か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな

2014年01月31日 | 日常

何が悪いのか分からないが、どうしてもコメント欄を開けない。不愉快にも、かってにツイートだのフェイスブックのボタンが付いていた。ごちゃごちゃバラバラ変なものがついて、まるで田舎の縁日の飴リンゴの様に醜悪だ。切り絵貼り絵の細工をする人たちには有効でも、15文字以上の文章を書こうとする人には向いていない。

そこでいつもの声がする。いやなら出て行けよ。嫌だ、僕は出て行かぬ。絵日記もよかろうが僕はいやだ。文章で日記を書き、様々な意見を聞くのは、ブログの優れた特性だ。ありがたくも僕にはファンがいる。ファンがいる限りやめない。

常に人に同意を求め、人とメールやラインでつながっていないと不安な人が多い。それは人類のあるべき姿ではない。本質を外れた存在こそ出ていくべきだ。

場末のストリップのように悲しく卑猥に点滅する赤い裸電球。それに群がる蛾はなぜこうも執拗に電球に突進するのか。

皆が突進しているから自分も突進できると、この上ない安心感を得るからだ。

僕にもそういう気持ちはある。初めてゴルフをした時、船に乗ったとき、クラッチ板を換えたとき、写真の現像をしたとき。僕は不安だった。だが、電球にまつろう蛾になったことはない。

僕は韓国人のとんま、お粗末ぶりをよく書く。4千万人もいれば中には優れたものがいる。しかし、その専門性はともかくとして、人間性においてまあましなやつは、一人二人しか知らない。

母集団が大きいので、これは十分に確からしいことだ。僕は韓国人のずるさせこさ汚さ身勝手さについては100分の1も書いていない。嫌韓集団もきっといやな目にあったのだろう。だからそれは事実だ。そのことだけを見れば真実だ。

バカは事実にこだわると書いた。上記の蛾のようだ。仲間になって電球に突進する蛾集団はなんと安心感を得られることか。

ここがポイントだ。多数というものの中に身を置いたとしても、それは鵜飼の鵜船が近づいてきたときの一瞬、一体感を感じたにすぎない。酷な言い方だが、ふと気がつくと自分は身障者として味方と思っていた奴から差別を受けることがある。就職、結婚。利害が絡むといつでも人は背中を向ける。

なんだお前は専門学校しか出てないのか。しかもあの何ちゃって学校か。こうしてふと気がつくと多数に安どして飛び続けていたが、仲間は一人去り二人去りしていく。安酒のような後味の悪さを残して。

気がつけばあなたは必ず少数派になっている。多数は幻である。人は、少数であることの悲しさを共通項として相互に確認することができる。われらはそのとき連帯できるのだ。



「おおすみ」と「とびうお」

2014年01月31日 | 事件事故

広島県大竹市の阿多田(あたた)島沖で海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突し、2人が死亡した事故で、第6管区海上保安本部は16日、実況見分を始めた。とびうおの船体の右舷に傷痕を確認。                 朝日新聞 1月 17日

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昨日は、風もなく絶好の釣り日和だった。僕は今回の事故で心が痛む。なぜか。心が痛まない人が多いことを知ったからだ。

なんと語彙が貧困なのか。死者に鞭打つにも礼儀を知れ。釣り船「とびうお」の船長をテロリストとよぶ人が散見される。どこかの記事を低脳が、まねしているのだと思う。

僕はどちらかの過失であるとか、その過失の割合がどうであるのかを論じているのではない。自衛隊なら何をしてもいい、軍事力で国際政治は決まる、と絶叫する部類がいる。この手の部類はよく愛国心を振りかざす。これが一番外交の邪魔だし、事故真相の究明にも邪魔だ。

かたや重要な国防任務だ、もう片方は遊びの魚釣りだ。だから、「おおすみ」に楯ついた当然の結果だ。この前提の下に審判所でもないのにすぐさま結論が分かる人がいるようだ。

いうに事欠いてテロリストとはなんだ。船長は60年船に乗っている。慢心があったか。乗客はたしかに言うことを聞かない人が多い。

僕には、そんな可能性が絶対ないとは言い切れない。だがテロリストの自殺攻撃では絶対ない。

とりわけ瀬戸内は波、風、海流、行きあい船を考えてワッチ(見張り)をしなければならない。これは「おおすみ」も同じだ。ブリッジ(艦橋)が右だから左が見えない。だから回避行動が遅れたというのはもちろんバカな意見である。全方位あらゆる方法で漏れなく見ている。

