か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ソウル発緊急電  「縄不撓曲」 (승불요곡)

2019年09月24日 | 韓国

チョ氏は、文政権誕生直後から2年半も大統領府秘書室の民情首席秘書官を務めてきた人物。民情首席秘書官とは、政府高官の監視と司法機関を統括するポストで、政府高官や大統領の親戚など、権力層に対する捜査や、組閣のための候補者推薦と人事検証などを主要業務とするだけに大統領府秘書官の中でも大統領と最も近い関係にある。そのため、「政権のNo.2」と見る向きもある。 

 

文在寅は、大統領就任時にこう言った。「五つの不正」の事例をあげ、この中で一つでも該当したら私は大統領を即座に辞任すると。(賄賂の授受、財閥との癒着、供応の授受、親族への特権供与、不正蓄財・・・)

また先日はチョグクを法務長官(法務大臣)に任命するときには、下記のように述べた。

 

国民を挫折させる既得権と不合理の源泉となる制度までも改革していきます。

高校序列化と大学入試の公平性など、機会の公平性を損なう制度からもう一度よく調べ、特に教育分野の改革を強力に推進していきます。

 

いみじくも日本では。

安部も同様のことを言った。モリカケ問題に関し追及をされると、一つでも私が不正に関係していたら即座に辞任します、と。ところがやめるどころか、安部はすべてに関係していたにもかかわらず、国家秘密法をはじめ国民の目と耳と口をふさぐ法整備をした。厚顔無恥。

それにとどまらず、一省の下部組織に過ぎない自衛隊を憲法に挿入するためいわゆる「法理」を無視し、9条改正を強行する勢いだ。そんなことしたら法体系が崩れる。じゃあなぜ警察は、海上保安庁は、・・・ すべて治安を維持していることでは同列である。なのにただ自衛隊のみを、戦力を武力と言い換え、戦争を有事と言い換えて平和主義をないがしろにし、憲法に明記しようとしている。極悪非道。

 

で、韓国。

文在寅が言った言葉が安部そっくりだ。「特に高級公務員に関してはこの五つの不正に一つでも関与したら即座にやめてもらう」そうだが、チョグクに関してはその「五つの不正」のすべてに該当している。

 

結論

ブログには卑怯者が多い。事実を並べ、人目を引くものを引用するのが多いが、あまりにも価値判断をためらっている、もしくはその能力がない。自分を安全圏に置き、面白く楽しいことしか興味と能力を向けない。バカの典型。

ぼくはいつも言っている。「事実はどうでもいいのだ」(ニーチェ) 仔細に及ぶことが真実に近づくことと思うのがバカの特徴であり大いに迷惑だ。「本質は事実には存しない」(からけん) 本質は事実相互間の関係を抽象することでしか生まれない。

 

おまけ

チョグクは近く検事たちを前に就任演説をする。この演説は慣例になっていて「法不阿貴」「縄不撓曲」という内容を述べる。

とくに二つ目が問題だ。「縄不撓曲」 韓国ではどんなポン助大学の学生も知っている。

墨がついた糸をバチンとはじく。

気持ちいいほどまっすぐの線

大工さんは家を建てるとき、墨糸と墨壺を使う。「縄不撓曲」の「縄」とは墨糸のことで、墨糸が曲がっていては家が建たないことから、都合のいいように法律の解釈を曲げられては国家は成り立たないこという。

チョグクは、いっ、一体、どの面下げて検事の前に立つというのか。

 


ウソはしきりと絶叫する 59

2019年09月21日 | 韓国

<前回のつづき>

「親日派のための弁明」キムワンソプ (全文掲載)

2002年発行されたキムワンソプの「「親日派のための弁明」と2003年の同作家による「新 親日派のための弁明」は、「歴史事実歪曲」を理由に青少年有害刊行物に指定された。97年7月1日青少年保護法が施行されたのち歴史歪曲を理由に有害媒体物であると判定された国内図書は、この2刊のみである。日韓併合に対する肯定的な視覚をこめたこの図書は作家が在宅起訴されたし、死者に対する名誉棄損の疑いで告訴されるなどおおくの論争が起こった。

