長野・山梨・静岡城巡りの2日目の夕方、私達は河口湖にやって来ました。そしてこの日の宿泊地のプチペンション村に行く前に一ヶ所だけ寄り道をしました。それが「久保田一竹美術館」です。
着物のしみ抜きをしている私にとって、一竹先生のような方々が着物を作って下さって初めて成り立つ仕事ですから、感謝を込めて拝見させて頂きました。
久保田一竹先生は、14歳で手描き友禅の世界に入り、20歳の時に辻が花染めに出会い、60歳で『一竹辻が花』を発表したそうです。85歳で亡くなり昨年生誕90周年だったようです。
私も職人ではありますが、作品を作るような仕事ではありませんので、いつか自分で着物を作ってみたいという思いが強くなりました。
久保田一竹美術館を後にした私達は、宿泊先のプチペンション・ブルーポピーへと向かいました。
着物のしみ抜きをしている私にとって、一竹先生のような方々が着物を作って下さって初めて成り立つ仕事ですから、感謝を込めて拝見させて頂きました。
久保田一竹先生は、14歳で手描き友禅の世界に入り、20歳の時に辻が花染めに出会い、60歳で『一竹辻が花』を発表したそうです。85歳で亡くなり昨年生誕90周年だったようです。
私も職人ではありますが、作品を作るような仕事ではありませんので、いつか自分で着物を作ってみたいという思いが強くなりました。
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久保田一竹美術館を後にした私達は、宿泊先のプチペンション・ブルーポピーへと向かいました。
再び高遠城址の画像です。本丸の桜はほとんど開いていませんでしたが、それでも普段目にするソメイヨシノと違い、濃いピンク色の蕾が沢山ついた木々だけでも名所の雰囲気がかもし出されているようでした。
数日後のニュースなどで高遠の満開の桜の様子が流れていたので、機会があれば満開の時に訪れたいと思いました。南ゲート付近(美術館前など)の早く開いている桜だけでも見事でしたから・・・。
数日後のニュースなどで高遠の満開の桜の様子が流れていたので、機会があれば満開の時に訪れたいと思いました。南ゲート付近(美術館前など)の早く開いている桜だけでも見事でしたから・・・。
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松本城見学の後に寄ったのが、城の北部にある旧開智学校と旧司祭館です。
<旧開智学校>
明治6年5月、廃寺を仮校舎として開校
明治9年4月、新校舎竣工
昭和36年3月23日、明治時代の擬洋風学校建築としてわが国で初めて重要文 化財の指定を受けた
昭和38年~39年にかけて現在地へ移築、復元した
<旧司祭館>
明治22年、フランス人神父・クレマンによって建築された西洋館
平成2年~3年にかけて城内三の丸の一角、地蔵清水から移築、復元された県宝
<旧開智学校>
明治6年5月、廃寺を仮校舎として開校
明治9年4月、新校舎竣工
昭和36年3月23日、明治時代の擬洋風学校建築としてわが国で初めて重要文 化財の指定を受けた
昭和38年~39年にかけて現在地へ移築、復元した
<旧司祭館>
明治22年、フランス人神父・クレマンによって建築された西洋館
平成2年~3年にかけて城内三の丸の一角、地蔵清水から移築、復元された県宝
旧開智学校 | ||||
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松本城でも雨は止まず、写真にも雨の粒がボケて写ってしまいました。でも平城ですので天守は、どの方向からでもしっかり撮ることが出来ました。そして黒門、太鼓門など他の建物や堀、清正公駒つなぎの桜などの木々もあり被写体も多く満足できました。
この城に関わった人物も武田氏、石川氏、戸田氏、松平氏、小笠原氏など豊富です。
その中の石川数正ですが、元は家康の古くからの家臣でありながら秀吉に下ったのはなぜでしょう?謀将と言われたりもしていますし、いろいろな経緯があったのでしょうが、最終的にはその選択が凶と出てしまったといえますから、戦国時代の武将の生き方の難しさが現れているような気がします。
