鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

市民アカデミー15後期第2回目別コース

2015年10月17日 00時00分01秒 | 日記

平成27年10月16日

 前回NHK特集シルクロードの団長で撮影責任者鈴木 肇氏の講義で、今回はその2回目である。「再現、古代キャラバン~シリア砂漠を行く」と題しての講演である。NHK取材班は古代キャラバンを再現して、シリア砂漠を8日間の旅で、経験した苦難の挑戦物語を通してのロマンを語った物であった。最近の話題はシリアのアサド政権と突如登場し、その実態がよくつかめていない過激派組織「イスラム国」の動向である。有志連合ロシアのプーチン大統領はアサド政権を支援しているとのことで、イスラム国に敵対する臨戦態勢にある。そこに米国がシリア政権に反対する反政府勢力に加担していて、米国がアサド政権とは不仲であるため、四つ巴の戦況となり、泥沼化している。

 

 普段はあまりなじみがない中央アジアの各国は古い歴史を持っているものの、多くの遊牧民が暮らす地域でもあり、様々な文化も往来してきた。常に自然の驚異と、民族紛争に明け暮れているように見えるが、その実態は実のところ日本人にとってはよく分からなかった世界でもある。

 

 IS「イスラム国」が宗教上の極端な偶像崇拝から、古代都市パルミラのベール神殿等を破壊したが、シリアや世界各国にとっては歴史上の遺跡破壊がもたらした損失ははなはだ大きいといわざるを得ない。破壊ばかりではなく、遺跡から出土した多くの貴重品が、保管している博物館からの強奪まで及んでいるようである。当時、パルミラにある墓から出土した遺体を包んだ布が中国産のシルクでありフランスの博物館にあるといっていた。古のシルクロードの交易が事実であったことに講師も感動したといっていた。

 

 講師が取材した頃は40年も前のことで、ユーフラテス川沿いにあるドゥラ・ユーロボスからパルミラまでの500kmを隊列を組んで、200頭のらくだとともに砂漠を旅した経験は、現在ではほとんど行われていないため、経験者探しから、了解を得るまでは苦労されたようである。遊牧民ベドゥインとの交渉から始まり、実現するまでのご苦労話は特に印象が残った。そこにはダマスカス在住の故日本人獣医折田ドクターが果たした役割が大きく、国防軍のヘリコプターのチャーターを可能にし、アサド大統領との面会も出来たといっていた。

 

 ラクダでの隊列を目的地まで行くには、水の確保と、取材用のジープのガソリンが必要で、水の在処をしていなければならない。古くからあるローマ軍が設営した井戸である。ガソリンは軍隊の給水車2台をチャーターし、水とガソリンを予備に持っていたようであるが、200頭もいるラクダの水は井戸に頼るしかない。貴重な体験を通じて語る講師の話に今回も引き込まれた。


市民アカデミー15後期1回目別コース

2015年10月10日 00時00分01秒 | 日記

平成27年10月9日

  前期は企業連携を受講したが、後期のメインはワークショップの映像・メディアコースを専攻した。来年1月の下旬金曜日に最終回があり、コースの回数は12回予定されていて、本日は第1回目である。受講している大学連携と区別する意味で別コースと呼ぶことにする。前期受講した企業連携は、川崎市内を中心に、企業見学等のフィールドスタディを含むコースで、毎回新鮮な気持ちで受講できた。このコースも大変興味深く、継続してもよかったのであるが、目先を変えることも必要と思われたので、今回はジャンルを変えることにした。

 

 懐かしの名作を語るということで、「シルクロード」「NHKスペシャル」「プロジェクトX]について現地を再度訪れた後日談等も含まれているようである。2014年から始まったコースで、「懐かしの名作を語る」とのテーマで、シリーズの続編として3シリーズを各4回筒の構成となっている。単なる懐古話ではなく、著名人が講師を務めている。

 

 今回第1回目は、「草原の王都サマルカンド」シルクロードもど真ん中を貫く道の王都を再訪問し、最新の情報を紹介してくれた。講師は元NHKシルクロード団長で元京都造形芸術大学教授の鈴木肇氏である。

 

 NHKのシルクロードといえば、喜多郎作曲のテーマ音楽を思い出す。また正倉院の御物はシルクロードを経由して中国やペルシャ製の宝物がもたらされたことになっている。シルクロードは多くのルートがあるようで、中央アジアのオアシスを繋げる道が代表格で、長安から敦煌へ至る道である。西域南道、西域北道(天山南路)、天山北路の3本の道は敦煌からローマへ通じる道であり、敦煌から北上し、トルファンで天山南路と分かれてウルムチを通るルートで、サマルカンドは天山北路で、天山山脈の北側の終点に当たる。

 

