鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

市民アカデミー15前期第1回目

2015年04月12日 00時00分01秒 | 日記

平成27年4月9日

 2015年川崎市民アカデミー前期が開講した。企業連携の10回目となり、7月の2日までの間で10回の講座が予定されていて、座学が7回、現地での工場見学等が3回計画されている。人気があるコースで、募集期間中に定員を満たし、追加募集はなかった。70名強の受講者がいて、高齢者も多い。女性も10名ぐらいおられた。パンフレットの概要を引用すると、「川崎は京浜工業地帯の中核都市として、日本経済を牽引してきました。また、モノづくり企業、先端技術の開発・研究機関を抱える元気な都市です。川崎の企業や人々から学び、明るい未来を展望します。」である。

 

 4月9日は、座学で、講座開始日でもあったため、通常より10分早く13時20分から始まった。終了したのは15時であった。事務局から資料を渡され、出席のチェックを行った。講座認定されているコースもあり、受講者には単位が与えられるが、当該コースは単位が与えられていない。資料代は別途徴収される。今回は受講のしおりとコース日程を配布された。コースの初日の内容は2月の段階で決まっていたが、全コースの日程は今回まで決まっていなかった。相手の都合等が確定できなければ、発表できない。コース内容の日程調整に困難されたことは容易に想像される。

 

 今回の講義テーマは「なぜ川崎モデルは成功したのか?」サブテーマ「中小企業支援にイノベーションを起こした川崎市役所」で、経済労働局長、伊藤和良氏及び経済労働局企画課木村氏からの講義であった。配付された資料は多く、早口での説明がなされたが、川崎の状況が良く理解できた内容であった。ポイントは、川崎市が川崎モデルと称される事業を手がけることによって、地勢を活かし、最大限機能が発揮されるように役所が関与することによって、目的を持って未来への可能性を事業として取り組んでいることであった。

 

 川崎市が公害の街として悪名を轟かせた時期があり、市が公害対策に力点を置いて取り組んだことが成功話として語られた。そのことは、海外への企業移転による空洞化と、空き地利用という発展の礎(いしずえ)を作ることに繋がり、局長の言葉をお示しすると、光と影という言い方をされていた。現在では各地にサイエンスパーク等の研究拠点に成長し、将来に向けての活動が本格的に稼働している。

 

 もう一つの特徴として、大企業が持つ様々な知財を中小企業へ橋渡しをする事業である。簡単にいうと中小企業の支援事業であるが、キャラバン隊と称していたが、コーディネーター、資金団体、大企業、中小企業、役所とがそれぞれのメリットを生かし、産業へと繋げている。木村氏も川崎市側をお節介といっていたが、情報の共有化の大切さを具現化している活動の紹介があった。


終の棲家

2015年03月03日 00時00分01秒 | 日記

平成27年3月2日 

 誰しも何れ訪れるこの世との別れは生前にその準備を行っておく必要があるといわれている。そういう自分もことさら深く考えたことはない。この歳になって知人や親戚の不幸に接する機会が増えたように感じるが、卒寿を迎えた叔母が一人住まいの自宅で倒れ、幸いに、知人が訪問した折りに異変に気づき、急遽救急車で、地元の広域病院へ運ばれた。発見が早かったせいか、大病には至らずに済んでいるが、予断は許されない。

 

 数日前に従兄弟に当たる子息からの電話では半身に麻痺が残り、脳の出血は完全には除去できないため、血液が脳を圧迫していることが原因してか、記憶や言動に若干の異常があるとのことであった。この先、しばらくの入院生活が続くことになるが、完治できることを期待している。既に叔父は他界していて、従兄弟がたまに実家へ帰るが、完治した場合であっても車いすの生活が続くことになるであろう。

 

 叔母は以前から現在の自宅を終(つい)の棲家としたいといっていた。万一病となっても広域病院で最後を迎え、周りの者に迷惑を掛けたくないと気丈であったが、本人の言葉通りに進んだとはいえ、親戚として、どうしたものかと推移を静観しているところである。 地域には地域の持つ様々な制度の中で、最善を尽くすことが求められ、対応していることは承知しているが、大切な点は周りが余り口出すことは控えるべきで、どのような支援が出来るのか模索中であり、限られた選択肢しかないのも事実である。

 

