鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

検査入院

2017年11月23日 00時00分01秒 | 紹介

 大腸のポリープを切除し、術後の経過は問題なく順調であり、退院したが、自宅に戻って翌朝に発熱があったため、再度外来に行き、検査を受けることになり、採血、採尿、X線撮影を行った。その結果、前立腺のタンパク質の数値が高いことが分かり、泌尿器科での検診を受けることになった。

 

 泌尿器科の担当医は、大腸ポリープを切除したときに周りの臓器にも影響を与えることがある旨を告げられ、経過観察で再検査を行ったところ、腫瘍マーカーの数値が高く、前立腺の生体検査の必要性を告げられた。生体検査のための事前検査は、採血、採尿とMRI画像撮影であった。

 

 1泊2日の前立腺生体検査が終わり無事退院したところであり、ここに至るまでは何度かの事前検査を行ってきた。今後は生体組織検査の結果待ちであるが、疾患部位によっては結構大変な過程を踏むものであることが分かった。生体検査自体はさほど時間がかかるわけではないが、前立腺の組織を採取するため、針を12~14カ所刺す。前立腺の位置を確認するため、肛門から内視鏡を入れ、超音波で特定する。針を刺すには直腸から行う。痛みを伴うため、尾底骨から局所麻酔を行う。30分間ぐらいの組織採取措置であった。

 

 病院の手術室で、手術担当医、看護士2名の計3名で行われ、看護士1名は、パソコンによる体調データのチェックを担当し、他の1名の看護士は、手術に伴う準備や、手術中の介護である。組織採取部位が小さく、正確を期すためか、手術中は患者に寄り添い、動かないように押さえてくれていた。実際に麻酔をしていても痛みは感じていた。無事採取は終わり、病室に戻る前に術後の感染症等の注意を受けた。

 

 後から思ったことであるが、手術中に体を押さえてくれた看護士の役割は、手術への不安を除去し、安心を与えてくれていたようでもあった。考え過ぎかもしれないが、手術という行為は、生体検査であろうと、また、被患部位の除去手術であろうと高性能な医療装置や器具による物理的な医療行為だけでなく、人の温もりというか、まさしく手当が必要なのではなかろうか、今回、期せずして、1名の看護士による寄り添いの重要性を体感して初めて分かったことであった。まな板の鯉には欠かすことができない寄り添いと思った次第である。

 

 患者への励ましや、不安除去は、術後の生活にまで及ぶ。術後の感染症や、血便、血尿、等の症状ばかりでなく、発熱は感染症の症状で、緊急対応を行う必要があるようである。


衆議院選挙雑感

2017年10月30日 00時00分01秒 | 紹介

 10月10日に公示、22日が投票日となり、すでに選挙結果が出ているが、選挙後の野党政党の再編劇は、未だに序曲の段階で、はっきりとは決まっていない。選挙前に言われていた状況は、民進党の分裂や、小池百合子氏率いる希望の党への合流等の動きがあり、与野党が拮抗する状況もささやかれていたが、希望の党の失墜で、野党勢力票の分散化が起こり、与党が漁夫の利を得て、政権をゆるぎないものにした。選挙結果からみるとこの選挙は何であったのか、大義名分が果たしてあったのかという疑問にぶつかる。何億円もの税金をかけて行うのにふさわしい選挙であったのか、無駄な出費であったような気がしてならない。

 

 しかしながら、月光仮面か怪傑ゾロのような小池百合子自演の小池劇場を楽しませてもらった。すでに都議選で都民ファーストが議席を採り、東京都知事となってその手腕が期待されているが、2020年開催のオリンピックの準備や、築地・豊洲市場移転問題は、多くの点で政策の不透明化や、知事としての力量不足が叫ばれていて、すっきりとしていない。役人経験年数が長い自分にとっては、政策の立案から実行、結果の評価までの一連のプロセスとの相違の点で、まざまざと見せつけられる政界パフォーマンスは、意外なものであった。意思決定プロセスがまるで違うのである。

 

 希望の党の政策立案一つにとっても、深く考察されたものではなく、絞り込みがあいまいなうえ、裏付けとなる理由もなく、優先順位がないまま、土俵(選挙公約)に上げられた。議員候補は根拠もない絵空事をのたまわり、急遽集めたズブシロ集団が暗躍する世界でもある。議員の未経験者が多く、有権者の代理として委任するにしてはあまりにも有権者を馬鹿にしてはいないか。さらに、野党間の選挙協力が持ち込まれ、候補者を制限する等の行為が平然と行われた。もはや代理人が行う間接選挙の限界を示したようでもある。もっと言えば、小選挙区制や比例による立候補者の顔が見えない選挙では国政は難しいことが良く分かった選挙であった。