同様に、「とびうお」も最大の回避行動をとっている。じゃあ、なぜぶつかるんだとかバカは言う。答えてやろう。海だからだ。海は小さな要素が重なり影響しあい事故が起きる。

違う、テロだという人は、1月の海に沈んでみるがいい。希望者はだれでも僕のクルーザーから蹴落としてやる。3分で死ぬ。そうして死ぬのは、テロですらない。ただのあほだ。

軍艦がいかに急激に変針(旋回)できるかということも知るべきだ。当て舵をすればほとんどその場で回っているような動きをする。100ノットの魚雷を回避するんだ。当たり前だろ。左が見えない船なら左舷を攻撃する。そんなことが可能なら、いつでも沈むことになるぞ。あほ。ウルトラバカ左翼、船を知らずにモノを言うな。

ここで大事なのは「とびうお」にも同じことが言えるということだ。遊びであれ何であれ間違えたら死ぬということをしている時は必死になっている。それが60年間も積み重なってみろ。遊びがいい加減なことと思っているだろ。さにあらず。乗員全員がワッチ(見張り)をしていた。知らぬ間に追突されたのではない。

この僕ですら真剣に遊んでいる。瀬戸内に行く時は首から血を流してキョロキョロワッチ(見張り)をする。

「おおすみ」と「とびうお」も裁決や判決が出るまでは、船の大きさや業務に関係なく対等だ。

死者に敬意を払え。


昭和9年の日米陸上競技

2014年01月27日 | 東洋歴史

いまは鉄筋の立派な競技場となった。かつては観客席も低く、申し訳程度にできた競技場だった。しかし、隣には競馬場あり夏には花火大会あり、いちご畑もあって福岡市南部の市民の憩いの場となっていた。

更に広く位置するのは帝国陸軍の春日原基地だ。陸軍は、すでにこれより3年前から満州事変をでっちあげ満州偽国家を画策した。米国は判断に迷っていた。満洲偽国家を非難しすぎると自国が中国に橋頭保を築く根拠を失う。

親日から反日に大きく舵は切られつつあった。このわずか数年の空白、あたかも間氷期のような時期に陸上競技会は行われた。偶然のバランスは、だれもが続くはずないと分かりながらその場の親善を楽しんだ。あと6年したら真珠湾攻撃が行われる。

隣の陸軍基地から軍人たちは、いかに苦々しい思いでこの祭典を見たことだろう。非常時に「かけっこ」なぞしおって。

一方米人選手、役員の中にもその陸軍基地をしっかり観察する者がいた。浮かれているのは福岡市民だけだ。アメ公は観客席からトイレの数を数え、兵の数を割り出し、張り紙細工のような戦車なるものを笑った。本国への貴重な諜報資料となった。

引き込み線の長さから兵員輸送力を計算するのは掛け算さえ知っていれば誰にでもできた。おそまつ帝国陸軍は、春日原基地を通過する列車に乗った日本人に対し、カーテンを降ろすよう命じていた。

そんならアメ公の諜報活動を何とかしろ。

若干の対立はあったにしろアメ公は陸、海軍、政府、民間、経済界、が能率的有機的合理的に結合していた。

海軍が融通してくれないからと陸軍が空母を造る国が小日本だ。同口径の弾が陸軍は6種類あった。バカかやる気がないかその両方なら戦争はするな。315万人を殺して責任もとれない国が、今度は勝ちますとか防衛だけですとか言っても僕は信じない。

いつ中国で勝ったか。勝ったなら中国のどこが日本領か。ソ連の野蛮人にすら勝てないでよくぞ威張れたもんだ。

戦後、春日基地はアメ公の春日ベースになった。父に連れられ将校住宅に遊びに行った。ミカンが凍っていると思い僕はびっくりした。それはグレープフルーツだった。知る由もない。




