人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦である 第5章 アラカルト 外国のコロナ事情

2020-06-08 12:38:45 | 随筆
 日本はコロナウイルスからの非常事態宣言から解除されましたが、以前よりももっと留意した新しい生活を続けています。3蜜の予防に息苦しく感じている人もいることでしょう。でも日本は感染者並びに死亡者も外国と比べて少数に抑えたことが評判になっています。しかしその外国が一括して言えない状況なのです。報道されるのは数字の上で大きい大国が多かったのです。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、ブラジルそれに医療の遅れや貧困の国などで、早く収束できないものかと感じていました。

 しかし昨日の某テレビ局の放送を見てびっくりしてしまいました。北アメリカと南のブラジルの間にある細く続いている国々の中のコスタリカという国について、現地の日本人からコメントがあったのです。それによると、コロナ発症時の初動態勢がとても早かったのだそうです。その理由は、前のサーズの流行の時に対処した経験から医療体制が整っていたそうです。その医療体制は日本より上回っていたのではないかという話でした。

 コスタリカは名前は聞いているけれど殆どニュースで報道されることのない国でした。土地面積も人口も日本よりずっと少ない国です。そういう小さな国が集まっている所にある国は、どんな国なのでしょうか。日本はアジアの一国として世界の国々と肩を並べています。世界大会やワールドカップ、オリンピックなど世界的な催しをして世界の人をもてなしています。そしてコスタリカの状態を知るニュースなどはあまり聞いていないと思います。

 そういうコロナに関する先進国といってもいい国のニュースは、またその周りの国々の状態はどうなっているのでしょう。コスタリカだけが進んでいるのでしょうか。世界各国が国の行き来を禁止している現在、その小さい国々も当然そのような状態であることは想像できます。更に、コロナウイルスを排除し、正常にもどった現在はどうしているのでしょうか。日本のようにフェイスシールドやビニールの遮蔽、外出の自粛などを継続しているのでしょうか。

 今世界はコロナ戦争に加え本当の戦争の軍備向上に力を入れています。また、国の考え方の違いで様々な軋轢があります。コスタリカとその周辺諸国はどうでしょうか。この大きな世界の流れには影響されているのでしょうか。日本は、世界の大きな国だけでなく、このような小さな国や後進国のニュースも日本国民に知らせることが必要ではないでしょうか。人々が、自分のことだけでなく、他人を、他国の人を理解し、学び受容していけば、他国に対するヘイトをすることが少なくなるのではないでしょうか。

人は考える葦である 第五章 アラカルト 新しい生活

2020-06-01 12:07:32 | 随筆
 非常事態宣言が全国に亘って解かれたのはいいけれど、恐れていた二次感染が北九州市で始まりました。それは、どこの地方でも懸念していたことでした。なぜなら、新しい生活習慣に基づいて感染を防ぐことが継続していたからです。


 さて、新しい生活習慣とはどんなことか、自治体でも今までやってきたことをそのまま継続するだけでなく、まだやっていなかったことも取り入れようとしています。基本的に3蜜回避です。私たちの生活から言うと、今まで高齢者向けにあった行事がなくなり、会話を交わすことができなくなりました。家に引きこもることが多くなりました。それが、外出をするようになると、人と人の間隔をあけたり人ごみの時間を避けるなどがあります。

 長いこと休校を余儀なくされていた諸学校も、人を少なくして2部にするとか、フェイスシールドを使うとか工夫をしています。放送界や学校で、リモート放送、オンライン学習など、いままで聞いたことも見たこともないことにいとも簡単に変われるなんて、驚きを越して恐ろしさを感じます。巷では、休業の余波で廃業にまで行く老舗も出ています。学生もバイトの収入が減ってアパート代にも苦しんだり、留学生が居場所までなくなるという現象が起きています。

 一方税の無駄遣いと言われたアベのマスクや定額給付金では大混乱が起きています。医事に携わる人の防護服や、感染を検査するPRCの不足、人材不足などは早くに出て、治療に専念できない実態が露見していました。そしてこんどは新しい生活の継続です。