 

 小池都知事の思わせぶりな二足のわらじは、たとえ、フリーの記者の誘導があったとしても民心を遠ざけるような排除するという一言で本心が見抜かれてしまった。平成のジャンヌダルクは、モリそば、かけそば、緑の狸そばと同列になってしまい、小池百合子の一人芝居に幕が下りてしまった。

 

 そういえば、エジプト出張の折、日本人が多く住むゲジラ島、ザマリークという場所に小池氏の両親が経営していた「難波」という名の日本料理店で、狸そばではなかったが、まずいそばを食べた記憶を思い出した。残念ながら、百合子に神の思し召しはなかった。


第8回野鳥写真展のご案内

2017年10月17日 00時00分01秒 | 紹介

 大野 章氏が撮影した川崎市多摩区にあるせせらぎ館で毎年開催される野鳥写真展のご案内です。詳しいことは下記アドレスにアクセスされたい。

 http://www.seseragikan.com

 

 大野先生はほとんど毎日宿河原堰周辺に飛来する野鳥を撮影されている。年間60数種類にものぼる野鳥は、その数を知ると大変驚く数である。撮られた写真はせせらぎ館で常設されているが、写真展期間中は、先生または関係者から更に詳しいお話をお聞きすることができると思われる。

11月18日は多摩川野鳥サロンも開催され、懇談会が予定されている。以下にパンフレットを掲載します。



彼岸花

2017年09月20日 00時00分01秒 | 紹介

 彼岸は春分・秋分の日を中日として、前後三日を会わせた七日間をいう。この間は彼岸会といって仏事が催される。仏教で煩悩を脱して、悟りの境地に達することをいっている。この世を此岸(こがん)としたときに、煩悩の川の流れを超越した向こう岸のことを彼岸というので、死の世界をイメージする言葉であるため、彼岸花は死花、死人花、地獄花、幽霊花などと呼ばれている。墓地に咲くことも多いためか、意識して植えられたのかは定かでないが、一説に、土葬された死体を掘り返す野犬や、小動物に対し、鱗茎に持つ毒性分で動物を寄りつかせないため植えられたとする説がある。モグラは植物性の鱗茎を食することはないが、餌となるミミズは鱗茎部の毒性のため、近寄らない。したがって、モグラの被害からもあぜ道などの崩壊を防ぐようである。

 

 一方、赤い花、天上の花、の意味もあり、めでたい兆しとの解釈もある。マンジュシャゲは彼岸花の異称であるが、法華経などの仏典に由来していて、サンスクリット語である。花と葉は同時に出ないため、葉見ず、花見ずといわれ、葉は花を思い、花は葉を思うという意味で、相思花(華)という乙な名前で呼ばれることがある。今回ブログでヒガンバナの写真を掲載したところ、同様なご指摘をコメントでいただいた。花と葉とが、別々に育成するので、植物としての関連性を不思議に思われたらしい。上述したことを参考までにお教えしたところである。

 

 彼岸花の鱗茎(球根)にはアルカロイドを多く含んでいることが知られている。有毒性で、リコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリンなどである。この鱗茎を経口摂取すると、吐き気や下痢を起こし、ひどい場合には中枢神経を麻痺させて死に至る。有毒成分のリコリンは水溶性なので、長時間水にさらせば無毒化できる。その意味では、鱗茎部にはでんぷんを含むため、救飢植物として、戦時中の食糧難の時代に食料とされた。また、近年において、ガランタミンはアルツハイマー病の治療薬として利用されている。

 

 花の種類は赤と黄みを帯びた白色がある。ナツズイセンと同じ属であるため、近縁種同士の交雑によって白色が生まれたようである。


病院システム番外編その3

2017年09月15日 00時00分01秒 | 紹介

 付属看護学校の研修生が、ベテランの看護士の下で研修を受けていた。まさにOJT(オンザジョブトレーニング)である。ノリが良く効いた制服はどの研修生もよく似合う。服装で研修生とわかることは良いことと思われる。看護士になると一見ラフと思える制服を着用している。4~5種類あるようで、昔ながらの白色の服装もあるが、Tシャツにズボンという制服は行動的である。見慣れないうちは違和感があったが、多種類の作業を、てきぱきとこなしている姿を拝見すると、行動的な制服を必要とすることがわかる。見かけではなく、仕事の内容によって制服が変わることは意味のあることと思われる。

 