教官、私は飛びおります。八幡市を守って下さい。

2014年01月26日 | 東洋歴史

きょうは、習熟飛行を兼ね郷土遊覧飛行だ。陸軍はこのような飛行を禁止していたが、ここばかりは大目に見るという暗黙の伝統があった。

あの苫(とま)曹長(終戦時)が、故郷に来る。飛行機で来る。錦を飾るとはこのことだ。国民学校の少年たちの声は聞こえるはずもないが、あらんかぎりの大声でヒーローを迎えた。女学生たちはセーラーの赤いネクタイを振った。

「飛燕」だ。大きく校舎を旋回した。みんな願っている。どうか敵機を落として下さい。

さかのぼること2年。開戦間もなく苫曹長は少年飛行兵を受験した。60倍。一人でも多くの飛行兵がほしいところだが、帝国は粗製乱造を許さない。飛燕は当時のカネで10万円。労働者が1000年働いて一機買える値段だ。

なんと言う浪費だ。だからこそいい加減な奴を乗せるわけにはいかない。学科試験がすむとクルクル回され気をつけの姿勢をとらされた。ここでふらつく者にはこの言葉が待っている。「帰れ。」

京都までの旅費には、あまりある40円が渡された。遊ぶものはいない。ほとんど父母に渡すと最低限のカネを手に指定の京都に向かった。

襖が開くと見たこともない料理が待っているが、少年たちは芸子さんのおしろいの匂いにもぞもぞしてしまう。まだ15歳だ。大津陸軍少年飛行兵学校。当然翌日からは、地獄の訓練が待つ。

成績の悪いものは、地上勤務だ、爆撃機だ、あるいは整備だと、どんどん落とされクラスに2人ぐらいしか戦闘機に乗れるものはいない。

苫曹長は残った。大刀洗分校で訓練を受けることになり、教官と一緒だが飛燕に乗って習熟飛行の許可が出た。

教官の上に座るのだから申し訳ないような嬉しいような不思議な気持ちだった。

無電が入る。八幡がやられている。70機のアメ公の爆撃機に対し帝国は24機の戦闘機しかない。自分の機には弾は50発しか積んでないが、一機でも仲間を助けよう。苫曹長は、遊覧をやめ八幡に向かうことを具申した。

「海上で待ちかまえれば必ず会敵できます。」「お前がいては戦闘できん。」「分かっています。私は飛びおります。」

なんと言う素晴らしい戦闘精神だ。兵はこうして戦ったんだぞ。終戦とともにさっと旗を持ちかえる大本営よ。この一兵卒に学べ。

教官は、攻撃命令がこないので苫曹長の死のダイブも止(と)めて帰還した。

(苫先生も僕の数学の先生です。亡くなりました。数年前に聞いておいた話です。)


つながりすぎ社会

2014年01月21日 | 日常

馬鹿には歴史がないことは書いた。目の前を通り過ぎたばかりのことさえ考えない、忘れる、なかったことにしてしまう。

自動車電話がはやり始めたころ、車のトランクから延びるアンテナは、ステイタスであり、ゴルフ場でそのアンテナがないとカッコ悪かった。

教養も学も向上心もない中小企業のバカ親父もバブルに乗ってあぶく銭をつかむ時代、「まだクルマに電話つけとらんとな(つけていないのか)。」と言った。中州でお姉ちゃんの乳をもんでいる気分のまま人生を過ごしていた。

あっという間に彼の黄色いベンツは黄色いチャリになった。臆することなくチャリに乗った点だけは尊敬する。

ポケベルやらガラケーやら、一世を風靡したが、冷静になると必要なものではなかった。いや、必要だという人もいるだろう。携帯がないと業務に差し支える、メールチェックしないと一日の計画が立たない、とか。

黒電話があるじゃん、FAXがあるじゃん。

物事の考え方が逆だろうが。便利になる為に出てきたものにいつの間にか振り回され、それはもう生活の一部です、とか言い出す。ここが大事なところだ。その便利なものがかえって生活を忙しくし、場合によっては人が死に、少なくともこの便利なものは、人間的な本質から我々を遠ざけてしまった。

ふるさとぐらい好きなときに帰れよ。夜通し運転して子供は後部座席でゲームか兄弟ゲンカだ。この苦行のあとお父さんはウソをつく。「さあ、ゆっくりしたから明日から仕事ガンバロー。」

