人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

第5章 アラカルト -国の行方

2020-09-02 15:05:56 | 随筆
 秋を迎えてもコロナとの生活が続いている仲、首相の退陣という大きな出来事に日本は大揺れに揺れています。今までも長期政権が必ずしも良いという評価をしなかった国民の前に、これからの日本の未来を占う次期政権の予想にマスコミは多くの時間を割いています。空白の七年ともいわれるこれまでの政治に、国民の多くは十分な満足感を抱いたでしょうか。

 今でも何度も報道の俎上に上がるかけもり問題、桜を見る会の疑問に納得のいく回答を逃れたままそれにプラスして新コロナウイルスへの数々の失策に、国民は外国のようにデモをするわけでもなしストをするわけでない冷静な態度で批判しています。これは、エッセイの範囲を超えるかもしれませんがどうしても言わずにはいられません。いや、国民のほとんどが忸怩たる思いでいるのではないでしょうか。

 それは、今迄一強と言われた政権の欠点を嫌というほど見せられて来たのに、それがそのまま引き継がれる路線が敷かれているからです。国民が見ても明らかに現在の悪政をそのまま引き継ごうという古き自民党の派閥が多勢に無勢の力を悪用して、拙速にその路線で簡単に決めようとしているのが見え見えではありませんか。防犯カメラが強盗が金庫を盗むのをはっきり映しているのに、手をこまねいて見てるしかないのと同じだと思います。中には自分の有名さを利用して反対派といわれる議員に北鮮の悪口雑言を思わせるような稚拙な発言を平気でする作家もいます。人は言葉によって格が評価されます。北鮮の代表者の聞くに堪えない言葉もその国の品位を落とします。国民はそんな言葉に左右されないと思いますが、前述の見え見えの路線は国民のレベルを低く見ているとしか思えません。

 国民がいくら賢くても世界には独裁国があり、戦前の日本のように賢い日本人が投獄され国民も口を閉ざさるを得ない時代と同じ目に遭っている国もあります。国民の意思を汲むことなく悪政が続いても時代の流れがそうせざるを得ない国は本当の民主国家と言えるでしょうか。日本は世界に目を向ければ、決して我慢の多い国ではありません。平和に暮らしています。しかし災害が続く現在、被災された方は本当に元の幸せを取り戻しているか、格差が大きく開いたと言われる貧富の差にあえいでいる人は生きることに希望が持てるか疑問です。もう少し国民に寄り添って、スローガンばかり泳ぐことはないか冷静に考えている人を国の代表に選んで欲しいと切に願っております。国民はあまり国のやることに口を出さない方がよいといった古き悪しき時代は終わりました。国民は、ものを破壊して意思表示する国と違います。冷静に大きな力を発揮して正しい民主主義を目指したいものです。 でも派閥という古い制度には敵わないなんて・・・。

人はかんがえる葦である 第5章   言語能力とDNA

2020-08-04 11:58:05 | 随筆
 世界を席巻して止まない新型コロナウィルスが、政治を翻弄するように人類を脅かしてい。ます。誰がこんなにいつまでも勢いを止めないか予想していたでしょうか。過去歴史を遡ってもこのように混乱続きだったのでしょうか。日本を含むアジアは、比較的欧州アメリカより感染者死者の数は少なく済んでいますが、それでも、今迄と違う不自然な生活を続けなければなりません。日本は特に以前流行したサーズの時に免れたのがかえって今回の不手際につながったようです。流行した国はそれなりにウイルスの発生に対し素早い対応をすることを知っていてその施設や道具なども準備してあったそうです。とんだところに医学後進国だったことがわかりました。でもご存じの医学者はたくさんいらっしゃったと思いますが、多分国家で理解し予算化するまでの危機感はなかったのかもしれません。
 
 ところで知らなかったために慌てふためいた国は、様々な批判を受けるような施策を続けてきました。良かれと思ってやっていると思いますが、国民を大混乱させています。専門委員会を作ったり非常事態宣言を出したり、突発的な首相の通達だったり現場はどんなにか大量の仕事や戸惑いが増えたことでしょう。最も過酷だったのは医療現場です。新しい防護用の道具を準備するとか、隔離施設とか中国からは感染のため亡くなった医師の報道など痛ましいニュースが入りました。

