人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦であるー第5章 アラカルト  ローマ教皇の来日

2019-11-28 22:17:37 | 随筆
 私は、8月にオバマ氏の演説について投稿いたしました。その時ローマ教皇が来日することを心待ちする気持ちも述べました。今回、その詳しい報道を見て、新たにローマ教皇に対する尊敬が深まりました。かつて赴任を希望したほど日本びいきだったこと、日本で、実際に被爆なさった司教をご存じであること、「焼き場に立つ少年」の写真を今度も大きく取り上げたことそれらを昇華させて今回の来日があったのだと理解できました。短時間のスケヂュールを充実させ、多くの日本人の熱烈な歓迎を受けてお帰りになりました。そして、オバマ氏との大きな共通点もあることが理解でき嬉しく思いました。

「人々は皆この被爆都市に来て、共通の考えを持たなければならない。即ちそれは、戦争は、こんな大きな被害をもたらし、大勢の人々を犠牲にしすべてを破壊する。戦争は、犯罪である。特に核を武器にすることはあってはならない。」と強調していらっしゃいました。演説で核兵器を含む大量破壊兵器を持つことをテロ行為とおっしゃっています。要人が来日した時や、皇室行事等の時は膨大なテロ対策をします。
過去のテロによる多くの犠牲者があったための警備です。しかし、国家間の戦争はそれとは比較にならない損害を生むのに、それに対する考えは防衛と名を変えてしまいます。多くの国民の犠牲は軽んじられます。すべての人類が、真の平和を考えている時、国家政策としては、核を含む破壊兵器を持つことが国民の為と考えているようです。

 オバマ元大統領も、人類が一家族という観点から同じ考えを持つことが必要だとおっしゃっていました。文化、言語、人種が夫々異なっていても、事、平和については共通ではないかと思います。ローマ教皇も、戦争は犯罪、倫理に反すると言う言葉を使っていらっしゃいます。オバマ氏も世界一家族という世界の実現は難しいとおっしゃっていますが、ローマ教皇は、未来の人々の為若い人々にそれを託していました。戦争で最も犠牲になるのは子供たちを含む国民であることは明らかです。しかし、某国の代表が「自国第一」というスローガンを掲げ、そのように実行するようになってから、世界各国も、それに追従するかの様に「自国第一」主義になって来たと評論家が言っています。

 サミットとか外相会議など各国の代表が集まって会議を開きますが、会議名を冠した提案に反対して調印しないとか、そこから脱退するとか暗いニュースが多くなりました。ですから、地球の状態も災害の規模が増大したり、異常気象が多くなっていることに驚かされます。科学や医学が、人類の為に進歩している半面、平和の基盤がゆらいだり、自然災害の規模が大きくなって行くのは、若い人々にとって希望が持てるかどうか不安にならないでしょうか。もっと地球規模の考えで、真の安全安心と未来構築に、要人のメッセージ発信だけでは難しいような現状ではないでしょうか。

人は考える葦である  第5章 アラカルトー日韓関係 続

2019-11-17 12:11:34 | 随筆
 私は、小学生の時戦争の真っ最中でした。出征兵士を送りだしたり、防空壕掘りなど学習は戦時色の濃いものでした。敵の悪口を言ったり、相手を侮辱する歌など歌わせられました。しかし終戦と共に、ユニセフの名前で支援物資が送られたのです。「昨日の敵は今日の友」というのは、日露戦争が終わった時言われたのでしょうか。まさにその通りになり、びっくりしたものです。そして、米兵からお菓子やチョコを貰った子もいたのでした。そこで初めて、惨めな敗戦国と、アメリカの差を感じさせられたのです。今まで散々嘘の報道で国民が騙されたのを知ったのです。

 そんなこともあってか、敗戦後は、アメリカに対してそれまでのような悪口はピタッとなくなったと思います。そして、アメリカの他の国々との交流も始まりやっと国際化の舵を切ったのでした。それまでの差別発言や非難中傷などを奨励してきた当時の指導者は、どんなに迷ったことでしょう。それでも、今は国際感覚に目覚めた人も増え、世界からもアニメや観光で人気が高まっています。

 一方、戦時中植民地化していた台湾や朝鮮半島では、終戦を喜んでいたと思いますが、台湾では、それまでの日本の行った事業に感謝しています。治水や鉄道など、現在も大きな役割を果たしているようです。震災の時のお見舞いも、世界でも引けを取らない援助をしてくださいました。しかし朝鮮半島では、そのあとの朝戦戦争で南北にわかれ複雑な状態になってしまいました。韓国とは交流があるものの現在は政治上の摩擦が大きくなっています。