 過疎化していて人口が急減している地域も多くなっている。都会においても独居老人が増え、誰も看取ることがないまま他界する人もいる。終の棲家は一人では暮らせない実態がある。喩え、リホームをして、車いすでの生活が出来るように改築したとしても、一人住まいでの車いすの生活では限界がある。公的な介助や支援制度が充実してきたとはいえ、ホスピスのような最後まで看取ることが出来る施設に入らない限り難しい状況である。

 

 以前のブログでは、いざというときのために準備をしておく必要性を紹介したことがあったが、具体的に何をしておくべきか改めて模索中である。人それぞれ考え方は異なるが、残された者への思いは誰しも同じと考え、頭の整理のために書き出してみることから着手しようと思っている。


CPプラス2015

2015年02月14日 00時00分01秒 | 日記

平成27年2月13日

 CP+(シーピープラス)とは、毎年開催されるカメラ映像機器工業会が主催で、日本写真映像用品工業会が協賛のカメラショーのことである。2015年2月12日~2月15日までの間パシフィコ横浜で開催中である。入場料は1500円であるが、CP+で検索すると入場引換証が手にはいる。これを持って会場で受付を済ませると無料となる。

 暫く振りに行ったパシフィコ横浜であるが、みなとみらい駅を下車すると、平日にも関わらず、多くの見学者と思われる方々と一緒になった。会場受付まで同行したが、カメラを持っている方が殆どであった。会場にはいると既に多くの来場者がいて、企業毎のブースには人だかりがしていた。入場後直ぐにオリンパスのブースがあり、オリンパスのカメラがレンズを持っているとミニュチュアカメラの携帯ストラップをプレゼントされた。

 室外は肌寒かったが、会場は来場者の熱気で汗を掻くほどであった。ブースに設けられたステージにはカメラマンが殺到している。大音響で新製品の紹介があり、続いてモデル嬢の登場である。一斉にフラッシュが焚かれ、良いムードである。カメラマンはモデル嬢の撮影が目的であるらしい。自分も負けじとカメラをセットし、微笑みを送るカメラ目線のモデル嬢をカメラに収めた。

 来場者の殆どは中高年の男性で8割を占め、残り1割が高齢者の女性で、1割はカメラ関係でスーツ姿のビジネスマンか、プロカメラマンらしき姿の若者であった。若い女性はブースの担当者ぐらいで、中にはアンケートを聞き取る企業の広報を担当する女性がいた。平日であったためか、子供連れや家族とおぼしきグループは殆ど見なかった。

 この分野が中高年をターゲットとしているのは判るような気がした。光学機器は新製品の展開が意外に早く、次から次へと魅力のある製品が産み出されている。将に情報の世界で、精密電子機器のオンパレードであり、値段が張る物も多い。若者では手が出せない世界のようである。展示ブースでは、著名なプロが映した映像が放映され、最高の画素数で撮影された画像は、あたかも簡単に自分でも撮れるかのような錯覚に陥る。

 決してそうではないことは判っていてもショーの魅力かも知れない。年金暮らしには手が出せない遠い世界であるが、一時であっても、感動と夢を見させてくれたのは事実である。


芸術の秋その2

2014年11月18日 00時00分01秒 | 日記

平成26年11月16日

 多摩川で野鳥の写真を撮っている関係で、連日お会いする野鳥写真家の大野先生が講演する多摩川野鳥サロンが本日、せせらぎ館で開催され、参加してきた。主催はせせらぎ館である。参加者は20名前後であったが、2時間のサロンは講演1時間の後、熱心な参加者相互の情報交換が行われた。

 講演に当たった大野先生の同様なサロンは、今年で5回目という。毎年1回、12月から1年間に飛来した野鳥(今回は45種)についてスライドショー形式で紹介される。多摩川にはせせらぎ館を中心として上下流1キロの範囲に亘って約100種類(多摩川宿河原堰周辺を中心として、これに付加し、近隣の丘陵地帯(生田緑地、東高根森林公園)を含む)が飛来しているとして、それぞれの生態をデジスコで撮影されている。

 今回の特徴は、昨年との比較において、中洲でのコアジサシの産卵時期に大雨による洪水で、繁殖地が水没したため、全滅してしまったことと、併せて、下流での50万匹に上る稚鮎の放流の成果が、やはり洪水により、餌となる苔が付着するゴロタが流され、その影響で、野鳥の餌となる稚鮎の遡上が減少した事を強調されていた。