この絶望生産列島の改善を願うものが道具であるはずなのに、現実は逆だ。docomoのCMは、夢の世界で可愛い彼女と会えることを演出する。

僕は、このブログを始めて、恐ろしく話の筋が分からない幼稚園のままの知能の人が多いことが分かった。こいつらは言う。

「そんならお前、スマホするなよ、クルマ乗るなよ、フェイスブックするなよ、ツイッター参加するなよ。」

ばか。今は個人の話ではないでしょ。コメント欄、切って正解だったな。スマホと人間の関係を論じているの。

何でもかんでも動員し、ありとあらゆるコミニュケーションの媒体によって、頭の上は見えない電線が渦巻いている。

低能であればある程、そうしていないと不安が増す。教養は、孤独に対する耐性を養うためにある。

なのに人生は楽しいと教えてきた小学校の能天気教員の罪は深い。欧米、とくにドイツ。僕はスマホを見たことがない。彼らは学ぶに従い人生の孤独を理解する。だから強い。群れない。

気違いのようになって先を争い、安くもないスマホに向かい、白い犬が肉球を滑らして喜ぶのが、朝鮮人だ。

スマホで話した最近の文章を思い出してみろ。猿の会話だろ。


話が複雑なときは、ごまかしたいだけだ。

2014年01月19日 | 社会・経済

そもそも、人をだましたり不快な思いをさせたら、そのつもりがなかったとしても謝るということが、人間界の常識だ。

それを、相手の無知に付け込んで何度もだました奴がいる。何度もだまされるということは、だまされる方にも知能に問題がある。一度に二つの話はできないので、だまされる側はちょっと置く。

縦割り行政が批判される。たとえば、幼稚園と保育園が、それぞれ文科省と厚労省の縄張り争い、すなわち、天下り先確保競争のため統合できず恐ろしい非効率を招いている。

また、皆さんの主たる関心事のオリンピック。文科省の管轄だ。しかしパラリンピックは厚労省の所管だ。両官庁は意地を張り合い、選手は一緒に練習することができない。

農林省(当時)は59年、国内甘味料自給力強化政策をぶちあげた。青森県はこれならビートを安定的に生産し工場誘致ができるとふんだ。

ところが、その同じ国が縦割り政策をここでも実施する。キューバからの砂糖を大量輸入する。通産省(当時)としては農林省などという田舎官僚のすることなど知ったことかと考えた。太刀打ちできない。工場撤退。捨てられた農民が残る。

自給力強化政策に乗った農民がバカを見た。国は即座に自給力放棄政策に舵を切った。大量の砂糖原料の輸入は大日本製糖のように大量に精製する会社にとっては必要な政策だ。

国は、さらに臆面もなく唐突にも、下北半島の海岸の砂鉄に目をつけた。まさにたたら製鉄だ。包丁の一本や二本作って生きて行けという。じつは、砂鉄から鉄を作るところは世界に多い。しかも良質の鉄で加工に適している。

問題は、わざわざ手間のかかる方式で生産して経営が成り立つかということだ。役人は公社公団ができればそれでよい。砂糖ができなくなっても、たたら製鉄ができなくなっても形骸化した公社公団で甘い汁を吸える。仕事はない、給料は天文学的だ。

経営は破たんし工員は農民に戻った。

その次が高レベルのウラン再処理工場。これはまだよい。仮に困っても、はるか将来の日本人がわれらを恨むだけだ。問題は今そこにある危機である。都合のいいことを考えたもんだ。核の燃えカスを集めてもう一度燃やそうとしている。

無定見に造成して失敗した国策会社の広大な敷地に、電気事業連合会の原燃サイクルが目をつけた。あの無鉄砲な安倍ですら二の足を踏んでいる核燃サイクル。

さあ、原燃の派遣ぐらいにはなれたのに今度も駄目だったようだ。

言わせてもらう。実に気の毒だが、理性的な状況改善の努力をしなさい。

国はこう考えている。下北半島は何をしても、はいはい従順な会津藩士の末裔がすむ。ま、せっかくだから核のゴミ捨て場にしよう。


受験もせずに合格した   2

2014年01月17日 | 日常

閉鎖された社会ではいかに名門校とはいえ、変異した独特の病原菌に脳が侵される。そこに異質な僕が、夢の福岡から来たのだ。

半端なく悔しかったろう。議員からは、「からけんを可愛がってやれよ」と言われ、ナチスの突撃隊の隊長になったつもりの奴がいる。

僕もそれほど、完全潔癖な理想主義ではない。でも腕力の話はもういやだ。そいつは権力のポチだったので若くして校長になり、行政にうつりある程度出世した。僕からすれば便所にうごめく魑魅魍魎の一匹だ。ほどなく心臓が止まった。死んだ。

