義母の初盆(一周忌兼)を女房の実家で行った。前回の法事は四十九日の法要を地元の寺院で行ったが、この折りに納骨を行う予定であった。墓所は実家近くの山中にあるが徒歩10分足らずで行ける。しかし、四十九日の前後は連日降雨が続いていて、納骨は不可能であると判断し、後日ということになった。次回、初盆時までは実家の仏壇に安置すると考えていた。その打ち合わせのため、寺での相談の際、住職から本堂に安置することを勧められたため、喪主の考えでそのように事が進められた。
初盆時にあわせて、納骨を行ったが、地域の風習もあり、石材店が事前に墓を開けるのではなく、家族が開けることのようで、墓掃除の際に、開口部の大きさや納骨場所の深さ、広さ等を調べることになった。開口部は二カ所あり、人が出入りするのには狭すぎるようであった。以前、義父の納骨時には、親族で最も小柄な叔母が入ったようであったが、叔母も高齢化しており、墓への山道を登るのも難儀する状況であったため、上部の開口部から竹竿を使って、容器に入った遺骨をつり下げて納めることとし、竹竿を前もって準備した。
竹竿は直径3~4cm、長さ2Mぐらいのものを用意し、ナイロンロープを使って、先端に輪を作る。手元に固定したほぼ4Mのナイロンロープを用意し、一方を輪に通す。骨壺を風呂敷きで包み、輪を作りそこにロープを通す。うまく骨壺を墓室に納めることができた。風呂敷までは取り外せないが、風呂敷は時間とともに朽ちるので心配はない。墓石を元通りにし、住職の読経で納骨の儀式を終了した。
親族の高齢化が進む中、将来の墓参への困難性についても考えさせられることがある。地方の高齢化率は大分県においても同様で、町村合併によって、見かけ上は人口が増えているように見えるが、それは一部の人口が集中する都市部においてだけであって、過疎地域に現れる率ではなく、むしろ過疎化は歯止めがかかっていない。シャッターが閉じた個人商店はますます増えているし、ホームセンターや一部のスーパーマーケットぐらいが集客に成功している。トータルとしてみると、高齢化が進み、過疎化には歯止めがきいていない。
住職との話では、このところ檀家が減少しているし、新たに檀家になる世帯は皆無に近いとのことであった。墓は簡単には移動できないし、分骨するにしても埋葬されている全員となればその作業も大変である。自分が居住している場所の近くでは、そう簡単に墓地を準備できないし、所属する檀家の寺の考えもありで、解決策が見えない、なやましい話が残った今回であった。