 私は、首相が重々しく非常事態宣言をするのを聞こうと待っていました。沢山の記者を前にして演説のような意気込みで話し始めました。しかしそのうち、話に集中している程ではないと聞くのを止めました。前にも首相の発表を記者団の前でするのを何回か聞いたことがありますが、あまり心を引き付けることや、感動を覚えるような気がしなかったのを覚えています。そして今回は、自分の言葉で話しているのだろうか、誰かが書いたのを読んでいるのだろうかと疑問を持ってしまいました。アメリカでも大統領の演説はライターがいるというのは聞いていましたが、広島を訪れたオバマさんの演説は忘れられない感動が残っています。昨年この欄に投稿しましたが、戦争を憎まず世界が一民族として戦禍を避けるとおっしゃっています。この場合は心の叫びと感じ取られました。でも、国家の危機にあたっての首相の考えは政治の対処や人命の安全を常識的にいうだけでなく、国民全体に理解できる首相の心からの思いを思慮深く推敲した生きた声が欲しかったと思います。美辞麗句を並べそれが実現すればいいのですが、それもあまり感じないとなれば国民の落胆も大きくなります。
 
 皆さんは、医療現場の混乱を既に理解なさっていると思いますが、私は疑問に思って仕方がないことがあります。それは、日本は縦割り社会が強いのか官庁の省によって役割が厳然と分かれているらしいということを、本当に愚かしく思っています。それは、皆さんもご存じ厚生省と文部省です。コロナの検査は手遅れで死んでしまう人がいるほど混乱していますが、それは、厚生省範囲だけでやろうとしているからだそうです。外国からも疑問視されている程なのにいまだに受けられない人がいるそうです。大学や研究所では検査の施設が沢山あるのに省が文部省だから使えないというのです。人の安全と省の縦割りとどっちが大切なのでしょうか。

 この縦割り制度は官僚のDNAなのだと有名な方がおっしゃっています。それが国の危機を救えない大きな問題となっています。海外の方から見たら今どき・・と笑われます。そういえば、戦時中陸軍と海軍がとても仲が悪かったとそれで軍のトップも首相に一人なりましたが、すごい悪い戦争をリードしたのです。科学、文化が進んでもそういうことは根強く残るのでしょうか。若い人もだんだんそれに染まっていくのでしょうか。

 私は仙台空襲の約一か月後終戦を自宅で迎え、成長とともに「日本の人々は島国で育っているから島国根性だ」と思ったものです。融通無碍という言葉があります。私も反省するところはたくさんありますが、心を広く持つことが必要と言い聞かせています。(コロナバッシングも要りません)

 








 

人は考える葦であるー第5章  考えること 

2020-07-14 22:34:49 | 随筆
 最近の九州地方や各地の豪雨は今までにない被害を及ぼしていますが、人間の最低の暮らしのできなくなった多くの人々の苦労は想像を絶するものと心を痛めております。心からお見舞いを申し上げます。政府は早速予算を組みましたが、被害に遭われた方々に即刻有効に使われますよう祈って止みません。

 養老孟司氏が、週刊誌に載せたコメントに、短くはありますが私の常に思っていることと同じと思える部分がこのシリーズにぴったりと思いご紹介することにしました。今、大きく世界を揺るがしている新コロナウイルスの為に人類が大きく変化していることに、各名士がコメントを載せられた一つです。

 人は考えなければならない。考えの熟さない人は大人ではない。とおっしゃっていました。まさにその通りだと思いました。世の多くの出来事で、常識はずれなことがあります。それは大体考えの浅い人の行いです。このコロナの自粛に入ってからも新しい迷惑行為が取り沙汰されています。自主警察といって誰もいちいち言わないのに3蜜に反しているときにとがめたりするのです。いままでそういうことは取り立てて言わなかったことでも、人を咎めるのは、気持ちがいらいらしていたり、落ち着きがないときでしょう。それは、よく非常事態宣言とか、他県交流禁止とかを法律でなく自主的に気を付けて欲しいことが発表されるや、守らない人にイライラしてしまうようです。

 それから、昔からあるハラスメントがコロナの思わぬところで出てくるのです。指定を受けた病院では命がけで人の命を守っているのに、働いている人や家族にハラスメントをするのは、どうしても考えの熟していない人のやることではないでしょうか。普通の会話でも人を傷つける言葉を(心にあることをうっかり口にする)出さないように気をつけて話すのに、お構いなしに言ってしまうのは考えが熟していません。