 中央アジアの番組取材に関したエピソードは随所に挿入され、ビデオ、スライドでの旅行秘話は東西の接点であるサマルカンドやタシケント、キルギス、ウズベキスタン等の現状がよく分かった。建物や生活習慣から、騎馬民族が習慣としている巨大な建造物を残さないことはイスラム教の影響との話は納得がいく。イスラム教が偶像崇拝を禁止しているが、東西文明の接点では、外壁に虎や人面の太陽、鳳凰なその偶像がタイルで表現されていた話は興味深かった。色彩の乏しい中に、サマルカンドブルーやタシケントブルーなどのタイルの話もおもしろかった。

 

 取材に当たっては地元に精通した現在の為政者との接触が重要であり、その方とのツーショットの写真が水戸黄門の印籠と同じ効果があったようである。チムールというサマルカンドを建国と父としている人物像も自分が知らない世界であった。次回が楽しみである。


市民アカデミー15後期第1回目

2015年10月08日 00時00分01秒 | 日記

平成27年10月6日

 地域協働講座は6講座あり、今回新たに大学連携で5回予定されている「最先端科学の知られざる自然科学史とエピソード」を受講することにした。この講座は、2011年からシニア活動支援事業の一環として行われている。社会参加と学習成果の地域への還元、すなわち、地域課題の解決に生かすことをねらいとして実施されている。どうもよく理解できないが、そのことはおいて、とりあえず講座を受講してみて考えることにしたい。

 

 この講座の概要をパンフレットから引用する。カーナビは、大航海時代の産物であることを知る人は少ない。本講座では、科学技術の基礎を築いたガリレオの時代を振り返り、日本の科学技術の隠された一面をエピソードで語り、現代社会に不可欠の情報の意味を探り、社会が抱える巨大システムとリスクについて、システム工学の視点から俯瞰するとしている。第1回目は、サイエンスが実学であった時代-ガリレオの業績と時間感覚の導入・彼を夢中にさせた経度測定と懸賞金・天文学と航海術についてであった。

 

 講師は慶応大学大学院システムデザイン・マネージメント研究所顧問 工学博士狼 嘉彰氏である。温厚な人柄で、幅広い分野に造詣が深い方であった。以後4回の講座を担当される。講義の内容をかいつまんで申し上げると、GPSの話から入った。緯度と経度については紀元前からその概念が確立されたが、経度測定は18世紀末を待つことになり、比較的新しい技術といえる。現在のGPSがたどった軌跡についてのエピソードを知ることが出来た。

 

 世界では人工衛星による測位システムが行われているが、主要国では日本だけが米国に遠慮してシステム開発に着手していない。最近、準天頂衛星軌道を利用したGPSを補完するシステムについて考え出されている。

 

 宇宙利用に関しての質問があり、今後の検討課題として、原子力発電で生じた核ゴミを宇宙空間へ持っていくという考えがあり、それには高性能のロケットエンジンの開発が伴うため、実現可能性については未定ということであった。また個人情報等の漏洩問題への対処は、どのような頑丈なシステムを作っても、必ず破られ、安全ということはないとの弁であった。


級友との小宴会

2015年10月07日 00時00分01秒 | 日記

平成27年10月5日

  午後5時に南部線と田園都市線とが交わる武蔵溝の口駅で待ち合わせた。相棒は2名来る予定であったが、一名は急用が出来て欠席、結局2名での小宴会となった。兼ねてから話題に上がっていた中学同窓生の女性が池尻大橋でスナックを経営していて、急遽場所を変えてそちらへ向かうことになった。相棒は三年位前に彼の友達と立ち寄ったことがあった。

 

 武蔵溝ノ口も古くからの街で、大山信仰で詣でる大山街道にある宿場町の一つであるが、現在では当時の面影を知るには、困難で、いわれてみれば分かる程度の商店街の一部にしか残っていない。しかしながら、飲食店街を中心に、常時賑わっている。

 

 池尻大橋のスナックは、歩道橋を渡り、国道246号線沿いに面していて、交番の近くにあったようで、店を探すことにした。付近を探したが、お目当ての店は見つからず、交番で聞いたが、埒が明かなかった。仕方なく、三年前に同行したという友達とやらに電話連絡をしたが覚えてないようで、こちらも歩き疲れたため、途中で見かけた居酒屋に入ることにした。

 

 なかなかしゃれた店で、魚の魚拓のような細密画が多数飾られていて、店長が描いたそうである。都内に6店も店舗を持つ店であった。鰹のたたきをつまみに日本酒を嗜んだ。店員にもスナックのことを尋ねたが、分からなかったが、同窓生に電話をし、何とか店の名前、住所、電話番号を聞くことが出来た。数回の電話でママさんとも連絡が取れ、居酒屋を後にした。

 