 水質の浄化だけではなく、自然現象が野鳥の生態系にも直接影響することで、河川管理の点でも多くの工夫が必要であるとの認識を示されていた。以前にもご紹介したが、先生が撮影された写真はせせらぎ館に展示したパネルを、近隣の小学校の教材として活用されている。

 今回のサロンには、東京新聞社関連会社から2名の関係者及び、多摩川の野鳥関係の記事を書きたいとの要望で、先生の写真展を紹介した地元の方1名も出席されていて、今後東京新聞で月1回発行されている「暮らすめんと」の紙面で、多摩川の野鳥のことが紹介されるようである。その取材打ち合わせもサロン閉会後、行われていた。

  大野先生は、野鳥の専門家ではないし、プロのカメラマンでもないことを申されていたが、成果のご披露は、数年間殆ど連日多摩川の野鳥の生態を写真に記録され、飛来する野鳥の特徴を習熟されていることはまさしく専門家と呼ぶにふさわしい。平素の努力の積み重ねで、このことを抜きにしては得られない成果であり、僭越ではあるが、継続は力であることを先生自ら実践されている行動を高く評価したい。

 今回のサロンは、芸術的な意味合いと言うより、調査研究の部類に属しているようであったが、写真の鮮明さや、日頃目にすることが出来ない野鳥の生態を克明に記録されているため、詳細に鑑賞できる両面性を有していた。野鳥が見せる多くのポーズは芸術といっても良く、瞬間に見せる映像は大変興味深かった。


市民アカデェミー後期三回目

2014年10月25日 00時00分01秒 | 日記

平成26年10月23日

 本日の講義は聖マリアンナ医科大学難病治療研究センターのセンター長である遊道和雄氏による「薬や手術によらず患部の細胞内分子を直接刺激して治療する次世代医療」と題した話であった。曇天で小雨模様の当日だったせいか、いつもより、若干少なめの受講状況であった。

 講義の話を纏めると、現在研究途上であるが、研究の概要についての導入部分、実験の方法とその結果、今後の課題である。医療の先端分野として注目されている課題であるが、同様な挑戦は、既に行われていて、実際に治療に使用されているわけではない。他の研究との違いは、身体の細胞レベルに対して半導体を利用したLED光線を光刺激として与えることによって、分子内で、あるレンジの波長により細胞が活性化し、患部治療に有効なホルモン等の伝達物質を作らせることにより、患部の再生や不要物質の除去等に寄与させるというモノである。

 体内時計ホルモンのことにも触れられたが、人間の規則正しい睡眠が、不規則な生活習慣を繰り返すと、昼と夜が逆転し、体調不良や、睡眠障害を起こす。早朝に起き、太陽光に当たることによって、脳内にメラトニンというホルモン物質が作られ、何日か続けることによって、正常に戻ると言うことが知られている。太陽光は電磁波であり、多くの光線で構成されていて、人間の目で認識できる可視光線以外にも、紫外線や赤外線等が知られている。

 特定の疾患にこれらの波長が影響していることは分かっているが、分子内レベルでの実験結果は今までなかったそうである。LED光線を利用した実験は、将来的に見て、装置の小型化、発熱量が低く、環境にも適している等から選択したそうで、欧米でプラズマによる研究が行われ、装置が大きく機材の持ち運びが困難な点は、LEDであれば家庭内での治療にも可能との判断であった。

 実験は細胞に含まれる骨芽細胞(骨が強くなる)、滑膜線維芽細胞(関節炎、リュウマチ等の炎症の基となる)、破骨細胞(骨が弱くなる)の三種の細胞をシャーレで培養し、LED光を照射しない場合と波長を変えて照射しその強さを二段階与え、一定日数経過後、結果を分析した。その結果では誤差の範囲はあるが、どれもLED光を照射することによって、細胞の活性化が進み、良い方向へのレンジが見つかった。これらを組み合わせることによって、治療への可能性を同定することができたとしている。今後の研究の成果を期待したい。


市民アカデミー後期開講初日

2014年10月11日 00時00分01秒 | 日記

平成26年10月9日

 川崎市民アカデミー、コース名 企業連携、「地域社会に貢献している川崎の会社と人々」本日開講です。来年1月22日までの間で10回の講座が行われます。現地でのフィールドワークは2回予定され、羽田の物流と北部市場の見学です。他の講座は座学で、武蔵小杉にある川崎市生涯学習プラザで行われます。