 これが、本当の新しい生活形態なのでしょうか。コロナ対策なのでしょうか。それを、いつまで続けるのでしょうか。お寺には必ずと言っていいほど、玄関に「照顧脚下」という札が置いてあります。足元を見よということで、大事なことを見失うなという意味を持っています。
今までは国民に対して場当たり的な施策で来ましたが、土台となる医療関係者の満足する施策だったかどうか疑問に思います。心でありがとうと叫んでも、当事者が命を救おうという気持ちになれるような環境整備がないのでは本末転倒です。患者も、受け入れ側が大臣の言葉を誤解していた(体温の境界)などと早世してから言われた方もいらっしゃいます。患者の命はあまり尊重されなかった結果といっても過言ではないと思います。

 もっと大切なこと、重要なことがあるのではないか、対面の境をいちいちつけることが必要なのか。これが、外国と違う日本モデルなのか・・・。こういうことに相当の費用をかけているように見えます。経済の回復も重要な課題ですが、それが大企業も中小企業も同じように回復しなければなりません。生活困窮者が早く自活の道を選んで自立の道が開けるようにして欲しい。ボランティアで善意の場を提供しているところがあるけれど、コロナ禍でもそういう援助の場が始まることを望みます。

 今後二次感染が起きませんように心から祈りますが、過剰な三蜜予防よりもこれからの国民の生活を支える人の暮らしやすい環境になってもらいたいと願っております。

人は考える葦である 第6章  日本人は

2020-05-15 12:45:29 | 随筆
 日本人は国際的にどんな風に見られているかというと、おおむね「礼儀正しい」「親切」と良い評価が多いのではないでしょうか。現在も、非常事態宣言に従って、外出を控えている人が沢山います。コロナの拡大状況を見ても、収束に向かっている県が多くを占めているのは、自粛に従っている方が多いと考えられます。

 ところが、どうでしょう。それを全くくつがえす行為が増えています。それが想像を絶することなのです。外出を控えることに伴って国同士が交流を止めました。そして国内では、県外に超えることも自粛してほしいと要望されました。それをあろうことに県外ナンバーの車に被害を及ぼすというのです。今まで物流では全国にわたって行き来していたわけですから、ぴたっと止めるわけにいきません。急に他県の車を見かけても違反とは言えません。それを暴力で被害を与えるのは犯罪であることぐらいわかっている筈です。

 それから、献身的に働いて下さっている医療関係の方々の子弟の入園や交流を断るという差別です。もちろん、コロナ感染元となった場所に行った人や発症した人に対しても、予防のつもりでしょうが差別行為をする人がいるそうです。それが家族にも及ぼすとはなんということでしょう。手の足りないところ命がけで治療にあたる方々に、感謝こそすれ嫌がらせは許されません。

 今までも歴史的に外国の人に差別した記録は残っています。関東大震災の時の在日韓国人に対する差別、戦争中の捕虜の扱いなど、それらは子々孫々に語り継がれ、そいうことを起こさないように教訓として来ました。逆に、ODAなどという団体が後進国の援助を続けているのは国境を越えた人道主義ではないでしょうか。人は本来他人のためになることを喜びとする人が多いです。生まれてそういう心情が育っている筈です。世の中にはそれを持たない人がいるのでしょうか。善悪の区別は基本的な人の心得です。そういう人が大きくなるにつれ犯罪に手を染めるのでしょうか。基本的な隣近所の関係でも、嫌がらせを平気でする人がいます。

 年年歳歳人同じうからずーとよく言います。科学や医学芸術とそれぞれ発展する中で、人の心も荒れないように心から願います。評判通り優しい親切な日本人であってほしいです。

戦禍、震災禍、そしてウイルス感染禍

2020-04-26 11:11:11 | 随筆
 前回ブログを読んで頂いてから1ケ月以上経ちました。全世界がコロナ汚染で平常を失ってから私もブログの主題が見つからずにいました。口をあんぐり開け呆然としたのと同じでした。それで長年経験を積んだ者として感じたことを述べてみたいと思います。
 