 今回の感想は、OJTの一シーンである。入院中の患者は車いすに座り、点滴を行っていた。指導する看護士は、車いすの操作と、点滴棒を持ちながら移動中である。1名の研修生が付き添っていた。つまり、片手で車いすのハンドルを操作し、点滴棒をもう一方の手でつかんで移動している。車いすについては通常両手でハンドルを持って移動する。片手で操作することは安全上めったにないが、今回は点滴棒を一緒に移動させることが加わるため、慣れないと難しい操作となる。

 

 待合の椅子に座っていた小生の前で、看護士から研修生へバトンタッチが行われた。緊張してそれを行っていた研修生を、傍で見ていると大変すがすがしい。それは、ベテラン看護士にとってはたやすいことであっても、研修生にとってはおそらく初めての経験であったようである。仕事に対して全身全霊を傾けている姿だったからである。看護学校を併設している病院は教育訓練の現場でもある。教室での知識の詰込みだけでは仕事にならないことは山ほどある。技術・技能は教室だけでは研修生の習得に限界もある。実際にやってみてできなければ、研修の意味をなさない。技能は何度か繰り返して行うことによって、身に付くものである。つまり、研修の望ましい形である現場の実物教育が行われていた。

 

 自分も専門は異なるが、長年、職業訓練の場に身を投じていたため、このシーンを見て感動を覚えたわけである。現場での人材育成はどのような職種でもついて回るが、指導者不足や、教育の場をないがしろにする経営者が多い昨今、極めて大切な業務であることは間違いない。

 

 ついでに、車いすの操作は、だれしも習得すべき技能である。看護士だけというわけではない。階段の上り下りなどは大変難しいし、スロープの下り方も、車いすをバックさせながら降りることなど、知っておかなければならないことも多い。万民に対し、研修の機会を持つべきと思われる。若い方でも車いすを使う場面は必ずあるので、公的機関等において、その実施を検討されたい。


病院システム番外編その2

2017年09月14日 00時00分01秒 | 紹介

 年齢を重ねることで身体も老化する。体内細胞は、再生を繰り返しているが、新たな細胞が得る情報に間違いや転写ミスが起こることによって起こる異常というべき細胞が蓄積し、次第に量が増え、腫瘍や癌を誘発することは知られている。癌化には加齢ばかりではなく、遺伝的体質、生活習慣やストレスなど多くの要因が係わっているといわれているが、症状がある以上、原因を究明し、患部を取り除き、正常化に戻す等の役割を、病院システムが担っているといえるであろう。

 

 高齢者・障害者の支援では障害の程度により、自助、共助、公助といわれ、最近耳にする言葉である。高齢者・障害者は誰でもが同じ障害や健康状態でないため、一律に同じことを行うのではなく、障害等の程度によって、差があってしかるべきで、本人に合った対応を行う必要があるとの考え方である。当たり前といえばそれまでだが、行政はそこのきめ細やかな対応ができていなかったから問題視されたのである。病院においても自助だけでは限界があり、そこに医学的な知見で関与している。

 

 自分の健康状態は、自分が一番わかるとも自負してきたが、そうでもないようである。健康管理も専門家に任し、適切なアドバイスをもらうことが必要になってきた。医師へかかるには症状が出て、病状悪化する前に、早めの診断が必要になっているといえる。医学の進歩は一段と加速していて、血液検査一つであっても、多くの測定値や分析結果を検出できるようになっている。これによって、体全体の症状を診断できるようになっているのである。

 

 現職の時には組織後持つ健康保険組合の定期的な成人病検診や脳ドック等があったが、退職後は、市区町村が行う健康診断のお世話になっている。これはぜひとも受診した方が良い。年に1回の受診を習慣づける。そういう自分もしばらくぶりの受診であり、しばらく放置していたことを今になって悔やんでいる。幸い今回の検診で大腸ポリープの切除が終わった。

 

 セカンドオピニオンを含め、できるだけ多くの診断機器や、専門医のそろった病院にかかる方が良い。子供のころから通っている地域の個人病院も捨てがたいところはあるが、そこが窓口なり、地域の総合病院を持つ医療体制が整いつつあるが、やはり信頼できる医療機関にかかることも重要である。そのためには、信頼たりえるアドバイザーやコンサルタントの意見が聞けるような窓口も必要で、公的機関がそのような情報発信を持っているところも多い。区役所等の市民相談窓口や、インターネットでの検索によってもよい。