 勿論、人と距離を置くとか、話をしないとかは人間社会での普通の状態ではありません。知り合いならば、すぐ立ち止まって話したり、知らなくても困っていたら手伝うとかは社会の潤滑油だった筈です。それを止められれば、小さなコミニテイでも会話のない風通しの悪い場所になってしまいます。 しかし今は国民一致してウイルスの蔓延を防止することで我慢しています。徐々にその規制がゆるくなると一気に羽を伸ばす人がいて、又感染者を増やしているようです。一般国民もイライラの極みに行きそうですが、考えの熟した方々はそこを冷静に対処しています。世界のウイルスの感染を見ても、日本は考えの浅い人は少ないように見えます。

 ここは今ある自分の位置で、できる限りの自分の楽しみを考え、心の乱れを起こさないように努力して行くのが得策です。世間を見ても、高齢化した方ががんばって歩いているのを見かけます。また外には現れなくても病魔と闘っている人、子育てに苦労している人、沢山の見えないところのご苦労があります。楽しみたくても楽しめない人が十分に羽を伸ばしている人より多いかも知れません。この度の水害で、家ごと苦労を背負った方がいらっしゃいます。そういう方々を思いやり、考え深い行動をとるようにしたいものです。

人は考える葦である 第6章 日本語

2020-06-30 11:46:24 | 随筆
 皆さんは、義務教育として6年間教育を受け、日本人として正しい日本語をはじめ身につけなければならないことを学びます。それだけではなく、高学歴を希望する人々は、その目的を達成するまで、更に基礎の学力をつけるために努力します。そして、目的に合った職場を選んでて働くことができるようにがんばっています。

 社会に出て、それまでの教養を生かしよい環境に恵まれているでしょうか。それまでになかった色々な未知にぶつかったり学習とは異なった戸惑いにぶつかることもあるでしょう。私はその雨風を乗り越えて就職生活を終え、その後に日本語教師ボランティアとして過ごしています。外国の人に教えるのですから、日本の最もスタンダードな間違いのないものを教えなければなりません。そして日本語の魅力や美しさや便利さを感じ取ってもらうのです。漢字はローマ字と違って表意文字であることに重点を置き、リスニングでは理解できない深いものも感じ取ってもらいます。中国では第2次大戦後漢字を相当省略し、これで、意味が表せるのかと驚きましたが、日本では最小限の省略化で済み今でもそのつくりから、漢字の仲間や成り立ちがわかるようになっているのは覚えやすいのではないかと感じています。日本語の中には漢字かなカタカナが入り混じっています。カナは外来語ですが、オランダ語英語フランス語入り混じり学習者にとっても分かりにくいことだろうと思っています。

 私は国語力を衰えさせないため、ボケ防止のためTVのクイズ番組は必ず見るようにしていますが、最近新しい問題を作って解くものはその出す意図を汲み取るまで苦労します。字を図形として解釈させるようです。こんなことにびっくりしていたら、昨日はとんでもない問題が出て驚かされました。今までも漢字を仮名に変えそれをさらに短小化することが多くなっていました。撮り鉄乗り鉄等は、字を見るとわかりますが、トリセツは何のことかわかりません。聞くと取り扱い説明書の省略だそうです。つまり最近は造語が辞書に載る時代になったしまったのです。私が日本語教師を始めたのは25年くらい前ですが、その頃でも教師同士で高校生の言葉がわからないと聞いていました。昔は造語は言葉の乱れと言っていたものですが、今は、時代の流れで、変化するのは致しかねないと学者も言っています。しかし昨日のクイズは「セトリ」「フェーズ」「セットリスト」と初めて聞く言葉でした。しかしフェーズは大臣が堂々と使っていました。

 新コロナウイルスが世界を席巻してから、カタカナ語が多くなったと言われています。日本語で表せるものはあえてカタカナ語で言わなくてもいいだろうと。TVで話される言葉は、義務教育を受けた国民が理解できる言葉でなければならないと思います。多く使われ一般化し、認められたものしかりです。しかしまるで学があるかのようにカタカナ語を使う有名人もいます。しかもクイズの問題に出し、優劣をつけるとはどういうことでしょうか。

 戦後の中国語が、驚くほど大きな変革をし国民のレベルが下がるのではと見ていた日本でも、素晴らしい日本語がどんどんレベルダウンしていくように思います。時代の変化では済まされない危機も感じます。言葉のあやで誤解を招くほどの繊細な日本語、情景描写で読む人に同感や感動を与える日本語、言葉の衰退はその国の衰退につながるといった人はいなかったでしょうか?