 上皇天皇が、譲位された時、平成に戦争が起きなかったことがとても良かったおっしゃいました。昭和天皇が戦争でご苦労なさったことを心にとめ、慰霊の旅を積極的になさったことでそのお気持ちのほどがわかります。そして最近世界は軍備の競争に進んで行くのを目の当たりにさせられていました。

 ところが日本では台風や地震、水害等多くの災害に見舞われるようになりました。日本では高速道路は地震で落ちないと豪語した学者の言葉を笑うかのように高速が落ちた阪神淡路大震災、外国から日本沈没と揶揄された東日本大震災、何年も経験しなかった市町村の浸水・・・今更自然を恨んでも仕方がないと被災された方は大きな困難を背負わされました。これらの復興は如何ほどでしょうか。被災者の方々は安心安全な暮らしを得たでしょうか。

 そういうことが解決されないところに今回のウイルス禍が発生しました。中国から発したウイルスはもの凄いスピードで世界を席巻しました。それも、その元は人でした。放射能と同じ目に見えないウイルスが接触や空気感染で猛威を振るったのです。日本はサーズの経験が薄かったので感染症の治療が遅れていたとも言われます。日本は、海外のニュースをあまり詳しく報道しない国と思っています。サーズのような時ももっと情報を伝え、いつ何時こういう惨禍が訪れないとも限らないと研究をするべきだったのではないでしょうか。3年前にこのウイルス禍を予言した大学があったそうです。日本人にとっては寝耳に水だったのでしょうか。

 災害は忘れた頃にやってくるー最近は忘れないうちにやってきます。しかも、恐ろしいのはなにでしょうか。戦争は生きた人間が考え、人の命を無視して国のために戦わせます。ウイルスは見えないだけ強烈な感染力で襲って来ます。天災は、昔よりずっと大規模になっています。人知を超えた災害といわれますが、研究している学者が想定できないところまで行っているのでしょうか。

 世は非常に住みやすく楽しみも満載で暮らしに不満が無くなったような時代ですが、こういう震災が人間に与える教訓は沢山あるのではないでしょうか。これから人生を楽しむ年代の方小さいお子さん方、人生の後半を楽しんでおられる方々の未来に、こんな災害に遭わないように切に祈りたいと思います。

 早くコロナ感染が収まりますように!


人は考える葦であるー第5章 アラカルト 言葉の含み

2020-03-15 22:03:22 | 随筆
 毎日、新生コロナウイルスの話題で一杯ですが、皆様の地方は、如何ですか?落ち着いた暮らしができていますか? お見舞い申し上げます。

 中国の武漢が発症の地になって中国の感染者死者が世界的に多いのに、中国の指導者は、発症の地を検証しなければならないと今になって言い始めています。なんという考えでしょうか。ヨーロッパにも大きな変化が起きているのでそういう論法を考えたのでしょうか。
 
 そのためか、オリンピックの会長がお出での国も騒がしくなったので、開催の認否にまで心配が及んでいます。オリンピックの開催の有無の決定権はどこにあるのか、個人的な意見を出して日本に影響を与えたり、日本の各分野の決定権にかかわる人が、それぞれ意見を述べたりで一大イベントに混乱が起き始めているようです。

 しかし、アメリカの大統領という立場になると、すべてが優位になるのでしょうか。記者の質問に官房長官はトランプさんに聞いて下さいと答えているのです。「私に決定権も責任もありません。トランプさんの言うとおりにしています」という意味の答えではないでしょうか。日本は噂には聞いていましたが、アメリカのいうなりになっている国なのでしょうか。そう解釈される瞬間的な答えでした。

 皆さんはどう感じられますか。こともあろうに、総理のそばにいて、スポークスマンとなっている人の答えとして無責任ではないでしょうか。もっと思慮深い答えが欲しいです。