 探し歩いた場所とは異なり、駅を挟んで反対側にあり、それらしき店に入った。お客は誰もいなかった。相棒はすでに面識があり、歓迎してくれた。電話が通じなかったのは仕込みの準備で出られなかったようである。時間が早いのか、今日は店にでていないのか等いらぬ心配をした。しかし、当方は同窓生といっても一度も同じクラスで一緒に過ごしたことはなく、50年もの月日が過ぎているため、ほとんど記憶になかった。

 

 昔話に花が咲き、次々に出る昔話を肴として大いに楽しんだ次第であった。どのような経緯でこの世界に入ったかなどは興味もなく、店のホステスとの会話とカラオケの音量に普段の生活とは異なる時間に浸ることが出来た。


敬老の日

2015年09月21日 00時00分01秒 | 日記

平成27年9月20日

 今年からの名称となったのか、シルバーウイークというそうである。4連休は秋のこの時期には夏の疲れを取るのに最適であり、お彼岸との組み合わせで、故郷へ家族連れで帰省される方も多いと思う。幸い18号台風は本土からそれて、今週は晴天の日が続くようである。茨城県や栃木県の豪雨による洪水に見舞われた方にとっては後片付けで連休どころではないであろう。

 

 遠出は道路の混雑が予想されるため、近場の植物園へ女房と出かけた。いつも行く神代植物園である。午前九時に自宅を車で出かけた。途中で、入園に必要なパスポートをうっかり忘れてしまい、取りに帰るには走りすぎたため、入園料を支払うことで目的地へ向かった。車で20分足らずの所である。9時半には駐車場がオープンされるので、それには十分間に合った。駐車している車は僅かであった。

 

 入り口では係員が、今週はシルバーウイークなので、60歳以上は無料とのことであった。生年月日をいうだけで入園することが出来た。ラッキーであった。敬老の日であることを忘れていた。公的機関から優遇されることは殆ど無いが、(知らないだけかも知れない)粋な取扱について笑みが浮かんだ。そういえば、入園者の殆どは高齢者である。子供連れや若者のグループを見ることはなかった。

 

 自分は野鳥の撮影が目的で、女房は野草の撮影であるため、途中から分かれて単独行動である。シジュウカラ。コゲラの声を頼りに高木を探すが、なかなか見いだせなかった。隠し絵とおなじで、野鳥は、保護色が多いためまた、逆光ではシルエットしか分からないために、見つけるのも経験が必要である。シジュウカラは動きが早い。コゲラも高い枝先にいることが多く、それも枯れ枝である。

 

 揚水場近くにある池で水面に映った風景が幻想的であったので暫く撮影を行った。また、多重露出を試みてみた。手作り市が、深大寺参道で行われていて、コーヒーカップに入るぐらいの妖精人形のマリオネットの大道芸人がいた。それの撮影を試みた。満足出来る出来映えではなかったため、今後研究を続けようと思っている。

 

 敬老の日は高齢者の仲間であっても、敬って貰うまでには至っていないが、これからも何かに取り組んでいこうと思った次第である。


洪水後の多摩川

2015年09月13日 00時00分01秒 | 日記

平成27年9月12日 

 長く続いた悪天候から昨日、今日と、晴天に恵まれ、久しぶりに多摩川へ野鳥の撮影に行って来ました。日中は30度近い気温で、湿度もあり、快適ではありませんでした。水の流れは水量が多く、濁った水です。大分中洲の様子が変わり、護岸から更に遠くなったようです。雑草は見事に流され、縮小した中洲には、コサギ、カワウ、アオサギが群れていて、羽を休めていました。イソシギを見かけ、トンビが上空を舞っていましたが、チドリやセキレイは見かけないままでした。

 

 釣り客も数人が長い竿をさばいていて、水流が早いため、苦労していました。早朝にマグニチュード5ぐらいの地震が東京湾であり、結構身体に感じた揺れでしたが、直ぐに治まり、棚から落ちた物もなく、被害がなかったことで一安心です。地震被害の調査でしょうか、2~3機のヘリコプターが飛来していて、中洲頭上に来ると一斉に群れた野鳥が飛び立ちます。

 

その様子をカメラに収めました。何れ、ブログでご紹介します。野鳥も豪雨が続き水かさが増えた多摩川では餌も取れずにいたのでしょう、盛んに餌取りを行っていました。カワウは集団で魚を追いつめる動きをし、水中に潜れないコサギは、浅瀬で、カワウの側に集まり、浅瀬に来た魚をついばんでいました。

 

 護岸には、流木やプラスチックゴミが流れ図に残っていて、その部分まで水かさがあったようで、二段になった部分が堤防のため、そこまでは5~6メートルはあるので、水が堤防を越えることはありませんが、対岸では20年前ぐらい前に家屋が流された事もあって、当時のことを思い出しました。現在では宿河原堰は総て可動式となり、護岸工事も時期々に行っているため、堤防も安全のようです。

 