 パンフレットからこのコースの概要を引用すると「川崎は京浜工業地帯の中核都市として、日本経済を牽引してきました。また、モノづくり企業、先端技術の開発・研究機関を多く抱える元気な都市です。川崎を中心とした企業・団体の方々から製造、環境、まちづくり等を学び、明るい未来を展望します。」

 初回は燃料電池について東芝燃料電池システム(株)の講義がありました。別稿で詳細についてはお知らせするつもりでいます。生涯学習プラザの4階会議室に集合した受講者は前期とほぼ同数で70名でした。殆どが高齢者で、女性も多く参加しています。初回は主催者である財団の理事からの挨拶があり、事務局から企画・運営を委託された市民アカデミーの職員が紹介されました。この他事務の手伝いは参加者から募り、ボランティアで、現地でのフィールドワーク時に協力することになっています。

 高齢者が私を含め、参加していることは、学習意欲が高く、その熱心さに負けてはいられないという思いが湧いてきます。先入観として、自宅に引きこもりがちな高齢者が多いと思っていましたが、高齢者が社会参加されていないなどとは裏腹で、そのような感じは一切無いため、参加者が多いことでも十分分かります。前職は技術者ばかりではないことを前期に参加してよく分かりました。

 最先端の講座を直接受講することは、世の中の動きに対し決して後ろ向きではないし、自宅にいては決して経験できない緊張感や新たに知ることによる喜びは高年齢であっても興味の対象であり続け、知識習得に対し、貪欲であることの証明でもあります。精神の健康が如何に大切であるか講座に参加してよく分かりました。健康で、後期の講座にも総て参加したいと思っています。


高校の母校

2014年10月04日 00時00分01秒 | 日記

平成26年9月30日

 友人の術後の見舞いへ新宿区新大久保の最近開設された山の手メディカルセンターへ出向いた。山手線の最寄り駅から徒歩5分足らずの所にある総合病院である。友人は先週入院し、僅か術後一週間しか経っていないが明後日には退院し、お住まいのある地元の病院へ紹介状を貰うことになっているとのことであった。食事も粥から普通の白米に変わったといい、大手術の割には退院が早いことに驚いている。地元で引き続き術後の経過を見るとのことであったが、快気を願って病院を後にした。

 丁度、線路を鋏んで反対側に、高校時代の3年間を通った母校がある。明治24年に開校、校名が変わるまでは海軍予備士官学校であった。私立で、中学から高校までの一貫教育を行っていた男子校であった。今思えば予備校的な授業内容で、3年次からは志望大学の学部に応じたクラス編成であった。多くの授業では志望校の過去に出された試験問題を徹底的に走破するという受験対策一辺倒であったと記憶している。

 卒業以来一度も訪ねることもなかったが、現在の年齢から当時の年齢を差し引くと50年が経過したことになり、50年ぶりであった。当時の面影は全くなく、7階建てのビルに変わっていた。当時は兵学校スタイルの左右対称で2階建ての舟形校舎の中央には玄関があり、玄関の上には軒が広く取られ、そこから校長等が演説していただろうスペースを要していた。

 大学への進学は国立大学、有名私立大学等への合格率が高いことを以前から知っていたが、母校の目的がその辺りにあるのなら結構なことである。学校の統合や廃止が全国的に広まる中、また、大手進学塾の破綻が叫ばれており、少子社会が今後教育界へどのような影響と展開をしていくのか興味を持って注視していきたい。


お見舞い

2014年09月10日 00時00分01秒 | 日記

 平成26年9月8日 ブログで知り合った方が今月中に入院することが決まり、急遽お見舞いにご自宅まで伺うことになった。千葉県の香取郡、銚子に近いところである。事前にJAFが開設しているHPに入り、住所からドライブルートを検索して、走行距離と所要時間等を準備した。片道2時間半、距離は138kmであった。午前8時に自宅を出発し、途中、湾岸線で反対車線に交通事故が発生しており、渋滞していたこともあって、ご自宅まで3時間程かかった。

 現職の時に千葉県には3施設にお世話になったが、香取郡は成田にある施設に比較的近い場所であり、高速道路の走行は何度も経験していたので、迷うことなく、気楽に行くことが出来た。香取郡に入るとイチゴ狩りの看板が目立ち、商店街は閑散としていて、シャッターを下ろした店舗が散見された。以前、一口では入りきれないほどの大きなイチゴをお伺いした方から送って頂き、粒の大きさに驚いたことがあった。

