二日間にわたるお城巡りの最後は、名古屋市守山区にある龍泉寺城です。お城が資料館になっているらしかったんですが、日曜日でないと入れないようで龍泉寺から見える最上階だけ撮りました。
龍泉寺城は、小牧・長久手の合戦に関わったようなのですが、資料が手に入らなかったので判りません。
龍泉寺城は、小牧・長久手の合戦に関わったようなのですが、資料が手に入らなかったので判りません。
< | ||||
龍泉寺城 | ||||
< | < | < | < | < |
犬山城を後にして南下。途中昼食をとるなど寄り道をして小牧へ。小牧山には以前登ったことはあり、この日は下から写真だけを撮りました。
小牧山城は、信長によって築かれましたが、あの秀吉と家康が唯一戦った小牧・長久手の合戦(1584年)で、徳川軍の本拠地となった所だそうです。
小牧山城は、信長によって築かれましたが、あの秀吉と家康が唯一戦った小牧・長久手の合戦(1584年)で、徳川軍の本拠地となった所だそうです。
小牧山城 | ||||
< | < | < | < | < |
岐阜市加納城址から向かったのは、愛知県犬山市の国宝犬山城。岐阜側から犬山橋を渡るのには時間が掛かりました。橋を渡ると右折して堤防沿いを走り、途中で写真を撮りました。そこから犬山城の駐車場に車を停め天守閣を目指しました。
ご存知かと思いますが、犬山城は国宝四城の中でも最も古い城で別名は白帝城です。城の中の階段は、急で頭がぶつかりそうな所もあります。本当に時代を感じる城でした。
その犬山城は、1537年に信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られたそうです。その後江戸時代に入り成瀬氏が城主になり代々受け継いで明治にいたりました。明治24年以降は個人所有(成瀬氏)でしたが、平成16年に所有は財団法人になりました。
ご存知かと思いますが、犬山城は国宝四城の中でも最も古い城で別名は白帝城です。城の中の階段は、急で頭がぶつかりそうな所もあります。本当に時代を感じる城でした。
その犬山城は、1537年に信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られたそうです。その後江戸時代に入り成瀬氏が城主になり代々受け継いで明治にいたりました。明治24年以降は個人所有(成瀬氏)でしたが、平成16年に所有は財団法人になりました。
|
|
|
城巡りの旅行の二日目。朝ホテルを出てマックで朝食を済ませ、岐阜市内にある加納城址へ・・。ここは主に石垣が残っているくらいですが中に入ると広いグランドのようになっており、朝早くからお年寄りがグランドゴルフを楽しんでいました。
加納城は、関ヶ原の合戦の後(1602年)廃城になった岐阜城に変わり、美濃の押さえとして家康の命で築かれたそうです。
加納城は、関ヶ原の合戦の後(1602年)廃城になった岐阜城に変わり、美濃の押さえとして家康の命で築かれたそうです。
加納城址 | ||||
< | < | < | < | < |
墨俣から岐阜市へ向かい、長良川を渡って岐阜市内へ。駐車場に入れた頃には夕方になっていました。金華山のロープウェイに乗り岐阜城へ。夕日が見れたり、濃尾平野(岐阜市内、犬山方面、名古屋方面など)の夜景が見れたり眺めは良かったです。
岐阜城は、斉藤道三や織田信長などが城主になったことで知られています。関ヶ原の合戦の後廃城になりました。
岐阜城は、斉藤道三や織田信長などが城主になったことで知られています。関ヶ原の合戦の後廃城になりました。
|
|
|
清洲から高速に乗り、岐阜羽島で名神高速を降り昼食を済ませた後に墨俣へ向かいました。
画像の一夜城は、一般的な城郭の天守風に建設されたお城ですが、実際は砦のような城だったみたいですよね。とにかく秀吉が(木下藤吉郎)一夜にして築いたとして出世のエピソードの中でもよく時代劇でも取り上げられていますね。
画像の一夜城は、一般的な城郭の天守風に建設されたお城ですが、実際は砦のような城だったみたいですよね。とにかく秀吉が(木下藤吉郎)一夜にして築いたとして出世のエピソードの中でもよく時代劇でも取り上げられていますね。
|
|
|