鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

画像の提供

2020年06月04日 00時00分10秒 | 紹介

  普段の生活は変化が少なく、恒常的で、代わり映えはしないが、その中にも、新しい発見や、突然の依頼等があるもので、今回、某TV局の番組を企画する会社から、以前にブログに投稿した画像を所望する旨の書き込みがブログのコメント欄にあった。現段階では、番組に乗せる最終確認ができていないため、確約できない旨の追伸であった。このような書き込みは今までになかったことで、早速、ハードディスクに収めた該当するオリジナル画像と、ブログへ投稿した縮小版の画像があることを確認後、お役に立てるのであれば、使っていただくように返信した。その後、担当者からスマホに電話があり、詳細な打ち合わせを行った。

  このときは、すぐに送信できると勝手に思っていたが、番組は3日後の午後7時放映ということで、時間的に余裕がない状況にあった。現職の時には、仕事の関係で、印刷会社との原稿のやり取りや、不鮮明写真の差し替え等、パソコンメールでのやり取りは経験済みで、場合によっては、画像を印刷後印刷会社へ手渡ししていた。相当前であったので、何度かメールサーバーの容量が上限を超えたファイルの送受信ができず、受信拒否されたこともあった。しかし、最近のパソコン環境では受信拒否など起こらないと思っていた。

  スマホでの応対で、画像は所望された画像の前後数枚を送信するとの約束であった。相手のメールアドレスを確認後、自分のハードディスクからオリジナル画像と、縮小版を計20ファイル選択し、送信メールに添付して送信したところ、受信拒否が発生し、その後、分割して何度も送りなおしたが、相変わらずの受信拒否であった。そうこうしているうちに番組企画の会社から、縮小アプリを送られる羽目になった。縮小アプリは、残念ながら小生のパソコンとの相性が悪かったのか、起動しなかったため、別途、手持ちの画像縮小アプリでファイル容量を縮小し、送信した結果、相手側のメールサーバーは拒否しなかったため、無事、送信することができた。オリジナル画像ファイルの容量は1ファイルが30Mb(メガバイト)であったので、送受信は無理であったのだろう。何とか3日後の放映に間に合った次第である。

  TV放送の番組は、鉄腕ダッシュ、5月31日放映。画像はカルガモつがいの写真であった。当ブログの2018年4月12日投稿した画像のうちの1枚である。 番組を放映するには、番組企画から始まり、撮影、録音、編集、試写に至るまで、多くの関係者が関与する。たかが、1枚の写真であっても、情報の収集、画像の選別、採用、撮影者へのコンタクト、加工、編集、組み込み等多くの手間を要する。小生の画像が活用できたことに心から感謝したい。

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黄昏

2020年06月03日 00時00分10秒 | 紹介

 読み方は「たそがれ」、古文を学習した同輩には容易い質問で、失礼しました。この語の源泉の「誰(た)そ彼(かれ)」を発する場面は、夕闇迫るころ、暗くなってきて、対面するまたはすれ違う人の顔の識別ができない場面で、お前は誰か?と尋ねるときに用いられる言葉である。今日では、知らない方に対してむやみに問うことなど考えられないが、古い時代には、その行為が許された。知人が多く、今日より、人同士の交流関係が親密であったのであろう。夜明け時点でも、夕やみ前であってもいずれでも黄昏といっていたようであったが、近世になって、夕暮れ時のみに使うようになったようである。では、夜明け時点の薄暗い時分では、お前は誰か?と尋ねる場合には、「彼(か)は誰(たれ)ぞ?」「かわたれ」、「かわたれどき」と呼んでいた。現在では死語となっている。

 黄昏は人生の盛りが過ぎたご仁に対して言うのであるが、晩年と同様、寂しい表現であり、あまり積極的に使いたくない。隠居した高齢者や、老年齢者を指して言う場合もある。  私見であるが、人生の盛りとは、若い時だけを言うのではなく、年を経て始めて得られるものも多い。人としての、充実した感動や満足度等は、まさにそれで、研ぎ澄まされた感性の備わった目で見ることが大切で、充実感や、満足度は年を重ねたことによってのみ得られると思われる。

 最近の雇用マッチング傾向では定年後の継続雇用は当然であるが、定年退職年齢が見直され、年々高齢化している。コロナウイルスの感染で、企業の損益に著しい変化を生じさせ、マイナスどころか会社を維持できないほどの減益に始終している。その結果、従来の雇用関係を維持できず、雇用条件は変化し、雇止め・人員削減等の継続雇用が厳しくなっていることも事実で、今後の見通しは楽観できないが、終身現職を貫く人も出始めている。
 もはや、人生の黄昏などと揶揄する言葉も死語になろうとしている。むしろ、体力・気力の続く限り、雇用関係を継続し、働く者の意向を大切にする時代になったともいえる。
 専門性や、売れる能力を携えた者にとっては、AIの出現で、活躍できる範囲も狭くなったようである。階層社会のフラット化が進み、同一労働同一賃金や従来の正規・非正規の雇用関係に変化を生じさせ、男女の役割区分や、年齢の制限等が緩和されるなど、雇用環境のグローバル化は冷め、新たな多様化が進んでいる。

 写真仲間でたまに出る会話の中に、夕暮れのコントラストが強くなる風景等を一の暮れ、二の暮れ等と呼んでいる。先般のブログで小生が紹介した「夜目遠目笠の内」で若干触れたが、日中の直射日光が射していると反射光が強く出て、ハレーションを起こしやすい。
 この防止のために偏光レンズやNDレンズを使用するのであるが、これも美しい画像を得るために使っている。写真撮影では、撮影条件が常に変化することを考慮して、被写体の置かれた環境のホワイトバランス、被写体の動作、(シャッタースピード)ISO感度、露出等をこまめに修正する必要がある。黄昏に迫る撮影では、四季や月の満ち欠け、天候に左右され、毎回撮影条件は異なるものである。