風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

ニセコに行く

2007-05-20 10:59:35 | 1996~97原付日本一周
1996年7月

土砂降りで散々な目にあった東大沼キャンプ場を後に、新天地を目指してベンリイ号と共に走る。
地図でニセコ町を探し、そこに向かうことにした。
毎週土曜に走行展示しているというC62 3号機が目当てである。

当初は曇りがちだったが、北上するにつれ天気が良くなってきた。
途中、長万部でカニ飯を食べる。
道路沿いに「カニ飯」の看板が立ち並んでいる所があって、ならば食ってみようじゃないかというわけだ。

しかし1000円払った割には感激は薄い。
所詮はドライブインの飯なのか?
カニ飯街道長万部と聞いたが?いや、たまたま入った店が悪かったのだろう、と言い聞かせることにする。

とっとと立ち去り、さらに北上を続ける。
北海道は道が広い。
そのため車もよう飛ばす。ペースが上がり勝ちになるがこっちは原付。
おさえておさえて。
現に、ねずみとりがレーダーで待ち構えている事もあった。

さて、さらに走ると前方に存在感のある山が見えてきた。
羊蹄山だった。
さすがエゾ富士と言われているだけのことはある。美しいシルエットの山だ。
いつかきっと登ってやる。(その後1998年に登りました。その話はまたいつか・・)

ニセコ駅についたがどうも様子が変だ。
シロク二(C62の愛称)の姿が見えない。
観光案内所のお姉さんに聞いたら、もう走っていないという。

ええ~!?

なんと、1995年の11月20日を最後に中止になってしまったそうだ。
蒸気機関車は、一回走らせるのに膨大な費用がかかってしまうのだそうだ。
札幌の隣の駅苗穂の機関庫で休んでいるらしい。
残念だがこれが現実とあきらめる。


ニセコの町はけっこう起伏が激しい。
荷物満載のベンリイ号にはきつい登り坂だ。
冬は良質な雪が積もるためスキーなどでにぎわうらしい。
そのため、ペンションが立ち並んでいる。
その中にライダーハウスの看板があったので、今日の宿泊場所とした。

東大沼でテント泊

2007-05-19 11:02:53 | 1996~97原付日本一周
1996年7月

函館から北海道に入ってまず宿泊する場所は、函館のライダーハウスか、東大沼キャンプ場ということらしい。
ライダーハウスに泊まった翌日、天気は曇りだったが、その東大沼とやらに行くことにした。
実は家を出発してから、一泊もテント泊をしていなかった。

程なくして東大沼キャンプ場に到着。
テントを張るが、新品を買ってろくに使っていなかったので、けっこう手間取った。

ダンロップ製で、ツーリング用に開発された、フライシートがとても大きいテントだ。
自転車も収納できるくらいの前室が売り。
雨の日なら調理も可能になるかも、という淡い期待のもとに熟慮の末購入したものだ。

やっとこさ張り終えたと思ったら、土砂降りの雨。rain
北海道には梅雨がないという話のはずだが?
フライシートの縫い目からはポタリポタリと雨が漏ってくるし・・・
新品で買ったのになあ。

初日のテント泊がこれである。
先が思いやられる。

函館に入る

2007-05-18 11:10:39 | 1996~97原付日本一周
1996年7月

大間からフェリーに乗り、いよいよ北海道に入る。
しかし、天気はあいにくの雨。rain

大間のフェリーターミナルで知り合ったバイクライダーさんや、自転車で旅するサイクリスト(チャリダーとも言う)さんと話をする。
みなさん、それぞれ荷物をわんさか積んで旅しているようだ。
サイクリストさんは、うまいご飯を炊きたい為に、荷物スペースを割いて、武井バーナーを積んでいた。

天気が雨なので、函館にあるというライダーハウスに泊まろうということになる。

ライダーハウスって何?