 お伺いした方とは女房のブログの閲覧者の一人で、自分は一度も面識はなかったが、女房の話に寄れば、昭和記念公園で何度かお会いしたことがあり、現在でも親しくお付き合いしている方である。以前より、ひ弱な方で、車いすの生活をされているが、ご主人も糖尿病の持病があり、夫婦二人の生活の中で、奥様の病状が悪化し、手術に及ぶことになったとのことであった。

 地元のかかりつけの病院では手術が難しいとのことで、都内の専門のクリニックへ入院する。ご主人の話によるとこの一年間で相当病状が悪化しており、体重が30kgを切ったようで、極端な痩せ方であった。介護ヘルパーの助けを借りながら、生活の総てを託されたご主人のご苦労は計り知れないが、手術が成功し、快方へ向かうように願い、お宅を後にした。

 人間同士の出会いは偶然の賜であり、相性も左右するのであるが、出会いを大切にし、関係を深めていくことに人生の摂理を感じる。男女を問わず、友人への気配りは相互関係を深める栄養剤でもある。人の出会いは長い人生で、一期一会であっても、その機会を大切にして行きたい。


アカデェミー出席第10回目

2014年07月12日 00時00分01秒 | 日記

平成26年7月10日

 大型台風の影響を心配しながら、前期最終日に出席した。幸い台風の直撃はなかった者の、天候の急変はあるようで、帰宅時には、突風が時折吹いていた。本日のテーマは川崎市内最高峰の匠、「かわさきマイスター」2名による実演であった。始めに、川崎市経済労働局の見晴らしから、かわさきマイスター認定制度についての説明があった。マイスターとはドイツの職能認定制度で、当該職域における技術・技能・知識が優秀と認められる者へ、贈られる称号である。我が国における技能検定制度の一級技能士に値する資格で、我が国の制度もドイツのマイスターを手本としている。

  川崎市においても独自に作られていて、現在59職種で77名の方々が認定されている。

  川崎市では、市内に1年以上在住し、最近の現役技術・技能者とし、優れた技術や技能を発揮して、産業の発展や、市民生活を支える「もの」を作りだす者を認定している。

 今日の実演は、食品サンプルを手がける田中司好氏と広告看板製作の浅水屋甫氏の2名であった。食品サンプルは飲食店やレストランにあり、提供する料理見本で、本物そっくりな模造品である。古くは蝋(パラフィン)が使われていたが、電熱や、太陽光で溶けるため、現在では塩化ビニルが主原料である。対象となる食品である鮮魚や果物等をシリコーン樹脂で型を取り、塩化ビニルを流し込んで原型を作り、アクリル絵具等で加色して作られている。海外で日本料理店からの注文が多いそうで、やはり幾ら言葉で説明しても実物を見ないと日本料理の良さも伝わらない。作られた料理では長時間店の外やショーウインドーの中に入れてディスプレーすると腐敗することもあり、衛生上のことを考えると食品サンプルのニーズはあるとのことであった。

 広告看板製作については、現在パソコンを利用して、専用のカッティングシートで切り取って貼り付ける方法が主流であり、実際に筆を使って書くのは特殊な部分に限られる。大型の石油タンク、鉄橋、歩道橋、高所・難所では作り得ないため、古くからの看板描きが必要である。実演されたマイスターは、6種類の書体を自由にかき分ける技能を持ち合わせていて、サービスで、実際に大きな文字を受講者から募り、短時間で書き上げていた。

  技能の習得には勘やこつがあるため、匠と称されるようになるには多くの経験と体得が欠かせない。個人に係わるため、埋もれてしまう場合も起こりうる。技術指導や伝承の役目が与えられているばかりではなく、マッチング等経済的な面での支援を市が関与していることはこの制度が持つ特徴で、高く評価できる。


アカデェミー出席第九回目

2014年07月07日 00時00分01秒 | 日記

平成26年7月3日

 今回のアカデェミーは横浜気象台の見学と講義であった。70名にも及ぶ参加者の出席を取る事務局のお手伝い(当番)の役目があったが、集合時間30分前に集合場所へ行った。既に数名の事務局員や当番で旗を持っている人が来ていた。場所は東急が乗り入れているみなとみらい線の終着駅、元町・中華街で下車し、6番出口からエレベータで上がったところのアメリカ山公園であった。アメリカ山公園は最近整備されたようで、きれいに手入れされていた。気象台はここから徒歩約7分の所にある。建物入り口は外人墓地に面していた。