 

(目次)

第一部 アジアの夜明け

第二部 ミカン畑でりんごを探す

第三部 相生(ソウジョウ)の歴史

第四部 神風の末裔たち

 

[自己紹介]

「韓国人の皆さん」 キムワンソプ

韓国政府は長い間国民をだましてきました。歴史をねつ造し優しい日本人たちをあたかも強盗だったかのように罵倒し、わが民族の黄金期だった日帝時代をまるで地獄にでもなったかのように教えています。言わせてもらうなら歴史に関する限り洗脳しているといえるでしょう。万一、真実を知るなら、皆さんはこの間、騙されてきたことに憤りを覚え何日かは眠れなくなることでしょう。

「親日派のための弁明」はこのような韓国の歴史ねつ造と反日洗脳教育を全面的に批判して真の歴史を述べている本です。この本は2002年に初めて出版されましたが、韓国政府機関の弾圧により書店では販売できなくなりました。著者は反日団体からの立て続けの告訴告発と警察検察の偏頗的な操作、テロなどにより指名手配状態から逃避生活を続けています。この本は現在購入することはできません。書店がこぞって販売禁止措置を取り売り場からこの本を撤収したからです。

 

著者紹介

アナキストであり実践する知識人。1963年光州で出生し1882年サレシオ高校を卒業し同年ソウル大学に入学し1989年まで物理学科天文学、歴史と政治経済学を学んだ。1987年にはソウル大学復学生協議会長として学生運動を指導した。

1989年からはコンピューター分野の専門技師として働いたが、その後フリーランスの翻訳著述などをした。5.18国家遺功者。であり光州民主化運動と九老区庁籠城事件などで2回も投獄された。1996年以降、2年間オーストラリアに住んだが帰国後コスダック新聞社を創立、創刊。編集主幹として働いた。現在は著述と創作活動に専念している。翻訳はアインシュタイン原著の「物理学の進化」(1994)がある。著書は「ウインドウ3」(1993)「娼女論」などがある。

 

 

次回は、[보도자료] 역사를 왜곡하는 것은 과연 한국인가, 일본인가 から   © からけん

 

 


ウソはしきりと絶叫する 58

2019年09月20日 | 韓国

<前回のつづき>

日帝時代、韓国の資本主義的転換が解放と戦争を通じて全面的に否定されたのではなくだいたいにおいて温存されたという事実も正確に認識する必要がある。1940~50年代半島南部に対する米国の直、間接的支配には日帝の残滓の「清算」よりも「持続」の側面がはるかに多かった。解放以降、冷戦と反共主義は真の脱植民地化を妨げる最大の障壁であった。そして、植民地近代化批判論は半島南部の場合とあまりにも対照的な北朝鮮の現実の危機状況を指摘しつつ全般的な日帝の植民地支配の経済的効果を疑ってみているが、これは説得力が弱い。なぜなら、解放以降に韓国が日帝の遺産を大挙して継承したしまた資本主義的発展戦略をとっていたのに対し、北朝鮮は最初から日帝遺産を徹底的に清算したのみならず韓国とは正反対にチュチェ、社会主義の道を歩いたからである。このように、日帝時代の経済成長の遺産が北朝鮮の場合には当てはまらない理由は自明であるといえよう。

 

しかし、ここで植民地近代化論という概念自体が植民地近代化批判論者たちの「誤解」を招いている側面だけはよく考える必要がある。「発展」とは異なり「近代化」は学問的にみるとき価値中立的な概念だ。しかしそれが通常使用されるときは肯定的な意味を含んでいることも事実である。よって、植民地近代化を「植民地工業化」とか「植民地時代経済成長」という概念に置き換える必要がある。これは単純に「誤解」を避けるための戦略としての意味を持つものではない。むしろ、植民地時代を多面的に、そして多次元的に理解するためにも「近代化」のような包括的であり広義の概念は分析的な側面から適切ではないこともありうるからだ。

