風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

遥かなる山の呼び声

2018-12-30 18:08:31 | 世評
早や師走、年末、歳末である。もう歳の瀬も瀬戸際である。今年の師走は暖かいと。平均気温は暖かいと。あくまでも平均なんだな。極端に気温の高い日があると平均を押し上げる。統計とはそう言うものであるな
丁度この国のように。いや世界のように。グロ-バル世界のように

中間層が無くなった。普遍的が無くなった。普遍的なものが無くなりつつある。オタクと言われだして年月が経った。最近テレビで林修センセの説明を聞いていて、会社の人事担当者は最近は総合的な人間よりオタクを好むと

オタク、オタクと言うが意味が分からなかった。ようやく分かった。世間で言う、言っていることが理解できた。一昔で言えば埴谷雄高が言っていた、人には人の考え方には遠心的な人と求心的な人がいると

ひとつの事を総合的に外へ外へと思考を巡らすのが遠心的で、専門的に中へ中へと考えるのが求心的であると。もっとも対象によって遠心的にもなるし求心的にもなるがの。経済などは営業などは遠心的な発想であろうな。物事の根本より外へ売らなくちゃやっていけないがの

NHK、日本放送協会がある。昔は硬い放送局であったが、昨今ではお笑い宣伝員を使うんだな。会社も商品の宣伝に通称タレント、お笑い宣伝員を使う、警察でも使うんだな。振り込め詐欺を防止しようとお笑いを使うんだな。参っちゃう、お笑い達が俺俺詐欺に気をつけようなどとポスタ-に顔写真が載っている。政治家も政治屋もポスタ-では顔写真を乗っけるのだな、片山なにがしが自らの大きな写真をデカデカと貼っている。

顔役という言葉があった。宣伝員はまず顔を売る。顔がどうであれ、顔が命だな。昔の役者は顔、目鼻立ちが整った顔が俳優だったな。昨今では目立てば良い。そのためには崩れた顔の方が、人目につく顔の方が良いのだな。引越のサカイがあった。自由で自立した堺市で創立されたとか。出だしのテレビコマ-シャルは関西の芸人が下品にやっていた。その後知れ渡ると飯田市の下栗にした

世の物指しが変わってきた。いや俺が俺の見方が世の考えと乖離が出てきたのだろうな。NHKもお笑い宣伝員を使うようになってきた。小生は日本お笑い協会、NOKと称している。そのNHKがいやNOKが師走に山田洋次監督作品をやっていた。

「遥かなる山の呼び声」も以前に発表した作品と、新しい役者も変えた作品を両方流した。脚本は新も旧も山田洋次。監督は新作は山田洋次ではない。大筋は変わらないが細部は違う。同様な作品はある。黒澤明の「椿三十郎」も新作と旧作がある。また「用心棒」も新作は西欧にある。お茶の世界で二番煎じという言葉がある。出がらし、番茶という言葉もある。お茶の場合には、段々不味くなると

芸術とはどうなんだろうか。ジャン・ポ-ル・サルトルは作品とは昨日よりも今日の方が良くなると。推敲という言葉もある。俳句なぞは推敲に推敲を重ねてよい作品を作ると。映画の場合はどうなんだろう。小生には二番煎じに見えてしまう。良くないんだな。水彩画は一筆で描く、油の場合は何回も何回も塗りたくって良い作品が生まれる。しかし、映画は違うようだな

「遥かなる山の呼び声」の旧作と新作では月とスッポンだな。小生にはそう見えるんだな。専門家、映画評論家の見方はどうなんだろう。大衆の見方はどうなんだろう。何とか賞に出品したら審査員はどう判定するのだろう

映画監督とは独裁だと。音楽の指揮者も独裁だな。人選から始まって、オ-ディションから選出して、下手をすれば蛸部屋まがいで外の世界と断ち切る場合もある。民主主義とはかけ離れる場合もある。藝術とはこれで良いと言う限度がない。

独裁と言えば、政治の国家の世界でもそうだな。こちらは民衆が選べば、次の選挙まではやりたい放題だな。土台選挙制度などは、政治家、政治屋が決めるんだな。自らが自らのために制度を作って実践するのだな。選挙なぞは小選挙区制度は人民の2割の強烈な信条的な支持を受ければ当選する。選挙率なぞはせいぜい50%、その半分あれば、国家を握れる。

一種の宗教だな。あのオウムが出家して上九一色村をどうして握れなかったか理解できないな。世の政治家、政治屋、トランプにしてもプ-チンにしても習近平にしても安倍晋三にしても20%の支持率は維持している。これは変態と言われた小泉純一郎以来だな

軍人、凡人、変人とは名言だった。小泉純一郎なぞは変人を通り越して変態だったな。総理の当時は原発は時流に乗って大賛成だった。総理を辞めたら原発反対に転じたと。土台一国の総理で感情を表しすぎる。少しは弁護士を見習ったらどうかな。歩きながら憲法改正を語ったのは小泉純一郎だな。知覧で特攻に対して涙流したのは小泉純一郎だった。所詮総理いや政治家なぞはそんなものだな。

法曹界なぞは、検事、弁護士、裁判官がいるが、外から見ていると八百屋の長さんに見えるんだな。田中角栄の裁判の場合、当時は人権派と言われた左派系が弁護した。昨日は弁護士、今日は裁判官、明日は野となれ山となれかな。

今回の日産のゴ-ン、元検事が弁護するとか、元が多いのだな。丁度政治屋や勲章受賞者のようだな。人権派の弁護士ほど危ない者はないな。人権とは本来一個人の人権を守るためのものなんだな。権力者を守るものでは無い。

もう今年も大晦日、大つごもりだな。財務省で文書の改竄があった。間違いじゃないんだ。改竄なんだな。穴とネズミなんだな。ねずみ小僧などは例外だが、鼠はドブネズミとか良い意味には使われない。

官僚が決済した文章を書き換える。書き換えたのは大きな理由があるんだな。昔では考えられない。下も下なら上も上だな。下では自殺した者もいた。松本清張の小説よりも上をいっている。松本清張の想像力では、隠すことしかでない。大方の者にとっては、隠すことしか考えないな。それを天下の往来に書き換えてしまった。もうこれはお終いだな

ハイそれまでよ ふざけやがって ふざけやがって 
あれは青島幸せ男が作詞したとか
世も末よ


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