 戦後引き揚げてきた人の体験談によると、戦時中日本人が台湾同様にやったいろいろな事業は、自国でやったことにすり替えられたというのです。測量の為の杭を何か悪いたたりがあるなどと撤去した例もあるそうです。(月刊雑誌による)言葉まで日本語を強制された時代なので、その恨みはどんなにか深いものだったのでしょう。そして現在でも学校教育で反日を行っているそうです。しかし、そういう教育を受けても、日本に来たり、交流したりしているうちに反日の気持ちがなくなったり、国際感覚の芽生える人も、逆にファンになる人もいるようですが、未だに強硬に反日の気持ちを変えない人がいるのです。

 反日は、根底に根強く残る怨みの感情をもとにしていると考えられます。戦後70余年経ってもそれが影響している人がいるということです。しかし、それは、国民性かもしれませんし、個人の価値観かもしれません。ただ、今は、その自分の感情や価値観を柔軟にしたり、他人の考えを聞く耳を持つことが自分の体の健康にも良いと言われています。物事を前向きに考えたり、明るい未来を展望したり、怨んでいる人の為に祈ったりすることが、発病を防いだり老化防止等にも良い影響を及ぼすと言われるようになりました。

 


消費税アップの余波ー今時の高齢者

2019-11-03 21:40:27 | 随筆
 消費税が上がってから1ケ月が過ぎました。事前の予備知識は沢山放映されましたが、内容についてはあまり詳しく知りませんでした。0.8%据え置きと10%に上がるものの相違を実感しているだけでした。しかし、ここに高齢者にとって難しい関門があることを知りました。今までの現金払いより、カード等のキャッシュレスが割引が付くというものです。

 今までは、カードと現金と両方を使用していましたが、現金が不利になるとは思いもよりませんでした。そして、今までのキャッシュの便利な方法がスマートホンで記号を読み取る方法に変わったのです。私は、昨年息子の勧めでスマートホンにしていましたが、周囲の人はそんなに多くの高齢者が使っているようではありませんでした。まだその使い方もままならず、ニュース、ライン、リサーチ、マップ、カメラ等最小限のことに限られていました。用語の理解も不十分で、記号の読み取りも他力本願でした。

 請求書が届いて、いつもと違う表現に驚き慌てて電話で問い合わせました。そこで初めて、キャッシュレスの利用にスマホが使われることを知ったのです。でもとても親切に手続きして下さり、職員が直接来て操作して下さったのです。時間がかかって、二日に亘り支払先をキャッチし、記号の読み取りができるようになりました。

 今私がブログを皆さんに読んで頂けるようになったのも、図書館ボランティアの友人に、自らノートパソコンを持参して頂き、レストランで教えて頂きました。私の機械歴は、菅沼のタイプライター(職場で)から始まり、ワープロ、パソコンと進化してきましたが、パソコンの寿命が短いのにびっくりしたり、操作の半分以上も使えないまま新しくしなければならないことに矛盾を感じたりしました。ニュースでは、新しいものが出るたびに発売日や、そのために行列するのを他人事のように見ていました。現代の方々は、いち早く技術の刷新について行きますが、それに後れを取るのが高齢者です。(ご専門の方を除く)年寄りの性(さが)とはいえ、時代のスピードに遅れるのは致し方ありません。そして親切な若い方々に支えられて「這えば立て立てば歩め」のことわざ通り、ゆっくりと科学の進歩について行くことが出来ます。

 私は、第二の人生をボランティアで過ごして来ましたが、80を過ぎて罹患しました。しかし、新しいことを始めることが老化を防止する1つの道と言われていますので、ブログを書いたり、ひさしぶりに水泳ができるようになったり、そして今度は、消費税の賢い節約を使うことができるようになり、難関を突破しいしい余生を楽しめることを感謝したいと思いました。読者の皆さま読んで頂いてありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

人は考える葦である  第6章  戦後の洪水

2019-10-15 21:28:52 | 随筆
 私の生まれたところは、広瀬川と愛宕山(愛宕神社が建っている)の間の風致地区でした。広瀬川まで広い野原と道路があり、川岸に家も建っていました。川は、川上の南側が崖のところで蛇行し平地の所で東へ流れて行きます。向かいも高い崖で下水道の大きな排水口がありました。