病院システム番外編

2017年09月13日 00時00分01秒 | 紹介

 一般的に病院は静か場所にあり、待合室も静かであると思っていた。病院がにぎやかであるのは悪いことかどうかわからなくなってきた。高齢者が多い診療科では特に顕著である。子供連れが多い小児科や外科は仕方ないとしても、ほとんどの診療科がうるさいのである。その理由は、順番待ちの患者番号の連呼と、実名の呼びかけである。サインボードがありながらこの状態をどのように考えればよいのであろうか。

 

 建物の防音・遮音効果が低い場合や、放送設備の不良が考えられるが、サインボードが思ったより情報伝達が低いのかもしれない。サインボードには、医師の担当ごとに部屋割りかあり、患者個人のID番号が表示される。番号が表示されれば診察室に向かえばよいわけであるが、情報量は少ないし、間違えることも少ないはずが、診療日や、午前午後の時間帯ごとに異なるIDでは、桁数が多くなれば、失念しやすいのも事実である。

 

 その原因は、高齢者が多く、難聴気味の方や目が不自由でサインボードを注視できない方が多ければ、サインボードは機能しない。つまり、診療順番が停滞してしまう。そこで看護士の連呼が始まる。この呼びかけは、騒音に近い。他の騒音発生の原因に、携帯電話やスマホの音も大きい設定が目立ち、携帯電話をかける場所も指定されているが、そこでの会話であっても、耳の不自由な方の大声は館内に響く。

 

 病院内の電話のやり取りは自粛すべきで、ルールが守られていないように感じる。便利な機能を持つ携帯電話やスマホでは、メールのやり取りぐらいだけに限定すべきと思われる。一時、ホテル等の不特定多数が集まる場所では、電話ボックスがあった。これが今ではほとんど目にすることはないが、騒音防止のため、復活も考えなくてはならない。

 

 サインボードに戻るが、同じ医師の名前で、別々の部屋の割り当てがあるサインボードがあった。多分同じ医師が持ちまわることかと思っていた。さもなければロボット医師かもしれないと女房と冗談話をした。先日TVで、ロボット導師が放映されたからである。この導師は、経を読むし、バチをもって木魚をも敲く優れものである。まさに、若干ありがたみはないが、僧侶の役をこなすロボットであった。順番待ちをしていたところ、看護士から名前を呼ばれ、検尿と採血をするように言われた。一瞬騒音の原因がわかったような気がした。それが済み、サインボードにID番号が表示されたので、診察室に入った。医師から言われたことは、自己紹介で、自分は担当医師ではないとのことで、代理の医師だったのである。


俄か撮影会

2017年07月31日 00時00分01秒 | 紹介

 ブログでご紹介しているアブラゼミの脱皮を題材に我が家で俄か撮影会を始めた。昆虫の生態はわかっているようで実際に自分の目を通してみないことには、何もわからない。観察とは、ファーブルの昆虫記の記述の通りで、例えば、夜間の暗い場所で脱皮する位置をどのようにして決めるのか、脱皮がどこから始まり、どのようにして殻から抜け出すのか、殻につかまっていてなぜ殻が落ちないのか、脱皮にかかる時間は、羽がどのようにして伸びるのか等々身近にその題材があるのは望ましいことであるが、とにかく、題材探しもジーとしていても相手から声がかからない。

 

 生態について詳しい記述を見つけるのも難しい。インターネットで検索できればそれでも良いが、どの場所に、いつ頃どのような昆虫が来るのかは、いつも観察対象を探す強い意志がないと遭遇することもできない。犬も歩けば、棒にあたるとの例えの通り、自宅の庭にも思わぬ昆虫に出会うことがある。因みにアブラゼミについては、ちょうど今頃から夕方、地中から樹木の枝に這い上がる。それも、頑丈と見える殻に包まれてである。ちょうど戦車が坂を登るようである。

 

 先客がいれば、太い腕で撥ねのけることもする。生存競争の厳しさを見ることができる。撮影は夜間照明の準備をし、蚊の襲撃をかわすための準備が欠かせない。今回は、天候が急変し、雨が激しくなってきたため、掴まった葉裏を残し、枝を折って自宅で観察することにした。すでに日が落ち、あたりは真っ暗であった。

 

 机の上に花瓶を準備し、それに挿して脱皮した後の高さを保って、レフ板を敷き、バックは移動できる小型の黒板を据え付けた。撮影準備は完了した。その状態で約1時間を要した。脱皮が開始すると脱皮が完了するのに約1時間かかる。その間秒刻みで変化する被写体をカメラに収めるのである。撮影はストロボなしのほうが被写体を驚かせないためにも必要である。あまり暗くし過ぎてもカメラのシャッターは下りないため、ぶれない程度の限界を探し、撮影条件をカメラにセットする。蝉の動きはゆっくりなので、シャッター速度を1/100秒以下で十分である。ISO感度は撮影距離が近いのであまり気にしないでもよいが、800~2000の範囲でよいと思う。今回は標準レンズを使った。