  高台にあり、新築の建物と大正時代に建てられたという古い4階建ての建物が併存していた。玄関のある入り口近くには30平米ぐらいの芝生が敷かれ、観測機が数台設置されている。観測データは自動化されていて、刻々と代わる気象情報を自動的に作業所のパソコンに送り、記録されていた。毎日6時間毎に4回の測定結果を関係機関や、NHK等の放送機関へ配信するといっていた。思ったより職員は少なく、担当部署2名が5セクションに分かれ、総員10名足らずの体制のようであった。

 観測機器や施設内を見学したが、さほど最新機器があるわけではなく、説明にあたった職員の話も、講義した職員女史の話も平凡であった。就業の辛さや予測の難しさばかりを声高に話し、詳しくは気象協会のホームページに詳しく説明されているとのことで、外来者の応対は満足行くものではなかったように感じられた。一般法人になってから少しは変わったかと思っていたが、気象庁時代の役人気質は抜けてないようで、改善の余地があるように思えた。例えば、今話題になっているPM2.5の観測や放射能の測定は市町村や他の省庁の所轄であるとのことで、データのやりとりはあるようであるが、回答者にも埒があかない。統一したチェック機関・情報発信機関が必要であろう。

 測定結果は天気図に記載されるわけであるが、その前に解析が行われる。気象観測の結果が主力であり、風向風速、過去の現象、視界、気圧とその変化、気温、水蒸気量、雲の状態、気象レーダーからのデータ等が解析要素となる。大気の層は地表近くから、対流圏、成層圏、電離層、外圏に分かれ、通常生活に密接に関係するのは対流圏である。

 先日、講義を受けた国土地理院の等高線の表示方法が思い出され、天気図にもそのような色彩表示方法を考えてみることが、いずれ、必要であろうと思った。


旧友との再会(2回シリーズその2)

2014年07月02日 00時00分01秒 | 日記

  当日は、株主総会が集中する時期でもあったため、数社が会場を使われていた。E氏との会話は楽しく、時間の経過を忘れさせた。多くの話題に及んだが、興味の方向は、最新の人事配置である。気を利かせて、持参して頂いた、組織の役職員の名簿を拝見することが出来た。知人である後輩の多くが全国に点在する施設の重要なポストにいることを知り、頼もしくもあり、成長した姿を自分なりに想い描くことが出来た。

  在職中に取り組んだ職業訓練教材情報システム(テトラス)は、現在も健在で、機能している。基盤整備センターは小平市へ移った総合大学校にある施設と数年先に統合される。

 そのときはこのデータベースも移ることになり、総合大学校の中で一体化していくようである。本来の姿に戻ることになるが、果たして構築当初の趣旨が継続されるかは未知である。アクセス制限による保全の必要性は否定するものではないが、制限が強すぎると公開している意味が薄れるため、そこら辺のさじ加減を当事者は認識されていると思う。

  E氏は何度かの地方転勤を経験されたが、途中で体調を悪くしたとのことで、嘱託になって元勤務していた基盤整備センターでの勤務が継続している。65歳までの嘱託の期間は残すところ4年であった。栃木県にご自宅があるが、通常、嘱託になってからは自宅近辺の施設が勤務先となるが、事情があったのであろう。深くは詮索しなかった。体調管理を徹底され、無理しないように願ったところである。

  自分は60歳を機に退職したが、現在では嘱託の採用条件や環境は以前に比べると働きやすくなっている。本人が希望すれば65歳までの5年間を勤務することが出来る。決して嘱託が楽な仕事ではないが、今までに蓄積された業務のノウハウと幅広い人脈をフルに発揮し、ご尽力されることを期待したい。

  今まで部下だった職員の元で働くことは、摩擦や抵抗を発生することがあろうが、気持ちを切り替える勇気と覚悟がいるし、不平不満は勤務態度に表れる。しかし、経験者でなければ判断が付かないことも多くある、自らの立場や役割を十分認識し、業務に携わることがソフトランディングと思われる。(このシリーズ最終回です)


旧友との再会(2回シリーズその1)

2014年07月01日 00時00分01秒 | 日記

平成26年6月27日

 以前の職場の部下で、現在三鷹市にある基盤整備センターの嘱託として昨年4月から勤務されているE氏、5週間前に電話があり、小生とお会いしたいとの連絡を受けた。昨年5月に退職と転勤の挨拶状を貰って、勤務されていることは知っていたが、お会いするのは久しぶりである。6月上旬に日程を調整し、お会いする予定であったが、小生、体調が悪く、断ることにした。その後、体調は回復したが、藪用が続き、昨日になってしまった。6月27日にJR中野駅改札口で待ち合わせることにした。