故郷の思い出

2020-06-23 22:30:27 | 随筆
 私は昭和の初め、広瀬川と愛宕山の間の風致地区で生まれました。その時近所に市民プールがあり、夏は広瀬川で泳ぐ人とプールを使う人で賑わいました。しかし、川では、賢淵、松渕などの危険場所で、プールでもなんのせいか亡くなる人が出たことが忘れられません。
  
 戦後は、西公園の下と広瀬川の間にプールが作られました。それは、東西地下鉄の工事のため壊されるまで長いこと利用されました。戦後各学校にプールが施設され、水泳の授業が当たり前になり、高学年のプール競技大会など毎年催されました。そのうち各地区の市民センター付属やごみ処理場の保温利用のプールなど増えていきましたが、子供の成長期によい環境だったと思います。

 プールと同時に忘れられないのが、愛宕山にある鎮守の神様愛宕神社です。仙台を一望できるところでしたが、そこまで行くのに長い石段を登ってい行かなければなりません。私は小学校の高学年から視力が落ちてきていましたので、母に山に登って遠くを眺め視力を戻しなさいと言われ、かなりの間、朝登りしました。朝はあちこちから煙が立ち昇ったり、雲行きの怖そうなところがあったりしました。視力は少しは良くなりましたが、しっかり見えるまでは続きませんでした。その頃は、まだ薪や炭で調理している時代でした。

 その愛宕山に隧道が掘られました。いつのまに掘ったのか、その頃は戦時中だったので何でも秘密裏にやる時代でした。どういうわけか、仙台空襲の時は、そこに逃げることを知っていました。隧道はこっちの越路から大窪谷地というところまで掘り抜け、そのほかに枝別れしたトンネルも何本か掘ってありました。空襲の夜私は近所のおばあちゃんとそこへ行きました。トンネルに入った途端、小さい爆発の閃光が見え恐ろしかったです。広瀬川には前もってガソリンが撒かれ、燃えていました。東京大空襲が3月にあった4か月後の7月10日のことでした。

 ところが、そこに逃げないで、自家製の防空壕に避難した人がいました。必ず作ることになっていましたが、その方は、野原に大きく作ったようで、一家族入っていたそうです。しかし運の悪いことに、不発の焼夷弾が直撃してしまったのです。一瞬にして亡くなられました。私はこの記憶を忘れたことはありませんし、語り継ぐ人もいないのではないかと思っています。仙台市でもたくさんの人が戦火にまかれ亡くなりましたが、どのような状況だったかは知られずのままと思います。

 私は、一緒に行ったおばあちゃんとはぐれ、次の朝大窪谷地から抜けて帰りました。ぬけたところに将校さんの家がありましたが、そこも焼失していました。帰る道で不発弾が道路に横たわっていたり、町の空が、真っ赤な煙でいっぱいだったことに驚き乍ら歩きましたが、避難しなかった母の生死は全く考えませんでした。家に落ちたら消すと日ごろの訓練の構えだったのでしょう。無事に待っていてくれました。

 それから数年堤防工事のため移転するまで中高生活を送り、床下浸水や川岸の家の流失を目の当たりにしたりして過ごしました。私が転出して何年か後、新愛宕橋が土樋から宮沢橋にかけての新道のため造られましたが、その時愛宕神社の石段が切られたのにはびっくりしました。道路拡張のためです。私が生まれた場所が丁度橋の下になったのかな等と思いました。

 しかし、あの愛宕神社を貫通した隧道はその後どうなったのかついぞニュースを聞いていません。登校の時、近道として使ったこともあるあの隧道はそのまま閉鎖されたままなのでしょうか。戦争の遺産として利用はしていないのでしょうか。今日は沖縄激戦の日として追悼行事の行われる日でした。東京大空襲、沖縄戦、原爆と現代の方々は想像できますか?国民の存在がこれほど無視された時代はなかったと思います。どんなに多くの人の人生が断たれたか想像できますか?

 そして現代に目を向けても、それでも人間ですか?と問いたくなる国家間のトラブルが起きています。コロナウイルスだけでも大きく世界の情勢が変わったのに、いつになったら人らしい尊厳を持った地球人になるのでしょうか。