 

 身近にある自然に触れるのは、ある程度の準備はいるが、大切なのは重複するが、撮影するという観察力、写真に残すという強い意志が大切であると思った。


高齢ドライバー講習会

2017年07月26日 00時00分01秒 | 紹介

 70歳を超える誕生日後74歳までの運転免許更新時前には、高齢者講習が義務付けられている。8月12日を境として、それ以前の講習は3時間、旧法であり、以後、新法が適用され、講習時間が2時間となる。都道府県公安委員会から事前の通知がはがきであり、居住地の自動車学校を紹介してくれる。はがきを受け取ったならば、いくつかある自動車学校の最適場所と連絡を取り、講習を予約することになる。

 

 講習の内容は、講義、討議、運転適性検査機材の使用による診断と指導、運転実技による診断と指導である。手数料は5600円と若干高額であるが、実際に受講した感想では内容からするとまあ適正範囲かと思われる。今後、3~5年ごとに検査を受けることになる。

 

 法改正の理由は、高齢者ドライバーの運転ミスによる死亡事故の急増があり、やむを得ない措置であろう。新聞紙上では、連日、ブレーキとアクセルを踏み間違えて事故につながるケースや高速道路での逆走などが報じられている。過疎地帯での日常の交通手段がない場所では、高齢者には車という移動手段が欠かせないことも実態としてあり、高齢ドライバーに対して、単なる運転免許証の自主返納だけでは解決できない悩ましい問題もあることも事実である。しかし、だからといって、現状を容認するには、限界もある。高齢化による運転技能や、反射神経の低下は個人差があるにしても、だれしも経験することで、この制度自体は適切な手段である。

 

 講習自体が認知症の発見を未然に把握する目的があるし、講習内容もそのように意図されている。検査器具によって、ある程度自己の身体能力や反射神経が、また、実際に教習車を利用して、教習所の特定コースを走行し、指導教官の判断を仰ぎ、運転能力を把握できることは自己の思い込みをなくし、講習会当日に数値として検査結果が出ることは大変望ましいことである。検査結果を踏まえ、都道府県公安委員会から高齢者講習修了証明書が発出されるので、これをもって免許更新の必要書類となっている。

 

 誰しも、交通事故を起こすことや、被害にあうことは望んでいるわけではない。事故の原因が、高齢化によるとされるのは統計上からも明白なことで、事故割合からすれは一万分の1であっても、当事者になれば100パーセントとなってしまう。いかに確率は低くても、交通事故は無くならない。自分が加害者になることは皆無ではないので、今まで以上に注意をし、安全運転に心がけようと思った次第である。


病院システムその4

2017年07月15日 00時00分01秒 | 紹介

 病院システムの重要な部分といえば術後の食事であろう。手術の程度と部位にもよるが、人体の再生能力と密接に関係し、段階を経て普通食に至るが、食事を司る部署と、担当医との情報共有が大切であることは想像できる。大学病院ともなれば、病院自らが給食可能な人員と設備を保有している。調理の前には、栄養士が介在するし、患者個々の病状にあわせる献立を工夫する必要性があろう。

 

 実際の調理現場を見たわけではないが、入院当初、外注しているのであろうと簡単に考えていたが、食事時間が決まっているので、ほぼ時間通りには給食準備が整っていなければならないし、普通食を中心とする献立表は少なくとも数週間前には通知できていることが望ましい。つまり、病院での患者の最大関心事でもあるからである。とはいえ、患者は当然のことであるが、それぞれの病状によって、または回復状態によって、食事の種類が異なっている。その意味では出来合いでは困るし、どう考えても、オーダーメイドとならざるを得ない。

 

  そのように考えると、大変さがわかる。つまり、献立のバラエティーをいくつも持ち合わせていないと対応できないであろう。献立は入退院が激しければ、それに応じた適切な判断と対応が求められる。担当医と密接な連絡調整ができていなければならない。従って、外注では対応が不可能と推察される。場所は異なっていても常時、患者の状況に合わせた給食サービスがシステマティックに動いていなければならない。このことは、ほぼ決まった経費の中で、食材を選択し、定時に間に合うように患者の状態にあわせて加工調理するという神業が求められているのである。

 