あの世で自分の人生を振り返るがいい。

まだ生きてるやつは、熊本の下通りアーケイドで僕と会うことになる。その時は、ぼくの目を正視せよ。

ところで、僕はもうほとんど忘れていたが、生徒たちが僕の家に遊びに来て5~6人、泊っていったそうだ。よく食う年ごろなので、何でもかんでも中華鍋にぶち込んで夕食にした。そいつらは翌日腹痛で学校を休んだ。

僕のベッドの下にはエロ本があったので、ページを破ったり変なものをつけたりしなければ、どんどん見ていい、と言って見せたそうだ。それから採点を手伝わせた。生徒が採点基準が分かりませんと言うと、女子ならマルにしとけ、と言ったそうだ。あり得ることだ。

今なら、僕は懲戒免職だな。当時でも委員会の犬が知れば密告され、何らかの処分は食らっただろう。そのナチスの犬をいさめ続けていたのが、校長だったということは、校長の死後知った。

「学校で一番の思い出はからけん先生の家に泊まったことです」と、悪ガキ5~6人が異口同音に言うのだ。

運動会も、修学旅行も、クラスマッチも、文化祭もあったろうに。僕はそのすべてを経験していない。オウム信徒に取り囲まれて職員室にいることは半年が限界だった。ここでも僕は、半年であの憧れの教職という仕事を放り出した。

だけど慕ってくれる。生徒は今でも慕ってくれる。たった一日の思い出なのに、一番楽しかったと言って慕ってくれる。僕は同級会の帰り道、涙で運転ができなくなり3回も車を止めた。

僕は応える。ここで応えるのが僕の男としての道だ。僕は天草に戻らなくてはならない。流儀だ。



受験もせずに合格した

2014年01月14日 | 日常

役人をやめた僕は、一念発起して学校の先生になろうと思った。

役人時代に、熊本の辛酸をなめていた僕は、熊本のウルトラ保守どもを、永遠の敵だがもう会うことはないと思っていた。ところが御釈迦さんの言うとおり、「怨憎会苦」だ。まさにその、世界で一番赴任したくない熊本に、赴任するはめになった。熊本でなかったら、アンカレッジでも南スーダンでもよかった。

僕は、熊本以外を受験したのに、こともあろうにその熊本から合格通知が届いた。受験しない合格は選考基準違反だ。しかし行政は自分の都合で条例をどうにでも解釈する。

だが天草だったのでまあいいかと思い「着任します」と返事した。魚釣りは魅力だ。

東京からの合格通知が届いたのはその直後だった。1000倍も競争率があったのに。ま、人生はそんなもんだろ。

ところがだんだん状況が見えて来ると、予想とは異なることが分かる。本来見分けのつきにくいことだが、そこにいたのは保守ではなくバカだった。

便所虫と同義である学年主任ごときが、僕に命令口調だ。「ああ、半年前なら僕に土下座した人なのに」、そう思うと情けない。

地位は地位であり人間性の上下ではない。教育現場では、軍隊のような指揮命令は、火事のとき以外は必要ない。それよりも、自らの学問的識見を高め、教科書批判の論文を書くぐらいの気概を持て。と、何回もいい合いをしたが、バカは死ぬまで治らなかった。

不潔でケバイ田舎のモーテル、異常に高いブスの比率、魚は釣れるが餌屋までが遠くて撒き餌が腐る。観光客にはいい景色でも、僕には目が痛いだけのUV地獄だ。真珠が安くエビがおいしいところでも、僕には真珠は要らない。エビは五日で飽きる。

熊本は、僕をそんなところの学校の末端職員として引っ張れば、さんざん僕から罵倒された半年前の仕返しができると計算したのだ。それで福岡の250倍、佐賀の40倍、(長崎、山口は非公表で不明、鹿児島は落ちた)をパスしていたのに強引に有力者を通じ僕を引きこんだ。ガキのケンカのような幼稚な論理だ。

