外国語を教えているといつも突き当たるのは日本語の壁だ。
第三者からよく言われるのは、「日本語には例外やあいまいな点が多くて…」。
例外はどの言語にもある。ギリシャ語は動詞の半分が不規則活用である。しかも、英語みたいに不規則性に「型」というものがあまりない。
日本語で言う。代名詞を例にすると、「ここ、そこ、あこ」とはならない。「ここ、そこ、あそこ」だ。「あそこ」というときだけ「そ」が入る。これには理由もないし規則性もない。語学はつまるところ覚えて慣れるしかない。
じゃあ、覚えのいいものが上達が早いかというとそうでもない。アグネス・チャンがいい例で、いつまでたっても日本語が上達しない。
気の毒だが頭だ。頭が悪いと一つ習ったことを多くに応用しようとしないので疑問がわかない、黙る、すると下手のままだ。
さらには頭が悪いと論理的思考に時間がかかり、あまりながい論理について来られないし並列的な思考はほぼ不可能だ。日本語はまさにその論理的な言語である。合理性はないが論理性はある。ドイツ語と似ている。ドイツ語で、男性三格になぜsが付くか、と言ってもしょうがない。日本語で、用言はなぜ5段も活用するのか、3段でいい、と言ってもしょうがない。言語に合理性が求められたのは、近代以降である。
一方で善人ぶりっ子が、その日本語を弄り回してよい子アピールに利用しようと頑張っている。これも吐き気がして僕の健康を害している。
10月30日 朝日新聞
消火→火を消す 避難所→逃げるところ というように外人のために表記を改めていく。
〔引用終わり〕
日本人が難しいと考えるところと、外国人がそう考えるところは異なる。「火を消す」という言葉は文章であり日本語を構造的に理解してないと意味がとれない。世界でもまれな「助詞」というものの理解がないと、「火」が何かを「消す」と誤解する。その点「消火」は、単語一つの理解でたりる。
少なくとも漢字圏では消火と言えば漢字を見てわかる。日本語の文の構造まで知らないとわからないような「火を消す」はやめたがいい。火+を+消すの3語の理解がいる。
避難所も同様で、逃げる(連体形)+ところ。この「ところ」が問題だ。ところには、at that time の意味がある。「逃げるところだ」は、「逃げようとしている」と解釈するのが自然だ。
逃げるの終止形と連体形の違いに合わせ、意味が多様な「ところ」を使うといよいよ解釈が分散する。外人の下手な日本語能力ではなおさらだ。
つまり、外人には「避難」よりも活用する「逃げる」という言葉がはるかに理解困難だ。字画が少ない言葉は簡単だと思うのは、その人の頭が簡単にできているからだ。
外国人の不安に寄り添う、なんて良い子ぶるのは本当に吐きそうだ。せっかく食ったものがもったいない。
偽善朝日新聞の喜びそうなことだ。
ところが朝日の文化欄は最高で他社と比較すると人間と微生物の差がある。
狐鳴く村の本屋のありし跡今日も降り積むいちょうの落ち葉 杵築市 長野なをみ 朝日歌壇