 河川敷の整備も行われていますが、下流ではゴルフ場、野球場、運動場等が整備され、川崎市側よりは東京都側の方が、整備が進んでいます。今回の洪水でどれ位被害があったのかは不明ですが、繰り返される河川敷整備は時として無駄にも思えますが、近隣住民の憩いの場としても必要なのでしょう。下流域にはホームレス小屋も多くあり、また不法係留のボートも多く、報道がないところを見ると、うまく対応が出来たのでしょう。 洪水は、流域のゴミ掃除にもなりますが、下流での掃除のことを考えると、洪水の後始末にも人手は必要です。


後輩との再会

2015年08月30日 00時00分01秒 | 日記

 8月もそろそろ終わる。今年も2/3が過ぎたことになる。以前の職場の後輩と久しぶりに顔を合わせ、小宴会を立川で行うことになり、出向いた。電車で40分ぐらいかかったが、帰宅する学生やサラリーマンで満員の状態であった。最近は快速電車が走るようになり、停車する駅を間違えると各駅停車を利用するより時間がかかる。出がけに女房から注意を受けた。立川駅は改築が行われ、以前と違うことは知っていたが、最近は殆ど利用していなかったため、構内の改造は便利な物になっていた。

 

 以前は駅の北側から南側へ移動するには長いトンネルがあり、狭くて、湿っぽく、薄暗いトンネル内は余り好きな場所ではなかったが、階段を上ると広い改札口に直結されていて、駅ビル内の商店街へ続いていた。同僚2名は既に改札口周辺に来ていて、直ぐに合流出来たが、暫く合わなかったせいか、時間の経過は、それなりの年齢を外見に現わせていたが、そういう自分も高齢者の部類、おそらく昔のイメージは消えていたであろう。

 

 今回は後輩がよく利用しているという居酒屋が会場であった。3人ぐらいの席の確保は、時間が早かったせいか、容易であった。てきぱきとした店員の応対は、非正規社員かアルバイトであろう。よく訓練されていると思った。宴会の開始はお定まりの生ビールでの乾杯、日頃のご無沙汰を詫び、直ぐに各自の体調の話となる。高血圧、メタボ、糖尿病と、境界線を行ったりきたりの話は、嘗てのような勢いはない。ツマミの注文を聞かれたが、自分は余り食べない方なので後輩に任した。ツマミもそれなりの健康食、現代病を意識した選定であった。

 

 家族の状況、嘱託の仕事、最近の出来事等に話が及んだが、いつか、若かりし頃の武勇伝に及び、それぞれの人生経験での苦労話も良いツマミであった。瞬く間に2時間が経過し、またの再会を約束して帰途についた。最近は外で飲む機会も少なくなり、次第に億劫になってきたこともあるが、仕事を持っていないことも出不精になるのかも知れない。たまには同僚や、後輩との再会はよい刺激となり、忘れかけていた人の名前や、自分がしてきたことを思い出す良い機会でもある。

 

 現職の時は連日の飲み会は普通で、会を掛け持ちしたこともあった。仕事の憂さ晴らしや、愚痴の聴き合いだったようである。それなりの楽しさもあったし、お陰で酒が取り持つ縁で、多くの人と知り合うことが出来た。今回改めて感じたのは、経過した時間が昔に返ることの楽しさを実感したことであった。


市民アカデミー15前期第9回目

2015年06月26日 00時00分01秒 | 日記

健康と美容~新しい酸素補給法

 

 メディサイエンス・エスポア(株)松本高明代表(医学博士)による講義であった。身近な酸素についての知識を深められ、新たな供給方法である飲料の紹介があった。松本代表は、米国留学中に、当地の研究所に在籍し、アフリカ等の伝染病ワクチンを直接皮膚から吸収させる研究を行っていて、1年間の研究期間であったが在籍中は成果を出すことが出来ずに帰国した。中先によるワクチン投与は、使用した注射器や注射針が、使用後に使い回しされ、麻薬の注射に利用されるという問題の解決のためであったとのことである。帰国後、非笛の直接摂取は成功したそうである。

 

 松本代表によると人間の皮膚は呼吸をしていて、無数の呼吸口があるが、主な機能は、汗として体外へ出し、体温調節のためと考えられているが、時々アクロポリンという皮膚器官が開口し、そこへ薬剤を注入することが可能と考えられるそうである。そのことが今回の酸素吸収方法に結びついたという。NPO法人であるQOLサポート研究会を立ち上げ、研究成果を販売へ繋げることを進めている。

 

 人体の生命の維持に必要とするのは酸素、水、栄養素であり、古くは、三大栄養素であるタンパク質、炭水化物、脂肪であり、ビタミン、ミネラル、食物繊維を含めているが、更に最近では、フォトケミカル、高酸化物質、ポリフェノール、カロテノイド、含硫化合物、ビタミンC、ビタミンE等を含めている。特に大切な酸素についての多角的な説明がなされ、人体の維持には酸素が欠かせないことを強調されていた。