ところがその幼稚な論理がまかり通るのが公務員だ。

さらにところが、天草は、ぼくにとっての心の故郷になる。僕は決めた、天草で灰になる。それは次回。

移動がほとんどなかったその学校は、年齢構成が高く、僕の次に若い人はぼくより20歳年上だった(男性)。どんなにバカでも齢を重ねるとそれなりの深い総合力、判断力がつくものだ。そんな人間は、一人も、一人もいなかった。なんでそんなにバカなのかと腹を立てても空しい。

僕の誤算だ。「受験しない合格」には、熊本の練りに練ったレイテ作戦のような、精密な復讐のシナリオがあった。


The New Year's Concert in Wien (Neujahreskonzert)

2014年01月10日 | 芸術

日本が天保の改革などにより、幕府の威光に陰りが差してきたころ、欧州においてはナポレオンの連戦連勝の歯車が狂い始めていた。

日本では鼻がもげてしまい、一夜の過ちを悔いてもあまりあるスケベどもが人口の3割4割を占めていた。江戸は梅毒淋病その他疫病の巣であった。木やりの水はたやすく落下細菌を吸収し、井戸は細菌の培養器に等しかった。

西欧は、黒死病がはやるとみんなで病人を囲み祈った。感染は必然的に広まる。黒死病すなはちペストだ。怪しい女が魔女とされ、ときには男も魔女とされ野蛮な宗教裁判で黒死病の犯人にされた。

つまり日欧、おかれた状況に大差はなかった。死神はそこらじゅうにいたのだ。敵、味方の裏切り、疫病。

違ったのは、欧州の方が若干音楽に対する理解が、庶民レベルまで行き届いていたこと。昔のウィーンの城壁や街の細い路地は音響がいいので、そこでレベルの高いバイオリンを聞くことができた。わずかなことのようだが、普墺戦争の痛ましさに辛酸をなめた国民は心の潤いに飢えていた。

そんななか「楽友会館」はできた(Wiener Musikverein)。しばし人々は悩み多き日常を忘れた。また、忘れさせることができる力を持った音楽が、そこにはあった。

今や、床が木なので、歩くと音がして非常に気を使う。古い。狭くて音響はあまり良くない。ただ寒い季節なのでカネ持ちの防寒具は本物だ。だからそれなりのマイクを使う。日本では逆の意味でそれなりのマイクを使う。

150年。 僕のへぼバイオリンと同年だろう。下品な金ぴかや宗教臭い天井の絵、風呂屋の置物の様なレリーフ。たしかに日本人の感覚には合わない。

だが日本では、そのころの何かしら建築物らしきものは、今にほとんど残ってない。あ、神社の狛犬はいるけど。ホールは最初っからない。

音楽と言えば演歌しか浮かばない低級公務員の思い付きで箱モノが並ぶ国は、下品だ。ウイーンでは、千住 真理子レベルのバイオリニストがストリートで大道芸人として弾いている。そんな国には絶対にコンサートホールが必要だ。日本にはもったいない。道路工事の方がお似合いだ。景気回復にいいぞ。

日本の、とって付けたホールにオーケストラが来ると、なんとSが13000円だ。いかに根付いてないか分かる。楽友会館は4000円程度だ。

たとえばバイオリンの先生をするのは簡単だ。そんなもん僕でもできる。問題は、バイオリン自体で飯が食えるかということだ。日本では10人だ。

紅白バカ合戦は見てもNew Year Concertを見る人はいない。その素養の浅さは、そのまま政治的無能に結びついている。

新撰組が殺人許可証を持ち京都をうろついていたころ、ロンドンではネクタイをしてエスカレータに乗り地下鉄で通勤する労働者が、8時間労働をぼやいていたのだ。ウイーンのトラムはいまだに現役だ。上手にクルマと共存している。

一旦、砂漠のように過去にあったものを消し去らないと、次が始まらないと言う考えは、「造反有理」に通じる。つまり、バカ。

とにかく、今日は満足だ。楽団  Wiener Philharmoniker  指揮   Daniel Barenboim

(Eテレでまた再放送があります)


