった。マルクスはこのような第三世界の停滞性についてはアジア的生産様式という概念を持ち出し説明しようとしたがその原因をはっきりとは示せなかったようだ。実際マルクスの時代には第三世界の停滞性という概念すら存在していなかったので問題意識も生まれなかったのであろう。


封建社会の伝統を経験していない台湾と朝鮮もその他の世界に属していたがこれらの地域は日本の統治に基づく市民革命を成し遂げ近代資本主義社会に発展することができた。日本の知識人ははや20世紀初、朝鮮と日本社会の発展水準において大きな格差がありことを認め、すすんで朝鮮の文明開化を先導する助産婦の役割を自認していた。


日本で韓国社会の停滞性を始めて主張したのは福田徳三であると知られている。彼はヨーロッパの経済学を日本に紹介した西欧的な経済学者であって、19世紀末ヨーロッパに渡りドイツのライプツィヒ大学とミュンヘン大学に留学した。彼は帰国したのち1904年「大韓帝国の経済組織と経済単位」という論文を発表、初めて朝鮮社会の停滞性理論を主張した。この論文は近代的経済史学という方法で朝鮮の経済史を研究した最初の学術論文である。


福田は財貨の交換流通に立脚し経済が発展していく段階を自足経済、行商(到付)経済、国民経済の3段階に区分した。彼は自足経済を封建制度が出現する前の時期に、行商経済は封建制度に対応している時期に、そして国民経済は近代国家に対応する時期であるとみた。彼の研究は20世紀初め朝鮮の社会経済状態が何ら行商経済の兆候がなく自足経済の段階に属していた、封建制度が形成される以前の跛行的状態の水準にとどまっていたとした。


この段階は日本の9世紀末から12世紀初に該当するものだった。これは20世紀初、朝鮮の社会経済状態が日本とヨーロッパに比べて千年以上遅れていたという結論であり、近代国家の国民経済が形成されるに不可欠な先行必須的条件がまさに封建制度であるので朝鮮は資本主義はおろか封建制度の段階にすら達してはいなかったといえる。


このような福田の考えを停滞性理論、あるいは封建制欠如論という。まさに隣同士で交流していた二つの国家の経済発展が千年以上差が出るという主張はすぐさま納得しがたい主張ではあるが日本が長い歳月を外部勢力との交流をほとんどせずに発展してきたという事実を考えるとあり得ないことではないようだ。とにかく福田の研究は当時の学問水準としては独創的で斬新なものであった。


彼はこのように停滞した朝鮮の経済が近代化を成し遂げるためには自らの力では不可能であり外部の力が必要であると考えた。当時清はほとんど滅亡状態であり朝鮮に隣り合っている外部の存在は日本とロシアなのであるが、ロシアの場合朝鮮と同じく経済が低調でありその助けで発展の転機を得ることは期待できないのでつまるところ朝鮮の発展は日本の力によってのみ可能となる。すなはち、自力で近代化をすることができない朝鮮がとることのできる唯一の選択は日本の同化する道しかないのである。


そうであるなら、ある社会が資本主義段階に発展するために必ず必要だと考えられる封建制度というのは何なのか。封建制度とは一種の政治的社会的現象である。それは人間の社会的地位と機能が土地の所有関係を中心に決定される制度であり、このような制度では個人の財産のみならず社会的地位とか権力が個人の能力とは関係なく世襲される。また封建社会の政治権力は封土という名の領地を部下に分け与えることにより発生する忠誠と君臣関係により維持されるのである。



このような社会、政治制度は中世ヨーロッパで栄えたのであるが、例えばフランスにおいては12世紀ごろにその絶頂を迎えた。ヨーロッパ以外でこれと類似した社会政治的制度がいち早く存在していたほかの地域は全世界で日本だけだ。室町時代後期、すなはち応仁の乱で織田信長が現れる時期まで日本の封建制度は全盛期ヨーロッパの封建制度と極めて似ていることが知られている。



<つづく>



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