<前回のつづき>
四方博(よもかたひろし)の主張によると次のとおり。韓国の資本主義化は日本の資本と日本人の技術能力によって他律的に成し遂げられた、開港当時朝鮮には何の自生的資本の蓄積もなかったし起業しようという考えもなかったし、資本主義の形勢を望む状況やそれを必然とする条件がすべて欠如していた。実際日本が開港以降活発な朝鮮進出を通して資本主義の秩序を伝えたので合併以降にも近代的な事業とか社会間接資本,学校とか各種施設を建設して朝鮮社会の近代化、文明化を主導したのは否定できない事実だ。
これに対し終戦後北朝鮮を中心に停滞性理論を否定しようとする試みが始まった。続いて韓国の学会にも同様の研究がなされ次第に朝鮮全体の主流理論の位置を占めるようになったのでるが、これがいわゆる「自生的資本化理論」、あるいは「資本主義の萌芽論」と呼ばれている理論だ。このような理論は実のところ理論だと呼ぶには困難な稚拙な無理強いの主張として、世界の学者たちからも「ミカン畑でリンゴを探す無理な試み」という評価を受け笑われてきた。
資本主義萌芽論の先駆は歴史学会だった。北朝鮮では1950年代末から、チェミョンブ、金ソッキョン、フンヒユらが朝鮮後期韓国では資本主義的関係とか要素が自生的に現れていたことを強調し始めた。これはマルクスのいわば歴史発展法則によって朝鮮半島の歴史もまた原始共同社会から奴隷制社会そして封建社会から資本主義、社会主義に各段階を踏んで発展してきたことを立証しようとする努力だった。しかし1960年代後半から北朝鮮の史学会では萌芽論が急速に消滅するのであるがこれは北朝鮮で金日成による独裁体制が万全となり主体思想に立脚した歴史感が台頭しつつマルクス=レーニン主義の姿勢を放棄したためである。
この後北朝鮮では中断した研究を韓国の学者たちは続けていて自生的近代化論を発展させた。韓国の資本主義萌芽論によると、17世紀から18世紀にわたって朝鮮社会にも農業手工業商業の身分制の側面から大きな変化が現れるのであるが、これが自生的近代化の芽(萌芽)であって日本の侵略は、順調になされつつあった近代化の芽を摘んでしまい産業、教育、社会全般にわたって歪曲した社会構造を移植したというのだ。
彼らは日本がいなくとも朝鮮でおのずと資本主義の芽が育ち産業革命が発生したであろうと確信した。しかも彼らは我々が自ら近代化を始めた起点がどこであるかを求めるため18世紀後半、19世紀中葉、開港期、甲午改革期に分け捜索作業を始めたがこれといった成果を得られなかった。であるが1990年代になるとこの4個の中18世紀後半起点論は放棄したのち1860年説、開港節、甲午改革期説に区分して捜索を続けた。
1860年は高宗が即位し大院君の統治が始まった年だ。したがって1860年代起点説はこのときに至って帝国主義侵略が本格化し、これに合わせて半侵略、反帝国主義の運動が始まり朝鮮の民族主体形成が始まったという点を重視する。
1876年開港節は開港を契機に朝鮮社会が世界資本主義の市場体制に従属することでやむをえず資本主義に移行するようになったことを強調する観点に立つ。この理論は韓国中世社会の内在的発展の成果として近代の起点を設定するのではなく外国勢力の侵略という他律的契機を近代の起点にしているという弱点を抱えている。すなはちこれが事実だとしても民族の力を押し立てて反日策動の根拠にするため捏造された萌芽論の目的には合致しなくなるのだ。甲午改革期説は1894年甲午改革以後に初めて近代的な制度と思想が本格的に導入され始めたのであって、中世的国家が近代的な国家体制に転換することができる土台が出来上がったという点を重視している。
今でも続いている資本主義の萌芽論と起点捜索作業は韓国の歴史学者たちのレベルを端的に表している。実に寒心に堪えない。実際にこんな萌芽というものがあったなら明らかに民族的自負心を持てるほどの良いことだがこれらは「あらねばならないのできっとあるだろう」という信念のもと結果をまず設定しておいてそこに歴史を無理やりつなぎ合わせようと努力している。こんな人たちは果たして学者だということができるだろうか。
このように寒心に堪えず虚無孟浪な理論が韓国ではいつのまにか正論としての位置を占めいまだに第一線の学校で教えられているのである。日本の侵略を非難する根拠に利用されているのだ。といっても彼らとしては捨てがたい理論なのであり、もし理論が破綻するなら3.1運動と上海臨時政府、抗日独立運動の伝統を受け継ぐ「民族精気」が致命的な傷を受けるからだ。答えのない話のようだが、とにかく今は4択から3択に絞った萌芽捜索作業に成果があることを望んでやまない。
このごろシンヨンギル、カンマンギルなど現代の官製学者たちは自生的近代化理論の延長線上にいて、日帝植民支配政策の基本が民族資本家の成長をふさぎこみ民族資本の蓄積を阻止することにあったと主張している。カンマンギルによると仮に統治政策の場合、日帝の土地調査事業は門戸開放以降成長してきていた自作農の上層部を除去して農民の大部分を零細小作人にする一方親日地主権を強化するためという目的で実施したものであるという。その結果20世紀前半の韓国では農業史的に言って資本主義的営農が発達しなければならない時期であったが日本の植民地統治によってそれが阻止されかえって地主制が強化されたという。
ここで「資本主義的営農の発達しなければならない時期」という題目を見ると言う言葉がなくなってしまう。そういうなら1910年代は(外圧がなかった場合)重化学工業が普通に発達できた時期なのにとか先端宇宙産業が発達する時期だったのに日本によって阻止されたといえるわけだ。いってもいけない理由がなくなるから。彼はいったい土地台帳一つ整備されていなくて登記制度とか裁判とか言った概念自体が皆無な当時の朝鮮社会が、日本によって成し遂げられた体制整備と土地調査事業なしにどこからともなく自生的な農業資本家が出現し小農たちの土地を買い入れて大規模の資本主義的営農をすることができるということを信じろとでもいうのか。