  毎回、提供される食事の感想をメモ書きできるペーパーが付属していて、患者とのパイプ役を果たしているようであった。毎回のこととなると、病状によってはそう簡単ではないが、自分は、入院している間、ほぼ毎回の食事にコメントを書いたものである。どれだけの患者がコメントを書くかはわからないが、提供される食事への感謝と病状の回復は食事を通じてよくわかるものである。

 

  食物アレルギー、糖尿病、高血圧、痛風等減塩や、食材の選択にも注意を注がなければならないが、併せてカロリー計算や、季節を感じさせる味覚ともなれば、総てがかなうことはできないにしても、何らかの工夫や努力が感じさせられる食事が多かった。

  改めて、数多い病院のシステムの中で、給食システムは注視に値する得意な分野であったと感じたところである。


病院システムその3

2017年07月10日 00時00分01秒 | 紹介

 入院患者の生活サポートは、病院生活の全般にわたる。病状によって異なるが、方向的にはいかに短期間で元の体力と生活を取り戻すか、つまり、自立支援にある。そのためには体調管理がベーシックな指標となるであろう。検査の項目は、体重、体温、血圧、心拍数、血中酸素濃度等である。起床時、昼食後、就寝前の3回が測定される。手術後はICUと呼ばれている集中治療室で医師の監視の下で過ごすことになるが、体調が安定すれば一般病室に移ることになる。その判断は、担当医の判断となるのであろう。

 

 点滴を含め、薬剤投与には、毎回患者本人かどうかの確認が口頭で行われるとともに、入院時には、個人IDが書き込まれたバーコードの腕輪(テープ状のプラスチック製)をはめることになる。多くの患者を識別し、区別するにはこの方法が最も適しているのであろうか。患者の取り違え医療ミスを防ぐためであろう。患者の容態は常にナースステーションが監視しているが、ナースは通常二交代制で夜勤を担当する少数の看護師は顔が異なっていたが、日勤担当との申し送りは確実になされているようであった。病室の部屋割りは大方決まっているようである。一日に数回の医師と看護師とのミーティングが開かれていた。当然、担当医の回診は頻繁に行われている。

 

 自分が入院した病棟は9階であったが、中央のエレベータホールを中心に左右に分かれそれぞれナースステーションがあった。看護師の実数の把握は難しく、多くの看護師がいることは明らかであった。病室は患者の治療科別に分かれていたようであったが、必ずしもそうではなく、担当医師もそれぞれのナースステーションに出入りしていたようで、個室に陣取っている様子ではなかった。自分が入院中は、院長や、医師のお歴々の回診場面を目にしなかったのであるが、そのような制度がドキュメントには書かれてあった。

 

 日々患者の容態は変化する。それに応じた適切な処置は、医療に従事する者が情報を共有していなければ対応できないため、大変難しい管理が望まれるのであるが、あまりピラミッド化した組織であり過ぎると、逆に重大な見落としが発生しやすくなる。医療は医師と看護師との協調性にある。ある意味、研究職スタイルの平坦な組織が敷かれているようであった。

 

 今回、医大の看護専門学校の研修生が、卒業前の実務実習のため、各ナースステーションに配属され、個別に患者に張り付く研修が行われていた。もちろん事前に患者の了解が必要となるが、講義だけではわからないナースの仕事を理解するのには大変重要な機会であると思われた。この医大は関東に4か所の施設があり、それぞれが看護専門学校を併設しているという。


病院システムその2

2017年07月07日 00時00分01秒 | 紹介

 大学病院に入院したことで、日頃感じなかったことが、見えてくる。今回、システム化された病院の一端を垣間見ることができた。普段は、居住地域の個人病院で治療が行われ、診療科以外の科に症状が及ぶときに、紹介状が出され、大きな病院へ行くことを勧められる。地域ごとにある総合病院や、大学病院等が設置されている。そこでは初診者と同様に、問診や、既往症などの個人にまつわる病歴等が調査される。診療科については予め紹介状によるが、多岐疾患がある場合には再検査が行われて特定科が決定される。病院間の情報共有化は進んでいたとしても、検査結果に左右されるため、再検査や精密検査は欠かせない。

 

 現在ではどの診療科にかかっても、共通する情報によって、病院の業務に携わる者はどこでもパソコンを介して患者の情報を知ることが可能となっている。その意味では、最初の情報入力が必要であり、最初にかかわった医師は、パソコンへのデータ入力に専念せざるを得ない状況が発生する。患者の顔を見ないで、パソコンに入力する姿はちょっと違和感を覚える。医師像という先入観があり、聴診器や血圧測定を医師がまず行うことに慣れているせいか、目を合わせないでのキーボード入力に夢中な姿は、高齢者にはなじまないかもしれない。

 