 

 

次回用メモ  【 새 친일파를 위한 변명 】 김완섭 (46)  から

 


学校の先生にいまこそなろう 3

2019年09月17日 | 受験・学校

魚介類アレルギーがある人に対して、どんなに素敵な寿司を出そうとあまりありがたくない。

ぼくは翼をもがれた鳥のように雌伏して都会で公務員をしていた。そのころはまだ特権が多く、民間人は少なくとも10万/月は出すだろう都会の官舎に、2000円/月で住んでいた。カネはたまる一方で、連日の説明会だの研修だの名目は何であれ食事がついていた。

その公務員をやめて、田舎に帰るとき銀行預金を解約すると行員が全員そろって見送った。

実は、僕には田舎はすでになかった。親からすると自分の思う職業に就こうとしないぼくは不要な存在で家に帰らせなかった。

ぼくは公務員アレルギーだ。どんなに美味しい公務員でも、ネクタイの質、色、靴は紐靴であること、紙の分け方まで指示された。もはや監禁ノイローゼ状態になっていた。アレルギーなのに寿司を強要されていた。

 

 

そんな僕を拾ってくれてのは熊本県だ。就任式の前日、ぼくは浮かれてバイクに乗り足をねんざして革靴がはけなくなり長靴で式に出た。ズボンを長靴の外側にするとあまりわからないだろうと思ったのは僕一人だった。

そんな僕を福岡から熊本までバイクで送ってくれたのは不良でチンピラの仲間だった。彼らは優しい心を持っている。ただし仲間内に関してのみ。

悪いことは重なる。県関係の全新任者の辞令交付にあたり、ぼくの座席だけが指定されていたので嫌な予感はしていたが、・・・ ぼくが宣誓をすることになっていたのだ。知る由もない。突然言われてアドリブで、「私たちは日本国憲法を体して誠実に職務に邁進し・・・」とか言って何とか切り抜けた。

じつは会場に遅刻していったので、予行ができなかったのだ。

 

本論

小学校中学校の先生は一般に、先生ご自身が教えることを放棄している。当たり前だ。その実力がないから教えられるわけない。やることと言えば仲良しごっこ。みんな仲良くお手お手つないで楽しい学校ごっこをする。

知的好奇心の強い子はやってらんないから私立に流れる。これがまたバカ公立🏫の先生にはありがたいことだ。ますます勉強しなくてよくなる。

身分という既得権はカネを積めばコネ採用としていつでも得ることができる。組合費という保険を日教組や地区労に払うと、ただ尻で椅子を温めているだけで数千万の退職金が待っている。議員に数百万のわいろなんざあ安いもんだ。

ということに該当するほとんどの先生は、バカをさらして一生を終わる。たいていそのバカのひどさに応じて校長や教育委員会やその他の天下り先に行く。

 

3年も前に自殺した中学生の遺書を教育委員会が隠していた。明らかにいじめを受けけていたことが実名入りで書かれていたにもかかわらず、遺書や重要な日記、手紙の類を保護者から取り上げ隠匿し返還に応じなかった。つまり、いじめはなかったことにしていたことが内部告発で明るみに出た。委員会が言った言葉は、

 

「真相究明のためにアンケートを実施します」「個人情報の管理を徹底します」

 

などと言ってマヌケぶりをさらした。

 