何も知らない自分は不安であったが、ともかく雨を防げるだけでもと思い、同行することにした。

ライダーハウスは、北海道特有の施設というか建物で、(他県にも稀に存在するが例外的)
基本的に相部屋の雑魚寝。無論布団もない。
雨など降った時は、テントよりはるかに快適だ。

しかし、人がわんさか来ると寿司詰め状態で、けっこう窮屈になることもある。
他の旅ライダーさんから、アドバイスをいただいたり、けっこう交流の場になる。
たまにマナーの悪い人がいると迷惑だが。

函館は海の玄関口とあって横浜にちょっと似ているなと思った。
洋館があって、レンガ倉庫があるところがそう。
しかし、路面電車は横浜には走っていないな・・・

さて、しばらく市内をウロウロしたら、ライダーハウスに到着。
さすが、ライダーハウスと言うだけあって、外には多種多様なバイクがずらり。


古い建物だが、値段は安いしとても助かった。
その日の夜はライダーハウスに連泊している人達に混じって皆で夕食。
たしか、鍋だったと思う。
酒が入るとなんだか雰囲気が異様な感じに・・・
皆さん癖が強く、自分はもうたじたじ。
そんなに距離は走っていないのだが、なんだかグッタリと疲れた。

翌日晴れたら、無料のキャンプ場があるという東大沼まで進もうと決める。

大間に着く

2007-05-17 11:30:48 | 1996~97原付日本一周
1996年7月
岩手を突っ切る長い国道4号線を北上し、本州最北端の地、青森に入る。
建物が少なくなり、どこか寂しい風景になってくる。

メモに記載がないので、詳しいことは失念したが、確かキャンプ場で一泊している。
キャンプ場といっても工事中で、サイトには入れなかった。
困っていたら、管理人のおじさんが来て、集会所を貸してくれるというではないか!

畳の大広間を独り占め状態。
ゆったりできて助かった。
親切な管理人のおじさんに感謝。

翌日早朝出発。
本州と北海道の最短航路ということで、大間港からのフェリーに乗ると決める。
大間は、本州最北端というばかりでなく、津軽海峡で取れるマグロの水揚げの地として有名。

本州最北端記念碑の前で記念撮影。


フェリーの待ち時間に、家に初めて葉書を送る。
一応報告をしておくため。


そして、いよいよフェリーに乗る。
生まれてはじめての北の大地だ。


初めてのユースホステル宿泊

2007-05-16 11:19:12 | 1996~97原付日本一周
1996年6月29日

天気は梅雨の中休みと言う事で晴れ。

よし、出発だ。

背負っている35ℓザックがヘルメットと干渉して、首が回らないので、これがとても窮屈だ。
ベンリイ号はとても快調だ。
走る。とにかく走る。本当に信頼のおけるやつだ。

午後、国道4号線に入る。
東北の道に入ったわけだ。

前日に予約しておいた一ノ関の毛通寺ユースホステル(以後ユースホステルはYHとする)にほぼ予定時刻に入る。
これが生まれて初めてのYHの宿泊だ。
受付をする。
「前日はどちらに泊まっていましたか?」
「はぁ?えーっと福島だったけなあ?」
「この後はどちらへ泊まりますか?」

受付の言っている意味がよく解らないでいた。
何で次の事までいちいち言わなきゃならんのだ?
「予定は立てていないです」
「では次の予約はしなくて良いですね」

つまり、前日のYHの宿泊地と、次のYHへ泊まる予定の事を言っていたようだ。
今は「ホステリング」の事だと解るが、当時は知らなかったので、戸惑った。

ここではけっこうたくさんの旅人達に会う。
ユースホステルの事を知らない自分は、ホステルとホテルと勘違いしていたりしたっけな。


ユースホステルは1909年に、ドイツの学校教師が、旅する青少年達を援助するために、安価で泊まれる施設を、ということで始めた運動がきっかけだったようです。
全世界に約4000箇所あって、日本には370箇所あり、それぞれに独自の企画を立てたりして特徴をもたせている所もあります。
青い三角の中に、白で木と三角屋根の建物をあしらったマークがYHの施設であるという印。

今はネットの普及で、日本ユースホステル協会のHPもあります。
ここです→http://www.jyh.or.jp/index2fr.html

日本では1970年代が一番盛んだったのかな?
その頃は、夕刻に宿泊者とヘルパーさん達が集会所に集まって、歌を歌ったり、ゲームをしたりして「ミーティング」として交流会をしていたそうです。
今では一部を除き、そういった交流会をする所はあまりないようです。

初めてのYHということで戸惑いもあったが、こんな旅の世界もあるんだなと思った。
この日の走行距離246km