 しかしこの初期に行うパソコン入力は、即座に医療に従事する医師や看護師に対し、入力データとして、医療の根幹となる情報を共有する大切な仕事なのである。つまり、アクセスが可能な医療従事者に、判断材料を与え、無駄や無理のない最適医療環境を構築し、適切な行動を与えるツールなのである。おそらく、患者の個人情報だけではなく、高度な医療技術情報、措置事例、処方する薬剤、人材配置、病室の管理、等のあらゆる管理を含めたアプリケーションが裏で動いているのであろう。まさに巨大な組織を円滑に稼働するためのシステムであろう。

 

 医療現場は、人の生死に直接関係する現場であり、場合によっては過酷な条件の下での判断が求められている職場といってもよい。整然となおかつ、粛々と行われている日常の医療従事者のすべてを見ることはできなかったが、多くの点でシステマティックに動いている場面に遭遇した。しかしながら、患者の誤認、手術や医療ミス、院内感染、投薬による副作用等不安を掻き立てる材料も散見されている。医療現場でも性善説では語れない面もあることも事実であろう。高度な先端医療、人工知能が活躍してきているが、多くの作業は人の手によって行われている。そこではレアケースとしての医療事故も皆無ではない。その意味ではリスク管理も力を入れる部分であろう。


愛犬の死

2017年07月02日 09時48分51秒 | 紹介

 満13歳となった愛犬が先週他界した。寿命といえばそうなのであるが、家族の一員であり、死亡してしまうと心の空洞はなかなか満たされない。夫婦二人の生活であるが、居なくなってしまうと愛犬が居たおかげで、癒されたし、様々な心模様が思い起こされる。家族の一員であり、居ることが当たり前という認識であったためか、居なくなってしまうと、寂しさが募る。20キロの犬がいかに大きな存在であったのかがよくわかる。決して自らから屋内にはいることはなく、家に貰われてからずーっと室外犬であった。こよなく家の外での生活が適していたようである。数回脱走したことがあるが、隣接する隣家との間はブロック塀で囲われていた。

 

 数か月前から、妙な咳が続いていて、フィラリアの罹患を心配したが、長年お世話になっていた、獣医の許に連れて行ったところ、直ぐにレントゲンを撮り、採血した。検査の結果、腹部に大きな腫瘍が見つかった。当座の処置をし、しばらく様子を見ることにしたのであるが、体力的に相当衰弱していたため、増血剤、栄養剤、痛み止め等の投薬であった。ちょうど4か月前のことである。

 

 すぐに投薬の効果が表れたが、獣医の話では余命1か月といわれ、手術による摘出も可能であるが、転移していれば手出しができなくなるし、年齢的にも無理と宣言された。その後、散歩等の運動は控えめにし、食欲があったため、愛犬の好みの食事に切り替えた。体重も元に戻り、3か月は順調に回復しているように見えたが、しかし、首の周りのリンパ腺が腫れてきて、大きくなって行き、次第に食べ物が食べづらくなり、また、呼吸が困難となっていった。死亡前の1週間は、食事の量が少なくなり、細かく刻んだウインナーハムや、ミンチとかゆを炊いて、少しずつ女房が手のひらに乗せて食べさせた。多分嗅覚と視力が低下してきたのであろう。

 

 死亡時には、自分はポリープ除去のために入院していたため、死に目には会えなかったが、静かに息を引き取ったとのことであった。獣医の診断より3か月延命したことになる。

 

 犬の死亡原因は、昔から、フィラリアとジステンパーと決まっていたが、癌を罹患したとは考えもしなかった。人間と同様で、獣医の処置や診断も人間のそれと共通している。ただし、健康保険がきかないので、出費は覚悟しなければならなかった。早期発見が大切なことはわかるが、今の時点では、できる限りの対応を行ってきた。安らかに眠ってほしいと願っている。獣医には死亡を届けたが、保健所にも届ける必要がある。


病院システム

2017年06月28日 00時00分01秒 | 紹介

 居住地を管轄する住民サービスの一環として、毎年実施されている成人病検診がきっかけで、検査結果によっては、さらなる精密検査が必要と判断された場合には、充実した検査設備や、専門の医師が常駐する病院への受診を紹介され、紹介状による病院間のやり取りによって、適切な処置が行われ、この制度によって、多くの救われた命や、早期のがんの発見等に結びついている。

 

