人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦である part 3

2018-02-21 22:15:49 | 随筆
 考える力といっても、他の動物とは比較できない位の複雑な多くの力を人は持っている。そのために長い年月をかけて現在の無限の文化や進歩をもたらしたのだ。更に人類は神という絶対的な存在を知り、信じて生きる糧としてきた。これが、他の動物との差を大きくしている要因で、人の人たる所以であり尊厳を意味づけている。
 つまり人の考える範囲は神に近い崇高なものから、動物的本能に近い感情的なものまで無限な可能性を秘めている。故に複雑極まりない多くの問題が生じているのである。歴史を遡って考えると、初めは自国の狭い範囲での小さい戦いから始まり、時代が進むと外国との戦い、侵略戦争と進み第1次第2次という大戦を経て戦争のない時代が来たかと思えば、地方での戦いが続いたのである。
 一方で言語の違いを超越して各国の科学、芸術、スポーツの文化交流や観光等では発展の途を遂げていたにも関わらず、このような内乱やテロ戦争が絶えないのは何故だろうか。人類の動物と異なる高度な感性はどうしたのか。人の思考の範囲が崇高なものから本能に近いものまで無限な広がりがあると言ったその本能に近いものがテロや戦争の発想と言えないだろうか。
 人はそれぞれ生まれた国で生まれた国の感性で生きているが、人と戦いたいという欲望はどこから生まれるのだろうか。昔の侵略戦争の時代は遠に過ぎている。日本は観光ブームで外国の人が沢山訪れている。そこで平和な暮らしが当たり前に続くことを自然に享受している。だから、そこには、他国の軍備がどうとか、防衛のための核開発とかは考えの範囲にはない。しかし、国境線に近いところの緊張した雰囲気は、一般の人々の計り知れないものであることも察せられるのである。
 この広い地球を人類は他の動物、植物を利用して生存し続けるが、未だに開発の遅れている後進国、先住民族等から宇宙に目を馳せ宇宙をも席巻しようとする国まで大地の地球はその生命を永遠に続けることができるのだろうか、そういうことを考える必要はないのだろうか、科学に疎い者の単純な紀憂に過ぎないであろうか。