人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦である 第五章 アラカルト 動物の家族

2020-01-21 21:50:53 | 随筆
 動物は動物園や自然の中で多く見られ、その中には家族を構成しているのを見ることができます。自然動物公園では、サバイバルの厳しい世界を見ることができます。その中で鳥はつがいを一生続けるということを聞いたことがあります。身近にみられる雀では、具体的にそれを実感することはありませんが集団で飛んでいるのは見られます。渡り鳥などはたくさんの群れで移動しているのですが、その中に家族を感じることはできません。

 ある年の3月当地区の貯水池に白鳥が3羽飛んできました。ウオーキングの途中でそれを見た私は急いで近くのスーパーから、パンの耳を買って来ました。北帰行の前に餌をあげたくなったのです。白鳥はグレイの1羽と白の2羽です。私はとっさにこれは親子だと思いました。醜いアヒルの子はグレイだと認識していましたから。

 そばに制服の女子中学生が二人いて、なぜか部長部長と言っているのです。私は親子と思って観察していますと、1羽だけ離れているのです。後の2羽は必死になって食べていますが、1羽は離れて見ているのです。私はこの一羽を父親だと思いました。鳥なのに母子に餌をゆずっていると思ったとたん私は父鳥のほうへパンを勢いよく放り投げました。父鳥はやっと食べてくれました。鳥にも父子愛はあるのでしょうか?

 次の日、スーパーで日本語のレッスンがあったので(教室がまだできない頃)スーパーに行く前に池に行って見ました。3羽はまだ旅立っていませんでしたが、もっと見ていたい気持ちを抑えてスーパーのレストランに入り、生徒にいきさつを教えました。レッスンを初めてひと時が過ぎた頃、池が見える位置に座っていた生徒が「あれあれ」と外を指さしました。私も振り返り窓の外を見たら、三羽の白鳥がまさに飛び立って行ったのです。その時私は旅立つ白鳥を見送ることができてラッキーだったとつくづく思ったのでした。偶然は簡単にはやってきません。こんな良い光景を見られてほんとうに良かったと思いました。

 その上、幸せなことに、その池を正面から見下ろせるマンションに住んでいらっしゃった方が自分で撮った白鳥の写真を下さったのです。そしてもう2度と白鳥は飛来してくれませんでした。かもの親子が行列して水上散歩をしているのを見たぐらいです。最近はその数も減っています。
やはり自然は私たちのこころを癒してくれます。自然とともに生きるのが、平和の享受につながると思っています。