国家の根幹、百年の計はどこにあるんだ。これは犯罪だ。もともと低能だったものが耄碌したら際限なくバカになる。これではいかんのだ。

人間力を高めないと社会からはじかれる。日本にはその力をつけてくれる先生が消えていく。

ぼくは願う気持ちで先生を志す人に言う。こんなあほな現状だからこそ、そう、だからこそなんだ。

共感して読んでくれた君に先生になってほしい。


学校の先生にいまこそなろう 2

2019年09月07日 | 受験・学校

毎回固い話ばかりもなんだから、今回はやわらかく。

ある親戚がぼくにやや遅れてに高校の先生になった。ぼくは天地神明に誓って自分のためにインチキ採用を狙ったことはないが、この親戚野郎のために僕は一肌脱いだ。

僕が一番嫌っているコネ採用。身内だからちょっと自分のスタイルではないけれどやってしまった。教員になろうとした場合、実力でなることは福岡県ではほとんど不可能だ。佐賀県では全く不可能だ。

逆に教員が不足する県では教員免許を持たずとも採用された。「あとから研修」を受けるとバカにも免許が来た。

彼は生涯ぼくにコンプレックスを持っていて、何かとぼくに自己の優位性を示したがった。ぼくに変な質問をして、ぼくが「知らない」と答えると鬼の首を取ったかのように喜んだ。ぼくにむかって、「勉強してください」といった。

ぼくの力で彼は教員にならせてもらったことが、彼の頭の中にいつも回っていたようだ。それは誤解だ。ぼくにそんな力なんてないし持ちたくもない。親戚のある人の一番弟子が事務次官をしていただけだ。

 

人が何かにコンプレックスを持っているとき、個々の事象は人それぞれ異なってもその心理状態や思考回路は同じだと思う。

見苦しいのに空威張りをする。すぐメッキが剥げて赤恥をかく。それを隠そうとまた能力のあるふりをする。

 

ま、いいや。もう死んだから。ある年、健康診断を受けていなかった。まさにその時癌は進行し、半年後に休職し一年後に死んだ。最後までカッコつけて、「仕事がいそがしく健康診断に・・・」と。

いま反省する。どんなに上等の職業だとされていても実力のない奴を無理に先生にならせてはいかんな。つねに片意地を張るしかない彼の人生は、30年で終わった。

コネ採用をしなかったら、せいぜい🏫事務員程度で楽しく、ひょっとして今も生きていたかもしれない。自分が同志社大学出身であるというコンプレックスと対抗心の虚勢に溺れて死んだ。

 

今思う。人助けはほんとうにしてはならぬことだ。その人の向上心を奪い、劣等感の海でおぼれ死にさせる。

 

オウム真理教の浅原彰晃が言った。

「私の解脱を最後まで妨げていたものは、私が東大出身ではなかったことだ」、と。正直だ。大学に行こうとする若者のすべてが抱くのがこのコンプレックスだ。

「グダグダ何を言うか、そんなに不満だったらお前自身東大に通ってから言えよ」

こういわれると堪える。

大学は偏差値で序列化している。100校が横ではなく縦に並んでいる。階段の上は雲に隠れているが時折東大の段が見える。

レベルが違いすぎると劣等感もなくなるか。でも自分がいるすぐ上の大学に劣等感、下に優越感をもっている。社会に出ても階段ばかりだ。

 

しかし気がつくべきことはこの階段は人工のものであるということ。ハーバードに行けずエールに行ったことへの劣等感に共感する日本人はあまりいない。同様に修猷館に行けず近所の私立に行ったことは、同じく根拠のない劣等感を作る。人工だから普遍性は当然ない。

結論

人が作り出したものに人が苦しめられてはいけないのだ。

今まで生きてみて、この支配者に都合のいい差別構造は、必ず克服すべきものだとわかってきた。

 

全員が東大にはいけない、全員が修猷館には行けない。しかし、落ちた悔しさはなぜ劣等感に転化するのだろう。

 

申し訳ないが言わせてもらうなら、それは努力が足りなかったからだ。一分一秒もこれ以上勉強できないというほど考えたか、これ以上勉強したら死ぬというほど英語の長文和訳を考えたか。