 自宅から小田急線で新宿に出て中野駅まで小1時間といったところか、中野駅周辺の再開発が進んでいることは知っていた。運転ボランティアで、多摩区の制度利用者を警察病院まで何度か送迎したことがあったからである。昔の記憶では改札出口は1箇所とばかり思っていたが、若干の工事がされて、南と北の二箇所になっていた。

 会食の場所を決めていなかったが、駅前にある中野サンプラザに決めることとした。聞くところに寄ると4~5年先には現在の施設は解体され、新たな建物が造られるそうである。中野サンプラザは雇用促進事業団が全国の主要都市部にあるサンプラザの先駆けとして建てられた会館である。そのときの名称は全国青少年勤労者福祉施設といっていた。演奏会等で有名となったホール、結婚式場、プール、ボーリング場、ジム、宿泊設備、レストラン等を設備している。運営は勤労者福祉施設協会が行っていたが、現在は中野区が管理運営を行っているようである。

 20階の和風レストラン「なかの」を使うことにした。レストランから見る夜景は宝石をちりばめたような美しさであった。以前、職員の結婚式や館内にあった職業適性検査を開発した、職業総合研究所等へ、何度か行ったことがある。上京する者にとっては、駅前にある宿泊設備を使えることは便利で、多くの利用者が宿泊したが、規模が中途半端だったためか、黒字になることはなかったようである。ホールについても同様で、集客の場所としてはよいロケーションに恵まれていたが、連日イベントが開かれていたことは聞いていない。(次回へ続きます)


アカデェミー出席第8回目

2014年06月30日 00時00分01秒 | 日記

平成26年6月26日

 今日は小杉の生涯学習センターでの講義であった。空から測る川崎というテーマで、サブテーマは地球の凹凸がはっきり見える赤色立体地図を防災に役立てて、人々の暮らしを守るとの長いテーマであった。数日前のゲリラ豪雨で雹が10センチ近くも降った調布市の災害現場についても実地調査の経験を含め話があった。

 地図の作製にあたるアジア航測株式会社の技術長千葉達朗氏の講義であった。テーマから想像すると、航測技術の最先端を紹介してもらえる講義内容を想像していたが、実際にはここにはさほど触れずに、もっぱら、ご本人の経験から未だ未分野である地図の表示方法に重点が置かれていた。

 地図は国土地理院が市販している多くの地図がある。しかし登山者が山で遭難したときの原因は、等高線で示された内容に勘違いを起こすことがあるようで、普通、色彩が付いていないため、山の起伏がつかめず、山と谷とが明確に区分できないようである。

  地図の作製は航空機を使い地上1000メートル上空からGPSを使って、一定地区を走査線状に前後左右に進みながら、近赤外線写真を写し、標高を決めていく。カメラを水平に保つことが難しいし、あまり低空で写すと健康被害等の苦情が発生するといっていた。また、図面に起こすときの作業性もある。

 講義の中で、山梨の富士山すそ野の青木ヶ原を例に、実際には森林で覆われているため、今まで、地表の様子が分かりにくく、数ある火口が特定できなかった。地図の標高差を示すための工夫として、赤のフィルターを掛けることによって、グラデェーションが明確となり、標高の凹凸がはっきり示すことが出来るようになった。色相上では、赤色の範囲が広く、人間の目にもはっきり区別が出来るとしていた。その理由は、赤は危険色で、誰にでも判りやすいとのことであった。

 質問の中に、地中に埋まっている金属類を特定できないか、自宅の盛土と切り土の区別は出来るかなどの質問があったが、そこまでの航測技術はないようである。防災には居住地の高低差がはっきりと知ることで、災害時の避難経路策定に応用できるとの印象を得た。


アカデェミー出席第七回目

2014年06月25日 00時00分01秒 | 日記

平成26年6月19日

 今回は味の素川崎工場にて講義と工場見学があった。京浜急行川崎駅に集合し、大師線二駅先の鈴木町で下車する。下車したところは味の素工場の正門前である。講義は味の素が手がける社会貢献で、講演は国際貢献部長取手氏であった。対象はアフリカガーナ国における栄養改善プロジェクトの技術協力であった。パンフレットから引用すると、以下の通りである。