 

 病気といわれている殆どのケースでは体内の酸素が欠乏していることが原因だそうで、活性酸素についても体内にとって悪いイメージがあるが、それは正しいことではなく、ストレスや、酸素供給不足が原因した、活性酸素を体内が作るとのことであった。更に正しい呼吸法、姿勢、適度な運動も重要な要素であるとしている。

 

 酸素不足が引き起こす代表的な病気に、ホルモンの変調、目の病気がある。この他にも、慢性疲労、睡眠時無呼吸症候群、癌・腫瘍、慢性腎臓病、アルツハイマー、糖尿病、COPD,鬱、パニック、ストレス、二日酔い、肩こり、腰痛、肥満、過敏症、パーキンソン病等がある。開発した飲料WOX(酸素リキッド)は主に飲料として、肺からの呼吸以外に体内への酸素摂取が必要であり、消化器官からの酸素摂取が可能であり、実験結果からも有望であることが実証されている。


市民アカデミー15前期第8回目

2015年06月21日 00時00分01秒 | 日記

 お菓子と文化・人はお菓子に夢を見る

 

 講師は吉田菊次郎氏で、(株)ブールミッシュ代表取締役社長である。小柄で山高帽を被り見るからに威厳がある様に見えたが、話が始まると1時間半を早口でしゃべり終えた。アカデミーの講師としては異例で、人生経験を踏まえ、楽しい講義であった。

 

 簡単に略歴を紹介すると、1944年東京生まれ、明治大学商学部外卒業後渡欧し、フランス、スイスで製果修行。その間数々の国際賞を受賞する。帰国後「ブールミッシュ」を銀座に開業する。現在同社社長の他、製菓業界の要職を兼ね、文筆活動、テレビ、ラジオ、講演等で活躍中である。

 

 話はフランスの修業時代が中心であったが、フレンチの人気が高まり、多くの若者がこの業界へ入職することに対して、プロのご本人も驚いている様であった。昔は父親が洋菓子店を細々と開いていて、何度も倒産の危機にあったそうで、一念奮起し渡欧したとのことであった。

 

 話は食にまつわる見識の広さを披露するもので、フレンチのいわれはなかなか造詣が深く、フランスの宮廷料理は、同盟関係を作るための政略結婚が根にあり、様々な国の女性陣が母国の食事を伝え、結果的にはフレンチに集約されたとのことであった。確かに、台所やお袋の味など女性陣が牛耳る傾向が強いのはどこの国も同様であり、それと同時にミシュランに代表される気品と食材の利用方法等は食文化を超越した拘りを感じるものである。

 

 菓子は基はといえば、植物の果実を食することから始まったとのことで、我が国では茶の湯と結びつくお茶の当てとして発達した様である。中村屋の話も出た。インド料理(カリー)、ロシア料理(ボルシチ)は、先代が匿った政治亡命したインド人・ロシア人から教わったレシピを現在作り続けていて、元はといえばパン屋で、現在の発展の裏には人の繋がりがある等のエピソードを語ってくれた。

 

 NHKや民放のテレビでは多くのドラマやクイズ番組に関与されている様で、ケーキが登場する場面の殆どは講師が手がけたものだそうである。早朝のテレビ番組は殆ど見ることもなく感心はないのであるが、講師の口から出る女優や男優との内輪話も聴いてみるとおもしろい世界である。著書も「お菓子の歳時記」、「デパートB1物語」「洋菓子事典」「洋菓子彷徨始末」「西洋菓子・世界の歩み」「東北新スイーツ紀行」他多数出版されている。


みちのくの旅3日目

2015年06月10日 00時00分01秒 | 日記

 昨日は鶴岡で藤沢周平記念館の見学の後、酒田へ行く道すがら、加茂の水族館に立ち寄った。加茂水族館を一躍有名にしたのはクラゲの展示である。先だってテレビ放映も行われ、現在に至るまでのご苦労の一端が語られていた。パンフレットには、クラゲ水族館誕生の内幕として、掲載されていたので一部紹介しよう。

 

 クラゲ水族館が何故最も小さく、一番貧乏でしかも老朽化した水族館で実現したのか?これは永遠の謎とされる。30年以上にわたる長い我慢と困難の中にあって、倒産を覚悟していた年に偶然出会った小さな生き物、これが生まれたばかりのクラゲの赤ちゃんであった。誰も知識が無く、何者か分からなかったが、飼育員が餌を与えたらクラゲになった。それを展示したら見たお客様が大喜びしてくれた。ここに始めて希望の光が見えた。以下略。

 

 結局のところ、長年の努力が結果を生んだのである。バスで全国から見学に来る客が絶え間なく来館していた。クラゲの遊泳する姿は将に現代の忙しい人間社会には癒しを与えてくれる清涼剤の様なものである。過去のユッタリとした時間の流れを再現してくれているかの様であった。単なる展示だけでなく、お客が望んでいた世界に見事マッチしたともいえよう。