八代(やつしろ)の物産館

2014年01月09日 | 日常

天草にミカンを買いに行った。近所の人も頼んだのでCOPENはミカンでいっぱいになる予定だった。

八代に回り松浜軒や城址を見た。博物館は休みだったがそのあたりを十分散策して、物産館に寄り天草に向かった。

2時間ほどでミカン屋に着いた。金桁(かなけた)温泉という素晴らしい温泉があったがもうやめたそうだ。ウソ八百書いた下劣な温泉雑誌に乗らないと経営は困難なようだ。

で、財布を出そうとしたらない。すべてない。カメラ、カード類、名刺、取材メモ、ペン。バッグごとない。人にとって、命をかけるほど大事なものでも、別の人にとっては紙くずであったりする。

僕にとってはカードやカネやカメラはどうでもいい。どうせ無限に僕のカネを吸い取られるものではない。肝心なのは僕の祖母の写真。祖母は失明する。その失明前の唯一の写真。僕を見た顔だ。これがないと僕は生きる気を失う。

女は勉強しなくていい。戦前どの男もそう考えていたようにうちの男達もそう思った。ばあちゃんはひそかに勉強を続け僕に数学を教えた。失明してからも教えた。

感謝している人の写真をなくすとはバカにもほどがある。天草から110番した。

「八代よかとこ物産館」にバッグごと置き忘れていた。それをみつけて届けてくれたのは福岡県警のお巡りさんだった。名前は出さないでくれということで残念ながら書けない。

バッグはそのまま八代駅前の交番にあった。熊本県警交番勤務のおまわりさんは、なかなか機転のきく人だ。僕がぜひお礼を言いたいと言ったが、電話番号が僕に知れたら個人情報の漏えいになる。

そこで駅前交番のお巡りさんは、「持ち主に届いたことを、拾い主に連絡します」、と言って僕に隠しながらダイヤルし、途中で僕に変わった。僕は十分お礼を言うことができた。駅前お巡りさんも個人情報を漏らしたことにはならず、僕も満足した。

最初の発見者もまた偶然、おまわりさんだったのでバッグは帰って来たのかもしれない。

どれくらい戻ってくるのか聞いた。個人的推定だと前置きして、お巡りさんは恐ろしい数字をあげた。

その日に戻るのは2割ですね。あとは日がたつにつれ下がっていきます。結局4割です。パチンコ屋での遺失物は100%戻りません。

つまり5人に一人しか落し物を届けない。なんと言う日本になってしまったんだ。

日本は、ほんの少し前までみんなが安心して暮らしていた。日本を悪魔の住処にしてはならない。

Posted at 2013/12/30 10:47:35 | 日記

貧富の格差。貧しいほど納得する貧乏人。

2014年01月06日 | 韓国

当たり前のように不条理が続くと、あたかもその不条理が存在しないかのような錯覚に陥る。メクラチビクロゴミ虫が周囲を俯瞰することはない。地上の有機質を探してうごめくだけだ。人間はそれを仕事とよんだ。

ごめんだ、まっぴらごめんだ。おまいらのやっかみにもつきあう暇はない。金持ちに少々課税したところで税収に影響はなく、やはり消費税は合理的だとかのたまう大バカがいる。ばか。

いつそんな話をしたか。話には流れというものがあり、それにそって反論や他の例を示すとかしなければならぬ。貧乏人は、反共性を示すことによりあたかも、自分も国家意思の形成に参加しているかのような錯覚をする。

東大には、そんな貧乏が故の悲しい権力迎合ゴミ虫はいなかった。地方のどうでもいい大学であればある程右翼的だ。

こんなことを書くたびに必死になった、的外れの、幼稚な、ひがんだ反論を受ける。

東大生はニコニコしながら楽に国家総合職にパスする。それを蹴って企業に行く奴もいくらでもいる。理Ⅲで医者にならない奴もいる。貧乏で低脳なやつがガタガタ言う前に彼らはスマートに国家の中枢に入る。こいつらが国家意思を形成するのだ。

そもそもゴミ虫は、政治に無関心じゃないか。韓国と言えば、竹島じゃなく焼き肉だろ。高校生キーセンはエロサービスがよかったろ。また行こうね。対馬の仏像ぐらい盗られてもいいもんね。

