kazuhi49の写真館

お花、山、飛行機、鉄道、船、などなんでも撮っています。

昭和30年代の古い切符が出てきました(急行編)

2018-03-21 09:40:19 | 鉄道

特急編の次は、昭和30年代の東海道本線の急行切符と急行寝台列車の切符です。最初は昭和38年の三ノ宮~東京間の急行券、切符が切られているのは当時小学生の私の分の子供用切符です。当時憧れていたスマートな電気機関車のEF58が牽引してホームに入って来た九州からの急行列車「霧島」だったと思います。復刻時刻表で調べてみたら、「霧島」が載っています。鹿児島発15時55分、三ノ宮発9時51分、東京18時20分着の超ロングラン26時間25分も走り続けているわけですね。

当時はグリーン車でなく、1等車でした。

次は、急行寝台の切符、東京~大阪間の代表的な急行寝台「銀河」は昭和24年から60年間も走り続けました。朝起きると丁度良い時間に東京や大阪に到着するので、私もかなり利用しましたが、高速道路網が整備され夜行高速バスに押されて平成20年に廃止となってしまいました。 

 

3枚目の「すばる」オリンピックの年の昭和39年の切符ですが、「すばる」の事は記憶がないうえ、その前後の時刻表にも掲載されていないので調べてみましたら昭和38年10月から昭和39年の10月までの、わずか1年で消えてた短命の急行寝台となってしまったので、とても貴重な切符となりました。夜行寝台華やかな昭和31年の時刻表です。


昭和30年代の古い切符が出て来ました(特急編)

2018-03-19 19:51:31 | 鉄道

久しぶりに家の押入れの整理をしていた所、昭和30年代の国鉄の切符が出て来ました。父の仕事の関係で、良く神戸に行っていた頃の懐かしい切符で、このお陰で小学生の頃から鉄道ファンになった、懐かしい切符達で巣ので、その一部をご紹介します。

まずは、昭和34年8月の東海道本線、東京~大阪間のビジネス特急「第一こだま」昭和33年に登場したボンネット型の151系の車両です。この車両は新幹線開業の昭和39年まで、東海道線の看板列車として6時間30分で結んでいました。続く切符は、S35年の「はと」S36年の「第一ふじ」S38年の「第一つばめ」どれも懐かしい特急列車達です。

 

その時代の昭和36年10月の交通公社の時刻表(復刻版で所有しています)

時刻表に、それらの特急が確認できます。

切符はありませんでしたが、昭和39年10月の東海道新幹線開業時の時刻表です

その当時は、ひかりで4時間、こだまで5時間かかっていたのですね。

中高年の強い味方オトキュー切符で行く南三陸撮り鉄の一人旅

2017-06-25 09:03:31 | 鉄道

中高年の強い味方、大人の休日倶楽部の格安切符15,000円でJR東日本4日間新幹線を含め乗り放題で南三陸の乗り鉄一人旅に来ています。
いつもは乗る機会がない成田エクスプレスからスタートです。

東京都からははやぶさで仙台へ


仙台からは東北本線の普通電車で小牛田駅へ

小牛田駅でDE10とキハ110のツーショット

前谷地駅からは気仙沼行きのBRTに乗り換えます

本日は志津川泊まり、そして翌朝の日の出です

まだ復興真っ最中です。語り部バスが巡っています。

志津川駅よりJR気仙沼線のBRTに乗ります。
ほとんどが一般道路ですが、線路跡の道路も通ります。

トンネルもあります。

気仙沼よりJR大船渡線のBRTに乗り換えますが、志津川からのBRTが遅れたため、間一髪セーフでしたが、遅れ待ちはしないそうなので、気を付けましょう。
トイレは、運転手さんにお願いして、トイレ設備のある駅で用をたすことが出来ました。

津波の被害がすごかった、陸前高田を通過します。あの奇跡の一本松です

気仙中学校は、取り壊されず残っています。

大船渡駅からを過ぎ、南三陸鉄道乗り換え駅の盛駅へ、可愛いジオラマがありました。

ここから南三陸鉄道で釜石へ

途中の恋し浜で、電車も休憩です。
津波の被害がなく、こんな素敵な風景が残っています。

釜石駅からはJR釜石線、快速はまゆり6号、キハ110ですがリクライニングシートで快適に盛岡へ

途中駅でC58のSL銀河と交換、ノーチェックでしたがなんとか撮る事が出来ました。

客車は50系から改造したキハ141系700番台です。

盛岡でお気に入りの冷麵を食べ、充実した南三陸の乗り鉄の旅を終え、現実が待つ退屈な社会へと、こまちで戻ります。