10月10日に公示、22日が投票日となり、すでに選挙結果が出ているが、選挙後の野党政党の再編劇は、未だに序曲の段階で、はっきりとは決まっていない。選挙前に言われていた状況は、民進党の分裂や、小池百合子氏率いる希望の党への合流等の動きがあり、与野党が拮抗する状況もささやかれていたが、希望の党の失墜で、野党勢力票の分散化が起こり、与党が漁夫の利を得て、政権をゆるぎないものにした。選挙結果からみるとこの選挙は何であったのか、大義名分が果たしてあったのかという疑問にぶつかる。何億円もの税金をかけて行うのにふさわしい選挙であったのか、無駄な出費であったような気がしてならない。
しかしながら、月光仮面か怪傑ゾロのような小池百合子自演の小池劇場を楽しませてもらった。すでに都議選で都民ファーストが議席を採り、東京都知事となってその手腕が期待されているが、2020年開催のオリンピックの準備や、築地・豊洲市場移転問題は、多くの点で政策の不透明化や、知事としての力量不足が叫ばれていて、すっきりとしていない。役人経験年数が長い自分にとっては、政策の立案から実行、結果の評価までの一連のプロセスとの相違の点で、まざまざと見せつけられる政界パフォーマンスは、意外なものであった。意思決定プロセスがまるで違うのである。
希望の党の政策立案一つにとっても、深く考察されたものではなく、絞り込みがあいまいなうえ、裏付けとなる理由もなく、優先順位がないまま、土俵(選挙公約)に上げられた。議員候補は根拠もない絵空事をのたまわり、急遽集めたズブシロ集団が暗躍する世界でもある。議員の未経験者が多く、有権者の代理として委任するにしてはあまりにも有権者を馬鹿にしてはいないか。さらに、野党間の選挙協力が持ち込まれ、候補者を制限する等の行為が平然と行われた。もはや代理人が行う間接選挙の限界を示したようでもある。もっと言えば、小選挙区制や比例による立候補者の顔が見えない選挙では国政は難しいことが良く分かった選挙であった。
小池都知事の思わせぶりな二足のわらじは、たとえ、フリーの記者の誘導があったとしても民心を遠ざけるような排除するという一言で本心が見抜かれてしまった。平成のジャンヌダルクは、モリそば、かけそば、緑の狸そばと同列になってしまい、小池百合子の一人芝居に幕が下りてしまった。
そういえば、エジプト出張の折、日本人が多く住むゲジラ島、ザマリークという場所に小池氏の両親が経営していた「難波」という名の日本料理店で、狸そばではなかったが、まずいそばを食べた記憶を思い出した。残念ながら、百合子に神の思し召しはなかった。