 「味の素グループが創業以来積み重ねてきた、食品やアミノ酸についての膨大な知見。それを、開発途上国の深刻な栄養不足の問題を解決するために活かせないだろうか-。その想いをソーシャルビジネスで実現することを目指して始まった「ガーナ栄養改善プロジェクト」。離乳食の栄養バランスを改善・強化するサプリメントの製造・販売を通じて、離乳期の子供の栄養改善への貢献を目指しています。2009年、味の素グループ創業100周年記念事業として始まったこのプロジェクトは今、ガーナ政府機関・大学をはじめ、様々な国際NGOや企業の協力を得ながら、着実に歩みを進めています。すべての人々のいのちの基本である「食・栄養」をよりよくすることで、子どもたちの健やかな未来を拓く。ガーナの地から始まった私たちの挑戦は続きます。」

  お解りのように味の素が目指すソーシャルビジネスは

・研究開発:現地ニーズを徹底的に探る

・販売:新たな流通モデルを構築する

・生産:現地企業と現地で生産する

・教育:母親に栄養の大切さを伝える

 を通じて繰り返し、ねばり強く現地との関係を作ってきた。現地のステークホルダーや経験豊富なNGO・国際機関(JICA等)・企業とパートナーシップを築き、シナージー(synergy:共同作用、協働)を発揮することで、より効果的、効率的に新たな、持続可能なビジネスモデルを構築していくことを目指している。

 背景にあるのは開発途上国における深刻な栄養不足で、餓死・栄養不良状態にある人数は10億人、ビタミン・ミネラル不足は20億人、5歳未満で栄養不足が原因で死亡する人数は年間260万人である。年間所得3000ドル以下の低所得者層いわゆるBPO(BOP Base of the Pyramid)層は世界人口の約60%。41億人に上り、開発途上国に集中している。特に乳幼児の発育不良と高い死亡率は深刻である。会社の概要等は別稿へ譲ることにする。


芭蕉の足跡旅行福島・宮城・岩手(7)

2014年06月20日 00時00分01秒 | 日記

(7)中尊寺

 6月3日(火)、7時30分にホテルを出発し、一路北上して平泉に向かう。今朝は薄曇り、気温22度でちょっと肌寒い。ちょうど1時間で中尊寺(岩手県平泉町衣関202、0191‐46‐2211)に着く。着くころには温度も上がり、空も晴れた。

 中尊寺へは月見坂を登ってゆく。途中から道の両側に弁慶堂、薬師堂、地蔵堂などといったいくつものお堂が並んでいる。中尊寺の本堂は金色堂にゆく中ほどにある。中尊寺は天台宗の東北大本山で、850年、慈覚大師円仁の開山である。その後、12世紀初めに藤原清衡によって大伽藍が造られたが、14世紀に焼失したという。本堂には新しいものだが丈六の釈迦如来像が安置されている。

 金色堂の手前には讃衡蔵があり、宝物殿になっていて薬師如来、阿弥陀如来(平安後期)、千手観音の他、寺ゆかりの品が展示されている。金色堂は1124年に建立された。覆い堂から中に入るとまさに金色の浄土の世界である。本尊は阿弥陀如来で観音、勢至菩薩の脇侍、地蔵菩薩、持国天、増長天が立ち並んでいる。平和を願う清衡の思いが込められている。中央に清衡、向って左に基衡、右に秀衡の遺体と泰衡の首が納められている須弥壇も美しい象嵌細工で飾られている。立派なものである。芭蕉はここで

  五月雨の降のこしてや光堂  芭蕉

と詠んでいる。寺の中にある白山神社には1853年に伊達家が建立した能舞台があり、雨風にさらされた風格があった。

 芭蕉は平泉で先ず義経の館があったとされる高舘にゆき、世の無常に涙したと言われる。

  夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡   芭蕉

この地では1189年に義経が死に、藤原氏が滅亡している。義経31歳。

 毛越寺はすぐ近くだ。寺の中は新しい本堂が目立つだけで、これといったものはないが、ここは円仁が850年、薬師如来の化身のお告げを受けて建立した寺だという。中尊寺と一体で世界文化遺産に指定された寺の中には池を巡る庭園がある。

 10時30分、今回のすべての予定を終え帰路に着く。登戸に17時着。M君、全走行距離1100Km、運転お疲れさまでした。A君、楽しい旅でした。二人とも有難う。