 第2次大戦が終わって国民が復興に進んでいた頃、立て続けに台風が来ました。アメリカの統治下だったので、台風は、アイオン、キャサリン、キティ等という名で呼ばれました。広瀬川の濁流は、蛇行しているところから蛇行をせずまっすぐに平地を流れました。広かった河原、野原もろとも家々が川中となったのです。向かいは高い崖の上に町がありますから、心配ありません。家族は一生懸命家財道具を二階へ運びながら下を流れる川に怯えていました。風呂桶や木材、樹木などが流されて来ました。何回目かの時、川岸の家が流されました。次の朝、昨日とは全く違った風景を見て血の気が引いたのを思い出します。近くの愛宕橋は、橋げたが見えなくなるくらい濁流が洗ってとても恐ろしかったのですがその頃は避難とか気象情報などということは何もありませんでした。次の日から畳を上げ、床板をはがして泥をかき出す作業をやりました。今回と比べれば、個人個人の作業で済んでいました。

 近くに飛び込み台付きの立派な市営プールがあり、兄達は泳いでいたようですが、私は一度も入ったことはありませんでした。これも、洪水以来、営業はしなかったような気がします。その後私の家は、堤防を作るために転居を余儀なくされました。その堤防も何回か改造され、今は今回の台風に耐える立派な堤防になりました。広瀬川は、市街の中の川として城下町のシンボルとなっていますが、今回のように沢山の町の方々が未曾有の損害を受けられたことに心からお見舞い申し上げます。今まで通り、自然の美を醸し出す河川、人の生活を潤す河川に戻ることを祈ってやみません。

 私の中高生時代の思い出で、ラジオしか広報手段のない頃のことですから、他の都市がどうだったか等は思い出せません。只、昔のこのような風景は少なかったような気がしています。戦後で、新しい街並みが出来つつあったころですから、今度のこの大規模な洪水に遭われた街の復興対策は、市民の方々の心のケアと共に、最新テクノロジーを駆使して進むことを心から願うのみです。

人は考える葦である  第6章   自然の脅威に

2019-10-13 21:28:34 | 随筆
 今日の、一点の曇りもない青空をトンボが飛ぶ光景を、恨めしく思うのは私だけではないと思います。何日も前から超特大の台風の予報がなされていましたが、津波に匹敵するような被害が各地で発生しました。一つの町が田んぼのように水中に沈んでしまうという異様な風景が、日本国民を驚かせました。普段当たり前に使っている道路が寸断され、人の足を奪ってしまいました。被害地の皆さまが、一晩で人間の尊厳を奪われる不自由さに見舞われたことを残念に思います。堤防決壊などというのは、一昔前の堤防の弱い時代の出来ごとと考えるほど最近は少なくなっていたと思います。それが、赤道の遠いところから発生した台風が日本列島に襲来し、想像のできない被害をもたらしました。

 報道によれば、地球温暖化のため大型化していることと、日本の上空も温暖化の影響でそれを増大することになったというのです。時は何日か前、地球温暖化の国際会議があり、炭酸ガスの減少を各国が賛成しているにもかかわらず、先進国のわずかな国が賛成しなかったということに課題を残したと言われています。今回の被害の大きさは、すでに地球の大きな異常が気候を激変させたのではないでしょうか。今まで異常気象と言われていたことが普通に起き、更に大きな異常気象が起きる可能性があるのではないかと懸念している段階ではないでしょうか。国際会議は特に自国の利害関係から離れ、地球規模で討論するべきとの考えがあります。しかし、代表の中には、自国の経済発展のため、国民のことを優先にする人もいます。会議に出ない沢山の後進国、未開発国の民族や国民は、この温暖化の被害を受けているのです。

 最近は、トップ会談や先進国首脳会議などで国際関係を改善しようと言う意図は感じられますが、その結果は必ずしも予想通りの良い関係が続いているとは限りません。民間交流が盛んに行われているのに国対国となると難しいことばかりです。

 さて、今度の災害は超強烈な台風の大きな被害により、被害額はどんなに大きなものになるか想像もつきません。しかし、被害に遭われた方々の喪失感や被害意識は想像に余りあるものと推察できます。その気持ちを少しでも和らげ、未来に希望を持って頂けるほど復興に力を出して頂きたいと願います。誰でもが、病や怪我、事故などで絶望に陥ることはあるのです。しかし、この大きな天災、災害に対しては、限りない苦しみや労苦が伴います。誰もが行って援助してあげることはできませんが、国民が負担している税金をこういう時に有効に使って頂きたいと思います。法律家は、天秤のバッチを付けていらっしゃいます。それは、人は皆平等であるということを表しています。こんな大きな不幸を背負わされた被害者の方々が、早く正常な生活に戻れるように、最善の援助を使って頂きたいと願っています。