何かに合格したとしても、すぐまたその上の階段が立ちはだかる。

その階段の上に行けなくて悔しいのは、本人がぐうたらだからに過ぎない。全力を出し切ったら階段は消える。

浅原は一時期まで凄まじい勉強をしている。正確な仏教理解だ。努力の地平に「滅諦」が見えたに違いない。

劣等感が嫌なら努力するしかないが、最初っからあきらめるのもよい方法だ。そうかな? それでいいか、本当にそれでいいか。

 


学校の先生にいまこそなろう

2019年09月01日 | 受験・学校

ぼくの親はぼくを医者か弁護士にしたかった。それ以外は認めなかった。迷惑な話だ。ぼくは学校の先生になりたかった。

そうしているうちに家庭は崩壊し、僕は路頭に放り出された。悔しかったが当面は公務員として糊口をしのごうと考えたのだ。

そのころ、教員に限ってはでたらめな行政がなされていた。マッカーサー民主主義にかぶれたあほ教員が多く、戦争未亡人のうちから学力のあるものを生活保護の一種として大量採用した。変な理屈だ。戦争未亡人を救うと民主主義が成立するらしい。

定年制がなかった。これでは採用はほとんどなくなる。階段を登れない先生、黒板に字が書けない先生、つまり先生をしてはいけない先生が死ぬまで先生をした。これも組合民主主義だそうだ。

そのほとんどない採用も、先生の子供とか地域ボスの推薦とか学校内の教科の話し合いで任意に決まった。本人の実力とか適正とかとは全く関係なく。(クローズドショップ制)

あまい汁なのだ。定年がなく痴呆でも働けるしその上ヤミ退職金がある。これは本来の退職金にほぼ匹敵した。100年以上の歴史がある伝統校は総理も出たし国会議員などは50人もいる。だから何でもできる。

なんてったって夏休み、冬休み、春休み、農繁休暇、試験休みががる。文化祭体育祭は高校になるとほとんど生徒が自分たちでやる。3年の2月3月はなぜか休み。それに午後の授業は帰宅してよいという先生が多かった。(僕の出身校だけの暗号、もうかり)

ただし、生徒は今より優秀だった。

こういう腐った教育界を日本社会党は既得権として固執した。

 

したがって採用なんて年に数人だった。福岡以外の田舎の県ではコネ採用で採用人数が埋まってしまう。ぼくは2年間連続で佐賀県の採用試験は1番だった。なぜ順位が分かるか。合格は僕一人だったから。ところが不合格者から採用した。

もちろん僕は腐らない、あきらめない、ぼくを採用しないはずないという確信があった。1番だから。

 

福岡県は組合に対して、こっそり順位を発表していた。ぼくが2番だったとき、番外と4番が採用された。

もちろん僕は腐らない、あきらめない。

 

ぼくはそんな泥沼に苦労して飛び込みたがっていた。しかし、銭はなくなるし、健康も害し、精神も害してきたのでとりあえず採用がある公務員になった。(緊急避難)競争率は数百倍だったが2年がかりで合格した。

 

ひねくれ劣等感が読むのはせいぜいこのあたりまでだ。

勘違いするなよ。頭が良かったのを自慢していると思う程度の低能は読むなよ。頭が良かったのもその通りだが、主たる合格要因は努力だ。

 

病んだ人を扱うのは嫌だし、ひとのトラブルで稼ぐのも嫌だ。だが公務員になってはじめて自分の本当の特性を知った。

ぼくは人に威張るのがヘタだ。負担だ。人がへつらうのも嫌だ。

病気になって辞めた。が、少し金がたまったので再び教員を目指した。

 

教師になってみると、自分の希望のすべてが満たされた。生徒が分かったという顔をする時以上の幸せはない。40人が僕の言葉だけで感動したときはかわいい彼女からコクられた時の喜びに匹敵する。

 

ぼくは自分の経歴を言ってるのではない。それを通じて教育の現状と理想を語るのだ。教師になりたくない人も、そういうあなたも自分の子供の保育士であり幼稚園、小学校、…の先生であることからは逃げられない。

(続く)