この城に関わった人物も武田氏、石川氏、戸田氏、松平氏、小笠原氏など豊富です。
その中の石川数正ですが、元は家康の古くからの家臣でありながら秀吉に下ったのはなぜでしょう?謀将と言われたりもしていますし、いろいろな経緯があったのでしょうが、最終的にはその選択が凶と出てしまったといえますから、戦国時代の武将の生き方の難しさが現れているような気がします。
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長野の城巡りの下調べで、高遠に“絵島囲み屋敷”と言うのがあることを知りました。絵島と聞くと「絵島・生島事件」と連想しました。
江戸時代、幕府、大奥の権力闘争の中、大奥大年寄絵島は芝居見物が原因でとがめられ高遠に遠流、歌舞伎役者生島新五郎は三宅島に遠流になり、絵島は61歳で死ぬまでの28年間を囲み屋敷で日々を送ったそうです。
余談ですが、この「絵島・生島事件」と聞くと連想するのが、女優仲間由紀恵です。映画版「大奥」で絵島を演じたのが仲間由紀恵で、実は私仲間由紀恵のファンなのです。今「ごくせん」見てます。「トリック」「ジョシデカ」「功名が辻」見ました。
だから、絵島囲み屋敷は訪れたかったのです・・・。
江戸時代、幕府、大奥の権力闘争の中、大奥大年寄絵島は芝居見物が原因でとがめられ高遠に遠流、歌舞伎役者生島新五郎は三宅島に遠流になり、絵島は61歳で死ぬまでの28年間を囲み屋敷で日々を送ったそうです。
余談ですが、この「絵島・生島事件」と聞くと連想するのが、女優仲間由紀恵です。映画版「大奥」で絵島を演じたのが仲間由紀恵で、実は私仲間由紀恵のファンなのです。今「ごくせん」見てます。「トリック」「ジョシデカ」「功名が辻」見ました。
だから、絵島囲み屋敷は訪れたかったのです・・・。
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番外編です。
高遠城址では、終始雨に降られてしまいました。グルリとまわって写真を撮って・・・桜の花もホンの少しで・・・。
でも、写真はいっぱい撮ったドー!饅頭も食べたドー!
高遠城址では、終始雨に降られてしまいました。グルリとまわって写真を撮って・・・桜の花もホンの少しで・・・。
でも、写真はいっぱい撮ったドー!饅頭も食べたドー!
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初日の城巡りは1日中雨が降り、2日目の朝は曇りのスタート。高島城の見学が終わって中央自動車道に乗る前頃から日が射してきました。山梨、静岡を巡る間の城以外の撮影被写体に富士山を予定していました。しかし富士山の撮影は天候に左右されます。この旅行の間でも富士山の姿を見れたのはこの日だけでした。
その限られた中でさらに撮影が出来たのは、高速の諏訪から甲府の車中と武田神社と善光寺、そして河口湖でした。(武田神社と善光寺は公開済み)
高速(中央自動車道)の車中では、私は当然運転していたので奥方様に写真を撮ってもらいました。高速で走っているので、なかなかシャッターを押すタイミングが合わず苦戦していました。途中サービスエリアの展望台で撮影しようとしたのですが、運悪く雲に隠れていました。
・・・と言うことで私達は、2日目の宿泊地のある河口湖に辿り着きました。
その限られた中でさらに撮影が出来たのは、高速の諏訪から甲府の車中と武田神社と善光寺、そして河口湖でした。(武田神社と善光寺は公開済み)
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高速(中央自動車道)の車中では、私は当然運転していたので奥方様に写真を撮ってもらいました。高速で走っているので、なかなかシャッターを押すタイミングが合わず苦戦していました。途中サービスエリアの展望台で撮影しようとしたのですが、運悪く雲に隠れていました。
・・・と言うことで私達は、2日目の宿泊地のある河口湖に辿り着きました。
番外編です。今年は桜の季節と城巡りが重なったので、これまでの画像と合わせて特集しました。
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