 

 酒田の夜は人影がまばらで、どこでも見られる光景であるが、友人が下調べで探してくれた店は予約で満席、暫く探した店は初孫を2合燗瓶で出してくれる魚料理専門の店であった。新鮮なカサゴの煮付けは冷酒にぴったりであった。

 

 朝食は飛島までの間を往復するフェリーターミナルにある海鮮市場で、マグロ付け丼であった。朝食後酒田埠頭に隣接する芭蕉も訪れたことのある日和山公園を散策した。六角灯台、庄内米を運搬した和舟の1/2の模型を見て、酒田を後にした。月山道路を通り一路山形駅に戻る。レンタカーを返却し、昼食を駅構内で済ませたが、やはり日本蕎麦の食感を忘れられず、食事はざるそばを注文した。昨日の昼食も日本蕎麦であった。今回のみちのくの旅も予定通りに走破できた。事故もなく楽しい旅であった。家族のために土産はサクランボとのし梅にした。

 

 次回は金沢当たりから敦賀を通り、芭蕉終焉の地、大垣までとなろう。来春となるが計画作りも旅を楽しむ事前モードへのスイッチであり、欠かせないことで、今から楽しみにしている。


みちのくの旅二日目

2015年06月09日 00時00分01秒 | 日記

 昨夜は宿泊したビジネスホテルの道を挟んだ前にあった山葵屋という割烹での夕食兼反省会を行った。結構な人数で店は繁盛していたが、午後9時には新庄駅の近辺であったにもかかわらず、通行する人は殆ど無く、閑散としていた。地酒と創作料理に舌鼓を内ながらの宴会であった。今朝は朝食をホテルで取ったが、我々3人の他は宿泊者の姿を見ず、貸し切り状態であった。

 

 二日目は、新庄からは最上川に沿って走り、芭蕉が舟下りの出発点とされる本合海を見学し、羽黒山、月山を周り、鶴岡を経て酒田で泊まる予定であった。羽黒山の五重塔がメインとしていた。最上川舟下りはこれからが時期ともいえるが、我が国の三大急流の一つである。芭蕉が詠んだ句に「五月雨をあつめて早し最上川」がある。最上川舟歌を聴く機会はなかったが、穏やかな流れの場所が本合海である。ナビの調子が悪かったのか船着き場へは誘導できず、仕方なく鳥居があり、川縁の休業している様な寂れたドライブインに車を止めて、見学した。

 

 出羽三山はご存じの方も多いと思うが、古くから信仰の山として、鶴岡の南東に位置する月山、湯殿山、羽黒山の総称である。羽黒山合祭殿と五重塔を見学した。途中宿坊が各所にあり、玄関の上には独特の藁綱に草鞋を飾っていた。多分、講か何かの集団が決まった宿坊に泊まるのであろう。修験道が行われているせいか、抹香臭い様でもあり、不思議な雰囲気が感じられた。月山は出羽三山の主峰であり、高山植物の宝庫でもある。

 

 出羽三山の信仰は二日目に訪ねた湯殿山で信者の行動を見た。先ずは説明書を引用することにした。「山は水の源であり、その水が麓平野の田畑のものが育つことを六感で感じ取っていた。中略、月山は月読尊を、羽黒山には稲倉魂命を湯殿山には大山祇命を祀った。しかし、山そのものを神とした時代は、仏教が入ると一変した。自己に目覚めた人々は生とか死の世界を考えるようになる。悩み多い人生を生き抜くために、自分自身が求めた修行の道に入り、山に足をかけて苦行したのである。出羽三山という一連の峰続きの山々を山駆けして、一つの安心立命の境地を開いたのである。以下略」

 

 湯殿山神社本宮を見学した。仙台から来られた参拝者集団と同行し、お祓いを受ける場で素足となることとされていたが、ご遠慮申し上げ、我々は出立し、鶴岡に向かった。鶴岡では時間をかけて藤沢周平記念館及び、庄内藩校であった致道館を見学した。加茂水族館によって、約1時間弱で今晩の宿泊地である酒田に到着した。


みちのくの旅初日

2015年06月08日 00時00分01秒 | 日記

 俳人松尾芭蕉の足跡を訪ねる旅は、前回昨年の同時期に、古川まで行った。今回は古川以降の山形県内を巡る旅で、新幹線で山形駅まで行き、駅前のレンタカーショップでレンタカーを借りた2泊3日の行程であった。走行距離は200km位で、ノンビリとした旅であった。自宅を8時に出発し、山形駅には11半には着き、同僚2人と落ち合った。

 

