長らく放置していた屋敷の扉を開け、出入り口から畳の間に入ると、黴臭さが襲ってくる。まずは締め切ったガラス窓を手当たり次第明け放すことが最初の仕事となった。
次に、川崎の自宅から持ち帰ったバルサンを焚く準備となった。幸い帰省した期間中は、ほとんどが晴天に恵まれ、室内の空気の入れ替えには絶好の状況であった。また、
女房の方は、畳の間の掃除で1階だけでも6間もあり、掃き掃除と拭き掃除で、さぞ汗をかいたことであろう。今晩寝る布団を日光に当てていた。その間自分は、車に積んである荷物の運搬を行った。さらに、数日後にシルバーボランティアに依頼してある草刈りが遅れていたため、とりあえず玄関周りの草を電動バリカンで草刈りを行った。
翌日からは遺品の整理や、不用品の区分け、机や納戸、台所の食器の整理を行った。母の生前に子供へ送る掛け軸や通信簿は、衣装箱に保管してあった。賞状等の額縁,多数の扁額も整理した。父が使っていた机の引き出しには、切手類、メガネやライター等もできるだけ整理した。どのように処分するか迷う。この手のものは右から左へと断捨離とはいかず、時間ばかりが経過する。特に父が平素から使っていた端渓の硯や珍しい竹製の穂先を持つ筆は初めて目にするものであった。これは自宅へ持ち帰ることとした。時間を見て裏山にある墓所へ帰省目的と状況報告に行った。生前の父母の生きざまは平素気づかなかったことも多くあり、再現できない時の流れの無常さというか、このような遺品整理は死者への郷愁が沸き、感慨深い。
以前より懇意にしている父方のいとこ夫妻へ表敬訪問を行った。積もる話に時間を忘れるほどであった。最近愛車を取り換えたという。いとこは最近まで教鞭に立っていたようで、現在は悠々自適で、愛猫とともに元気にしていた。
墓所への道すがら、最近、兄妹の中で話題に上がっている墓仕舞いのことを考えた。墓所の取り扱いは家族構成や、住環境、菩提寺との関係等でそう軽率に判断できないが、9月に予定している母の7回忌の時点で話し合うことになろう。墓地を管理する者が、方向を示すことがよいが、居住地と墓所が離れていればなお更困難な難問である。女房とも相談しているが、累代墓の場合そう簡単に移設はできないし、菩提寺に預かってもらえれば、それも良案と思っている。檀家となっていることも考慮しなければならない。
(次回へ続きます)