ホントは、ぼくは違うと思う。

貧乏人は、僻んだり、やけになったり、妬んだりしてはいけない。全員が僕の言うことを聞きいれるとは思わない。ただし、日本が好きなら一生懸命考え、自分の利益のためだけを考えるほとんどの官僚に対し、「おまいら不良官僚に負けないぞ。国におまいらがいるように野にはおれがいる。」という気概を持つべきだ。

官僚はとことん、貧乏で頭の悪い国民をバカにしているぞ。文部官僚を見せたいものだ。

韓国の浦項(ポハン)工科大学で話をした。一言も聞きもらすまいと必死でメモをとる学生達を見て思った。彼らは貧しい農村の出身だ。学費は無料だからいきおい競争率は高くなる。日本と違い中学高校と席次はキチンとつく。全員がその席次で一番だった者達だ。

戦い抜いて獲得した地位だからこそ郷土、ひいては国にお返しをするんだという愛国心に燃えていた。

来年の世界の大学ランキングでは、必ず東大を抜く。長年学生を見ればわかる。ネトウヨ、自己満足ごっこはやめろ。

(画像 POSCO浦項(ポハン)製鐵から頂いた記念品 ものすごく重たいステンでできている ユーモアだな)

 

 

 

 

 


バカは事実に学ぶ。賢者は歴史に学ぶ。

2014年01月01日 | 社会・経済

どうでもいいような、だれがどうしたこうしたという事実に頭を占領され、バカにされたときのいいわけだけを考えて生きるのが、バカだ。彼の頭にあるのは「事実」で彼の知識の源泉だ。

したがって朝鮮人が得意とするのだが、分かり切ったことでも言い負けたら沽券にかかわるので、ああだこうだと言い訳する。

不毛だ。

賢者は歴史の中に法則を見る。それを極力現代に敷衍しようとする。自己弁護に関しては無防備だから簡単にバカの屁理屈に黙りこんだりする。彼が求めているのは真理だ。

その点、僕はあまりよい人間の部類には入っていない。アホが偉そうに言うとどうしても我慢できず「おい表に出ろ」と言ってしまう。この頃は年をとって負けることもあるのでケンカはしないが歴史観のない奴には閉口する。

なにも数百年、いや数十年ともいわぬ。ほんの数年でいいのだ。

TPPはどうなった。韓国が盗った仏像はどうなった。竹島は、韓国に進呈した日本の宝朝鮮王室儀軌は、すっかり忘れて今は尖閣一辺倒だ。

それを事柄にこだわるバカという。

少なくとも1894年以降の清、韓、日の動きを把握して、そこからモノを言え。それを歴史に学ぶという。

どうせ了見の狭いネトウヨは、自慢話としかとらない。ホントは、ぼくはその哀れな反応に驚いた。いいか。からけんは偽名だ。よく言って匿名だ。おまいらあほに向かって何の自慢ができると言うんだ。

ま、分かってもらえないが僕の日記として書く。

2年前、ダライラマにあった。チベット仏教の最高指導者だ。中国共産党が殺せなかった男。とくに右翼は、敵の敵だから好きなはずだ。

僕は共産党と妥協せよという意見を述べた。人民解放軍がその気になると1000個師団の精鋭だ。勝ち目のない戦いをすると大日本帝国のようになる。国際世論を敵にする中国共産党は短期決戦でティベット仏教を一掃する。ロシアにかつての威光はない。ましてやアメリカが介入したら世界大戦になる。アメリカはそれをしない。その他の隣国は自国のことで精いっぱいだ。

ダライラマは、あなたの意見に感謝しますと言った。ただその眼光が僕を刺した。笑いながら僕を眼光で刺した。

彼が求めていたのは、政治力学ではなかった。国際世論の醸成のため世界を飛び回っていた。

それは、愚公山を移す活動であり、人は死ぬ生き物であることを考えねばならぬ。と思った。

それから彼の趣味、自動巻き手巻きの腕時計の修理の話で盛り上がった。謙遜していたがなかなかすごい腕前のように思えた。趣味が合うと楽しい。

彼への人望は、彼の人徳によるところが大きいがそれだけではない。仏教への完ぺきな理解にもよるが、やはりそれだけでは人望は得られない。

歴史認識。すなはち、多くの事例から獲得した押し引き、駆け引き、外交手腕。これらを体得しているからだ。

賢者は歴史に学ぶ。