 余り鉄道の旅はしてこなかったため、バックパック(33リットル)を用意し、カメラを入れたため、若干重たくなったが、カメラ本体と広角レンズだけにした。バックパックは背負うため、両手が自由に使える。背中にフィットするので歩く旅では片手に持つバックでは不自由する。自宅近所の友人のアドバイスもあり、東北の朝夕は寒いとのことを聴いていたため、ウインドウブレーカーを持っていった。2泊3日では着替えも少なく、バックパックは便利であった。

 

 山形市内から近いところに山寺(立石寺)があり、丁度、山形市の北方である。慈覚大師円仁によって創建(860年)された天台宗の古刹である。山寺というのは山岳仏教の霊場であることに由来する通称で、洞窟や奇岩もあらわな急峻な山肌に多数のお堂が点在し、奥の院までは千段もあるので、登るのは止めたが、自然と相まって景観はすばらしかった。芭蕉が奥の細道で行脚の途中に立ち寄り、「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の句で有名である。

 

 一日目は、山寺から尾花沢に向かい、芭蕉が泊まったとされる鈴木清風歴史資料館に立ち寄った。尾花沢は交通の要所であり、紅花の栽培と取引で財をなした豪商の代表が鈴木清風である。芭蕉とも交流があり、残月軒と名乗った風流を解する文化人でもあった。芭蕉は尾花沢に10泊していてその内の3日は鈴木清風宅に泊まったそうである。

 

 尾花沢から鳴子温泉に向かい、温泉駅から徒歩20分ぐらいの仙台領に接する新庄領境にある尿前の関としての封人の家に立ち寄った。封人とは、藩に雇われた村役場の事務方で、当時の庄屋が当たっていたそうで、小国馬産の小国駒と同居する300年以上前の建物が残っていた。風雨が烈しく、気温は11℃であり、寒い見学となった。ここで館長から、山刀伐(なたぎり)峠の名前の由来を聞いた。

 

 ここからは新庄に向け、国道17号線の山道を走った。新庄は雪が多い地区、路上の融雪装置から鉄分の多い水が出るせいか、どこも真っ赤の路面である。


結婚式への出席

2015年05月26日 00時00分01秒 | 日記

 従兄弟の長男の結婚式に出席した。時期としては5月の下旬であるが、日中は25℃を超えていた。晴天に恵まれ、盛大な結婚式であった。既に半年前に籍は入れていて、今回は披露宴を兼ねた人前結婚式ということで、代官山の鳳鳴館で挙行された。外国大使館が周りにある渋谷駅に近い閑静な場所であった。自宅からは武蔵小杉で東横線に乗り換え、代官山駅を下車して徒歩で会場へ向かった。

 

 徒歩10分弱で会場に着いたが、途中、会場を示す会場名もなく、式服を着た一団には出会わず、不安の中で案内状にあった地図を見ながら漸くたどり着いた。玄関には結婚式を開催する看板もなく、玄関ドアを開けて始めて会場であると判る始末であった。セキュリティを考慮してか、最近の状況を知らない者にとっては、異なる世界へ迷い込んだ様な錯覚を持った。

 

 結婚式は、本人達の結婚宣言とは別に、姻族となる儀式の舞台でもある。根底には異なる家族が結婚を通じて、親戚となり、新たな出会いを作る場でもある。親族の紹介では、双方の父親がそれぞれの関係を披露する。一度に名前を覚えられるわけではないが、何処か新郎新婦の面影を見ることが出来た。祖父や祖母から、孫に至るまで、初顔合わせの方もおられるので、緊張する。

 

 新たな姻族となった写真撮影が行われた。写真撮影が終わると、フラワーシャワーで、参加した総ての方が新郎新婦を祝福し、会社関係の方も参加して、新郎新婦との写真撮影があった。一時の休憩があり、100名弱の挙式が始まる。

 

 フルートと電子ピアノが喜びの歌の旋律を奏でる中、手際よい進行で、結婚の宣言、指輪交換が終わり、披露宴となる。新郎新婦の挨拶の後、お祝いの言葉が新郎新婦の上司から述べられ、両親への花束贈呈、宴会と進む。ケーキへの入刀、キャンドルサービス、新郎新婦の生活等現在に至るまでのスライド紹介があった。提供された料理へも、細かい配慮が成されていたのは驚きであった。最後に新郎の父親が代表してお礼の言葉があり、閉会した。

 

 斬新な演出はなかったが、多くの方の祝福を得た結婚式であった。自分の結婚式のことを思い出したが、二人の門出には相応しく、月並みであるが幸多かれと願った一時であった。


市民アカデミー15後期第5回目

2015年05月17日 00時00分01秒 | 日記

 千代田化工建設・子安オフィスリサーチパーク見学会が2015年5月14日に開催され、出席した。JR新子安駅から徒歩10分の所にあり、研究施設である。今回のテーマは世界初の水素発電所を市と共同で推進と題し、水素事業推進セクションチームリーダー大島泰輔氏から講義と実験プラント(実証装置)の見学説明を受けた。

