人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦であるー第4章 世界に通じる人格

2018-10-26 22:09:43 | 随筆
 今年も文化の秋を迎え世界から注目されるノーベル賞の受賞者が発表された。日本の受賞者は今年も化学部門で、日本のお家芸と思われるほど今まで受賞した人の多い部門である。日本にその他の受賞者がいないと、他の部門のニュースはぱったりと途絶えてしまう。そういう点では日本の国際性は薄いのではないかと考えさせられる。
 平成27年の受賞者も化学者だった。この方の受賞までの経歴をメディアが詳細に報道したので、その人間性までくわしく知ることとなった。主な業績は、南アフリカで撲滅が困難なため多数の人が命を失った伝染病の特効薬を発明して、その国の国民の繁栄に貢献したということである。昔、野口英世博士が自分も感染する程の困難に遭いながら、アフリカの人々の救済に尽くした現代版とも言える。
 その化学者の基本的な考えの一つは、「世界中どこの人とも分け隔てなく接すること」だそうである。この考えは、日本が戦後取り入れた民主主義の考え方の一つであり、今更言う程のことでもない当たり前のことなのに、そういう人々が世界単位で減少して来ているのではないかと私は懸念している。政治家の中にも、分け隔てない行動を取らない人を見かける。二つ目は、「自分の功績を自慢しない」そうである。昔から、「実るほど頭の垂れる稲穂かな」ということが言われてきたが、今はあまり周知されてはいないのだろうか。人が能力を発揮して、人の上に立つ役職についたり、人から称賛される成績をあげたりしても、それを鼻にかけることなくむしろ謙虚にふるまうのがよしとされてきた。そんなことしたら、いじめられたり、バカにされたりすると恐れる人は、胸を張って権力を誇示するのだろう。一般の市井の人の中にも、肩書きをひけらかすことなく、誰彼を問わず同じ目線で接する人は好感を持たれる。三つ目は、「後輩や周りの人を叱ったことがない」そうである。これは、二つ目の考えに通じるが、叱ることは、日常生活でも頻繁に起きることだから、叱らない人は、やはり人格者の範囲に入るのではないだろうか。ふだんの雑談で、妻が夫に叱られたことがないという人に出会うと羨ましくなる。今はやりのハラスメントは、叱る行為が基礎となって起きる卑劣な行為である。四つ目は「自分の財産を人の為に使う」ことを心がけているそうだ。研究費の助成が思うほど支給されないと聞くけれど、働いて得たものを人のために使うというのは、誰でもがやれることではないので、純粋な心の持ち主であることは間違いない。最後に、これも日本では珍しいことだが、「妻に感謝の気持ちを絶やさない」ことだそうだ。叱らないだけでなく、感謝の念を持ち続けるのは、お互いの平等感で信頼し合う夫婦なのだろうと思われる。日本の男性は昔から、戸主として君臨し、妻は夫が働いて収入を得るためのサポート役という観念で推移して来ている。戦前は出征兵士の夫の留守を守る役目という観念だったが、戦後の民主主義の導入と共に平和憲法が作られ、元々なかった人権に目覚め、男女差、学歴差、地域差等の差別観念を改めて行くことを理解した筈だった。しかし、先進国の中で日本の男女の差別観念はいつも低い位置にあり、そんな中、戦前でさえも愛妻家という男性がいたくらい、時代に関係なく平等感を持った男性は存在しているのである。今は、女性の職場も広まり活躍する女性に限らず、ボランティアで貢献する女性も増えている。すべての男性の女性を見る目が、当たり前に同等になることが望まれる。
 以上、科学者の人格を知らされたことで、周りの人がその方を尊敬の気持ちで過ごしていたことが理解され、日本でも称賛の的になったことは言うまでもない。ご本人のお話によると、これはお母さんの言いつけが基礎となっているということで、いかに幼少の教えが、人格醸成に重要であるかが思い知らされる。ごく最近のニュースで、ミス日本に選ばれたお嬢さんは、亡き有名な俳優のお父さんに、「女性はエレガントにすることを心がけなさい」と言われたのを守って生きてきたとおっしゃっていた。9歳で父を亡くしたと聞いて尚びっくりさせられた。

 今、政治に無関心ではいられないくらい政治家や各方面の指導者の不信が伝えられていますが、このようなエピソードがそれだけで終わらず、多くの人に伝わり、より多くの思慮深い人々が増えることを期待したいと思います。