 一方で、住民とハブとなる広域病院や、救急病院等との情報交換の場は思っていたほど多くはない。もちろん、どのような地域の病院であれ、ホームページを備え、多くの手段で、広報活動が行われていても、常に隔靴掻痒の感はぬぐえない。というのも、風評というのか、聞き及んだ噂は、容易には訂正が聞かず、なかなか正しい情報には入れ替わらない。そのような不安は、地域のいわゆる町医者の紹介や推薦段階から信頼関係が醸成できていない場合が多いように思える。

 

 風評は、どちらかといえば、マイナスイメージが強調されやすく、例えば、救急病院に指定されていた場合でも、地域住民は救急救命の実態すらわからず、夜間の騒音と結びつけ、安心ではなく、不安を持つようで、暇な病院であり、評判が悪いなどと実態とは相当かけ離れた判断を持つにいたる。これは異常事態としてセンセーショナルに番組を組む一部のマスコミの影響もある。また、ドキュメンタリーばかりではなく、脚色した医療現場のドラマ化の影響も大いにある。

 

 病院の経営については、最新機器導入により、機器の減価償却や、効率的な経営を表に出し、検査機器を多用した過剰診療なども批判の対象となっているし、系列の医科大学においては医師免許取得率・国家試験合格率など、間接的な情報による偏見も影響している。

 

 我が国が、高度の医療技術や、医療・保険制度を持っているおかげで、平均寿命も長く、乳幼児死亡率等も、最も低い国となっている。それと相反する上述のような風評や、信頼関係の欠如等はどのように考えればよいのか判断に迷う。

 

 本来、病院は、受診に、トリアージ(triage)的な判断がなされ、重篤な患者の受診優先がなされるべきで、サロン化した、高齢者集団の憩いの場となっている場面に遭遇すると、緊張感がなくなってしまった医療現場の見直しは、再考されなければならないと思える。しかしながら、異なる視点から考察すべき問題点もあるようで、医師会や、医療行政、薬価、現代医学と情報共有、医師の質的、量的、技術的、問題等、病院システムを構築する要素等時代に合わなくなってきた分野も多い。


アウフヘーベン

2017年06月19日 00時00分01秒 | 紹介

 突如、小池都知事の口から発声のあったアウフヘーベン、知る人ぞ知る言葉である。自分は久しぶりに聞いて、学生時代を思い起こした。あまり得意の分野ではなかった哲学の授業である。哲学は一般教養の授業で、確か、ドイツ語を教えていた教授が掛け持ちで行っていたと記憶しているが、アウフヘーベンなる語句もドイツ語の単語である。英語やアラビア語を得意としている都知事の口から発せられたドイツ語には、それなりの意味があったのであろう。この語の理解は、一般的な単語とは異なり、深淵で、哲学を知らないと理解することは難しい。

 

 日本語では止揚や揚棄と書かれているが、この言葉すら一般的ではない。止揚の意味は、二つの矛盾した概念を一層高い段階で調和・統一するとのことと国語辞典には書かれてある。揚棄も同様であるので省略するが、哲学では、物の対立や矛盾を克服し、統一することによって、より高次の結論に達する発展的な考え方や、思考方法を弁証法といっている。

 弁証法には、物質的な考え方(唯物論)と精神的な考え方(唯心論)に二分されるが、発生した時代や国によって、突出した多くの哲学者がいて、アウフヘーベンの用語はドイツの唯心論哲学者ヘーゲルによって弁証法的観点からもたらされたものである。

 

 言語であるアウフヘーベンのアウフとは上げる、高めるの意で、ヘーベンは否定するという意と止める、保存するという両義がある。であるから合成語のアウフヘーベンは、「否定する」、「高める」、「保存する」の三つの意味を含めていて、ヘーゲルの弁証法基本概念といえる。相反する概念を一つの合成語でよく言い表しているといえるが、世の中の現象や事象の中には、同様な推移を現わす言葉もあり、出藍の誉れや、芸事や武術など、学んだ流派の奥義を獲得することで、さらに高揚するため、それらを捨ててさらに新たな境地を得るなどと考え方はよく似ている。

 

 今回の小池都知事が、意図したアウフヘーベンなる言葉の使い方が、ヘーゲルが考えた概念と同じかどうかは推察の域を出ないが、都議選を目前にし、市場としての安全性が専門家から担保されても、安心論議で頓挫した市場移転等の在り方は、苦し紛れに出た言葉とすれば、どちらの市場をもいいとこ取りをして、煙に巻く戦術かもしれないし、昼食に焼きそばとパン食のどちらが良いのかと問われ、どちらも好きで、焼きそばパンにしようと単なる合成することに似ているようで、本来の意味のアウフヘーベンなのかははなはだ疑わしい。近日中には、何らかの方向性が出され、人によって異なる安心の定義が明示されるかもしれない。