 

 講義内容は先端技術としての水素をエネルギー資源として活用する方法を考案し、次世代の再生可能エネルギー源としての利用を実証しようとするものであった。水素を利用するという試みは既に各方面で研究されているし、エネファーム、燃料電池車(FCV)として商品化されている。しかし、水の電気分解で酸素と水素に分かれることは判っていても、水素を取り出すのに必要な電気エネルギーと、水素エネルギー効率とが如何に低廉で安全であるかが解決しなければ、意味がない。そこで、長年プラント建設を手がけ、流体の性質を研究してきた当社が、気体となった水素の危険性を減少させるために液体であるトルエンに化学的に固定化し、メチルシクロヘキサン(MCH)に転化することで、水素がガソリンと同じように扱えるようにしたことである。

 

 これを可能にしたのは、当社が開発した脱水素触媒(アルミナ触媒)である。1980年代から、発案されていたMCHを用いた有機ケミカルハイドライド法があったが、MCHからから水素を取り出すことは大変難しかったという伏線がある。この触媒の開発で、水素化(水素貯蔵)反応による収率(水素貯蔵効率)99%以上、脱水素(水素発生)反応による収率(水素発生効率)95%以上となった。この反応はループとなり、使用したトルエンが水素発生後に回収できる。

 

 水素の発生能力は、単位時間当たり50N㎥/hで、燃料電池車1台を満タンにする量で、約500㎞走ることが可能である。また、汎用的なプラントで建設できる。通常の石油・化学プラントは、高温・高圧の反応条件で運転されることが多いが、当該システムは圧力10気圧以下で、温度400℃以下というマイルドな条件で運転が出来、汎用の鋼材や機器で構成されている。稼働時の騒音もない様で、振動も少ない。

 

 現在では原料となるトルエンに水素を結合させてメチルシクロヘキナンとした液体を輸送し、プラントで脱水素を行っていて、装置の小型化を考えている。原料のトルエンは購入価格を考慮し海外から調達しているといっていた。このプラントが本格稼働することによって、水素価格が低下するとのことであった。ちなみに、FCVに使う水素の価格はガソリン車の燃料代の2倍、ハイブリッド車の3倍とされていて、水素価格の6割がスタンド設置・運営コストで、低減化が課題となっている。


市民アカデミー15後期第2回目

2015年04月18日 00時00分01秒 | 日記

平成27年4月16日

 

 テーマ「持続可能な社会をバイオの力で」と題して、(株)ネオ・モルガン研究所事業開発部マネジャー小川珠奈市の講義であった。会社設立の目的は、「人類の生活を豊かにする生命現象を見出し、技術として育て、事業として成立させることで千年先の社会に貢献することを目指す」ということで、究極の目標を、生物ボツリオコッカスという藻を利用して、ジェット燃料を供給する体制を作る等としている。

 

バイオテクノロジーの概要説明と、既に事業化に成功しているスピルリナという植物を人工的に生育し、食料品として販売に着手しているとのことであった。基本的な概念は、現在のエネルギー教区右舷は掘削等で限界がある枯渇燃料であり、これに代わるエネルギー源を再生可能資源として太陽エネルギーを採り入れて、加工し、原材料・加工品として消費に供し、その廃棄物を再生するサイクルを考えていた。

 

 現在取り組んでいるのは、現存する4万種の藻類から、油の含有率が重量の50%、主成分が炭化水素、増殖が早いボツリオコッカスという藻を選び出し、品種改良と培養技術を開発し、2013年に安定培養に成功したとのことであった。しかし、現在1リットル当たりでは500円ほどのコストがかかっていて、将来100円程度に引き下げる量産体制を考えている。培養は広大な敷地と池が必要であることから、敷地の確保、池の建設が伴う。

 スピルリナという藻については、原始的なタンパク源としてアフリカチャド国での伝統食であり、生のスピルリナを冷凍保存することで、食品としての栄養成分を壊すことなく提供できるとのことである。

 

 大変興味あるジェット燃料と、食品としてのタンパク源の話であった。確かに枯渇燃料の限界は誰が考えても行き着く先は枯渇である。根底には人口の急増の問題もあり、エネルギーの供給と、食糧の確保は、世界を巻き込む大問題で、その分野に果敢に挑戦している姿は称賛に値する。若くて夢を持ち、将来に向けて必ずや成功すると思われた。以前にもジェット燃料を植物から抽出する技術を紹介したが、研究として緒についたばかりであり、関係する産学官のれん系による技術を統合した組織の誕生を期待したい。

 

 藻からタンパク質を取りだし、培養による食料増産への道も、同様な企業、例えば、味の素などで、アフリカ向けに事業化しているが、これらも人類にとっての食糧危機を抑える手段の一つとして、位置づけられるであろう。